※この作品はR-18です。

君と紡ぐ永遠のメロディ   作:彼処舐ノ助嗅過

3 / 10
悩む梨子をそっと後押し、支えるまつたけ。
高校卒業まで、寄り添い続ける。

※シリーズ全体
・本作品はアニメ版『ラブライブ!サンシャイン!!』を原作とした二次創作です。
・アニメ本編との時間軸のズレや、独自の設定・キャラクター解釈を含んでおります。
・原作を尊重しつつも、キャラクターの性格・関係性に独自解釈が加わる場面がございます。
・アニメ最終話に登場する犬「プレリュード」は本作には登場せず、オリジナルキャラクターの犬が登場・物語の中心となっております。
・人と動物(犬)との恋愛要素を含む内容となっております。苦手な方、抵抗のある方は閲覧をお控えください。
・ストーリー後半には、**18歳以上推奨の描写(R-18相当)**が含まれます。年齢制限・閲覧にご注意ください。
・本作はフィクションです。実在の人物・団体・作品とは一切関係ありません。


#3 支え励まし、卒業へ

季節は、少しずつ秋へと向かっていた。

朝晩の風に、どこか冷たさが混じる。

梨子は変わらず、まつたけと日々を過ごしていた。

最初は、ただ「家族の一員」だった。

でも、気づけば──まつたけは、梨子にとってもっと特別な存在になっていた。

 

朝。

目覚ましよりも少し早く、まつたけの鼻先がベッドの端をくすぐる。

目を開けると、ふわふわの毛と、まっすぐな瞳。

 

「おはよう、まつたけ」

梨子が声をかけると、まつたけは静かに尻尾を振った。

学校から帰ってきたときも、疲れた体をソファに投げ出したときも、まつたけは決まって、梨子のそばにいた。

 

言葉はないけれど、まつたけの存在が、梨子の心をほぐしてくれた。

 

そして夜。

ピアノの前に座り、思うように曲が進まない日。

ため息をついた梨子の足元に、まつたけがそっと顔を寄せた。

梨子はその温もりに触れると、また指を鍵盤に置いた。

 

不思議だった。

うまく言葉にできないけれど、まつたけがそばにいるだけで、自分はまた前を向ける気がした。

 

「……いつのまに、こんなに大事になっちゃったんだろうね」

梨子はまつたけに向かって、ふっと笑った。

まつたけは静かに、梨子を見つめ返した。

 

この日々が、この静かな積み重ねが、確かにふたりを結んでいくのだった。

 

 

秋の夜。

珍しく、梨子は部屋の電気もつけず、薄暗いリビングで、ひとりソファに座っていた。

手には、学校から帰ってきたばかりの試験結果。

思うような成績じゃなかった。

 

そして、もうひとつ。

目の前に置かれた、音楽コンクールの応募要項。

(出したい。……でも)

心の奥に、もやもやとした不安が渦巻いていた。

 

梨子は膝を抱え込み、深くうつむいた。

情けなかった。

悔しかった。

でも、誰にも言えなかった。

心配をかけたくなかった。

 

──そんなとき。

まつたけが、そっと梨子の足元に寄ってきた。

鼻先をそっと、梨子の腕に押し当てる。

 

「……まつたけ」

梨子は顔を上げ、

まつたけのあたたかな毛並みに、指先を沈めた。

 

「……わたし、ダメだなぁ」

ぽつりと、零れる言葉。

本当は、誰にも見せたくなかった弱音。

 

「怖いよ。コンクール、失敗するの、怖い。がんばっても、届かないかもしれないの、怖い」

まつたけは、ただ静かに梨子を見ていた。

否定も、励ましも、しない。

ただ、梨子の全部を受け止めるみたいに、

そこに、いた。

 

梨子は、涙をこらえきれなくなった。

声を出すこともなく、ただぽろぽろと、涙を落とした。

まつたけは、その涙の匂いを感じたのか、

そっと梨子の膝に頭を乗せた。

その重みが、梨子の心を支えた。

 

