※この作品はR-18です。

君と紡ぐ永遠のメロディ   作:彼処舐ノ助嗅過

4 / 10
ふたりは東京へ。梨子は大学に通う以外のほとんどの時間を、まつたけとの時間に費やしていた。
ふたりの絆はしだいにおおきなものになっていく。

※シリーズ全体
・本作品はアニメ版『ラブライブ!サンシャイン!!』を原作とした二次創作です。
・アニメ本編との時間軸のズレや、独自の設定・キャラクター解釈を含んでおります。
・原作を尊重しつつも、キャラクターの性格・関係性に独自解釈が加わる場面がございます。
・アニメ最終話に登場する犬「プレリュード」は本作には登場せず、オリジナルキャラクターの犬が登場・物語の中心となっております。
・人と動物(犬)との恋愛要素を含む内容となっております。苦手な方、抵抗のある方は閲覧をお控えください。
・ストーリー後半には、**18歳以上推奨の描写(R-18相当)**が含まれます。年齢制限・閲覧にご注意ください。
・本作はフィクションです。実在の人物・団体・作品とは一切関係ありません。


#4 東京へ。ふたりで過ごす新たな日々

春の風が、柔らかく吹いていた。

梨子の部屋は、段ボールの山に囲まれていた。

引っ越しの準備は思った以上に大変で、必要なもの、いらないものを分けながら、静かに作業を続けていた。

まつたけは、いつもと違う空気を感じ取っていた。

体を折りたたんで、梨子のそばに座っている。

 

「もう少しで、引っ越しだね」

梨子がふと呟く。

「まつたけも、一緒に行けるよ」

まつたけは、尻尾を一度だけふり、と振った。

その仕草に、梨子はくすりと笑う。

 

最初、梨子はペット可の賃貸物件を必死に探していた。

でも、なかなかいい条件の場所は見つからなかった。

そんなとき──

連絡をくれたのが、東京に先に出ていた黒澤ダイヤだった。

『知り合いが使っていない別荘がありますわ。良かったら、お安くお貸ししましょうか?』

申し出に、梨子は驚いた。

しかもその家は、広くて庭付き。

まつたけが自由に動き回れるスペースがある。

 

梨子は、まつたけの頭を撫でながら言った。

「よかったね、まつたけ。広いお家に住めるって」

まつたけは、梨子の手に顔をすり寄せた。

(嬉しい。君と一緒なら、どこでもいいけど──広い庭があったら、もっと嬉しい)

 

荷物の梱包が終わると、梨子はそっとソファに座り、まつたけを呼んだ。

「おいで、まつたけ」

まつたけは、迷いなく梨子の膝に顔を預けた。

梨子は、まつたけの頭を優しく撫でた。

 

「……ここで過ごすのも、あと少しだね」

まつたけは、梨子を見上げた。

(どこに行っても、君のそばにいるよ)

 

静かに流れる時間。

ふたりは、内浦での最後の春を、静かに噛みしめていた。

 

 

東京。

高層ビルが立ち並び、内浦とは全く違う景色。

でも、梨子の新しい家は、都会の喧騒から少し離れた住宅街の一角にあった。

黒澤家の知人から借りることになったその家は、立派な庭があり、木造の温もりを感じる広い平屋だった。

 

「すごいね、まつたけ。まるで、映画に出てくるみたいなおうちだよ」

梨子は、感嘆の声を漏らした。

まつたけは、庭を一周ぐるりと走り回り、戻ってくると、梨子に向かってワン!と一声。

(ここ、気に入った!)

 

梨子は笑った。

家の中は、木の香りがして落ち着く。

まつたけは、さっそくリビングの真ん中に寝そべっていた。

梨子が荷物を開きながら、「新しい生活、がんばろうね」と言うと、

まつたけは梨子の手に鼻先を寄せた。

(もちろん。君となら、どんな場所でも)

 

夜。

梨子は、ベッドに横たわりながら、天井を見上げていた。

「今日から、東京暮らしだね」

ベッドの下では、まつたけが丸くなって眠っていた。

その寝息は静かで、梨子の緊張をそっと溶かしていく。

(君がいるから、わたしは大丈夫)

梨子は、心の中でそう呟いた。

 

まつたけは──

梨子が知らないところで、微かに耳を動かしていた。

(うん。君は大丈夫。君は、強いから)

 

どんな未来が待っていても、ふたりならきっと、乗り越えていける。

新しい街、新しい生活。

でも、変わらないものが、ここにはあった。

 

──梨子とまつたけ。

たったふたりの、静かで、あたたかい世界。

 

 

夜。

東京の空は、星が見えなかった。

街は明るく、たくさんの光に満ちているのに、

梨子の心は、どこか空っぽだった。

 

静かなリビング。

引っ越してから数日──

まだ、誰にも慣れなくて、学校でも馴染めなくて。

(こんなにたくさん人がいるのに、なんで、こんなに、ひとりなんだろう)

 

梨子は、ソファに座り込んでいた。

背中を丸めて、膝を抱えるようにして。

部屋はあたたかい。

でも、心は冷たかった。

 

──そのとき。

ふわりと、足元に柔らかな重み。

まつたけだった。

(梨子、どうしたの?)

