「いや~、朝から皆ゴメンね~。お見苦しいものを見せちゃったり、せっかくの料理を台無しにしちゃったり! ――って、これで誤魔化されてくれるわけないよねぇ……」
朝からドタバタとしつつも、どうにか支度を済ませた俺たちは寮を出立した。
とはいえ、時間が押している中での強行だ。必然として割を食った部分はある。最たるものは朝食だろう。当然ながらゆっくりと食べている暇は無くなったので、今日の朝食は『inゼリー』や『カロリーメイト』に代表される、お手軽携行栄養食と相成った。
チューチューとゼリー飲料を吸いながら、恵が敢えてハイテンションに言った。彼女自身が原因、一因とも言えるだけに、申し訳なさがあるのは間違いない。否応なく巻き込んでしまった皆には説明する義務があるし、彼女もその必要を感じている。
さりとて、その内容が内容だ。何せ話題はイジメである。話していて空気が上向くことなどあるまい。だから恵は、たとえ空元気でも、敢えて上機嫌に振る舞ったのだ。……当然ながら、それに誤魔化されてくれる面々ではなかったわけだが。
そんな中、真っ先に口を開いたのは幸村だった。
「見苦しい、というのは違うな。むしろ綺麗であったとさえ言える。お前たちのやったことは、倫理や理屈の面で考えればどう考えても問題であり、俺自身、それを否定する気はない。だが、そんなものを吹き飛ばすほどの愛があったのは事実だ。……少なくとも、俺はそう感じた。
その一方、俺は男でお前は女だ。ある程度仲が良くなった自覚はあるし、以前の櫛田の行動である程度の耐性はできているが、それでも、ああいったのを見せるのを許容できるかとなると、また別だろう。
眼福だったと感じる自分がいる一方で、お前と井の頭に対する申し訳なさ、後ろめたさもある。どう顔向けしていいか、どう説明すればいいか、皆目見当が付かん」
ポツリ、ポツリ、俯き加減で、決して視線を恵に向けることはなく。
それは恵に対する慰めの言葉であり、ある種の懺悔だった。
所詮は俺たちの間だけのこと。友人とはいえ、仲がいいとはいえ、敢えて井の頭さんに伝える必要はない。
それでも、それを許容できないのが幸村なのだろう。根が真面目なのだ。
しかし、そこら辺を説明するとなれば、当然ながら恵の事情にも相応に踏み込むこととなる。
それを恵は許容できるのか。恵が許容し説明したとして、今度は井の頭さんが許容できるのか。
考えれば考えるほどに、また別種の悩みや不安が生まれ、それが幸村を苦しめているのだろう。
「あたしとしては、幸村くんがあたしに対する申し訳なさを覚える必要はないと思ってる。あたし的には変わらず友人だと思ってるし、友人でありたいから。
それと、井の頭さんに伝える必要があるのなら、事情を説明しても構わないとも思ってる。黙ってもらって、それで幸村くんと井の頭さんの関係がぎくしゃくしちゃったら、それはそれで今度はこっちが後ろめたくなっちゃうしね。
ただ、あたしと井の頭さんの関係はそこまででもない。友人の友人、クラスメイト、その枠を抜け出してはいない。果たして、彼女の方がそんな相手の事情を知ろうとするのか? そういう問題はあると思う」
対する、恵の返答がこれだった。その視線は、真っ直ぐに幸村を向いている。
「……そうか。そう言ってもらえると、俺も嬉しい。これからも友人としてやっていきたいのは俺も同じだ。……まあ、まだ多少ぎくしゃくする部分はあると思うがな。
井の頭には断片的に事情を伝え、その上で詳しい話を聞くかどうかを選んでもらうとしよう。……すまないが、その際は何人か同席してもらいたい」
恵の言葉を受け、幾分か気が紛れたのだろう。顔を上げて幸村はそう言った。
「私も事情を聞かせてほしい。知らなかったこととはいえ、私の行動が一因でもあるみたいだから……。あんな真っ青な顔を見ちゃったら、流石に責任は感じちゃうし、だからって事情を知らないままに謝るのは何か違うと思うから」
「私も同じかな。恵ちゃんがああなったのって、これが原因でもあるんでしょ?」
そして、波瑠加と麻耶が。
この二人は共同生活への途中参加組だ。その分だけ、知らない情報、知らされていない情報というものはある。その中には、恵が中学時代にイジメを受けていた、という情報も含まれる。
