結局、あのまま俺は理事長の部屋に一泊してしまった。
夕食後に診察結果についての事情説明を行い、それに関して何やかんやとあり、おまけに説教まで受けてしまえば、流石に夜も更けようというものだ。
普通に善性を持つ理事長が、そんな時間に未成年の子供である俺たちを帰そうとする筈もない。俺たちとしても、無理にその時間に帰る必要もない。世間一般的には今日も休日であるので尚更だ。
そして今、理事長宅で朝食と朝シャンを済ませ、これまた用意されていた下着と衣服に着替えた俺は、有栖と一緒に学生寮への帰路についていた。……なお、昨日の分と合わせ、下着と衣服はプレゼントとのことだ。礼を言ってそう厚意をありがたく受け取った。
「まさか、この齢でお父様と一緒に寝ることになるとは思いもしませんでしたよ。……まあ、嬉しかったですけど」
俺に抱きかかえられた有栖は、恥ずかしさと嬉しさの入り混じった表情でそう語る。
有栖を抱えているのは、まあ個人的な欲望がないではないが、普通に効率を考えた上でのことでもある。有栖に合わせると移動ペースがとんでもなく遅れるし、かといって杖無しには歩行もままならない有栖が俺の移動スピードについてこられる筈もないのは明白だからだ。
有栖としても、外泊は想定外のことであったし、俺に抱きかかえられるのは拒否するほどのことでもないとのことなので、素直にそれを受け入れた。
「そりゃあまあ、理事長ともなれば多忙だろうからな。理事長になる前も、下積みやら何やらとあるだろうし。……昨日、ちょっと話をした時には、長らく奥さんの手料理を食べていないことを嘆いていたよ」
「あら、そんな話をお父様とされたのですか?」
「診察後、寝て起きたあとにね。外食と出前、どっちがいいか訊ねられたから、可能なら女性の手料理がいいです、って答えたら、気付いたときにはそうなってた」
「あらあら、まあまあ……」
有栖はクスクスと品よく笑った。
さて、学生寮と教員寮は隣接しているようでそうではない。ロの字型の一角にそれぞれの寮が配置されているのだが、景観を考えて配置されている植林によって、一度大通りに出てグルリと回らないことにはそれぞれの寮に辿り着けないのである。
ちなみに、現在の一年生寮と教員寮、二年生寮と三年生寮が対角線上に位置している。
「……ん?」
だからこそ、道を外れた先。そんな、本来なら人がいないであろう場所から感じられる人の気配に、俺は首を傾げざるを得なかった。自然、そちらへと視線を向ける。視線の先にあるのは、林立する木々の群れだ。
清掃員や剪定員という可能性もないではないが、範囲内に感じられる気配が一つだけというのが気にかかる。いやまあ、俺の探知範囲外にいる可能性も否めないのだが、それを踏まえてもおかしいだろう。
この範囲を一人で担当する? どう考えたって、非効率に過ぎる。それを踏まえると、快い結論は浮かばないな。
「どうかしましたか?」
俺の様子に気付いたのだろう、有栖が困惑げに問いかけてきた。
「いや、ちょっとね。気のせい――で済ませられたら良いんだろうけど……。念のため、もっときつく握ってもらっていいかい」
心持ち歩く速度を抑えながら、それでいて顔を近付けて答える。……遠目から見たらキスをしているように映るかもしれないが、それが狙いでもある。
「ッ……!? 分かりました」
俺が見ていた方向と合わせ、何が言いたいのか、何を危惧しているのかを察したのだろう。その顔を僅かに恐怖で歪めながら、それでも毅然として答え、即座に実行してみせた。
相手にこちらが気付いていることを悟られぬように注意しながら、一歩一歩、慎重に歩道を歩く。
そして、その距離が一定に近付いた途端――
「あああああぁぁぁぁぁっ!」
「おっと」
潜んでいた相手が敢然と突っ込んできた。すかさずにバックステップで距離を取る。
それは男だった。見覚えは特にない。もしかしたら見たことはあるかもしれないが、印象に残っていないだけ、という可能性もあり得るだろう。その首にはカメラを吊り下げている。
その眼は明らかに常軌を逸している。とてもじゃないが、理性の欠片も窺えない。
その手にはナイフ。ガクガクと身体を震わせながら、それでも鈍く光る刃を俺たちへと向けている。
その体つきは至って普通。何かしらのスポーツや武道に力を入れているようには見えない。