梨子は、まつたけの頭をそっと撫でながら、静かに、深く、息を吐いた。

「……ありがとね」

暗がりの中で、梨子の心に、少しだけ光が戻った。

まつたけは、それを知ってか知らずか、ただ静かに、梨子のそばに寄り添っていた。

 

梨子は、またひとつ思った。

(──この子がいるから、わたしは、わたしでいられる)

 

 

朝の空気はひんやりとしていた。

夏の終わりが、秋の訪れを知らせている。

梨子は、ベッドの端に座って、指先でコンクールの応募用紙をなぞっていた。

(出すの、やっぱり、怖いな……)

心のどこかで、また不安が顔を覗かせる。

 

そのとき。

トンッ、と小さな衝撃。

足元を見ると、まつたけが鼻先で梨子の膝を押していた。

「まつたけ……」

まつたけは、じっと梨子を見上げた。

まるで、何かを伝えたいかのように。

 

梨子は笑ってしまった。

「……わたし、弱いね。怖いのに、逃げたくないなんて、無茶だよね」

まつたけは何も言わない。

ただ、梨子の手にそっと顔を押し当てた。

 

その温もりが、梨子の心の中の冷たい部分を、ゆっくりと、溶かしていく。

(わたし、この子に出会ってから、何度も助けられてる)

 

梨子はそっとまつたけの頭に手を置いた。

「ううん、違うか。助けてもらってばかりじゃ、ダメだよね」

まつたけの瞳は、変わらずまっすぐだった。

言葉はいらない。

それだけで、十分だった。

 

梨子は、ゆっくりと立ち上がった。

コンクールの応募用紙に、ボールペンの先を置く。

カリ、カリ。

細い音を立てながら、梨子は必要事項を書き込んでいく。

最後に、名前を書いた。

 

書き終えた瞬間、まつたけが小さく鼻を鳴らした。

まるで、「よくやった」って言っているみたいに。

「……ありがとう、まつたけ」

梨子は、深く息を吐いた。

 

 

コンクールへの応募から、数週間後。

梨子は、放課後の校門で一人歩いていた。

音楽室での練習を終え、疲れた体を引きずるように帰路につく。

 

日が沈みかけた空。

淡い朱に染まった町並み。

まつたけは、梨子を迎えに来てくれていた。

リードを付け、ゆっくりと梨子の隣を歩く。

 

そのときだった。

「ねえ、君──桜内梨子だよね?」

後ろからかかった声。

振り返ると、知らない男が立っていた。

若い男。

手にはカメラと、見慣れないファイル。

 

(ファン……?)

梨子は身構えた。

学校帰りに、こうして声をかけられるのは珍しいことじゃない。

でも、どこか雰囲気が違った。

 

男は近づいてきた。

「握手、してくれない?」

手にはファイル。

何枚もの写真が挟まっている。

中には、どう考えてもプライベートなものも混ざっていた。

 

梨子は怖くなった。

後ずさろうとしたそのとき──

 

「ガウッ!」

まつたけが、低く唸り声を上げた。

男が驚いて足を止める。

 

まつたけは、梨子の前に立ちはだかるようにして、男を睨みつけていた。

耳を伏せ、毛を逆立て、普段は見せたことのない、野生の顔。

男がひるんだ。

「な、なんだよ、犬がいるなんて……」

梨子は、震えながらもまつたけに手を置いた。

温かかった。

安心できた。

「……帰ります」

梨子は、震える声で言った。

 

男は舌打ちして、去っていった。

梨子は、まつたけのリードを持ち直した。

その手が、少しだけ震えていた。

 

まつたけは、梨子を見上げた。

「……ありがとう、まつたけ」

梨子は、まつたけの頭を撫でた。

まつたけは、梨子の手に鼻先を寄せた。

 

(──わたしを、守ってくれたんだ)

その事実が、梨子の心に、深く、静かに刻まれた。

ふたりは、再び歩き出した。

寄り添うように、影を重ねながら。

 

