七月を翌日に控えたその日、有栖が退院を迎えるということで、俺と清隆は荷物持ちとして駆り出されていた。
「すみませんね、お二人とも。入院自体は手慣れたものですが、ついつい家にいたときの感覚で物を増やしてしまい……」
そう語る有栖は、若干恥ずかしそうであった。
俺自身、入院時には勉強道具やら本やらと増えていったのだ。だが、それもこれも、帰りには車での送迎があると分かっていればこそ。つまりは、持ち帰れる前提だったからこそ、増やしていった面があるのは否めない。
有栖の場合、入院に慣れていたからこそ、逆に判断を誤ってしまったのだろう。人間である以上、絶対にないとは言い切れないミスだ。とはいえ、それをしたのが有栖であるからこそホッコリとしてしまう。
「気にするな。お前の中では、オレたちに頼ることになったのはミスなのかもしれないが、友人であればこの程度はどうということもないだろう。むしろ、普通と言える」
「そうそう。頼る相手が代わっただけで、持ち帰れることに違いはないんだから、結果的には正しいんだよ」
チェス道具一式やら積み重なった本やら、それ以外にもゴミ箱に着替え、タオルケット類など、確かに有栖一人だと一度に持ち帰るのは不可能だろう。根本的なミスと言ってしまえばそれまでだし、有栖が恥ずかしがる理由も分かる。
だが、原則、病院内だと携帯端末の使用可能エリアは限られる。である以上、およそ一ヶ月も入院していたのだから、暇潰しの道具が増えるのは当然であった。もちろん、生活必需品の類も。
基本が学生寮での一人暮らしで家族の助けを得られないということもあってか、病院の売店にしてはエリアが広く、扱っている商品も豊富なのだ。
そして、有栖は賭けでポイントを稼いでいたこともあり、そこらの一年生に比べれば余程資金は潤沢にある。
検査やら何やらで時間を消費されるとはいえ、それも学校の拘束時間ほどではない。
そう言った諸々が重なった結果、暇を持て余した有栖が、その解消に本やら何やらを求めるのは至極当然のことと言える。
「とはいえ、俺たちと違って有栖は最初の個室をそのまま使ってるんだろ? チェス道具はともかく、この本は置ききれるのか?」
積もり積もった本は、その数もあって今は段ボール箱に収められている。媒体もコミックに文庫、新書と節操がない。中には、こんなのを有栖が読むのか? といったような物もある。
まあ、豊富に扱っているとはいえ、結局は病院の売店ということを鑑みれば無理はないのかもしれないが……。少なくとも、一般的な書店レベルの品揃えを求めるのは酷だろう。
段ボールに入っているから持てるは持てるが、ズシリと重いのは事実。一冊一冊ならともかく、これを持つのは間違いなく有栖には不可能だろう。
そして、本という物は読まれてこそ価値がある。段ボールにしまったままなら元の個室にも置くことは可能だろうが、取り出すとなったら置き場に首を傾げざるを得ない。文字通りに積み本をすれば可能だろうが、失礼ながら有栖にそういうイメージは持てないのだ。
「ええ。ですので、本に関してはそちらの部屋に寄贈しますよ」
「寄贈って……いいのか?」
「構いませんよ。結局、私が読むことには変わりありませんし。ただ、私の他にも読む人物が増えるだけです」
「まあ、そういうことなら、ありがたく貰っておくけど……」
若干、有栖の言い回しには気になる部分があったが、敢えて深くはツッコまなかった。
重い物、嵩張る物を俺と清隆で持ち、軽い物を有栖が持つ。そうして寮への帰路についたのだが、有栖が杖を突いていないというだけで、その感動は一入だ。未だ杖無しで歩く正式な許可が出ただけで、運動能力とかは最底辺らしいが、そんなのは些細な問題である。
とはいえ、七月目前とあって日差しは熱く、荷物の重さもあって汗が流れるのを防ぐことはできない。心頭滅却しても耐えるには限度があるのだ。
「はい、どうぞ」
「ああ、ありがとう」