今現在の奇襲もそう。真に奇襲を成功させるつもりなら、声を上げるなど愚の骨頂だ。慣れぬことをするため、自分に気合を入れるため、声を出さざるを得なかった、というのが本当のところだろう。
それらの情報から結論付けると、禁断症状に苦しむ薬中のオッサン、と形容するのが妥当だった。
「おい、何のつもりだオッサン!?」
「五月蝿い! 真面目に職務に励んでいる僕は生の雫に会うことだって叶わずにいるっていうのに! 何でお前みたいなチャラ男が次から次へといろんな女の子を侍らすことができているんだ!? 不公平だろう!」
俺の言葉にオッサンが答えた。要約すると『モテない男の僻み』である。必ずしも相手が俺である必要はなく、たまたま最初に遭った『条件に合致する相手』が俺だった。言ってみればそういうことだ。
同時に、その言葉から、このオッサンが愛里のストーカーである可能性が高まった。現状、愛里と雫を結び付けている人物は少ない。クラスメイトと教師陣は知っているが、それを除けばよっぽどの雫ファンくらいなもんだろう。
である以上、そのナイフも、元々は愛里=雫の交際相手――と思われている――清隆に向けるべく用意した物か。或いは、自分の純情を裏切った――と、このオッサンが一方的に思っている――愛里に向けるためだろう。
愛里と清隆が白昼堂々とキスをした事実は、学生間を中心にして広く出回ったからな。望んでのことか、そうでないかまでは分からないが、このオッサンがその情報を得るのも、そう難しくはなかった筈だ。
そして、そんな人物がここにいる理由は、どうにかして愛里の姿を見れないかと四苦八苦した結果だろう。基本、こんなところに誰かが潜んでいるだなんて考えない人間の方が多い。つまりは、それだけ油断を生み、無防備な姿を晒しかねないということだ。盗撮疑惑も急浮上である。
「言われてますよ、チャラ男さん」
それらの事実を知って、有栖が俺を茶化してきた。
人が恐怖を覚えるのは、相手が未知であるか、自分では対処手段がない場合が大半だ。
その点、相手の未知は既に剥がれた。未だ分からない部分もあるが、そこまで深く知ろうとも思わない。
有栖だけならば対処手段など無いに等しいが、この場には俺もいる。たとえ両手が塞がっていようと、相手がナイフを持っていようと、この程度の輩に負ける道理はない。……有栖が俺の戦闘能力を深く知っているとも思えないが、まあ、それだけ俺を信じてくれている証左だろう。
「ちょっと有栖さん、茶化さないでくれます? 緊迫感が台無しだから。……まあ、元からそこまであったわけじゃないのも事実だけどさ」
オッサンに言葉を向ける前に、一言有栖に注意しておく。
「仕方ありませんねぇ」
などと言う返事を寄越すのだから、見かけと違って度胸がある。
「要するにモテない男の僻みだろ? それでこれからの人生を棒に振る気か?
幸か不幸か、この道は教員寮へと続いている。休日の今日は必然的に使用者は少なく、人も少ない。今ならまだ未遂で済ませることもできるぞ?」
一応、ダメ元で説得。まあ、こうもイッちまった人物に通用するとも思えないが。
「そう言って逃げようとしても無駄だ! 人がいないからこそ、人誅を与えるには都合が良い!」
やはり駄目だった。聞く耳を持たず、返事がこれである。
それにしても『人誅』とは。このオッサンも『るろ剣』読んでたのか……。俺は妙なところでオッサンに親近感を覚えざるを得なかった。
「はぁ……。だとしても、それに女の子まで巻き込む気かよ?」
「ハッ! お前みたいなチャラ男に抱かれて喜んでいるような女だ! どれだけ可愛かろうと、所詮はビッチじゃないか! そんな女がどうなろうと、僕の心は微塵も痛まないね!」
だが、それはそれ。
有栖を引き合いに出しての説得に対しても応じず、むしろその内容を耳にした瞬間、俺のオッサンに対する親近感は塵と化した。
「はぁ……。忠告はしたぞ?」
「ッ……! 余裕ぶってんじゃねえ!」
溜め息混じりの俺の態度が気に障ったのか、オッサンがナイフを腰だめに近付いてくる。
そして――
「フッ!」
「おらよ!」
「ぐぎゃ!?」
俺と龍園、二人の蹴りに挟まれたオッサンは、妙な声を上げて気絶した。
「よお、お二人さん。妙なところで遭うもんじゃねえか。いやはや、中々に面白い場面だったぜ。これだから、偶には勘を信じて行動するのも悪かねえ」
片足をナイフに乗せ、もう片足をオッサンに乗せた龍園は、髪をかき上げながらそんなことを宣う。その仕草がこれ以上ないほどに様になっているのだから、中々に龍園は侮れない。ワイルド系イケメンってやつだ。俺たちのグループでは持ち得ない要素である。
