アラームによって目が覚めたとき、俺の前にあったのは桔梗ではなく鈴音の顔だった。視点を変えれば、ジュニアもまた鈴音に突き刺さっている。
不思議なこともあるもんだ、などと寝ぼけ頭で暢気に考えていたら、やがて桔梗と鈴音も起き出した。そりゃあ、盛んとアラームが鳴り響いているのだから当然である。これで起きないとしたらよほどの剛の者だろう。
「二人とも、おはよう」
「おはよう、一刀くん」
「おはよう、カズピー」
俺が挨拶をすると、二人もまた挨拶を返してくれた。柔らかな声音が心地いい。なお、『一刀くん』呼びが桔梗で、『カズピー』呼びが鈴音である。普段のイメージからすると真逆なんだが、交友関係に不慣れな自覚がある鈴音は、グループメンバーの大半をあだ名呼びしているのだ。形から入る真面目さの表れと言えるだろう。
そこで桔梗が叫び声を上げた。
「って、あー! ちょっと、どういうこと!? 夜中に一回目が覚めたときは、確かに私に入ってたのに!」
何事かと思えば、そういうことらしい。まあ、それに関しては俺もまた同じ気持ちだ。
「寝ぼけてたんじゃない?」
それを鈴音が一笑に付した。勝ち気な表情まで浮かべている。
俺に覚えがない以上は十中八九鈴音の仕業なんだが、それを証明する証拠がない。
同時、何せ俺のことだから、眠ったまま、身体が勝手に動いた可能性もゼロではないのだ。世の中には夢遊病なんて言葉もあるし、異なる感触を求めて桔梗から鈴音に刺し直した可能性は僅かながら存在する。言ってみれば『種馬の業』か。
まあ真偽がどうあれ、ヒートアップする二人を放置する理由はない。
「ハイハイ、そこまで。取り敢えずサッサと起きてシャワーでも浴びるぞ。継続こそがルーチンワークだが、このままじゃあウォーキングも何もあったもんじゃないだろう?」
「はーい」
「そうね」
俺の言葉を受け、両者は渋々と矛を納めた。
鈴音が起ち上がり、ジュニアが引き抜かれる。今度こそ、装着したコンドームは無事だった。肉布団の効果もあってか、どうやら寝てる間に射精していた様で、タプタプと音を立てている。
そして、鈴音はジュニアからコンドームを外すと、そのまま口元に運んでいった。
逆さにした水筒から垂れ落ちた濃厚な白濁液が、天を向き、大きく口を開けた鈴音の舌に乗る。……それだけで、何とも卑猥ながら美しい光景だ。
そうして、うがいでもするかのように口を動かし、ゴクリと嚥下。次に鈴音が口を開けたとき、そこに白濁液は微塵も残っていなかった。
「とてもじゃないけど、美味しい、とは言えないわね。まあ、飲めなくもないけど……」
顔を顰めた鈴音の感想がそれだった。
それを受け、俺は感動した。感動せざるを得なかった。理由がどうあれ、鈴音が自分の意思で俺の精液を飲んだのだ。紛うことなく、俺に対する愛の発露に他ならない。これで感動しない男がいるだろうか?
「鈴音ぇ、お前はイイ女だなぁ」
気付いたとき、俺は感動のあまり、思わず鈴音に抱きついていた。
♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢
何やかんやで通学時間を迎えたので、俺は満を持してリビングテーブルの上にそれを並べた。片側には女子用を、反対側には男子用を。
「さあ、選べ! 着けろ!」
今更言うまでもないがケモミミである。
「おい、俺たちも着けるのか!?」
「当然だろ。女子だけに着けさせたらイジメと取られかねないだろうが。同じグループ、男女問わずに着けるから意味があるんだよ」
焦ったように輝彦が詰め寄せてきたが、俺はそれを冷たく一蹴した。
「うぐっ! そう言われたら返す言葉もないが、この悪意のあるラインナップは何だ!?」
「男と言ったらこれだろ?」
輝彦曰くの『悪意のあるラインナップ』だが、狼、猿、山羊である。暗に『送り狼』、『発情した猿』、『草食系男子』を示しており、意図に気付けば確かに悪意あるラインナップと言えるだろう。
だが、だからこそ、俺は然も当たり前のように言って返した。どれもこれも、確かに男性を表す言葉だからだ。
「あ、選んだら元となった動物の鳴き声を語尾に付けてな。泣き声分かんないなら普通でいいけど。俺も兎の鳴き声なんて知らないし。これもコミュニケーションの練習と思って頑張りましょう」
更に、俺はここにきて初めてとなる情報を告げた。……当然、ケモミミを着けるだけだと思ってた連中にしてみれば不意打ち以外のなにものでもなく、俺は各自から愛の鞭を一発ずつ頂くことになってしまった。全く以て悔いはないが。