言葉はなかったけれど、

まつたけの大きな瞳が、まっすぐに梨子を見ていた。

 

梨子は、力なく微笑んだ。

「……ありがと、まつたけ」

 

そっと、手を伸ばす。

まつたけの毛並みを撫でる。

ふわふわして、あたたかくて──

 

梨子は、涙をこぼした。

「……ごめんね。

 こんなとこ、見せちゃって」

 

まつたけは、何も言わずに、梨子の膝に顔を預けた。

(大丈夫。僕は、どんな君も受け止めるよ)

梨子は、まつたけの顔に頬を寄せた。

その温もりが、心にしみわたる。

 

「ひとりじゃない、よね」

まつたけは、鼻先をぺろりと梨子の手に触れさせた。

梨子は、また微笑んだ。

(君はひとりじゃないよ。僕がいる)

ふたりの呼吸が、静かに重なった。

 

星のない夜でも、

梨子の心には、確かな光が灯っていた。

まつたけがいる限り、

この街も、そんなに怖くない気がした。

 

 

「ごきげんよう、梨子さん」

玄関のインターホンが鳴いた。

梨子がドアを開けると、そこにはダイヤが立っていた。

「久しぶりですわね。新生活、いかがですか?」

「うん、まだ慣れないことも多いけど……でも、なんとかやってるよ」

梨子は微笑み、ダイヤを中に招き入れた。

 

リビングには、まつたけがいた。

来客に気づき、のそのそと歩み寄ってくる。

 

「こんにちは、まつたけさん」

ダイヤが優雅に挨拶すると、まつたけは尻尾を一度だけ、ふり、と振った。

 

ソファに腰を下ろしたダイヤは、梨子とまつたけの様子をそっと観察していた。

梨子が、まつたけのそばに座り、自然な仕草で彼の背中を撫でる。

まつたけは、それに応えるように、梨子の膝に頭を乗せた。

 

──その距離感に、ダイヤはふと思った。

(……以前よりも、近くなっている気がしますわね)

 

飼い主とペット──

そんな簡単な言葉では言い表せない、

何か特別な絆が、そこにはあった。

 

梨子の表情も、以前よりずっと柔らかい。

まつたけの仕草も、まるで梨子の心をすべて知っているかのようだった。

 

「梨子さん」

「うん?」

「あなた、まつたけさんと……とても、いい関係を築いていますわね」

 

梨子は、まつたけの頭を撫でながら、少しだけ頬を赤らめた。

「うん。……この子がいないと、きっと、わたしは今、ここにいられなかったかもしれない」

まつたけは、梨子の言葉に呼応するように、尻尾を優しくふった。

(僕も、君がいなきゃ、ここにはいないよ)

 

ダイヤは、微笑んだ。

(──このふたりは、ただの飼い主と犬、ではないのかもしれませんわね)

心の中で、そっとそんなことを思いながら。

 

春の光が、リビングに差し込んでいた。

それは、梨子とまつたけが歩き始めた、新しい未来を祝福するように、柔らかく、あたたかく。

 

 

春の休日。

暖かい日差しが庭に降り注いでいた。

梨子は、ピクニックシートを庭に広げて、

まつたけと一緒に外の空気を楽しんでいた。

お弁当箱には、簡単なサンドイッチ。

そして、まつたけ用のクッキーも。

 

 

「はい、まつたけ」

梨子がクッキーを差し出すと、まつたけは嬉しそうに尻尾を振りながら、そっと受け取った。

サクサクと音を立てながら食べる姿に、梨子は思わず笑顔になる。

 

空は青く高く、風は柔らかい。

遠くで小鳥の声も聞こえる。

 

「こうしてると、東京にいること、忘れそうだね」

梨子がぽつりと呟く。

まつたけは、食べ終わったクッキーの破片をぺろぺろと舐めながら、梨子の隣にぴたりと寄り添った。

梨子は、まつたけの背中にそっと寄りかかる。

あたたかくて、安心する匂い。

 