「やあ。おはよう、龍園。……にしても、勘だって?」
「おはようございます、龍園くん。……にしても、勘ですか?」
意図したことではないが、俺と有栖の言葉が同時に発せられた。
「ハッ! 仲が良くて何よりだな。……おう、勘だ。俺が自論する、王にとっての重要な要素が三つある。恐怖と、勇気と、勘だ」
指を一本ずつ立てながら、龍園は俺たちの問いに答えた。……これでCクラスの暴君と恐れられているのだから、世の中は分からない。
「まあ、まずはこのオッサンの対処が先だろうな」
言って、龍園は胸ポケットから己の携帯端末を取り出し、操作。
「ああ、坂上か? 今、教員寮に続く道にいるんだがな。そこで件のストーカー犯と思しき相手と遭遇したもんだからぶちのめした。
おいおい、実際にAクラスの坂柳とDクラスの北郷が襲われてたんだぜ? 北郷の説得にも耳を貸さねえし、ナイフのオマケ付きだ。これでも見て見ぬ振りをしとけっつうのか? ああ、言ってなかったか? そうだ。この場には坂柳と北郷もいる。証拠映像も撮ってるぜ。
分かったら、早く人手を連れてきな。いつまでも抑えてんのは面倒なんだよ」
そして、ガチャリ。
「さぁて、ああ言っちまった以上は、ちゃんと撮れてるか確認しとかねえとな。……お前らも見るか?」
などと言いながら、龍園はイキイキとした表情を浮かべて己が端末を操作。少しして、龍園が取ったと思しき映像が画面に映し出される。
それは、確かに先の一幕だった。龍園が端末のボリュームを上げると、俺たちのやり取りもキチンと聞こえてくる。最後の方は龍園自身が動いていたためだろう。ブレブレではあったが、何とか見れなくはないといった感じで、それでもダブルキックの瞬間まで保存されていた。
「おうおう、我ながらいいデキだ。掲示板の見出しは決まったな。『1ーDのハーレムキングが1ーAのお姫様を護ってストーカー犯を撃退!』なんてのはどうだ? どいつもこいつも外出制限にはウンザリしていたからな。諸手を挙げて喜ぶと思うぜ?」
「……で、うちのクラスの一部男子の俺に対する反感を上げ、更に勉強に向かう気概を無くそうって腹か? そのついでに、退学のペナルティを測ろうと?」
「ハッハア! よく分かってんじゃねえか! これだからお前は良い! 実に潰し甲斐があるってもんだ!
先の自論だがな。詳しく説明しといてやる。
恐怖がなきゃあ、人は頭を回して考えねえ。考えねえ奴に先はねえ。
そして、考えても実行に移せなければ意味がねえ。手段の是非がどうあれ、実行に移すためには勇気が必要だ。それを維持するのにもな。
この二つは密接に絡み合っててな? 相手に感じる恐怖がデカければデカいほど、そいつを上回った瞬間のエクスタシーは計り知れねえってもんだ。んなもんだから、俺は有象無象に興味はねえ。俺が興味を持つのは、それが如何なるものであれ、俺に恐怖を齎す存在だけだ。
んで、最後に勘。考えた末の理屈じゃねえ。理屈じゃなしに日常の微細な変化を掴み取る能力。それが齎す警鐘。或いは、超自然的に幸運を掴み取る能力。俺はそれを勘と呼んでいる。
ここに来たのは、それに従ったが故のことだ。おかげでいい場面に出くわせた。……が、勘に従うのも良いことばっかじゃねえからな。今回はプラスに転がったが、そこら辺が参ったもんだ」
龍園は上機嫌に語る。……が、特段おかしなことは言っていない。ゲームで例えると分かりやすいだろう。
恐怖に関しては『難易度』や『歯応え』と言い換えることが可能だ。
そりゃあ、中にはサクサクプレイを楽しむ奴だっているが、中には手応えを求める者だっている。龍園はやり応えのないゲームは楽しめないと言っているだけだ。
勘については隠し要素とかのフラグ条件か。昨今のゲームでは特段珍しいものじゃない。……が、中には『あちらを立てればこちらが立たず』なものもある。昨今は大分薄れがちだが、一昔前のスパロボなんて大概そんなもんだ。ルート選択次第で仲間にならないのなんてザラだった。
早い話、龍園は人生エンジョイ派で、イージーモードやノーマルモードには興味がなく、常にハードモード以上を求めており、そのためには思いっ切り動くことも辞さないというだけである。
こう言うと『暴君』のイメージなんて更々ないが、世の中はそんなもんだ。結局は解釈次第で何とでも見方が変わるのである。
