けたたましい音楽が鳴り響き、それにより目を覚ます。
何だ? 一瞬の困惑の後、音の発生源が携帯だと認識する。どうやら電話がかかってきたらしい。寝ぼけ頭のまま、携帯を手に取り、電話に出た。
「ふぁい、北郷です」
「……え!? かけ間違えた!? これって桔梗ちゃんの番号じゃ……」
電話の向こうで慌てふためく声がする。その瞬間、一気に意識が覚醒した。
そういえば、確かに桔梗は午後から約束があると言っていた。そして、横を見ると桔梗は未だグッスリと眠っている。現在時刻は13:30。約束の相手もその時間も知らないが、寝過ごしてしまった可能性は否めない。その結果、相手側が電話を寄越した可能性も。
「ああ、そう言えば先約があるとか言ってたっけ……。もしかして、そのお相手?」
「う、うん。クラスメイトの佐藤麻耶。遊ぶメンバーは他にもいるけど……」
「ああ、佐藤さんか。おはよう。いや、それとも、こんにちは、かな。わざわざ電話をかけてもらって悪いね。
昨夜は桔梗と一緒に勉強をしていたんだけど、今日が休みなこともあって思いの外集中してしまったんだ。先約があるのは聞いてたんだけど、気付いたときには朝方になっててね。そこから急ぎ眠ったんだけど、結果、彼女は今も夢の中だ。俺自身、この電話で起きたくらいでね。寝ぼけて自分のと間違えて取ってしまった次第だ。
ドタキャンするようで申し訳ないけど、今日のところは彼女を休ませてもらってもいいかな? これ幸いと詰め込み過ぎちゃった感があるから、俺としてもあまり無理はさせたくないんだ。構わない?」
「あ、うん。そういうことなら……。それじゃあ、桔梗ちゃんをゆっくりと休ませてあげて」
「了解。本当に申し訳ないね」
そうして、通話が切れた。
「何とか誤魔化せた……かな?」
思わず独り言ちるが、正直言って自信はない。可能な限り冷静さは保ったつもりだし、俺の説明でも一応の筋は通るが、相手がそれをそのまま信じるには色々と疑わしい部分が多いのも間違いないのだ。
しゃっきりとするためにも、取り敢えずは顔を洗って風呂の湯を沸かすことにした。桔梗を起こすのは、その後でも構わないだろう。
沸いたのを確認したら桔梗を起こし、そのまま一緒に風呂場へと向かい、狭いながらも二人揃って温まる。そうこうしているうちに桔梗も本格的に目覚めたのだろう。
「この鬼畜! けだもの! って言うか、これ私一人で相手するのは無理! まず体力が保たない! 一体どんだけ精力あんのよ!? アンタ、本当に人間!?」
開口一番、そんなことを言われました。ハッスルしすぎてしまったのは事実なので、そこについては甘んじて受けるしかない。
ともあれ。
桔梗が確かな覚醒を迎えたところで、先ほどのやり取りについて伝えることにした。
「……マジで?」
「マジ」
「……やっちゃった。分かった。お風呂あがったら、携帯を確認しとく」
取り敢えずそういうことになり、暫くこのまま風呂を楽しむことにした。
そして結局、一緒に風呂に入っていることには一切のツッコミを受けることはなかった。
「ふ〜ん。取り敢えずは麻耶ちゃんが誤魔化してくれたみたいだね。
いつものメンバーと一緒に勉強したら時間を忘れて集中してしまい、朝方になってから就寝。電話に出たのは一緒に勉強していた相手で、私はその時点でも睡眠中。無理に起こすのも忍びないため、今回はキャンセルする流れになったってことにしたみたい。……一刀くんがしたのとほぼ同じ説明だね。
相手をぼかしてくれたのはナイスかな。今回の約束相手には池とか山内もいたし、知られたら間違いなく面倒なことになってたわ。
でも、私の方から麻耶ちゃんたちを巻き込んでおいてのこの始末だから、大きな借りを作っちゃったか。後で改めてお礼と謝罪をしないとだね」
風呂上り、俺が朝昼兼用の食事を用意している傍ら、自分の携帯をポチポチしていた桔梗がそんなことを言った。
