理事長との邂逅を果たした日から初めての休日。俺は教員寮を訪れていた。理事長からの呼び出しである。……まあ、今回の一件は理事長にとってあくまでも私的な用事だ。それで学校を使うのは憚られたのかもしれない。
ナビゲーションアプリを頼りに道を進むと、程なくしてそれらしき建物が見えてきた。外観は学生寮と然程変わらないように見える。辿り着くと、内部も同じに見えた。
管理人を訪ね、端末に送られたメールを見せて理事長に取り次いでもらう。程なくして確認が取れ、一つの部屋番号を教えられた。部屋の配置数こそ違うものの、間取りは学生寮と同じみたいなので、番号さえ聞けば普通に辿り着ける。
部屋に着いたのでドアチャイムを押す。然程待つこともなく解錠音が聞こえ、扉が開かれた。
「やあ、おはよう。わざわざ休日にすまなかったね。どうにも私用で校舎を使うのは気が引けてね」
「いえ、構いません。それと、おはようございます」
流石に自宅ということもあってか、理事長の恰好はラフな普段着だった。……まあ、普段着なのは俺も同じだが。
理事長に招かれ部屋に入ると、椅子に一人の美少女が腰掛けていた。その傍らには一本の杖。以前にAクラスで見かけた美少女だった。
テーブルの前にはチェスボードとティーカップ。駒の配置からして。どうやら親子で一勝負演じていたらしい。
「あら? あなたは北郷くんではないですか。……お父様、私に紹介したい方というのは北郷くんのことでしたの?」
「まあ、そういうことだね。君に関することで、今回は少々無理を頼んでしまった。……北郷くん。知ってるかもしれないが、改めて紹介しよう。私の娘、有栖だ」
「ええ、以前に顔を合わせたことがあります。……Dクラスの北郷一刀だ。改めてよろしく」
「これはご丁寧に。Aクラスの坂柳有栖です。こちらこそ、よろしくお願いしますね。私のことは名前で構いませんよ。お父様のいる前で、名字を呼ぶのもあれでしょうから」
「ありがたくお言葉に甘えさせてもらうよ」
改めて互いに自己紹介をしあい、軽く頭を下げる。
「それで、私に関することで、とは?」
「ああ。俄かには信じられない話だとは思うけどね」
そう前置きして、理事長は俺の気功について説明した。とはいえ、実に眉唾物の話である。証拠もないし、深く語ることもできないとなれば尚更だ。
「……なるほど。ええ、信じましょう。私に話せないだけで、お父様にはそれを裏付ける、そうでなくとも信じるに足る情報を持っているのでしょう? ならば、私が信じない道理はありません」
だというのに、有栖はそう言って実にアッサリと父親の言葉を受け入れた。……まあ、心底から信じているかは怪しいが。それでも、表面上は合わせる順応性を持ち合わせているということだ。
「それで、私は何をすればいいのです?」
「片手を握らせてほしい。俺の両手で包み込むように握り、その上で君の身体に気を走らせて精査する。その過程で君の身体に多少刺激が走ると思うけど、そこについては我慢してほしい」
小首を傾げて訊ねる有栖に、俺は素直に返答した。実際、そんなもんである。
「はあ、その程度でよろしいのでしたら。……どうぞ?」
俺の言葉に、有栖は拍子抜けといった表情を浮かべた。まあ、俺の女好きは知ってるだろうからな。治療に託けてもっとドギツイことをされるとでも思ったのかもしれない。……実際、精査の結果次第ではそうなる可能性も否定はできないが。
「では、失礼して」
有栖の隣の椅子に腰かけ、差し出された手を握る。ここからは慎重性と集中力を求められる。俺は瞑目して、有栖の柔らかな手へと意識を集中した。
じっくりと、ネットリと、全身を余すところなく愛撫するかのように、有栖の手のひらを基点にして気を流し込む。これも、相手が女子だから比較的簡単にできている。有栖のような美少女なら尚更簡単だ。純粋に集中度合いが高まるからな。……野郎相手に同じことを求められても、よっぽど緊急性が高いか、仲がいい相手でもない限りは不可能である。
俺の意識は流し込んだ気と繋がり、有栖の身体を流れる気脈を慎重に突き進む。
