お昼休み。屋上で弁当を摘まむ俺たちの話題に上るのは、やはり三時限目の小テストについてだった。
「今日の小テスト、難しくなかった? や、全部が全部ってわけじゃなくて、最後の三問に関してだけど……」
と、話題に挙げたのは恵だ。
「そう思うのも無理はないだろう。ラストの三問は、それぞれ高校一年、二年、三年の段階で学ぶものだからな。予習次第では解けるだろうが、果たして全問を解ける者はどれだけいることか……」
それに答えたのは清隆だ。食べてる物自体は俺たちと変わらないのだが、まるで子供が親兄弟に甘えるかの如く、愛里と千秋に食べさせてもらっている。所謂『あ~ん』である。しかも、二人してそれを嫌がってない。
微笑ましいと思う反面、見ていて『ギリィ……!』してしまうのは無理がないと言えるだろう。
「はいはい、拗ねないの」
などと言って俺を窘めながら、それでも俺の口元に料理を運んでくれるのだから、本当に桔梗はデキた女性である。
そしてそれに触発され、恵、美雨、麻耶、波瑠加もそっと箸を差し出してくるのだから、男としては嬉しい限り。
以前の幸村であれば、ここで『ギリィ……!』していたのかもしれないが、今の彼にそんな様子は見られない。微笑ましい表情で状況を見守っている。これも井の頭さんというお相手ができたことで、心に余裕が生まれた証だろう。……なお、まだ彼氏彼女の関係にはなっていないものとする。
そんな幸村だったが、不意に表情を真面目なものに変えて――
「少なくとも、俺には全問解くことができなかった。ラスト一問だけが、どうしても解けなかった。――お前たちはどうだったんだ? 一刀、清隆」
「余裕! むしろ、解けなきゃやべえ。解けなかった場合、後でそのことを知られてみろ。果たしていったいどうなることか……!」
幸村に答える俺の脳内には、ニッコリとほほ笑む冥琳の姿が浮かんでいた。いや、殊更に冥琳が大きいだけで、桂花、風、稟に亞莎の姿もある。つまりは、今回の問題を間違いなく全問解けるだろう面子だ。同時、この世界において俺と関わり合いの深い人物でもある。
彼女たちに知られた場合、間違いなくその不甲斐なさを責められる。或いは心配される。それでいて懇々と説教をされるのは目に見えている。何なら、スパルタ教育がセットまである。……正直、そんなのは御免である。
「オレも全問解いた。後々のことを考えれば、その方が良さそうだったからな。俺が実力を示している限り、周りの女に余計な虫が近付くのは防げるだろう」
そして清隆が。
要するに『おうワレェ、なに人の女に色目使ってんじゃい!?』というのに説得力を持たせたわけだ。
愛里は当然ながら、千秋もクラスでは有数の美人である。当然ながら、日々、男子生徒たちから好色的な視線が向けられている。現状、それを防ぐことはできていない。
そして、それはこちらも同様である。俺に嫉妬の視線が向けられるのはまだしも、俺の女たちに好色な視線を向けられるのは勘弁願いたいのが本当のところだ。しかし、それの実現は難しい。
俺と清隆は水泳で実力の一部を披露し、対外的な評価を得ることには成功したが、それだけでは周りを黙らせるには効果が薄いということだ。
まあ、外面的なステータスだけで人を測りきることはできないが、それでも重大な要素であることに違いはない。外面的な評価が高ければ、それは容易に説得力へと転化する。一つでは足りなくても、それが二つ三つと増えていけば、応じて説得力も高まっていく。
「分かるわ~。モラルやデリカシーのある相手なら、わざわざそこまでする必要もないんだけどな。うちのクラスの野郎共ときたら、欲望一直線な奴らが多いから……」
言葉だけでは足りず、結果を以て黙らせるしかないのである。心を叩き折るとも言う。
「動機はともかく、やはりお前たちは全問解けたのか……。分かっていたことだが、差は大きいな……」
俺と清隆の答えを聞いた幸村は、そう言って深々と溜息を吐いた。だが、その表情に諦観の念は見られない。