なお、男性陣だと俺と清隆が狼、輝彦が山羊を選択した。何となく納得である。
通学中、俺たちには針の筵の如く視線が集中した。制服着こんだ連中が多種多様なケモミミを着けて登校してるんだから無理もない。
「うう……恥ずかしい、コン」
「うん、意外と視線が向かってこないわ。やっぱ、当たり前すぎて逆に意外性がないのが良かったのかな? モ~」
こんな一幕があったりしつつ学校に到着。
「みんな、おはよう。ウォフ」
「おい、ちょっとまて一刀! まさか、俺たちだけでなく周りに対しても語尾を付けるのか!? メエ」
「当然だろ。じゃないと練習にならないじゃないか? ウォン」
まさに俺たちは人気絶頂、注目の的。さながら動物園の客寄せパンダの如しである。
それは鈴音も例外ではなかった。あの真面目クールな顔に猫耳を着けているのである。しかも試しに挨拶してみれば――
「おはよう。ニャン」
と、ちゃんと挨拶を返してくれるのだ。
今までとのギャップが酷く、これにやられてしまった男子は少なくない。一部以外に対する鈴音の基本的なスタンスは変わらないのだが、語尾と猫耳が大分キツさを軽減してくれるのだろう。素っ気なくあしらわれても、諦めずに話しかける男子の何と多いことよ。
そうこうしているうちにチャイムが鳴り、茶柱先生がやってきた。ホームルームの始まりである。
「それではホームルームを始める。最初に連絡事項についてだが……北郷。今日の放課後、職員室に来い。坂柳理事長がお前と個人的に面談をしたいそうだ。あの人も理事長だけあって中々に多忙だからな。悪いがお前に拒否権はない。
それ以外は特にないな。何か質問があるなら受け付けるが?」
茶柱先生はケモミミには一切触れず、通達を終わらせた。
それにしても、理事長が面談を希望か。真っ先に思い浮かぶのは恵の件や創部の件についてだが、俺だけを呼び出す以上、それだけじゃあないだろうな。
まあ、理事長先生には色々と世話になった。直に礼も言いたいと思ってたし、丁度いいっちゃ丁度いい。
俺がそんなことを思っている傍ら、事態は進行していく。篠原さんが手を挙げた。
「篠原か、何だ?」
「いいんですか、あれって?」
「あれでは分からん。質問は明確に行え」
「ッ……! ケモミミです! あれじゃあ、CPが減らされちゃうじゃあないですか!」
茶柱先生に窘められた篠原さんは激昂したのだろう。吼えるように口を開いた。
「なるほど。お前の言わんとすることは分かるぞ、篠原」
その言葉に篠原さんは僅かに表情を緩ませ――
「だがな? その質問が出てくる時点で、お前はまだ実力者ではないという証明だ」
続く言葉を受け、表情を一転させた。
「ケモミミの使用に際し、北郷は予め1ーB担任である星之宮先生より正式に許可を取り付けている。……分かるか? 使用権利を購入したんじゃない。正式な使用許可を取り付けたんだ。
その際の北郷の言い分がこうだ。『ケモミミなんてファッションの一部でしかない。リボンやヘアゴム、ヘアバンドが良くて、どうしてケモミミは駄目なんだ?』……とな。
そして、それを聞いた星之宮先生は共感を覚え、許可を出した。言ってしまえばそれだけのことでしかない」
そこで口を閉ざした茶柱先生は、グルリと教室内を見渡した。
「まだ理解の及ばぬ生徒の方が多いみたいだな。……言ってみれば草の根運動なんだよ、これは」
「草の根運動……ですか?」
「そうだ、平田。……授業は真面目に受けろ。常識は大切にしろ。我が校でも重要視している事柄だな。
だが、この『真面目』や『常識』といった言葉は、先入観や偏見の元となる。それは視野狭窄や思考の硬直を促す。
携帯操作、私語、居眠り、どれも授業を真面目に受けていないことになる。当然アウトだ。
しかし、ケモミミを付けることが事業を真面目に受けていないことに直結するか? しないだろう? ケモミミを着けてようが、先生の言うことをキチンと聞いてノートを取ってれば、真面目に授業を受けていることになるんだよ。
なのに、何故ケモミミにマイナスイメージを持つのか? 付着しているのか? それこそが現代社会の如何ともしがたいところだな。
例えば……今日、堀北は猫耳を着けているな。普段の堀北からは想像もできん姿だ。さぞ周りの受ける衝撃も大きいだろう。
そこで、一般的な学校ではこうなるわけだ。『堀北、周りの奴らが真面目に授業を受けられん。その猫耳を外せ』……とな。原因を猫耳を着けた堀北に求めるわけだ。想像してみろ。違和感はあるか?」
