一部男子が特に待ち焦がれた水泳の授業。
結局、俺たちのグループに所属する女子は全員が出席した。ここで授業を欠席すると、それが後々に弱みとなるからだ。そこに邪な思惑があろうとも、授業に参加した人物と欠席した人物では、参加した側を高く評価するのは学校として当然のことだ。
そりゃあ、ドクターストップがかかっているだとか、明確なまでに精神状態が危ういとかならば、授業とはいえ溺死という危険性が付き纏う以上、むしろ教師の方から休ませるだろうが、男子の視線が気持ち悪いから、では欠席理由として少々弱い。お前たちは、それこそ不特定多数が訪れる海やプールに行かないのか? という話になる。
しかも、一般的に考えた場合、より男子から視線を向けられるのは胸の大きな女子となるだろう。まあスタイル次第でもあるんだろうが、より視線を集めそうな女子が参加してるのに休むなんてお前はそんなに自意識過剰なのか? という感じに受け取られる可能性だってあるのだ。
大半の女子は、そんなことには考えが及んでいないようで見学に回っているが。あと、ついでに外村という男子。
ただクラスメイトというだけで俺たちもダメージを食らうんだから、やりきれない部分があるのは否定できない事実だ。まあ、後々にそれで苦しむのは本人たちだが。
ともあれ、出席した女子が限られているからこそ、大きな波紋を呼んでいた。
我がDクラスでは、愛里と長谷部さんという女子が巨乳の双璧だ。測ったわけではないので実際の数値は分からないが、制服の上から見た限りだと甲乙付け難いのは間違いない。
その、巨乳筆頭格の一人は見学に回り、一人は出席している。である以上、出席した側である愛里に男共の視線が集中するのは無理からぬことであった。
しかも、今の愛里はメガネを掛けていない。決してメガネ女子が地味というわけではないが、大衆がそのようなイメージを抱きがちなのは否定できない筈だ。
つまり、愛里の地味さは、俯き気味の姿勢、メガネ、髪型、といった複数の要素を組み合わせることで構成されているのだ。
そして、一クラス四十人の教室では、半数の二十人は女子で構成されている。その分だけ男子からの視線は分散されるし、地味な雰囲気を装うことで尚更視線は向けられなくなる。
だが、今この状況下においては、教室でのそれは機能しない。制服女子と水着女子では、スケベ男子の視線が向かう先は必然的に水着女子となる。
普段よりも視線が集中する状況、メガネが外されたことによる地味要素の軽減、そして何よりもアイドルを務められるほどのビジュアルの良さ。これらが重なったことにより、佐倉愛里という女子の持つ実力が白日の下に晒されたのである。
「佐倉って……まさか雫!?」
当然、こんな感想を抱く人物だって現れる。何の因果か、アイドル雫は現在活動休止中だ。外部連絡の禁止がルールとして存在するこの学校の特色と組み合わせると、決して愛里と雫をイコールで結べないわけではない。
プールが騒めく。クラスメイトの中にアイドル――かもしれない女子――がいたのだ。当然と言えば当然だろう。
それは愛里の恐怖心を煽るにはこれ以上なく、必然として彼女は身近な人物を頼った。白羽の矢が立てられたのは、案の定清隆だった。
そして当然の如く、男共の憎悪と怨嗟と嫉妬の視線は清隆へと向けられる。
まあ、無理もない。愛里を地味だと思えばこそ、あまり気にせずにいられたのだ。言い換えれば、我慢ができていた。
しかし、それがアイドル雫であったのならば、到底我慢できることでも許せることでもない。何故ならば、清隆は愛里の唇を奪ったからだ。まして、清隆が抱かれているイメージは、イケメンだけど地味、イケメンだけど根暗そう、といったものだ。何でアイツが!? となるのは当然のことだろう。
そんな清隆は周囲を見渡し――
「面倒だな……」
と一言ポツリ。
「ご、ごめんね。私のせいで……」
「まあ、気にするな。どうせどこかで実力は見せるつもりだった」
清隆に引っ付きつつ愛里が申し訳なさそうに言うが、そんな彼女の頭に手を置いて、問題ない、と清隆は慰める。清隆の無表情振りが玉に瑕だが、絵になる光景であるのは間違いなかった。
「お~! 清隆もやるぅ! なんか愛里への扱いがスマートになってない?」
などと宣うのは、俺に引っ付いている恵だ。むしろ、俺の周りには清隆と愛里を除くメンバーが揃っている。
「言葉は悪いけど、現状、清隆にとって愛里はこれ以上ないほどの教材だからね。みすみす離される真似はしない筈さ。まあ、それを言ったら周りの環境全てが教材ではあるんだけど、優先順位はあって然りだ」