「何も特別なことなんていらないよね。まつたけとこうしていられたら、それだけでいい」

まつたけは、梨子に鼻先を押し当てた。

(うん。僕も、それだけでいい)

 

春の空の下。

ふたりは、言葉にしない"大好き"を静かに、静かに、確かめ合っていた。

 

──

 

午後になって、梨子はごろんとシートに寝転がった。

まつたけも、その横に寝そべる。

風が、髪をそっと撫でていく。

まつたけの耳が、ぴくりと動いた。

 

梨子は、まつたけの背中に手を伸ばし、指先でふわふわの毛をなぞった。

まつたけは、まどろみながら梨子に身を寄せた。

 

何も言わず、何もせず、ただ、春の午後をふたりで過ごす。

それは、

世界で一番贅沢な時間だった。

 

 

春の午後。

梨子は、まつたけと並んで公園を散歩していた。

柔らかな日差し。

舗道に舞う桜の花びら。

 

そんな中、ベンチに座っていた婦人が声をかけてきた。

「あらまあ、なんて立派なワンちゃん。──ねえ、お嬢さん。良かったら、うちの子たちが集まる交流会にいらっしゃらない?」

梨子は少し戸惑いながらも、話を聞いた。

どうやら、地元のペット同士を交流させるイベントらしい。

 

けれど──

(調べてみると、交流会というより……ペット同士のお見合いみたいな……?)

 

その晩。

梨子は、まつたけを撫でながら言った。

「ねえ、まつたけ。今度、犬の交流イベントがあるんだけど、行ってみる?」

まつたけは、梨子の膝に顔を乗せたまま、静かに見上げた。

(君が行きたいなら、僕はどこへでも)

 

梨子はふっと笑った。

「うん、ちょっと見に行くだけ。……まつたけにも、素敵な女の子に出会うチャンスかもしれないしね」

まつたけは、尻尾をふりふりと小さく振った。

(……素敵な女の子? 僕には、もう一番大事な人がいるけど)

 

 

イベント当日。

広いドッグランには、たくさんの犬とその飼い主たちが集まっていた。

「まつたけ、行っておいで」

梨子がリードを外すと、まつたけは一歩前に出た。

他の犬たちは、興味津々で近づいてくる。

特に、発情期に入っている雌犬たちは、まつたけにアピールするように鼻先を寄せた。

 

けれど──

まつたけは、何の関心も示さなかった。

ただ、周囲の犬たちの存在を受け流し、静かに梨子の方を振り返った。

(君がいないと、何も楽しくない)

梨子はそんなまつたけの様子に、少し苦笑した。

 

周囲の人たちは、ひそひそと話し始めた。

「さすがにあの反応、変じゃない?」

「もしかして、病気とか……?」

梨子はぎゅっと手を握った。

「そんなことないもん。──でも、一度ちゃんと診てもらおうね」

 

 

数日後、動物病院。

 

「性機能にも、ホルモンにも問題ありませんよ。至って健康体です」

獣医師の先生はにこやかに言った。

「普段の生活がとても充実しているワンちゃんは、異性に興味を示さないこともよくあります。よほど飼い主さんに、心満たされてるんですね」

梨子は、ほっと息をついた。

「よかった……」

まつたけは、梨子の膝の上にそっと頭を乗せた。

(僕には、君がいればそれでいい)

 

 

帰宅した梨子は、コートを脱ぎながら言った。

「まつたけ、やっぱりどこも悪くなかったもんね」

まつたけは、ソファに座る梨子の隣に、ぴたりと寄り添った。

 

梨子は、そっとまつたけの頭を撫でながら、微笑んだ。

「ふふ、まつたけがモテちゃったらどうしようだなんて、おかしなこと思っちゃった……」

まつたけは、梨子の手のひらに顔をすり寄せた。

(モテる必要なんて、ないよ。僕には、君だけで十分だから)

 

梨子は、柔らかく笑った。

「でも、まつたけが素敵な女性を見つけたら、わたしは応援しないとだよね」

まつたけは、梨子をじっと見つめた。

そのまっすぐな瞳に、梨子は気づかなかった。

(……違うよ。君以上に素敵な誰かなんて、僕は知らない)

 

梨子が微笑む。

それは、まつたけにとって、

世界で一番大切な光だった。

(君が笑っていてくれれば、それだけでいいんだ)

 

夜は静かだった。

まつたけは、梨子の膝に顔を預けたまま、静かに、そっと目を閉じた。

梨子と過ごす時間。

それこそが、彼にとって何よりも幸せなものだった。

 

 