夜の町を、誰にも邪魔されないふたりだけの世界を歩いていく。

 

 

秋晴れの朝。

澄んだ空に、うっすらと白い雲が浮かんでいた。

今日は、コンクール本番の日。

 

梨子は、出かける支度を整え、最後に、家のリビングに目を向けた。

そこには、まつたけが座っていた。

梨子を見上げる瞳は、いつもと変わらず穏やかで、でもどこか心配そうでもあった。

 

「……ごめんね、今日は一緒に行けないんだ」

会場は、動物の同伴ができない。

仕方ないことだとわかっていても、梨子は胸が痛んだ。

 

まつたけは、静かに梨子の方へ歩み寄り、その大きな頭を、そっと梨子の手のひらに押し当てた。

梨子は、まつたけの頭を両手で包み込むようにして撫でた。

 

「すぐ帰ってくるから。……待っててね」

まつたけは、尻尾をふりふりと小さく振った。

梨子は深呼吸をひとつして、玄関を出た。

 

会場に着いて、梨子は控室に案内された。

周囲は緊張した空気に包まれている。

他の出場者たちも、それぞれに静かに集中していた。

(大丈夫、大丈夫……)

梨子は自分に言い聞かせながら、持ってきたスマホを取り出した。

 

画面を開くと、そこにはリビングのライブカメラ映像。

留守番しているまつたけの様子が映し出される。

 

最初、まつたけはじっとしていた。

でも、画面越しに梨子の視線を感じ取ったのか、

ふいに顔を上げて、カメラの方をじっと見つめた。

 

そして──

「ワンッ」

優しく、一度だけ吠えた。

カメラの向こうで、梨子に向かって声をかけるように。

 

それから、まつたけはカメラのレンズをぺろりと舐めた。

まるで、

「大丈夫、見てるよ」

「ちゃんと、そばにいるよ」

とでも言っているかのように。

 

梨子は、思わず涙が滲みそうになった。

(──そうだ。わたしはひとりじゃない)

 

まつたけが、待っている。

支えてくれている。

 

梨子は深く、息を吸った。

スマホをそっとしまい、立ち上がる。

そして、舞台へ向かった。

 

スポットライトが、梨子を照らす。

まるで、無数の星が一斉に瞬いたみたいに、客席の視線が集まる。

でも、梨子はもう怖くなかった。

 

ピアノの前に座り、目を閉じる。

思い浮かべたのは、家で、静かに寄り添ってくれたまつたけの姿。

あの温もり。

あの、まっすぐな瞳。

(──ありがとう、まつたけ)

 

梨子は、鍵盤に手を置いた。

やさしく、静かに。

音が流れ出した。

 

それはまるで、梨子とまつたけの間に流れていた、言葉のない音楽そのものだった。

音はやがて広がり、会場を包み込んだ。

梨子は、まつたけに向けて、心の中で語りかけながら弾いた。

 

「あなたと出会って、わたしは変わったよ」

演奏が終わると、会場には静寂が訪れた。

一拍置いて──

大きな拍手が鳴り響いた。

梨子は、深くお辞儀をした。

 

目を閉じると、遠くでまつたけが、嬉しそうに尻尾を振る姿が見えた気がした。

 

 

コンクールが終わった帰り道。

梨子は、心地よい疲れとともに家へ向かっていた。

 

玄関の扉を開けると──

リビングから走ってくる影。

まつたけだった。

 

梨子は、思わず笑った。

「ただいま、まつたけ」

 

まつたけは梨子の足元にすり寄り、尻尾をぶんぶん振りながら、鼻先を梨子に押し付けた。

梨子はしゃがみこみ、まつたけの頭を撫でた。

「ちゃんと、見ててくれたんだよね」

まつたけは、鼻を鳴らして応えた。

 

梨子は、そっと耳を寄せた。

「これからも、ずっとそばにいてね」

まつたけは、まるでその言葉を理解したかのように、静かに梨子の手を舐めた。

「約束だよ、まつたけ」

 