これが存外難易度が高い。眼に見えないだけで、血管のようにちゃんとカタチがあるのだ。一つサイズを間違えれば、管を突き破ってしまい内出血のようなことになる。
しかも他人の身体だ。感覚だけでそこら辺を把握しなければならないとなれば、医療気功の使い手が限られていることの理由が分かってもらえると思う。
おまけにこの方法は、裏技も裏技に近い。今現在有栖の身体を突き進んでいる俺の気は、さながら寄生虫のようなものである。そう聞くとイメージが悪いかもしれないが、世の中には共生関係が成立している寄生虫だっているのだ。
このような方法を取らずとも、外部から診ただけで状況を丸っと把握してしまう華佗のような人物が、むしろ例外なのである。さすが、『医聖』と謳われるだけのことはあるだろう。『必察必治癒』など俺にはできない。
まあ華佗に言わせると、ほぼ女性限定とはいえこの方法が簡単にできる俺の方こそが例外となるみたいなのだが……。
普通はここまでスムーズには行かず、むしろ不快感を与える方が多いらしい。不快感に耐えきれず、治療を断る患者も多いのだとか。
この方法を寄生虫に例えたのは、この事実があるためだ。
それが俺の場合は、ほぼほぼ快感を与えるのだ。同じことを受けるにしても、それによって得られるのが快感と不快感なら、前者を選ぶのが自明の理。ならば、俺の腕前が上がることは――ほぼ女性限定であろうと――一人でも多くの患者を救うことに繋がる。それ故に、部外者の俺に対して、華佗も五斗米道を可能な限り伝授してくれたのだ。
そうして、気脈の中を進んで、進んで、進んで、進んで――全身を巡り終えた頃には、既に数時間が経っていた。極度の疲労と集中により、俺の全身も汗びっしょりだ。
「……終わったのかな?」
俺が眼を開け、ほぐすように身体を動かし始めたからだろう。理事長が恐る恐るといった感じに訊ねてきた。
「はい、取り敢えずは。ですがそれを説明する前に、まずは有栖を寝かせた方が良いと思います。正直、俺もここまで時間がかかるとは思ってませんでした」
本音である。こうも時間がかかると分かっていたら、最初からベッドや布団に横にならせた上で行っていた。
ところが、実際には硬い椅子の上だ。これでは有栖の負担も大きかったことだろう。実際、有栖もまた俺に負けず劣らず汗びっしょりで、その息も荒い。……いやまあ、理事長の使っている物であるからして上等品であることには違いなかろうが、それでも椅子は椅子である。これがソファーだったなら、また話は違ってきたかもしれないが。
理事長の差し出してきたタオルをありがたく受け取り、汗を拭いながらそう答えた。
「……なるほど。では、僕のしたこともあながち余計な気の回し過ぎというわけではなかったようだ」
俺の言葉を受け、理事長がそう答えた。その言い回しに疑問を覚えると同時、気付いた。部屋にもう一人いる。俺が来た時には気配を感じられなかったから、普通に考えれば俺が有栖を診ている間に来たのだろう。
「……星之宮先生?」
気配の方向に視線を向けると、そこにいたのは星之宮先生だった。
「やっほー、北郷くん。……いやまあ、いきなり理事長に呼び出された時は驚いたけどね。娘のことで手伝ってほしいことがあります、なんて言われたら、特に用事が入っているわけでもない以上、流石に断れないし……。
来てみたら来てみたで、北郷くんは石像の如く固まってるのに汗びっしょりだし、有栖さんも有栖さんで、汗をびっしょり流しながら息荒くして、時折甘い声を洩らしつつ全身を跳ね躍らせてるんだもん。流石に驚いちゃったわよ。
何してるのか理事長に訊いてみたら、気功による診察中です、って返事でしょ。まあ、そこで私が呼ばれたことにも納得がいったけどね」
気安い笑顔を浮かべて片手を振りながら、星之宮先生はそう答えた。
「まあ、実の娘とはいえ、年頃の異性でもありますのでね。私が汗を拭うわけにもいかないでしょう? 額程度ならともかく、全身となれば尚更です」