その夜、東京の空は珍しく星がよく見えていた。

梨子はカーテンを開けたまま、

ソファに座って、まつたけの背中を撫でていた。

 

部屋の明かりは落として、窓の外から月明かりだけが差し込んでいる。

まつたけは、梨子の足元で丸くなっていた。

梨子は静かに息を吐き、窓の外に目を向けた。

「……まつたけ」

ぽつりと呼ぶ声。

 

まつたけは耳をぴくりと動かし、顔を上げる。

梨子は、まっすぐにまつたけを見つめた。

「ずっと、一緒にいてね」

 

まつたけは、何も言わずに梨子の膝に顔を乗せた。

そっと、静かに。

(うん。ずっと、君のそばにいるよ)

 

梨子は、まつたけの頭に手を置き、目を閉じた。

この温もりを、この静かな時間を、いつまでも大切にしたい──そう願うように。

まつたけは、梨子の手のぬくもりを感じながら、静かに心の中で誓った。

(君が望む限り、僕は、ここにいる)

夜は、静かに更けていった。

 

 

夏。

東京の暑さに、梨子は少し辟易していた。

けれど、今日は休日。

そして──ふたりの秘密の計画があった。

庭に、大きなビニールプールを広げる。

朝から一生懸命、水を張った。

 

「できたよ、まつたけ!」

まつたけは、プールの水を覗き込んで、

興味津々といった様子で首を傾げた。

梨子は、まつたけに向かってにっこりと笑う。

「さ、入ってみようか」

 

まつたけは、ちょっと慎重な足取りでプールに入った。

冷たい水にぴくんと反応しながらも、

すぐに楽しそうにバシャバシャと歩き回る。

 

梨子はその姿に目を輝かせた。

「まつたけ、可愛い……!」

スマホを取り出して、何度も写真を撮る。

 

まつたけは水しぶきをあげながら、梨子の方へ駆け寄ってきた。

「きゃっ、まつたけ!」

服が少し濡れたけれど、梨子はおかまいなしに笑った。

 

まつたけは、びしょ濡れの体で梨子にすり寄る。

梨子は、そんなまつたけを抱きしめて、顔を埋めた。

「ほんと、可愛い……。まつたけ、大好き」

まつたけは、梨子の腕の中で身を委ねた。

(──でもね、梨子)

(僕にとっては、今、そうやって笑ってる君が、一番可愛いんだよ)

 

梨子は、まつたけの濡れた毛を気にすることなく、何度も、何度も撫でた。

まつたけは、梨子の体温を感じながら、静かに目を細めた。

(君が笑っていてくれるだけで、僕は、幸せなんだ)

 

ビニールプールの水面が、太陽の光を反射してきらきら光る。

梨子とまつたけ。

ふたりだけの、静かで、特別な夏の午後だった。

 

 

また別の日。

東京の空に、どん、と花火の音が鳴り響いた。

梨子は、浴衣に着替えて庭に出ていた。

小さなビニールシートの上に座り、まつたけもその隣で大人しく座っている。

 

空には、色とりどりの花火が咲き誇っていた。

青、赤、金──

夜空に、大きく、美しく。

 

まつたけは、梨子の顔をちらりと見上げた。

梨子は、花火を見上げながら、静かに微笑んでいた。

(……きれいだね)

まつたけは、梨子の浴衣の裾に鼻先をちょん、と押し当てた。

梨子は、驚いたようにまつたけを見下ろして、

ふっと優しく笑った。

 

「ねえ、まつたけ。一緒に見よう」

梨子はそう言って、まつたけの背に手を置いた。

花火の光が、梨子の横顔を照らす。

瞳に映る光が、まるで本物の星みたいにきらきらしていた。

まつたけは、その横顔をじっと見つめた。

(花火もきれいだけど、僕は、君が見上げるその顔のほうが、もっときれいだって思うよ)

 

どん、とまた大きな音がして、空に花が咲く。

まつたけは、静かに梨子の肩に頭を預けた。

梨子は驚きながらも、そっとまつたけの頭に手を置いた。

「……ありがと、まつたけ」

 

ふたりは、何も言わずに、ただ、花火の光に包まれていた。

夜空に咲く光の花と、寄り添うふたりだけの静かな時間。

それは、夏の魔法みたいな瞬間だった。

 

 

ある日の昼下がり。

外は暑くて、出かける気にもなれない。

梨子は、エアコンの効いたリビングで、お気に入りの本棚から一冊の本を引っ張り出してきた。

 

「ふふ、まつたけ。今日はね、わたしの好きな本、読もうね」

梨子が持ってきたのは──

小さな、薄い冊子。

 