「言い得て妙だな。俺たちは一番初めに家族を通じてモノを学ぶ。である以上、人も確かに教材だ」
「けど、不安もありますね。果たして、清隆くんが教材以上の価値を愛里さんに抱けるのか……」
「ま、そこはあの二人次第であると同時に私たち次第でしょ。友人として、私たちだって何らかの影響は与えられる筈だし」
「まして、一刀くんがいるんだもの。みすみす愛里ちゃんが悲しむのを見逃したりはしないと思うな?」
俺の言葉に、メンバーが順次意見を述べた。
そうこうしているうちに担当教師がやってきた。体育会系の文字を背負ったような、マッチョ体型のオッサンである。
「よーし、全員集合しろー! ……見学者は十二人か。また随分と多いな。まあ、初回ではよくあることだが……」
号令を受けて生徒たちが集合する間に、どうやら担当教師は欠席者数を数えたようだ。やることにそつがない。
「まず最初にそれぞれの実力を見たい。準備体操をしたら泳いでもらうぞ」
「あの、先生。俺、あんまり泳げないんですけど……」
教師の言葉に、幸村が挙手をして告げた。
実際、幸村はこれまで学力以外を切り捨ててきたそうだから、その言葉に嘘はない。
日本という国が、学歴社会の面を高い割合で占めるのは否定できない事実だ。それを思えば、授業に含まれていることもありサボりはしないにしても、優先順位が低くなるのは仕方のない側面もある。そこに親の教えも加われば尚更だろう。
「安心しろ。俺が教えるからには、必ず夏までに泳げるようにしてやる」
「夏までに、ですか……。そりゃあ俺も高校入学を機に友人ができましたし、泳げるようになるんならそれに越したことはないですけど、時間的に厳しそうですね」
「如何せん夏まで時間がないのは事実だからな。ある程度は厳しくせざるを得んよ」
「うへぇ」
教師とのやり取りの末、幸村はこれ見よがしに顔を顰めた。泳げない生徒の対応としては、特におかしなものではないだろう。
だが、そこにとある情報が加わるとその限りではない。
俺たちの購入したパーティールームの書斎には、最初から幾らかの本が置かれている。それを込みで購入したのだからおかしなことではないが、問題なのはそのラインナップだ。媒体がどうあれ、名作が置かれていることは不思議なことではない。辞書が置かれているのも、俺たちが学生であることを鑑みれば納得だ。しかし、そこにアウトドアだのキャンプだのの本が混ざっていれば首を傾げざるを得ない。
まして、モール内に設置された書店では、同じくアウトドアだのキャンプだのの本が特集コーナーを組まれている。書店としてはおかしなことではないだろうが、立地を考えれば疑問が残る。陸の孤島で生活を強いられる状況下のどこに、アウトドアやキャンプをする必要があるのか。購入対象を考えれば、明らかに組まれている特集がおかしいのだ。
その疑問の回答は簡単に導き出せる。それはアウトドアやキャンプを行うことだ。敷地外への許可なき外出や外部連絡が禁止されていても、許可があるなら話は別となる。この学校の特殊性を鑑みれば、一風変わった授業が組まれたとしても不思議はない。件のアウトドア本やキャンプ本は学校側からのヒントということだろう。
穿った意見であることは否定しないが、今のやり取りを加えると、どうしてもその見方が強くなる。確かに夏は水泳の本番だが、泳げない生徒を
その後は準備体操をして順次泳いでいった。出席者の大半が泳げるようだったが、幸村は途中で底に足をつけていた。運動能力では愛里も幸村に負けず劣らずなのだが、やはり胸部装甲ゆえだろうか。最後まで底に足を付けることなく泳ぎ切った。
「取り敢えずは殆どの者が泳げるようだな。結構なことだ。
では、これから競争してもらう。男女別50M自由形だ。一位になった生徒には、俺から特別ボーナスとして五千ポイントを支給する。ただし、タイムの一番遅かった奴には放課後補習を受けさせるからな。あと、さっき途中で底に足をつけたお前も補習確定だ。
人数の関係から、女子は第一レースに四人、第二レースに五人とし、最もタイムの早かった生徒の優勝にする。
男子の方は六人ずつ三レース行う。ただし、上位六人で決勝をやるからな。ポイントがほしいなら駆け引きも重要な要素だぞ」
体育教師のその言葉に、補習が確定した幸村はガックリと肩を落とした。
「桔梗、ちょっといいか?」
「一刀くん? 何かな?」
開始前、桔梗に声をかける。振り向いた彼女は首を傾げた。
