※この作品はR-18です。

東京都高度育成高等学校・北郷伝   作:山上真

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北郷伝:16

 めでたく麻耶と波瑠加も俺の魔の手に落ち、彼女たちもまた同居生活を送ることになった。……こう言うと全然めでたそうじゃないな。とはいえ、その経緯が褒められたやり方ではないため、やはり『魔の手』と評するのが妥当だろう。過程はどうあれ、結果として嬉しいのは事実だが。

 なお、彼女たちを同居させるに当たり、その費用は俺が補填した。彼女たちも同居させることにしたのは半ば以上俺の我儘なのだから、そのくらいはするのが男の甲斐性というものだろう。賭けで稼いだポイントの大半が飛んでいったが、別に惜しくはない。

 そして早くも日は流れ、既に月末を迎えていた。

 まあ二人とも、俺に唇を奪われたことについては特に気にしていなさそうなのがせめてもの幸いか。むしろ、麻耶なんかは事ある毎に強請ってくる。波瑠加はそこまででもないが、やはり時折求めてくる。

 しかし、俺はそう簡単には応えない。さながら名犬ブリーダーの如く、『待て』を教えては勉強を叩き込んでいる。その言葉は着実に出てきており、二人とも自主学習に取り組む機会が増えた。

 その一因として、やはり外出制限が大きいだろう。外出自体が禁止されているわけではないのだが、未だストーカー問題が解決していないのも事実である。タイプは違えど麻耶も波瑠加も美少女であることに違いはないのだから、好き好んで出かけようとはしなかった。決して出かけないわけではないのだが、あくまでも休日に限られている。曰く、学校帰りの寄り道は格段に減った、とのことである。

 同時、俺たちの使っているパーティールームには暇潰しのアイテムが多いのも、出かけなくなった要因だろう。

 書斎にはある意味でジャンルが偏っているものの、ある意味では幅広い書籍が揃っており、歌おうと思えばカラオケルームがあるし、人生ゲームに桃太郎電鉄、マリオカートにスマッシュブラザーズといった、多人数で楽しめるゲームも一通り揃っている。

 ただでさえポイントが限られている現状、自室にこれだけ揃っているのなら、わざわざ出かけようとは思わないのだろう。

 そうそう、幸村と井の頭さんが急接近中だ。一緒に帰った際のアピールが功を奏したらしい。まだ付き合っているわけではなさそうだが、着実に友人関係を育んでいる。

 井の頭さんは共同生活を送っているわけではないが、それでもたびたびこの部屋にくる。そして幸村に勉強を教わったり、その逆に彼女の趣味だという編み物を幸村と一緒に行っている。

 幸村は今まで勉強一筋だったこともあり、裁縫などは学校の授業で携わった程度。必然的に不慣れだが、だからこそ新鮮なようで、一人でいる時も本を見つつチクチクとやっている姿を見かけるようになった。

 清隆に関してだが、ここ最近は専ら絵本を読み耽っている。それこそ、本当に子供向けの名作劇場や日本昔話なんかをだ。

 これは、俺たちと清隆の感情発達の差異を分析しての試みである。

 基本、一般的な子供は、絵本を読み聞かせられたりしながら家族の愛情を受け、幼稚園なり保育園なりで同世代と触れあい、そうやって育っていく過程で情緒が育まれていく。

 しかし、清隆にはそれがない。ホワイトルームとやらいう施設と父親、そのどちらの意向が強かったのかまでは分からないが、本来与えられるべきものを与えられずに育ったのだ。情を遮断し、徹底的なまでの合理の下で育てられた。

 それは、ある意味では正しい。情が力を引き出すこともあるが、その逆に足を引っ張ることもある。それを思えば、情とは不合理の極みに他ならない。『天才を量産する』などという頭のとち狂ったが如き思想を実現させようとすれば、計算外(イレギュラー)となり得る要素(ファクター)は徹底的に弾いて然るべきだろう。

 そう考えれば、一抹の筋は通るし、その行動に理解もできる。

 だが、それは根本的に人間というものを分かっていない。情と理、相反するものを内包する矛盾した存在こそが、そもそもにして人間なのだ。

 どれだけ遮断したところで、人と触れ合うならば、必ずどこかで何かしらの情を育まずにはいられない。本人すらそれを情と知らぬままに育て上げる。それが人間という生き物だ。

 或いは、分かった上での行動かもしれないが、その場合は情の方向を誘導するのが効率的だろう。むしろ、清隆が受けたのはこのパターンだと思われる。理論や理屈を優先する方針の下で育った結果、喜怒哀楽に代表される感情の名前を知っているが、あくまでも知っているだけであり、自身の中での心の動きと結び付いていないのだ。