「ほへぇ~。一刀くんもそうだけど、やっぱり清隆くんも頭良かったんだねぇ~。話を聞いてると、二人には劣るようだけど幸村くんも凄いみたいだし……。
それに比べると私はダメだなぁ~。所々分からない部分もあったし、難しいのも一つしか解けなかったし。中学の時に遊び回ったツケが来てる感じ?」
それを聞いた麻耶が口を挿んだが、聞き捨てならない部分があった。
「え!? ちょっとまって麻耶ちゃん! 難問、解けたの!?」
それは他の面々も同じだったようで、恵がガクンガクンと麻耶を揺さぶりながら問い詰めている。
「うわ!? ちょ!? まっ!?」
麻耶はどうにか答えようとするが、言葉になっていなかった。
「は~い、どうどう。落ち着いて~」
「あたしは馬か!?」
美雨が恵を宥め、その言葉を受けた恵がツッコミを入れる。
「それで麻耶ちゃん、難問を一つでも解けたってのは本当?」
麻耶が落ち着いた頃合いを見計らい、改めて桔梗が問いかけた。
「あ~、まあ。合ってるかどうかまでは断言できないけど、そこそこの自信はあるかな? てか、そんなに驚くこと?
そりゃ、中学ん時に学んだ内容が下地として求められる部分はあるけど、全部が全部ってわけじゃないし。一応、中三の時には反省して改善を心掛けてたし。
おまけに、入学初日からあんな危機感を刺激されること言われたら、そりゃ予習・復習ぐらいはするでしょ。周りとの付き合いもあるから、そこまで力入れられてたわけじゃないのは確かだけど。
でも、ストーカー問題で出かけること自体が減ったし、共同生活のお陰で時間に余裕ができるようにもなったし、頑張れば一刀くんからご褒美ももらえるし。
ここまで条件が揃えば、そりゃ熱を入れて取り組むでしょ。言ってみれば、予習をして、そこで中学時の内容が必要になったら改めて復習すればいいだけのことなんだし。
まあ、必要ない部分はバッサリと切り捨てちゃったし、そこを今回の小テストで出されたから、所々分からない部分があったのは事実だけど……」
そう答える麻耶は、実に不思議そうな表情を浮かべている。まるで、『なに当たり前のこと訊いてんの?』とでも言わんばかりだ。
麻耶の言うことは道理ではある。道理ではあるが、果たしてそれを実行できる者がどれだけいることか。
そもそもにして、勉強にはいくつもの方法・やり方がある。その中から自分に向いたやり方と巡り合うことこそが奇跡に等しい。大抵は授業で教わったやり方を転用して終わりである。
だというのに、麻耶は自らの勉強法を確立させているのだ。その時点で驚きである。
早い話、俺は佐藤麻耶という少女を見誤っていたのだ。
確かに麻耶の勉強を見てはいたが、彼女だけを重点的に見ていたわけではないのも事実。にも拘らず、入試の成績と、中学時の内容を復習していたという二点を以て、俺は彼女が難問を解けないと決めつけてしまっていたのだ。これは反省せねばなるまい。
「ゴメン、麻耶。俺は君を見誤っていた。断片的な情報だけで、君が難問を解くことはないだろうと決めつけてしまっていたんだ。これは、君に対してひどく失礼な行為だ」
故に、謝る。頭を下げる。
「そんな、気にしないでよ! 一刀くんがそう思ったのは、私も納得するくらいには至極当然だと思うし……」
「だが……」
麻耶はパタパタと手を振るが、それに甘えてはいけないだろう。互いにもっと仲が深まったとならともかく、今の段階で甘えるのは、それこそ本当の『甘え』でしかない。
「ん~。じゃあ、一つお願いを聞いてもらってもいい?」
俺の熱意に根負けしたのだろう。やがて麻耶は、小首を傾げて問いかけてきた。
「俺にできることなら」
当然、オーケーを出す。まあ、条件付きではあるが……。
「じゃあね~。――――っていい?」
そして口にされたお願いは、俺にとっても断る理由などなかった。
♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢
その日の放課後。
俺と麻耶はケヤキモールへと寄り道していた。別に寄り道自体は珍しいことではない。学校側からの通達で不要不急の外出と単独行動を自粛するように求められてはいるが、生活する上で食材の購入などは必須であるからだ。また、たとえ生活必需品でなかろうと、欲しい物があるならば外出だってする。
である以上、俺と麻耶が寄り道して帰ると言っても、ここ最近は一緒に帰宅しているメンバーも疑問や不満を洩らすことはない。一部はそのまままっすぐ帰り、一部はそのままついてきたが、流石にモールに到着したところで別行動と相成った。ここから寮へ帰る際には再度合流する必要があるが、大雑把に合流場所と合流時間を決めればそれで済む。
そして、俺は麻耶に手を引かれるままにモール内を進んでいく。買ってほしい物があるとは聞いたが、それが何なのかまでは聞いていない。手持ちと相談した上で余りに高い物ならばお断りするかもしれない、とは麻耶にも伝えてある。
まあ、要は物を見てからでないと判断できないわけだが、それでも可愛い女の子からのおねだりだ。また、そもそもが俺が彼女を侮ったことに対するお詫びの印でもあるわけだし、できる限りは購入するつもりだ。
「パーティーグッズ……いや、ジョークグッズの取扱店か?」
やがて辿り着いたのは、モール内に点在する店舗の一つ。俺は今まで来たことのないショップだったが、立ち並ぶ商品を見てそのように見当を付けた。
真っ先に目に付いたのは、トランプやウノ、人生ゲームなどを始めとしたカードゲームにボードゲームの類だ。それを見て、最初はパーティーグッズの販売店かと思った。
しかし、少し進むと商品の様相が入れ替わったのだ。今度は上に座ったらおならのような音が鳴る『ブーブークッション』などが置かれてある。それを見ては、意見を変えても仕方ないだろう。
「おいおい、これは……。いや、ありなのか、これ? いや、ありだな、うん」
だが、その判断すらも甘かった。
店の最奥には、堂々とアダルトグッズが置かれていたのである。バイブやローター、コンドームなどは当たり前として、鞭や首輪まで置かれてある。流石に鞭は本格的なものではなくソフトタイプの物であるようだし、コンドームは『ジャングル水筒』などという商品名になっているが、紛うことなき未成年禁止のアイテム群だ。
流石に面食らってしまったが、冷静に考えるとありだと思えた。
性癖なんてのは千差万別だ。まして高校生という世代は性衝動と無縁ではいられない。俺だってそうだし、池や山内のように発情した猿の如き奴らだっている。……いやまあ、流石にあそこまで堂々と表に出すのは如何なものかと思わぬではないが。
ただでさえ、生徒を抑圧する環境なのだ。下手に抑え付け過ぎて暴走でもされたら、運営側としても堪ったものではないだろう。暴走の度合いにもよるだろうが、手負いの獣は凶暴なのが世の常だ。
ならば、その発散法や発散場所を敢えて用意するのは、ある意味では理に適っていると言えるだろう。
ポイントがあれば、気付くことができれば、相手がいれば……と、幾多の『あれば』や『いれば』を敷くことで、最低限のブレーキも踏んでいる。
また、名称も置き換えることで、『ここで販売しているのはアダルトグッズではありませんよ』という体裁も取っている。見れば間違いなく直結してしまうが、逆に言うと、見なければ直結しないのだ。
要するに、部活動の賭けと同じく、この店も『暗黙の了解』の下で経営されているのだろう。
「以前に篠原さんたちとモールに遊びに来た時に見つけたんだけどね。まあ、その時は恥ずかしくなっちゃってすぐに店を出たんだけど……」
と、テレ顔で麻耶は宣う。……うん、可愛い。
「私って割と流されやすいって言うか、楽に惹かれがちって言うか、イケナイことに興味津々って言うか、まあそんなでね……」