「はぁ……。龍園、動画を掲示板に挙げるのを止めるつもりはないが、今すぐは止めろ。少なくとも、中間テストが終わるまでは待て」
「おいおい、それを俺が聞く理由があんのかよ?」
「何もタタでとは言わない。代価はキチンとやるさ」
「そいつが何かは?」
「言うわけがないだろ? だが、代価としては十分な価値を有すると俺は思っている。――あとは、お前がどう受け止めるかだけだ」
互いに心理戦を仕掛け合う。俺と龍園の視線が真っ向からぶつかり合う。
互いが互いを評価していることは間違いない。ならば、後はその度合いのみ。高く見積もっているのか、低く見積もっているのか、高く見積もられているのか、低く見積もられているのか。視線を介し、互いにそれを探り合う。
「これはカケ×カズなのか、それともカズ×カケなのか、非常に興味深いですね」
その最中、俺の胸元からそんな声が聞こえてきたことで、途端に雰囲気は霧散する。
「坂柳……てめえ、実は腐海の住人だったのかよ。その趣味を否定する気はねえが、俺をそれに巻き込むな」
「有栖、それに関しては俺も龍園と同意見だ。俺のジュニアは、あくまでも女性を相手にするためにある。男を相手にするなんぞ御免だ」
いやまあ、『男の娘』が相手なら、もしかしたら、万が一にでもありかもしれないし、俺自身、それを否定はできないけど、それは口にしなくてもいい事実だ。
「いえいえそんな。私は別に腐海の住人ではありませんよ。ただ、お二人して私を無視するものですから、ちょっと弄ってみようかと思っただけです」
「そこで腐海ネタを持ってくる辺り、住人説を否定はできねえんだよ。
まあ、それは置いといてだ。北郷、さっきの案に乗ってやる。動画を掲示板に挙げんのは中間テストが終わるまで待ってやるから代価を寄越せ」
「契約書は?」
「結ぶ気はねえ。この場にいる、俺たち三人が証人だ。それで嫌なら諦めな」
まあ、妥当なところだろう。
赤点退学の事実を伝えられたところで、その場面を実際に確認していないから危機感が欠如しているのが現状だ。実際にその場面を目撃すれば危機感は否応なく高まり、そうなってからでは、俺への反感が増そうと、それが勉強に向かわない理由にはならなくなる。
つまり、この動画が『Dクラスへの攻撃』として確たる効果を持つのは今だけなのだ。
それを基に考えれば、俺の代価もまた期間限定だと察することは不可能ではない。
軸となるのは中間テスト。それを過ぎれば、互いの手札は効力を失う。
「オーケー。交渉成立だ」
俺は鈴音を通して受け取った、『現三年生が実際に受けた過去問シリーズ』を龍園に送る。
「ほう? こいつは……。なるほどなるほど」
などと言いながら、龍園はそれを吟味する。
「いやいや、やっぱ持つべきものは宿敵と書いて友と呼びあう存在だ。今後とも期待させてもらうぜ?」
「はいよ。偶にでいいから、お前もこっちに対して塩を送ってくれると嬉しいね。学校からの最低評価は伊達じゃあないんだ」
まるで誇れない事実を強調する。これで少しでも油断してくれるなら御の字だ。
真っ向からのぶつかり合いも乙なものではあるのだが、それをするには地盤が弱い。今の状況でそんなことをしてしまえば、まず間違いなく崩れるだろう。そうと分かっていて、真っ向勝負など仕掛ける筈も受ける筈もないのである。
「ハッハッハッ……」
「クックックッ……」
「フッフッフッ……」
三者三様の笑い声が静かに響く。
一見、得るものの無いように見える有栖だが、ちゃっかりと俺の端末画面は確認している。俺が龍園に何のデータを送ったのかは把握できただろう。……まあ、姿勢が姿勢だから仕方がない。姫抱きしたまま端末を操作しようとすれば、隠しきるのは不可能に近い。
そうこうしているうちに、教員寮にいたと思しき何人かの教職員がやってきた。その中には理事長の姿もある。
その後は事情聴取やら何やらで、俺たちが寮に帰るのはグンと遅くなるのであった。
そんなわけで、ストーカー撃退&龍園登場回でした。
まあ、原作と状況が変わってるんだから、ストーカーがこんな行動を起こしたっておかしくはないと思います。本作の愛里はブログに写真も投稿してませんし。
なお、本作の龍園は過去にとある恋姫と出逢っており、その影響を強く受けております。
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