 だからこその絵本だ。年齢層にもよるが、子供向けの絵本に、細かな感情の機微などは載っていない。対象年齢が幼ければ幼いほど、反射的な行動が載っている。俺たちはそれを下地として、現実と対面したときに、自分の中でそれぞれの感情と結び付ける。そうやって育っていく。

 言ってしまえば、清隆の場合は基礎を学ばぬままに応用から入り、そのまま応用を学び終えてしまったクチだ。それほど応用は難しく、それ故に『基礎あっての応用』などと言われるわけだが、だからこそ、応用を学び終えた後でわざわざ基礎を学び直す必要性は薄い。しかし、薄いだけで皆無ではない。

 或いは書店から買ってきて、或いは図書館から借りてきて、来る日も来る日も暇さえあれば清隆は絵本を読み続けている。そして、その成果は着実に出ていると言ってもいい。

 清隆の場合、そもそもが心理学やら何やらで、機微自体は知っていたのだ。逆に言うと、あまりに細かすぎるそれが念頭にあったせいで、自分の中での行動にエラーが起こったものだと思われる。

 人は悲しければ泣く。人は悲しくても笑う。人は楽しければ笑う。人は嬉しくても泣く。

 同じ行動であっても、起因となる感情は異なる。他人が相手であれば、様々な反応を見て実際にどんな感情が起因しているのか予測や予想はできる。だが本人になると、自分はいま悲しいのか? それとも楽しいのか? その判断が付かないのだ。

 だから、絵本を通してその根本を学んでいるのが現状だ。こういう場合は悲しみに起因して泣く。こういう場合は怒りに起因して叫ぶ。状況・条件を狭めた上での反応。ある種の決め打ち。それを学ぶことで、こういう場合は怒って叫ぶものなんだな、こういう場合は楽しんで笑うものなんだな、というのを刷り込んでいるのである。

 表情筋の躍動がどうたらとかいう難しい話は、脇に置いておいて構わないのだ。

 未だ意識的に表情を変えることはできないようだが、それでも、以前に比べれば表情が分かりやすくなってきた。反射・反応による表情の変化が起こっているのである。

 その一方で、清隆と愛里のイチャつきも増えてきた。……いやまあ、あれをイチャつきと言っていいものかは判断の分かれるところではあるが。

 絵本を通して感情を学ぶ過程で、ある種当然のことではあるが、清隆は愛情を求めるようになったのだ。母親についての情報は聞いていないが、清隆がろくな愛情を与えられてこなかったのは今更言うまでもない。しかしだからこそ、不足したそれを欲するのは自然な情動だろう。

 結果、その白羽の矢が立ったのが愛里である。俗に『おっぱいは母性の象徴』などと言われるが、クラスでも一、二を争うほど巨乳の愛里は、その点ではこれ以上ないほど条件に当てはまっている。胸の大きさだけなら波瑠加でも構わないのかもしれないが、付き合いの長さや深さの関係もあり、清隆に向ける情の面で愛里が勝る。

 清隆は、得ることができなかった愛情を求めるが如く、たびたび愛里に抱きついている。その胸に顔を埋もれさせている。場合によっては、夜、寝るときまでも。

 愛里は愛里で清隆の事情をある程度知っていることもあり、それを拒絶しない。自分に縋りつく清隆の頭を撫でさする余裕まである。

 同級生という関係を鑑みれば異常極まりないが、事情を知るなら理解できなくはない。

 千秋は千秋で、そんな清隆に構うことが増えた。普段の無表情やスペックの高さとは裏腹に、愛里に甘えて眠る清隆の表情は本当に無垢な子供そのままなのだ。どうやら、千秋はそのギャップにやられてしまったらしい。まるで近所の子供や親戚の子供を相手にするかのように、清隆を甘やかしている。

 清隆も清隆でそれを拒絶しない。流石に千秋には愛里ほどの母性がないためか胸に縋ることはないが、その代わりに膝枕を強請ることが多い。

 それに伴い、清隆にもどうやら独占欲が芽生えてきたようだ。食事の際には愛里と千秋を自分の隣に座らせ、勉強や運動の際も専ら清隆が二人の面倒を見ている。

 桔梗は度々俺に抱きつく。何ならしょっちゅうキスしてくる。一種のマウント取りであり、恵、美雨、麻耶、波瑠加に発破をかけているのだ。五人の中では、桔梗が一番総合的に優れているからこそ可能なことだ。学力面では美雨も負けず劣らずだが、代わりに彼女は運動能力が足を引っ張る。

 それがまた功を奏し、四人は負けじと勉強や運動に精を出している。そんな実績があるため、俺も必要以上に桔梗を窘めることができずにいる。まあ、進んで窘める気がないのが実際のところだが。