「ああ、大したことじゃない。できれば堀北さんに敗北を刻んでほしいと思ってね」
「へえ、何で私に?」
「だって君、堀北さんのことが嫌いだろう? まあ、彼女に敗北を刻むことができるのなら、千秋であっても構わないんだけどね。って言うか、グループ内だと彼女に敗北を刻めそうなのが君と千秋しかいないのが正直なところなんだけど……。俺と清隆がやっても意味は薄いし」
「ってことは、女子が勝つことに意味があると?」
「ああ。俺としては彼女もグループ内に引き込みたいと思っている。
俺の見たところ、彼女は自分のルールを最優先にして動いている。それは別に構わないんだけどね、それが許されるのは清隆や高円寺ほどに飛び抜けた実力者だけだ。そして、残念なことに彼女にはそれだけの実力がない。優秀なことに違いはないが、あくまでも世間一般的な意味での優秀さなんだ。
とはいえ、そのラインで優秀なことは間違いないし、協力してくれたなら助かるのも事実だ。だけど、今の彼女ではグループに引っ張り込んだところで足を引っ張られるだけだ。……何故か? 彼女は自分のことを優秀だと自負しているからさ。それ故にある種の視野狭窄に陥っている。
優秀だと自負するからこそ自身が定めた規定範囲外に従うつもりがない。従うことを是としない。ならば、その根幹たる大元。彼女の自負・自信を打ち砕けばいい。それも、正当な手段であればあるほど望ましい。それが、公平条件下での勝負による敗北だ。
敗北を与えれば、彼女は改めて自分を直視せざるを得ない。たとえ一回では足りなくとも、その数が増せば嫌でもそうせざるを得なくなる。至らぬ部分は何か? 足りない部分は何か? それを埋めるには、底上げするにはどうすればいいか? 冷静に、冷徹に、彼女は思考を回すことになるだろう。
そうして初めて、彼女は自分の欠点を自覚する。自分だけではどうしようもない現実を思い知る。にも拘らず、自分の周りには人がいない。頼れる人がいない。途方に暮れ、そこでようやく人間関係の構築に足を踏み出す」
「ふぅ……。ほんっと、一刀くんってタチが悪いね。優しいのに厳しい。そうやって私を煽る。
堀北さんの助けになるのなんて癪だけど、敗北を与える役を誰かに譲るのもそれはそれで我慢がならない。私のことをよく分かってる。
いいよ、その案に乗ってあげる。ただし、その分だけご褒美は期待するから覚悟してよね」
「ああ、俺にできることなら喜んで」
言葉を交わしているうちに、女子の第一レースは終わってしまった。堀北さんは暫定一位。タイムは28秒ほど。残念ながら千秋は勝てなかったようだ。美雨も同様。
「言質は取ったよ」
第二レースに参加する桔梗は、そう言い残してコースへと向かう。
厳しいとは思うが、桔梗が勝利する可能性もゼロではない。何せ、彼女は水泳ではないにせよ身体の動かし方を学んでいる。そしてその成果は、瞬く間に出ているのだ。
根本的な部分で自他に厳しく、負けず嫌いで、承認欲求が高い。それが櫛田桔梗という少女だ。
そんな人物を俺は煽った。嫌いな相手に負けることを認められるのか? 嫌いな相手に敗北を与える役目を、他の誰かに譲ることができるのか? 櫛田桔梗は、それが許せる人物なのか? ……と。
それは桔梗の感情を昂らせる。やる気を引き出させる。感情論や根性論だけで勝敗が決まるわけではないが、勝負において重大な要素であるのも事実だ。
そして、第二レースが始まった。先行は――桔梗! 僅かに遅れて水泳部の小野寺さんが。距離を開けて三番手には恵。大きく遅れて愛里と井の頭さん。
水泳の技術では小野寺さんの方が上だが、純粋な身体操作技術では桔梗の方が勝っている。ただし、その差は微々たるもの。デッドヒートが繰り広げられる。第一レースよりも注目度が高い。
白熱した試合は瞬く間に決着を迎えた。勝者は桔梗! だが、どちらも25秒台という好成績であり、小野寺さんとのタイム差は一秒もない。
しかも、息切れの激しい桔梗に比べると、小野寺さんにはまだ余裕がある。その点だけを捉えると、どちらが勝者なのか分かったものではない。
そうして桔梗と小野寺さんが互いの健闘を称え合う片隅で、愛里の補習が確定していた。
続く男子の試合だが、結論から言うと、俺、清隆、高円寺の同率優勝と相成った。
それは同時に、俺たちの実力の一端を知らしめることでもあり、規格外振りを表した瞬間でもあった。
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