「感謝する」
しかし、両手が塞がっている俺たちのために、有栖がいそいそとストロー付きのドリンクボトルを口元に運んでくれるのだから、ご褒美と言えばご褒美である。
「じゃあ、また明日学校で」
「また明日」
「ええ、また明日学校で。……フフ、明日が楽しみですね」
そうこうしているうちに寮へと着いたので、荷物を置き、互いに挨拶を交わして有栖と別れた。
♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢
明けて翌日。
山内の退学により、俺たちのクラスは-300CPのダメージを食らった。逆に言うと、今月はポイント支給がないことは予め分かっていたことになる。そのため、特段ポイントの増減を気にすることはなかったのだが……。
「何か、様子がおかしいね?」
「……だな」
それが覆されたのは、学生寮にいる段階だった。大半の生徒――率直に言ってDクラス以外の生徒が、揃いも揃って端末を確認しては何事かを相談していたのだ。
状況にとんと心当たりがない俺たちは、自然と首を傾げることになった。
「どのクラスもポイントの変動がなかったのよ。だから、皆して大慌てで確認しているってわけ」
「うおっ!?」
「きゃっ!?」
その答えは、背後から齎された。
「おはよう。……って、そんなに驚かなくてもいいんじゃない?」
「ああ、悪い桂花」
「ゴメンね、桂花ちゃん」
声をかけてきたのは桂花だった。お決まりの如く、風と稟の姿もある。
「桔梗が知らなかったのは意外と言えば意外だけど、無理もないかもね。山内の一件は一学年全クラスに知れ渡っているもの。元よりCPがゼロのDクラスには、訊いても無駄だと判断した可能性は否めないわ」
「う~ん、確かにそう言われると否定はできないかな」
そう言われれば納得だ。CPがゼロのクラスの生徒に、ポイント振り込まれてた? と訊くことほど、無駄で嫌味で滑稽なことはない。如何に桔梗がコミュ強とて、或いは逆にコミュ強だからこそ、覆せないこともあるだろう。
「この状況の心当たりはあるけどね。ってか、推測が正しければ、私と、龍園と、そこの種馬が当事者だし。まあ、こうなるように運んだ面があるのは事実だけど……」
「ああ、あの時のか……。何だよ、進展があったなら教えてくれれば良かったのに……」
そのセリフで、俺は先日の一件を思い出した。俺には何のアプローチもなかったし、情報の進展も齎されなかったので、優先順位が下がっていたのは否めない。そのためだろうか。思わず、不満が口から洩れ出てしまった。
「そう言われてもね。結局のところ、タイミングを決めるのは向こうなのよ。それとなく促すことはできても、それが限度。そんな段階でアンタに話を持ってってもね。逆に悶々とする可能性だってあったのよ?」
まあ、それはその通りであるのだろう。池と時任とやらが学校側に話を持ち込むように促すことができたとしても、実際に持ち込むタイミングは向こう次第だ。また、協力の要請――別名『脅迫』――が失敗した段階で諦める可能性だってゼロではなかった。学校に話を持ち込んで、それを受けた学校側が何かしらのアクションを起こして、そこで初めて成功と認識できるのだ。
そして、Dクラス以外にもポイントが振り込まれなかったことで、桂花は漸く確信を持ったのだろう。だから、こうして俺に話しにきた。そう考えれば筋は通る。……複数のクラスにCPの変動を齎すようなイレギュラーが、早々起こるというのも考え難いしな。
「どういうこと?」
「そのうち分かるわよ。必要とあれば、学校側から説明が入るでしょうしね。まあ少なくとも、一方だけの意見を聞いて判断を下されなかったことにはホッとしたわ」
それも分かる。
そして、桂花はそこで話を切り上げた。……ぶっちゃけ、話す分には構わないが、簡単に説明が終わることでもないからな。登校時間を用いて語ったところで、結局は中途半端になるだろう。三行報告の類ならば可能だろうが、それが通用する状況は限られる。