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

 そんな日々を過ごしていた俺たちだが、どうやら今日はその成果を試されるらしい。

 三時限目の社会の授業。担任でもある茶柱先生が担当なわけだが、急遽小テストを行うことになったのだ。……まあ、本当に急遽なのかは判断に悩むところだが。むしろ予定調和の可能性の方が高いとすら思える。

 そのことに一部ぶうたれる生徒もいるが、茶柱先生は宥めすかすようにテストについての説明を行う。

 

「今回のテストは、あくまでも今後の参考用だ。成績表に反映されることはないから安心しろ。ただし、当然ながらカンニングは厳禁だぞ」

 

 普通に聞く分には何の違和感もない言葉だ。しかし、事情を知る者、ある種の疑念を抱く者にとっては話が別となる。

 成績表に反映されることはない、とわざわざ口に出すその真意。

 ごく当たり前に捉えれば、生徒たちを安心させるためだろう。何の気負いもなく問題を解いてもらおうということだ。

 その一方で、こう言っているようにも聞こえる。

 

「成績表以外には反映されるからな」

 

 と。

 生徒に関係があり、成績表以外で反映されるものといったら、普通に考えてCP以外にはあり得まい。

 テストを見れば、その可能性が高いことを否応なく示していた。主要五科目が載った、一科目四問、全二十問で構成されているわけだが、難易度の差が激しすぎるのだ。

 大半の問題は、入試問題よりも遥かに簡単だ。段階で表せば二段階くらいは低いだろう。しかし、ラストの三問は桁違いの難しさを誇っている。順に、高校一年、高校二年、高校三年の段階で学ぶ範囲の問題だ。予習次第では解けなくもないだろうが、一般的な予習では一問解ければ御の字だろう。一つのテスト内でこれとは、あまりにも落差が激しすぎる。

 これ、全部を解ける奴どんだけいるんだろうな? 俺はそんなことを思いつつ問題に取り掛かる。

 呉の軍師にして偉大なる都督の一角、冥琳の教えを受けた俺にとっては何ほどのことでもない。彼女は優しくもあるがスパルタでもあるのだ。俺と彼女がこの世界で出逢った、或いは再会を果たして時点での俺の事情を考慮すれば、甘やかすなど以ての外だ。勉強の遅れを取り戻すどころか、予習に次ぐ予習を余儀なくされたのは記憶に新しい。……運動面では梨晏が面倒を見てくれたわけだが、スパルタ振りは変わらなかった。

 辛くはあったが、そのご褒美として大人の階段を昇らせてもらったし、愛欲の日々を過ごさせてもらったのだから、十分に元は取れている。……よくよく考えてみると、俺が恵たちにやってるのとまんま同じ手法である。俺自身がご褒美を餌に運動と勉強を頑張った経験があるから、気付かぬうちにそれを踏襲していたわけだ。これも一種の成功体験というやつなのだろう。

 ペン先は淀みなく動き、次から次へと問題を解いていく。それは難問も変わらない。

 全ての問題を解いたところで、先ほどの疑問について改めて考えてみる。

 Aクラスで真っ先に思い浮かぶのは亞莎だ。入試成績を見るに坂柳有栖という女子も可能性はあるが、難問全てを解けるかとなれば疑問が残る。蓮華と思春は……全てを解くのは難しいだろう。亞莎を教師役に常日頃から勉強に臨んでいたとして、解けるのは一年か二年の範囲までと捉えるのが現実的か。

 Bクラスだと、失礼ながら誰一人として思い浮かばない。桃香も、星も、白蓮も、そして一之瀬さんも、決して学力が低いわけではない。それでも、難問の全てを解けるとはどうしても思えない。

 Cクラスだと、桂花、風、稟は確実。逆に言うと、特に知人がいないこともあってそれ以外は思い浮かばない。

 うちのクラスだと、まずグループメンバーでは俺と清隆は確定。幸村は難しいだろう。俺と清隆の影響もあって予習範囲は着実に進んでいるが、それでも二年の範囲が精々だと思われる。桔梗と美雨も同様。ただし、確実性では幸村に劣る。千秋は一年の範囲なら解けるかもしれない。恵、愛里、麻耶、波瑠加の四人だと、予習範囲はまず無理だろう。見ている感じ、未だそこまでの学力はない。

 グループメンバー以外だと、高円寺は……どうだろうか? 解けそうではあるが判断が付かない。堀北さんは解けても一年の範囲だろうか。予習をやっているだろうとは思うが、それでも二、三年の範囲にまで手を広げているとは思えない。平田も同様。

 そんなことを考えているとチャイムが鳴り、小テストの時間は終わりを迎えた。

 テストの結果次第では、ご褒美を与えることにしようか。そんな邪なことを考えつつ、俺は回収されていくテスト用紙を見送るのであった。




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