まつたけは、深く息を吐きながら、

梨子の膝に顔を預けた。

 

──誰にも知られない、

ふたりだけの、静かな"約束"。

言葉なんかいらなかった。

この温もりだけで、十分だった。

梨子はそっと目を閉じた。

 

まつたけの寝息と、梨子の呼吸が、

同じリズムで静かに夜に溶けていった。

 

 

昼下がり。

秋の陽が、カーテン越しに柔らかく差し込んでいた。

梨子はリビングのソファに横になり、スマホを片手に、ぼんやりと画面を眺めていた。

特に何をするでもなく、ただ、のんびりとした時間。

隣には、もちろんまつたけがいた。

体を横たえ、梨子の足元にぴったりとくっついて寝そべっている。

 

しばらくの静寂の後──

ふいに、くすぐったい感触が梨子の足に触れた。

「ん?」

目を向けると、まつたけが梨子の足の裏をペロリと舐めていた。

「ちょ、やめて、くすぐったいってば!」

梨子は思わず笑いながら、足を引っ込める。

でも、まつたけは悪びれる様子もなく、また舌を伸ばしてペロリ。

 

梨子はとうとうソファから身を起こした。

「もう……反撃だよ、まつたけ!」

まつたけの横に座り込み、お腹のふわふわした毛並みにそっと手を伸ばす。

 

そして──

こちょこちょこちょ。

 

まつたけはびくん、と体を震わせ、足をバタバタと動かした。

「くすぐったいでしょ? こちょこちょ~」

梨子は子どもみたいに笑いながら、さらにお腹をくすぐる。

 

まつたけは、抵抗するでもなく、ただ静かに梨子を見上げていた。

やがて、梨子の手が止まると、まつたけは鼻を鳴らして、梨子の膝に頭を預けた。

 

「……ふふ、降参?」

まつたけは尻尾を一度だけ、ふり、と振った。

梨子はソファに背を預け、まつたけの頭をそっと撫でた。

「まったく、甘えんぼなんだから」

まつたけは、梨子の膝に頭を乗せたまま、目を細める。

梨子も、自然と目を閉じた。

 

秋の陽だまりの中、ふたりは静かに、同じ呼吸を重ねる。

特別な言葉なんていらなかった。

ただ、あたたかな時間が、そこにあった。

 

ある日。

梨子は、リビングのソファに座り、

膝の上で願書の用紙をくしゃくしゃにしそうになりながら、深いため息をついた。

 

進路。

音楽の道を進みたい。

でも、それが本当に正しい選択なのか、

この道を選んだら、後戻りできないんじゃないか──

そんな不安が、ずっと心の奥に渦巻いていた。

(わたしに、できるんだろうか……)

そっと願書をテーブルに置き、目を閉じる。

 

「わかんないよ、まつたけ……」

小さな声。

でも、答えなんて返ってこないと、わかっていた。

ふと、足元に気配を感じる。

目を開けると、まつたけがそこにいた。

 

「……」

梨子は、何も言わずに手を伸ばし、まつたけの頭を撫でた。

 

まつたけは、梨子の手に鼻先をすり寄せ、それから静かに、梨子の膝に顔を乗せた。

その重みが、梨子の心にずしりと沁みた。

 

 

まつたけは知っていた。

梨子が今、不安に押しつぶされそうになっていることを。

言葉は交わせない。

でも、梨子の体から漂うわずかな匂い。

普段とは違う、張り詰めた、少し苦い匂い。

(──梨子)

まつたけは、何も言わずに、そっと梨子に身体を寄せた。

梨子は、まつたけの毛並みに顔を埋めた。

その温かさが、胸の奥に沁みる。

 

「ねえ、まつたけ」

ぽつりと、梨子が呟いた。

「もし……もしもわたしが、失敗しても。

 何も残せなくても。

 夢を諦めることになっても──

 それでも、そばにいてくれる?」

 