という理事長の言葉は、実に尤もなことであった。……まあ、俺だったら気にしないかもしれないが。
「それで北郷くん。私、気功についてはよく知らないから率直に訊くけど、シャワー浴びせちゃっても問題ない? それとも、タオルで拭う程度にしておいた方がいい?」
「そうですね……。タオルに留めておいた方が無難かと思います。どちらかと言えば、今回ので少しは健常に近付いたと思いますけど、今までの有栖の状態が状態でしたから。健常に近付いた=不具合がない、ってわけでもないですし。その過剰とも言える発汗がいい例です」
「ん~。まあ、言われてみればそりゃそうだね。分かった。あとは有栖さんが起きてから確認するよ。……それで理事長、有栖さんを何処に寝かせれば?」
「……こちらへお願いします」
理事長と、有栖を抱えた星之宮先生が隣室に消えていくのを見送る。
正直、疲れた。ぶっちゃけ俺も寝たい。……が、そういうわけにもいかないだろう。寝るにしても、最低限の説明責任を果たしてからだ。
「北郷くんも大分お疲れのようですし、取り敢えずは寝てください。あちらのソファーベッドをどうぞ。それとも、先にシャワーで汗を流しますか?」
俺が気力を振り絞って起きていると、隣室から戻ってきた理事長がそう言ってきた。
「……いいんですか?」
「はい。一刻も早く状況を確認したい思いがあるのは否定しませんけどね。子供に無理をさせ過ぎるつもりもありませんよ。それに、どうせ確認をするのなら、有栖が起きてから確認した方が効率的でもあります」
果たして、理事長が浮かべるその笑みは微笑か苦笑か。
「じゃあ、お言葉に甘えさせていただきます」
本音を言えば先にシャワーを浴びたいが、まず気力が保ちそうにない。俺は言われたソファーベッドに倒れ込むようにして眠りについた。
♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢
俺が目覚めたのは更に数時間後で、既に夕方近かった。
須藤の勉強の進展具合が気にならないではないが、今日は桔梗と鈴音が俺の代わりに面倒を見てくれることになっている。ここはあの二人を信じよう。
池と山内? 知らん。あの二人は今回の休日も桔梗たちに面倒を見てもらうつもりでいたようだし、実際教室で既定事実かのように――
「櫛田ちゃんに堀北ちゃん、今回もよろしく!」
などと言っていたが――
「うん、ヤダ!」
と、桔梗に笑顔でバッサリと両断されていたからな。
前回の連休中、他人様の部屋のトイレで連日に及んでマス掻いた事例を口にされれば、非はむしろ断った桔梗よりも池と山内の方に向いた。まあ、当然である。
それでも平田は手を差し伸べていたようだし、俺を頼ってくるのなら面倒見るのも吝かではない。実際、エロいことをやってるのは俺も同じだし、むしろやってることのエロさは俺の方が格段に上である筈なので、そういった点で俺はあの二人を否定できないし、するわけにはいかない。……が、それはそれだ。
人間、プライドは必要だが、無駄なプライドはそれこそ無駄なのだ。そしてあの二人のプライドは、俺に言わせれば無駄なそれだ。……が、本人たちにとっては違うというなら、殊更それを否定する気もない。誇りを胸に自死を選ぶというのなら、それも一つの選択だ。無理にそれを止めようとは思わないし、そう思うほどの相手でもない。言ってみればそれだけのこと。
「やあ、起きたかい。気分はどうかな?」
「ええ、バッチリです。……ただ、流石にお腹がすきましたね」
「はは、だろうね。……有栖も先程起きたところなんだが、実は君と同じことを言ってきてね。まあ、お昼を取ってないんだから無理もない」
俺が起きたことに気付いた理事長が声をかけてきたので素直に返すと、軽く笑ってそんなことを言ってきた。
「ああ、有栖も起きたんですか。その割に姿が見えませんが……」
キョロキョロと室内を見渡すが、その姿は見えない。俺の気配探知にも引っ掛からない。……まあ、俺の探知範囲など高が知れてるので、元より然程アテになるものでもないのだが。