表紙には、綺麗なイラストと、ちょっと甘酸っぱいタイトル。

(それ、知ってる。君がたまにこっそり読んでるやつだよね)

 

まつたけは、梨子の膝に顔を乗せながら、静かにページをめくる梨子を見上げていた。

物語は若い恋人たちの、少し切なくて、でもあたたかい恋の話。

 

梨子は、時折ページをめくる手を止めて、登場人物の感情に胸を打たれていた。

「わあ……すごい、ドキドキする……」

そんなふうに、小さく呟きながら、頬をほんのり赤く染めている。

まるで、物語の中の乙女のような表情で。

まつたけは、静かに梨子を見つめた。

 

(……かわいいな)

ふだんは落ち着いていて、真面目で、少しクールに見える梨子が、こんなふうに無防備な顔をする。

それが、まつたけにはたまらなく愛おしかった。

梨子は物語に没頭していて、まつたけの視線にも気づかない。

ページをめくる指先。

ふわりと微笑む唇。

(君がこうして笑ってるだけで、僕は、幸せなんだよ)

 

梨子は、ふとまつたけを見下ろした。

「まつたけも、一緒に読む?」

まつたけは、しっぽを小さく振った。

(うん。君が読んでるのを見てるだけで、十分だよ)

梨子は笑って、またページをめくった。

 

夏の午後。

涼しい部屋で、

ふたりだけの静かな読書の時間。

外の暑さなんて忘れてしまうくらい、

あたたかくて、幸せな空気が流れていた。

 

 

夜。

窓の外では、夏の終わりの虫たちが、か細い声で鳴いていた。

 

梨子は、リビングのソファに座っていた。

手には、一冊の本。

それは、先日友達に勧められた、

少しだけ大人びた恋愛小説だった。

 

ページをめくるたびに、甘くて、切なくて、ちょっとだけ苦い感情が胸に広がる。

梨子は、頬を赤くしながら、そっと指先でページをなぞった。

「……こんなふうに、人を想うって、どんな感じなんだろう」

ぽつりと、呟く。

リビングの隅で寝そべっていたまつたけは、その声に気づいて、顔を上げた。

 

梨子の瞳は、ページの向こうの物語を見つめていた。

少しだけ潤んだ目。

頬にわずかに浮かぶ紅。

(……きれいだな)

まつたけは、そっと梨子のそばに歩み寄った。

そして、何も言わずに、梨子の足元に頭を預けた。

 

「あ──まつたけ」

梨子は驚きながらも、すぐに微笑んだ。

そして、まつたけの頭を撫でる。

 

「まつたけも、一緒に読んでくれるの?」

まつたけは、尻尾をふりふりと振った。

梨子は、まつたけのあたたかさに包まれながら、再び本に目を落とした。

けれど、ページをめくる手は少しだけ震えていた。

 

物語の中の想い。

それは、どこかで自分の胸にも、静かに重なる気がしていた。

まつたけは、静かに寄り添ったまま、梨子の横顔を見上げた。

(君が、誰かを好きになる日が来たら──それでも、僕は君のそばにいるよ)

夜は静かに、ふたりだけの時間を包み込んでいた。

 

 

八月の終わり。

東京の空も、どこか秋の気配を漂わせていた。

梨子は、久しぶりに少し足を延ばして、海の見える公園へ来ていた。

夕暮れ。

空はオレンジ色に染まっていた。

 

まつたけは、梨子の隣を歩いていた。

リードはしていたけれど、お互いの歩調はぴたりと合っていた。

波の音が、静かに耳に届く。

梨子は、まつたけの頭をそっと撫でた。

 

「夏、終わっちゃうね」

まつたけは、梨子を見上げた。

その瞳は、いつもと変わらず、

まっすぐで、やさしい光を宿していた。

 

(でも、終わりじゃない。君と僕には、これからも続く時間がある)

梨子は、海の方へと目を向けた。

水平線が、静かに光っている。

「今年の夏、まつたけといっぱい思い出作れたよ」

まつたけは、梨子の手に鼻先を押し当てた。

その仕草に、梨子はふわりと笑った。

 

「ありがとう、まつたけ。これからも、たくさん一緒にいようね」

まつたけは、梨子の言葉に応えるように、そっと体を寄せた。

(うん。君が望むなら、どんな季節も一緒に歩くよ)

夕焼けの中、ふたりは並んで歩き続けた。

 

夏の終わり。

けれど、ふたりの時間は、終わらない。

これからも、

静かに、でも確かに、

ひとつひとつ、

季節を越えていく。

 

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