まつたけは、答えの代わりに、

梨子の手の甲をぺろりと舐めた。

それは、まるで──

「当たり前だよ」

と言っているかのようだった。

 

梨子は、ぎゅっと目を閉じた。

「ありがとう……」

ポツリと零れた言葉に、まつたけは静かに、梨子の膝に頭を預けたまま、じっとしていた。

まるで、何があってもここにいると、

その存在で伝えようとしているかのように。

 

梨子は、涙が出そうになるのを堪えて、まつたけの頭を撫でた。

「もう少しだけ、甘えていい?」

まつたけは、動かなかった。

でも、梨子の膝の上に乗ったその重みが、

彼の答えだった。

 

夜は静かだった。

ただ、ふたりの呼吸だけが、ゆっくりと重なり合っていた。

星空の下、梨子とまつたけは、未来に向かって小さな"今"を積み重ねていった。

 

 

夜。

家じゅうが静まり返り、窓の外には星が瞬いていた。

梨子はすでに眠っていた。

ベッドに横たわり、規則正しい寝息を立てている。

その隣。

まつたけは、そっと梨子のベッドの下で丸くなっていた。

いつもと同じ光景。

でも、まつたけは目を閉じなかった。

 

──梨子。

彼女の寝顔を、静かに見上げる。

長いまつ毛。

眠っていても、不安そうにわずかに動く眉。

(今日も、がんばったね)

 

言葉はないけれど、まつたけは知っていた。

梨子がどれだけ無理をしているか。

どれだけ、笑顔の裏で不安と戦っているか。

 

そっと鼻先を持ち上げて、梨子のかけ布団の端に触れる。

安心する匂い。

世界で一番、あたたかい匂い。

 

まつたけは、そっと目を閉じた。

(明日も、梨子が笑えますように)

(梨子が、少しでも楽に過ごせますように)

そんな祈りを、誰にも聞こえない夜に紡ぐ。

言葉にはできない願い。

でも、それは確かに、まつたけの心からの祈りだった。

 

夜が更ける。

まつたけはそっと、梨子のベッドに鼻先を寄せた。

(大丈夫。君は君のままでいいんだよ)

静かに──

まつたけは、梨子を守るようにその場に寄り添い続けた。

そしてようやく、まつたけも目を閉じた。

梨子が知らないところで、

彼女の幸せを、誰よりも強く願いながら。

 

 

朝。

薄いカーテン越しに、柔らかな光が差し込んでいた。

梨子は、まだ眠たそうに目をこすりながら、

ベッドの脇に座るまつたけを見下ろした。

「おはよう、まつたけ」

まつたけは、静かに尻尾を振る。

梨子が手を伸ばして、まつたけの頭に触れた。

 

その瞬間。

まつたけの心に、あたたかなものが広がる。

(ああ、今日も梨子がいる)

梨子の手は、まつたけの毛並みを優しく撫でる。

それは、言葉よりもずっと伝わる愛情だった。

(君の手は、いつもあたたかい)

 

まつたけは、そっと目を細める。

体を小さく折りたたんで、

梨子の膝に顔を預けた。

(君に触れられると、心が落ち着く)

それは、まつたけにとって、

この世界で一番小さな、でも確かな幸せ。

 

梨子が笑う。

眠たげな、それでも柔らかな笑顔。

まつたけは、心の中でそっと呟く。

(──今日も、君を守ろう)

(君のそばに、いよう)

 

梨子の指先が、耳の後ろをくすぐるように撫でた。

まつたけは、それに応えるように鼻を鳴らした。

それだけで、世界は満たされる。

 

言葉はいらない。

ただ、梨子の手が、まつたけの心を、静かに満たしていく。

それが、まつたけにとっての、小さな、小さな、確かな幸せだった。

 

 

冬の夜。

窓の外には、粉雪が静かに降り積もっていた。

梨子はこたつに入り、その隣には、まつたけが丸くなっていた。

テーブルの上には、願書の控えと、スケジュール帳。

進路──音楽大学への挑戦。

 