「分かった。……とはいえ、流石に口を大にして言えることでもないからな。昼休みに、いつもの屋上か特別棟辺りで説明するのが妥当だろう。……いいな、恵」
「うん。あたしもご主人様に同意する」
「そういうわけだから、それまでには井の頭さんにも確認を取る必要がある。忘れるなよ、幸村」
「当然だ」
「まあ、こいつも必要以上に買い込んでしまった感はあるからな。そういうことなら、こいつも無駄になることはないだろう」
沢山の携行栄養食が入った袋を掲げ、清隆がそう言った。
朝の一件の後、それぞれがテキパキと手分けして後始末なり何なりに取り掛かることになったのは必然だった。そして、清隆の担当となったのが買い出しだった。まあ、保有ポイントや身体能力を思えば無理はないし、その選択は妥当でもある。
問題があったとすれば、清隆を独りで行かせたことだろう。寮内においては、その食生活事情から、逆にこういうブロック食やゼリー飲料と縁遠かったことも一因なのだろうが、その過去から興味を抑えられなかったこいつは、手持ちに余裕があったこともあり、全種類を複数ずつ買い込んできたのである。
もっとも、皆が動いていたその間、汗やら汚れやらを落とすべくシャワーを浴びていた俺と恵には、文句や不満を言う資格などまるでないわけだが。
「しかしまあ、色々と先行きが不安ではあるな。俺も恵の事情をすべて把握しているわけじゃないから、何がトラウマスイッチの引き金となるのか皆目見当が付かない。恵の認識一つで左右されるのも問題だ」
「確かにそれはあるね。今回はあくまで内輪だから穏便? に済ませられた部分が無いわけじゃないし……。かと言って、今回と同じ手法を取るにしたって、根本が根本だから大々的に行うのも難しいでしょ。暴論とはいえ一定の理があるのは事実だけど、数をこなしていけば学校側にバレない理由がないし。そうなると、待ち受けるのは退学だろうね」
何とか持ち直した空気が、再び一転して沈み込んだ。とはいえ、事が起こってしまった以上、考えずにはいられない問題だ。
「いっそのこと、学校側も巻き込むか」
「え?」
「今回の一件、正直に学校側へ打ち明ける。ある程度であれば、学校側も恵の事情を知っているだろうし、知らずとも教師ならば調べることは可能だろう。
暴論にして荒療治ではあるが、俺の行為が奏功したのは事実だからな。その事実を、学校側も無下にはできない。事の詳細を知ればこそ、事の詳細を知らねばこそ、そこには『想像』、『理解』、『納得』の余地が生まれる。
だからこそ、教師として、聖職者として、生徒がトラウマを払拭すべく努力しようとする思いを、行為を、否定することはできない。できなくなる。
さりとて、行き過ぎた行為をされても困る。学校側にも監督責任があるからな。
そこから考えられるのは、女性教師を監督に置いた上での、トラウマ再現と、その塗り替え。予め契約を結び、失敗すれば停学乃至は退学処理、成功すれば続行の許可。これならば双方が利とダメージを負う」
考えた末に浮かんだのは、そんな方法だった。
学校側に黙って行うから、イジメと捉えられかねないのだ。だが、学校認可の上であれば、生徒同意の上であれば、理論上はイジメではなくなる。
そもそもにおいて、この学校の環境自体が『学校主導で生徒にイジメを行っている』とも受け取ることができるのだ。実際にそうなっていないのは、実態が外部に知られていないこともそうだが、独自ルール内の結果だからでもある。実情を知らぬとはいえ、生徒が入学を嘆願し、学校側がそれを受け入れた時点で、双方が独自ルールに同意したことになるのだ。
要はそれと同じである。契約に合意したという証拠書類があれば、叩かれるにしろ学校側も最低限の言い訳は立つ。言葉だけで言い訳するよりは遥かにマシだ。実績があるなら尚のこと。第一、部外者に文句を言われる筋合いはない。
学校側がこちらの嘆願を受け入れずに黙秘を貫き、今日以上に最悪の状態で恵のトラウマが発露すれば、それはそれで『生徒のアフターケアを怠った』として叩かれる要因となる。
そういったあれやこれやを鑑みれば、学校側が受け入れる可能性は十分にある。最悪を想像した場合、学校側のダメージが少ないのは受け入れる方だからだ。