桔梗によると、元々は彼女が池たちに誘われたのだが、自分だけで相手するのを嫌がった結果、平田と遊ぶ予定を入れていた佐藤さんたちを巻き込んだらしい。
「ま、そういうことなら、確かにお礼と謝罪は必要だろうな。……はい、できたよ」
用意したのはこれまた簡単なメニューだ。普段はこの部屋に住んでいないのだから仕方ない。一夜を過ごすためだけに必要以上の食材を持ち込むなど勘弁だ。
「ありがと~。頂きます。……うん、美味し」
「そりゃ良かった。んじゃ、俺も食べるとするかな。頂きます」
桔梗が笑顔を浮かべて料理を口に運ぶ。それを見ているだけで心がホッとする。そして、俺もまた料理を食べることにした。
♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢
「……で、これはいったいどういうことなんですかねえ~?」
俺の口からそんな感想が零れた。
目の前の光景が分からない。見ていて理解できない。
取り敢えず、こうなった経緯を振り返る。
料理を食べたあと、処女を失ったことも多分にあるのだろうが、桔梗が必要以上に歩き回るのを億劫がったため、物がないなりに俺の個室でゆっくりと過ごした。
そうして、夕飯の頃合いにパーティールームへと戻って来た。どこか緊張した空気を孕みつつも、和気藹々としながら夕食を食べ終えたのが先ほどのこと。
そこで桔梗が宣った。
「ねえ千秋ちゃん。千秋ちゃんも一刀くんに抱かれてみない? いやまあ、まずはキスから始めたいってんならそれでも良いけど……」
と。
「は? 突然何? どうしたの? てか、惚気るんなら理解できなくはないけど、自分の彼氏? 恋人? を勧めるってほんと何? それでいて笑顔なんだからサッパリ分からないんだけど?」
当然ながら千秋は困惑した。思うがままにその疑問を捲し立てる。
その一方で、俺もまた困惑した。
「正直に言います。一刀くんと致すのは気持ち良かったです。もう、これでもかってくらいに快感を叩き込まれました。それはキスの比ではありません。まさに! 女としては極上の快楽と言えるでしょう!
ですが! ですがです!」
「ひっ!? ……な、何よ?」
桔梗は真顔で口を開き、かと思えば蕩けるような表情を浮かべて昨夜の感想を口にした。しかし、次の瞬間には高速で千秋へとにじり寄ってその手を握り締めた。
それに恐怖を抱いたようで、千秋は小さな悲鳴を洩らしつつ、顔を後ろに逸らして桔梗との距離を開けた。それでも、友人としてか、或いは同居人としてか、端的に問いかけた。
「端的に言います。……助けて千秋ちゃん! 確かに気持ち良かったんだけど、一刀くんが絶倫すぎて私ひとりじゃ耐えられないの! 体力が保たないの! お願い! 同居人の誼でも友だちの誼でもいいから、どうか私を助けると思って!」
対する、桔梗の返答がこれだった。それも、いちいちオーバーリアクションで宣う始末。
行動こそオーバーだが、その言葉自体は率直に過ぎて、だからこそ逆に生々しかったのだろう。性別を問わず、同席しているそれぞれがゴクリと息なり唾なりを呑み込む音が妙に響いた。
「……いや、それって私を人身御供にしようとしてない?」
「ちょーっと待ったー! いや、ホントに待って! あたし! 次はあたしなの! 一刀には何度も頼んでんのに、地力を高めるのが先ってことで何度も断られてるのよ! そこをただでさえ桔梗ちゃんに横から掻っ攫われたってのに、千秋ちゃんまでなんて冗談じゃないわ!」
そして、千秋は冷静にツッコミを返したのだが、哀しいかな、その声は恵の怒号に覆い隠されて響かなかった。
「いや、だから……」
「そうです! 私だって王の寵愛を受けたいんです! ハーレムを否定はしませんが、順番は守ってもらいたいです!」
気を取り直した千秋が再度口を開いたが、今度は美雨の声に隠された。いやほんと、嬉しいんだけど、君のその俺に対する好感度の高さは何なの?