「ねえ、まつたけ」

梨子がぽつりと呟いた。

「わたし、東京の学校に行くの」

まつたけは顔を上げ、梨子を見た。

梨子の声は少しだけ震えていた。

 

「もし、合格したら──……ここ、離れるんだよね」

梨子は、まつたけの毛並みにそっと手を伸ばした。

あたたかい。

「でも、怖いんだ。東京って言っても前に住んでたところとは違うし……。知らない街で、ひとりで、ちゃんとやっていけるか」

まつたけは、何も言わない。

ただ、静かに梨子の手に鼻先を寄せた。

 

(大丈夫。君ならできるよ)

そんなふうに、まつたけは心で呟いた。

梨子は、まつたけの頭を撫でながら、続けた。

「……ねえ。もし、まつたけも一緒に行ってくれたら、わたし、きっと、すごく心強いのにね」

くすりと笑う声。

 

まつたけは、尻尾をぱたぱたと振った。

(僕は、どこへだってついていくよ)

 

言葉にできない心の声が、梨子の笑顔にそっと触れた気がした。

「ねえ、まつたけ。わたし、東京に行っても、ちゃんと音楽、続けられるかな」

梨子は、毛並みに頬を寄せる。

まつたけは、そっと梨子の膝に顔を預けた。

(きっとできる。君なら)

まるで応えるように、梨子の心の不安を撫でるような静かな重み。

 

梨子は目を閉じた。

「そっか。──そばにいてくれるんだもんね」

まつたけは、静かに息を吐いた。

(ずっと、そばにいるよ)

ふたりの呼吸が、静かに重なっていく。

雪が、しんしんと降り積もる夜。

梨子とまつたけは、未来を静かに語り合っていた。

 

 

三月。

内浦にも、春の気配が近づいてきた。

桜のつぼみはまだ硬いけれど、冷たい風の中に、わずかなあたたかさが混じり始めていた。

 

今日は──卒業式。

梨子は、制服のリボンをきゅっと締め、鏡の前に立った。

スカートの裾を直しながら、深く息を吐く。

「……卒業、か」

まつたけは、梨子の足元で静かに座っていた。

見慣れた制服姿。

でも今日は、なんだか特別な雰囲気が漂っていた。

梨子は、そっとまつたけを見下ろす。

 

「もう、制服も今日で最後だね」

まつたけは、梨子を見上げた。

その瞳は、いつもと同じ優しさに満ちていた。

(今日も、君は綺麗だよ)

梨子は小さく笑った。

 

「行ってくるね、まつたけ」

まつたけは、尻尾をふりふりと小さく振った。

梨子は、しゃがみ込んでまつたけの頭を撫でる。

「……帰ったら、ちゃんと報告するから」

 

まつたけは、そっと鼻先を梨子の手に押し当てた。

(待ってる。ずっと、君を待ってる)

梨子は、まつたけの温もりを胸に抱きながら、

玄関を後にした。

 

──

 

式が終わり、

卒業証書を手に帰宅した梨子を、

まつたけは玄関で待っていた。

 

「ただいま、まつたけ」

梨子は笑顔で言った。

でも、まつたけにはわかった。

その声の奥に、少しだけ震えがあったことを。

 

梨子は、玄関先にしゃがみ込んで、まつたけを抱きしめた。

「……終わっちゃった」

まつたけは、そっと梨子の背中に顔を寄せた。

 

(大丈夫。終わりじゃない。君の物語は、これからだよ)

梨子は、まつたけの柔らかな毛に顔を埋めた。

「……ありがと、まつたけ。わたし、頑張るね。これからも、ずっと一緒に」

まつたけは、梨子の手をぺろりと舐めた。

それは、静かな"約束"。

 

卒業しても、

どんな未来が待っていても、

ふたりは、変わらない。

 

──ふたりで歩む、これからの道を。

 

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