茶柱先生は一旦そこで口を閉ざした。生徒たちに考えさせるためだろう。実際、そのような情景がありありと思い浮かぶ。
「想像したか? さぞ納得の方が強かったんじゃないか? どうだ、平田?」
「それは……はい。確かに、今日の男子はいつも以上に堀北さんに話しかけています。それを浮かれ気分と言われてしまえばそれまでです。ですが――」
「ああ、皆まで言うな。お前の言いたいことは分かるが、今重要なのはそこじゃない。
さて。一般的な学校だと先のような判断を下されるわけだが、我が校は異なる。
猫耳を着けていようが、堀北が真面目に授業を受けている以上、悪いのはそれに見入る連中の方となる。要は『適応できないのが悪い』となるわけだ。
まさしく、先入観や偏見に囚われた質問をした――篠原、お前みたいにな」
篠原さんは口をパクパクとさせている。いや、それは他の生徒たちも一緒か。
今までの常識からは考えられない。まるで喧嘩を売っている。だというのに、それが正しい。それでいて、常識の全てを否定しているわけでもない。
「真に実力者たらんとするならば、視点を変えろ。視野を広く持て。そうする癖を身に着けろ。仕掛ける相手、仕掛け時を見誤るな。
先の交渉の場には私も同席していたが、私だけならば許可を出さなかった。星之宮先生が同席していたから、星之宮先生だから許可を出した。その点で言えば、結果的に北郷は仕掛け時と仕掛ける相手を間違えなかったことになる。
あの時は呆れたものだが、今となっては納得しているよ。奇しくも平田、お前の言わんとした通り、それによって堀北は、交流のなかったクラスメイトと交流を持てている。
実態がどうあれ、端からはそのように見えるのは否定できない。その効果は馬鹿にできん」
茶柱先生の口から、激と感想が放たれる。
「まあ、だからと言って、学校側も何でもかんでも受けるわけではない。平たく言えば印象が重要だからな。その点は忘れるなよ?
ケモミミの使用許可を出した星之宮先生だが、これで失敗すれば――ケモミミを着けた奴らが真面目に学校生活を送らなければ、非は星之宮先生にも向かうんだ。当然、星之宮先生はそのリスクを受け入れた上で許可を出している。そうさせるに至ったのは、やはり北郷に対する印象が大きい。
学校側でも実力者として認定している生徒は何人かいる。北郷はそのうちの一人だ。そして、そういう生徒の申し出だからこそ、教師の方にも『この生徒の言うことなら……』という心理が働くのは否定できん。実力者認定されていない生徒が同じ話を持ちかけても『バカも休み休み言え』……と、こうなるだろう。
教師だって人間だからな。趣味や嗜好はそれぞれでバラバラだ。どれだけ『公平』・『平等』を謳ったところで、必ずどこかで贔屓が入る。それは否定できんし、防ぐこともできん。
だからこそ、我らは『実力』を秤に乗せる。どこまでも戸口が広く、どこまでも実態が曖昧で、それでいて説得力がある。これほど便利な言葉もそうはあるまいよ」
最後にそう皮肉げに言って、茶柱先生は口を閉じた。
しかしまあ、結構ぶっちゃけて語ってくれたものだ。まあ、我がクラスの中で気付く者がどれだけいるかは怪しいところではあるが……。
端的に言えば、茶柱先生は教師との交流の大切さを語ったわけだ。
世の中、『馬鹿な子ほど可愛い』というタイプの人間だって少なからずいる。そして、その手の人間がこの学校の教師の中にいないとも限らない。探せばいるかもしれない。そして運よく見付かったなら、馬鹿な生徒ほど協力を得られるかもしれない。……と、暗にこういうことを伝えてくれたわけだな。
おお、怖い怖い。『真面目』・『平等』・『公平』という言葉の、何というお飾り感よ。
だが、それは同時、茶柱先生からお墨付きを頂いたようなものだ。
俺のやっていること、やろうとしていることに、茶柱先生も何となくは気付いているのだろう。俺の周りには女の子が多いし、何より恵の件を伝えているのだ。察しない方がおかしい。
しかし、何も言わない。むしろ後押しさえしている。本当に曲者だ。教師らしさを示す一方で、教師らしからぬ部分を隠しもしない。
俺の知っているこの学校の教師はまだ少ないが、誰も彼もがこんななのだろうか? だとするならば、実に愉しみな一方で、辟易としてくるのは否めない。
そこで、チャイムが鳴った。
「チャイムが鳴ったな。……では、これでホームルームを終了する」
茶柱先生が教室を出ていくのを、俺は静かに見送るのだった。
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