「だからさぁ……」
「待て。そういうことなら、オレだって千秋を求めるぞ。現状、愛里が一番であることに違いはないが、教材はどれだけあっても困ることはないからな。恵と美雨が北郷を求めている以上、この場において他に求められる教材は千秋以外にはないんだ。これ以上、北郷に持っていかれてたまるか。
さしものオレも、男を相手にキスだの何だのをする気はないからな……」
何というタイミングの悪さか。今度は清隆に邪魔をされた。
「ねえ、ちょっと……」
「それぞれの言うことを理解できなくはないが、そういうことなら松下の相手として俺も立候補するぞ。現状、この面子の中で確定的に独り身なのは俺と松下だけなんだ。
以前の自分からは考えられないし、自分でも馬鹿を言っている自覚はあるが、一般的に見て可愛かったり美人だったりする女の子と一緒に生活をしているんだぞ!? ばかりか、うちの一人には無遠慮にキスをされたんだぞ!? だってのに、その子は同居している他の男に御執心だし、ただ一人を除けば他の女の子も俺以外の男に夢中だ! 独り身の男が自分だけとあらば、流石に込み上げてくるものがあるわ! である以上、この状況で松下は渡せんし譲れん!」
ついには、幸村までもが参戦した。……出会った当初からは考えられない変化である。これが良いことなのか悪いことなのか、今の俺には判断が付かない。
「もう、好きにして……」
そして、誰にも聞く耳を持ってもらえない千秋は、諦めたように項垂れた。
早い話、いつの間にか千秋の争奪戦が行われていたのである。……他ならぬ本人を蔑ろにして。これでは、流石に彼女が落ち込んでも無理はない。
流れとしては理解できなくもないのだが、ヒートアップする周囲を余所に、肝心の千秋は部屋の片隅にしゃがみ込んでのの字を書いており、ただ一人話に加わらなかった愛里は千秋に寄り添って慰めている。……うん、正直に言ってわけわかめである。
「何と言うか……ゴメン」
かく言う俺は、こうなった原因の一人として、千秋の元へと向かい、彼女に頭を下げるのであった。むしろ、それ以外にできることがない。誰しもの発言に理解は示せるのだから尚更だ。
「いやまあ、考えようによっては、それだけ私が人気者だってことなのよ。それは分かるのよ。
ただ、その理由が、『道連れ』とか『教材』とか『残り物』とかの扱いだし。一番マシな扱いをしてるのが、私を引き込もうとしていない恵ちゃんとかみーちゃんとかの段階でもう……ね」
千秋は涙目で、分かるでしょ? と言わんばかりに俺を見上げた。
「こんなんじゃ素直に喜べないわよ! 私、優秀なのに……。……ううっ……えっぐ……ぐすっ……」
千秋はしゃくり声を上げつつ、再び床にのの字を書き始めた。愛里がその頭を優しくなでる。
俺は千秋にかける言葉が見付からない。
見方を変えると、こうも千秋が求められるのは、それだけ彼女が優秀な証明である。
しかし、その割に扱いが酷い。これでは、どれだけ言葉を費やしたところで信じられないだろう。もしかしたら心には響くかもしれないが、現実を目の当たりにした瞬間、更なる底へと落ち込む可能性が高い。
すると、千秋を慰めていた愛里がすっくと立ち上がった。かと思えば、ヒートアップしている一同の元へと向かい――
「いい加減にしなさーーーーーい!!」
開口一喝。
「そこまで! 言い争いを止めて、まずは千秋ちゃんに『ごめんなさい』しなさい!」
まるで幼い子供を叱るように告げて、俺たちの方を――正確には、部屋の片隅にしゃがみ込んでのの字を書いている千秋を指し示した。