恥ずかしそうに麻耶は言うが、別段恥ずかしいことなどないだろう。そんなのは人間としてごく当たり前のことだ。『赤信号、皆で渡れば怖くない』などは、その最たるものと言えるだろう。禁止されていることも、集団でならば心理的な抵抗もなく実施してしまえるという、集団心理を表す言葉だ。
「一応、これでも小学生の時は成績優秀だったんだよ? でも、中学に上がったのを機に、身持ちを崩しちゃって。門限が遅くなったとか、行動範囲が広がったとか、一つ一つは些細な理由。だけどそれが積み重なって、優秀だった成績は見る影もなくなっちゃった。
流石に両親に怒られて。私自身もこれではいけないと一念発起して。中三の時には何とか小学生の時のバランスを取り戻して。
でも、ダメだね~。ここに受かったのを機に、またバランスを崩そうとしてる。止めようと思ってるのに、自分だけだと止められない。危機感はあるくせに、友達との都合を優先しちゃう。……私って心が弱いんだ~。
だけど、そんな私が、ここ最近はこれ以上ないほどに勉強に集中できた。その原因は、一刀くん以外にあり得ない。そりゃあ共同生活に移行したことによる環境の変化も一因だろうけど、大元の原因は一刀くんだね。桔梗ちゃんの言った通り、あの時に受けたキスが、その快感が、私のモチベーションを維持してくれた。
同時にそれは、自分では抑え付けられない感情を、一刀くんが無理繰りに抑え付けたことになる。……そう。私は一刀くんがいないとダメな身体になっちゃったんだ。心がそう認識しちゃったんだ。
女の子はね、心の奥底では王子様を求めてるものなんだよ。そりゃあ、人によって、どんな王子様か、なんてのは千差万別だろうけど。どうやら私は、『愛』を以て私を縛りつけてくれる人を『王子様』として求めていたみたい。時に厳しく、時に優しく、時に甘く……それでいて、その行動の根幹には『愛』を持っている人。
だから一刀くん、これからも私を、その『愛』で縛りつけて」
ポツリ、ポツリ。
アダルトショップの一角という、何とも相応しくない場所で行われた麻耶の自分語り。
止めようと思えば止めれたし、場所を移そうと思えば移すこともできた。だけど、どうしてもそんな気にはなれなかった。場所がどうあれ、麻耶が勇気を出して行動しているのだ。それを、風聞だの何だのというつまらない理由で、止める道理があるものか。
そして最後まで語った麻耶は、陳列されている商品の一つを手に取り、それを両手に載せて、そっと俺へと差し出した。
それは首輪だった。商品名では『チョーカー』となっているが、紛うことなき首輪だった。リードまで付いている。
俺はそれを手に取り、そっと棚へと戻した。
瞬間、麻耶の顔が悲痛に染まる。
それに心を痛めつつも、俺は棚から別の首輪を取り出した。
「麻耶、君の示した勇気を、俺が受け止めない理由はない! だからこそ、君に相応しいのはさっきの物よりもむしろこっちだ!」
麻耶が最初に差し出してきたのは、俺への遠慮もあったのだろうが、比較的値段の安い商品だったのだ。デザインもそこまで良くはなく、麻耶ほどの可愛い子に装着させるには、むしろ不釣り合いな代物だった。
代わりに俺が取り出したのは、立ち並ぶ首輪の中でも最高級の代物だ。素材にも気を遣っており、一見しては首輪に見えないオシャレな外観を誇り、それでいて、やはり首輪なのである。麻耶に着けさせるのであれば、最低でもこのレベルは必要だろう。
「どうだ、麻耶。君の方こそ、これを受け取ってくれるか? 俺の『愛』で縛られてくれるか?」
「一刀くん……!」
俺の言葉に、麻耶は感極まった表情でその瞳を潤ませる。
かくして、『チョーカー』に『ジャングル水筒』、その他諸々を購入した俺たちは、他の面子と合流し、意気揚々と寮へ帰っていく。
同時、今後ともこの店は贔屓にさせてもらうことにしよう……と、俺は内心で意気を新たにするのだった。
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