如何にトラウマの払拭が目的とはいえ、根がイジメに関わること。表立っては口にできず、秘密裏に行うのは一定の理がある。……こういった『言い訳』が有ると無いとでは、受けるダメージも大きく違うのは間違いない。
「うわ~、またあくどいことを考えるねぇ……」
桔梗が若干引いた顔で相槌を打つ。
「世の中、綺麗事だけじゃ成り立たないからな。……幻滅したかい?」
「ううん、惚れ直した。私の男ならそうじゃないと」
満面の笑みを浮かべて桔梗は言う。
間違いなく、桔梗は裏の意味も理解している。
仮にこれが実現した場合、俺たちと学校の間には共通の『秘密』ができる。監督する立場の教師との間には、なお深い『秘密』が。それは決して小さな関係ではない。浅い繋がりではない。最初はそうでも、その事実を以て一気に深めることは可能となる。
恵が性的なイジメを受けていたという
要は画面越しにAVを見るか、現場で見るかの違いだ。一般的な性衝動を持つ人物であれば、たとえ職務を盾にしようと、必ず気分が高まるだろう。
そして気分が高まれば、その分だけ付け入る隙は大きくなる。俺を相手にそれは致命的だ。女性が相手であれば、たとえ相手が教師であろうと堕とす自信が俺にはある。ロリから経産婦まで、数多の女を相手に鍛えた手腕と実績は伊達ではない!
そう、これは二段構えの作戦だ。恵のトラウマ払拭も本意ではある。だがその実は、学校内に手駒となる人物を創り上げることこそが本命。完全にこちらの言うことを聞かなくてもいい。ただ、情報の一つでも多く落としてくれるようになればそれでいい。
人間が飴に釣られるのは世の常だ。一度俺から快楽を与えられれば、よっぽどでない限りそれを振り切ることなど不可能だ。あの華琳でさえ振り切れなかったのだから、実績は既にある。である以上、再度の快楽を欲するのは自明の理。『女』であるなら尚のこと。職務を盾に律しようとて、律しきれるわけがない。
まあ、これで監督者が男性だったりすれば、途端に崩れる作戦でもあるんだが。とはいえ、恵が女子であることを鑑みれば、監督役も女性になる可能性が高いとは思うんだが……。
つらつらとそんなことを考えながら歩いていると、やがて学校に着いた。靴を履き替え教室に向かう。
想像通りではあったが、教室内は非常に騒がしかった。
そして、室内に足を踏み入れた途端、桔梗は多くのクラスメイトに詰め寄られた。そこに男女の別はない。
その理由はただ一つ。返信がなかったことに対する質問だ。詰問と言った方が正しいかもしれない。
「あ~、そこについてはゴメンね。私、今日はちょっと朝から体調が悪くて。色々とフォローしてもらってた」
快感でトラウマを塗り潰したとはいえ、それで恵の寝不足が解消されるわけではない。如何に化粧で隠していても、見る人が見れば隠しきれないクマを見て取ることは容易だ。そして、同じように化粧を行う女子だからこそ、間違いなく見て取った。
そこに恵の言葉と対外的な桔梗の人柄が組み込まれれば、よっぽどあれな性格をしていない限りは理解を示す。
「あ~、まあ、そういうことなら仕方がないか……。桔梗ちゃんはお疲れ。軽井沢さんもお大事に」
まあ、平たく言えば生理と誤認してくれたわけである。
俺は男なので完全な理解は難しいが、人によって軽重に差があるのも、普段は軽くても時折すごく重くなったり、その逆もあったりなどは知っている。
他方、耳年増な俺とは異なり、それを実際に経験する女子だからこそ、その辛さを察するのは容易だ。誤認ではあるが、一度そう認識してしまえば、必要以上に騒ぎ立てることを是とはしない。
そして女子が去ってしまえば、男子も詰め寄せてはいられない。むしろ、周りの女子がそれを許さない。普段がどうあれ、そこには確かに女子ならではの連帯感があった。
自席に着席した恵は机へと凭れ掛かり、桔梗はそんな彼女に寄り添うことで、邪魔者が近付くのを防いでいる。俺、麻耶、千秋、美雨もそれとなく協力している。何と見事なチームプレイだろうか。
一方、愛里と波瑠加は清隆と幸村と一緒に井の頭さんの元へ。当初の予定通り、簡単な事情説明が目的だろう。
相応しているうちにチャイムが鳴り、いつも以上に険しい顔をした茶柱先生が姿を見せるのであった。
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