普段の愛里らしからぬ行動への驚きもあるのだろうが、それによって水を差されたのも確かなのだろう。皆は呆気にとられた顔でこちらを見やり――
『……あ』
揃って呆然とした声を上げた。
次の瞬間には揃いも揃ってズダダダダと音を立ててこちらに駆け寄り、千秋に謝罪の言葉を送るのであった。
元より誰も悪気があってのことではない。極論、千秋の内面、外面、能力を含めた『優秀さ』が一因でもある。
桔梗が千秋を求めたのは、グループ内の女子では体力があるからだ。桔梗一人だと俺の相手をするには身体が保たず、その危機感がヒートアップする要因となった。
恵と美雨がそれを防ごうとしたのは、俺が彼女たちに応えてこなかったからだ。正直、ある程度の体力がないと、本番を行うには怪しいところがある。
とはいえ、それを彼女たちがどう思うかは話が別だ。結果として、相手にされない事実と千秋の優秀さが、彼女たちの危機感を刺激し、追い詰めることになってしまった。
清隆が千秋を求めたのは、言葉通りに教材としてだろう。しかし、その中に彼女自身を求める心がなかったとは断言できない。清隆自身すら理解の及ばぬところで、千秋を求める情動があったと捉えるのが妥当だ。でないと、ここまでヒートアップする理由がない。
幸村が千秋を求めたのは、メンバーの中で独り身同士だからだが、その孤独感と危機感を刺激したのはこの環境が大きい。さりとて、千秋に魅力がないのなら、幸村がここまで強硬に意見を発することもなかっただろう。
そして、彼ら彼女らの行動理由の全てに、俺は直接的間接的問わずに関与している。だからこそ、俺にはどうこう言う資格がなかった。
紆余曲折はあったものの、どうにか千秋は落ち着きを取り戻し、以て全員に許しを与え、これにて一件落着――とはならなかった。
「実は、私からも皆に相談があって……」
そう言って愛里がテーブルの上に差し出したのは、何通かの手紙であった。手紙と言ってもハガキではなく、便箋と封筒を使ったタイプ。
手に取って確認すると、宛先は『佐倉愛里』となっている。差出人の名前は――ない。
「中を確認しても?」
「はい」
「……うわっ」
許可を得て中身を確認する。思わず悲鳴が洩れた。顔も顰められていることだろう。
「危惧していたことが現実になったってことか……」
「そういうことだと思います。これの対処を相談したくて……」
「取り敢えずは学校への報告だろうね。こちらが何かしらの手を打つにしても、それ次第ということになる。そうせざるを得ない」
何せ、ここは閉ざされた陸の孤島である。それでいて一つの学術機関であり、そうまでして生徒の一挙手一投足を調査し、研究に活かしている。
同時に、学校であることには違いがないため、学校側には所属する学生を守る義務が生じる。
その一方で、俺たちは所属学生であり、学校側の意向を完全に蔑ろにはできない。
私と公。その塩梅で話がどう展開するかが変わり、こちらの取り得る手段もそれに応じて変わることになる。たとえ『私』を守るためであっても、それで『公』としての立場を蔑ろにし過ぎては、事態を解決できても学校側から処罰を受ける可能性は否めず、その逆もまた然り。
「各所の会計管理システムとか、手紙の配送システムとか、そこら辺に関しては調べてもいないからな。まあ、ある程度の想像はつくけど確証はないし、訊いてもどこまで教えてくれるか……」
先ほどまでの混乱を余所に、俺たちは重苦しい雰囲気に包まれるのだった。
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