「今は星之宮先生の補助を受けつつバスルームに行ってるよ」
「ほう、バスルーム」
俺の脳裏に美女と美少女の裸体が思い描かれる。……が、実に不鮮明な出来栄えだ。何となくのスリーサイズは分かっても、実際の形状は分からないのだから仕方がない。
「やれやれ……。君は正直だね。親としては、不埒な妄想をするな、とでも怒るところなのかもしれないが、男としては理解を示せないわけでもない。……いや、そうさせてしまうことこそが、君の何よりの強みなのだろうね」
そんな俺を見ての、理事長の感想がこれである。果たしてこれは、呆れられているのか、それとも感心されているのか。どちらとも取れるだけに判断に迷う。
「夕飯は外食と出前、北郷くんはどっちがいいかな? おっと、断らないでくれよ。これは今回の詫びであり礼でもあるんだ。もっと言えば、大人の見栄でもある。素直に御馳走になってくれるとありがたいね」
嫌味なく、サラリと言ってのけるんだから大したもんだ。これが本当の『デキる大人』というやつなんだろう。
「そうまで言われては断れませんね。素直に御馳走になります。外食でも出前でもどちらでも構いませんよ。本音を言えば女性の手料理が何よりの希望ですが、有栖に頼むのも、巻き込まれた形に近い星之宮先生に頼むのも、筋が違うでしょうしね」
「ッハハ! 本当に素直だな、君は! 女性の手料理か。確かに、それは僕も望むところだ。仕事が仕事だし、勤め先が勤め先だからね。久しく妻の手料理も食べていないよ。……ま、そんなわけだから、手料理を頼む場合、相手は自然と有栖になるね。これで星之宮先生にでも頼んだ日には、僕は浮気を疑われてしまうよ」
「結婚の美点であり難点ですね。『真実の愛』とやらを謳う上ではもってこいなんでしょうけど、俺には耐えられそうにないです。それよりは、色々な女生と末永く仲良くしていきたいのが本音です。故に、夢はでっかくハーレムライフです。
理事長の前で言うのもなんですが、今日はあくまでプライベート。一己の男同士の語り合いですからね。猥談みたいなバカ話で盛り上がるのが、男同士の華ってやつです」
「確かに確かに。それはそうだ。それにしても、ハーレムライフとは大きく出たね。その道は苦難の連続だよ?」
「言われずとも承知の上です。俺は女性に優劣をつけられない。それだけの価値が『女性』という名の華にはあるし、それだけの価値を俺は華に認めている。だからこそ、どんな苦難も乗り越えよう、ってな気になるってもんです」
「ふぅん? ちなみに訊くけど、僕の娘はその華に含まれているのかな?」
「当然でしょう。とはいえ、無理に手折るのは好きじゃありませんからね。華が明らかに別の方向を向いて咲くのなら、それは素直に受け入れますよ。まあ、どちらともつかないのなら、俺の方にも向いているのなら、積極的に摘みに行きますけどね。チャンスは逃したくありませんし」
「なるほどね。……ま、そういうことなら僕としては許容範囲だ。積極的に応援はできないけど、実際に君が有栖を摘んだ場合は、娘のことをよろしく頼むよ」
ある意味でドライと言えばドライ。だが、娘の自主性に任せていると見ることもできる。
ともあれ言質は取った。先の診察の結果、そこから先の可能性を伝えたとしても、頭から拒否されることはなくなったとみていいだろう。
そんな風に理事長と盛り上がっていると、女性陣がバスルームから出てきた。
俺もまたバスルームへ向かう。なお、替えの下着と服は新品未開封の物を理事長から頂いた。俺が寝ている間にフリーサイズの物を買ってきたそうだ。……まあ、実際に買いに行ったのは星之宮先生らしいが。
話を聞けばそれも納得というもので、下着一つ取っても理事長は目線が違ったらしい。所謂高級志向というもので、そんな物をもらっても逆に気疲れするだけである。星之宮先生には感謝だ。
そしてサラッと汗を流した後、俺たちは四人揃って適当な店へと外食に出かけるのであった。
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