多少人当たりが柔らかくなったところで、桂花であることに違いはないのだ。である以上、無駄を嫌う性質も基本的にはそのままだ。
一度切り捨てた話題を、状況の変わらぬ内から桂花が再び口にする道理もなく、俺たちはそのまま適当に雑談をしながら学校へと向かった。
もはやケモミミ集団の存在には周囲も慣れたようで、初期ほど注目を集めることもない。かといって注目が消え去ったわけでもなく、今では簡単な賭けを行っている生徒もいるようだ。主に、どの女子がどのケモミミを着けてくるかで。
このような些細なことでも、そこから楽しみを見出して盛り上がれるのだから、人間のポテンシャルというものは侮れない。
教室に着いたので桂花たちと別れる。
Dクラスは相も変わらず騒がしい。ポイントが入らないのは分かり切っていたので、一喜一憂する必要がないのも大きいだろう。諦観からの開き直りという見方もできるが、それが悪いわけではない。時にはポジティブシンキングも必要だ。
しかし妙だ。どういうわけか、消えていた筈の山内の席が戻っている。
「どういうことだろうな?」
「さあ? 分かんないよ」
そのことに疑問を抱いている生徒は俺以外にもいる。だが、残念ながら情報不足だった。
「ま、ホームルーム辺りで説明があるだろうさ」
「それもそうだね」
とはいえ、必要以上に気を掛ける必要はない。俺たちは軽く流して雑談に華を咲かせるのであった。
♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢
朝のホームルームが始まり、いつもと同じように茶柱先生が姿を現した。――のだが、今日はいつもと違うところがあった。
CP発表のポスターを持ってるとかそういうことではなく、単純に人が多かったのだ。何故か、別のクラスの生徒――端的に言えば、Aクラスである筈の有栖が同伴していた。
「さて。七月一日ということもあり、今日はCP変動の結果発表だ。……が、それと同時、他にもいくつかの報告がある。
分かりやすいところで、隣の坂柳についてだな。坂柳が私と一緒に現れたことで、お前たちは少なからず疑問に思った筈だ。『何故、Aクラスの坂柳がここに?』……と。その疑問は当然のことだ。結論から言うと、坂柳は今日から我がクラスの一員となる」
『えええええええええ!?』
茶柱先生の言葉に、クラスから驚愕の声が上がる。正直、叫びこそしなかったが俺も驚いている。
「とはいえ、これは坂柳が二千万ポイントを貯めてクラス移動の権利を買ったとか、そういうわけではない。純然たる、学校側の判断としてそうなった。
簡単に説明すると、坂柳は先天性の心疾患を患っており、治療を求めてかかった医者の誰もが匙を投げた。『杖無しでの歩行は認められない』、それが医者側の結論だったわけだな。
病院から正規の診断書が用意されれば、学校側もそれを考慮しなくてはならない。だから、坂柳には杖を所持しての登校が認められていたわけだ。……有体に言えば、視力の悪い生徒を前方の席に置くことや、メガネやコンタクトの着用を認めるのと同じだ。
その一方で、坂柳には他にも補正が掛かっていた。簡単に言えば体育の成績だな。病院側の指示で体育を受けられない以上、授業を受けていないからといって体育の成績をゼロにするわけにもいかない。かといって、高成績を与えるのも論外だ。結論としては、平均評価が坂柳の体育における成績として与えられることとなった。まあ、妥当なところだな。
ところが、だ。この状況に変化が起こった。多くの医者が匙を投げた坂柳の心疾患が、ここにきて治ったんだよ。理由としては『オカルト』と言うより他にないのが難点ではあるが、病状が回復し、安定したのは事実だ。未だ経過観察中ではあるが、それでも、杖無しでの歩行が認められるようにはなった。
そうなると、学校側としても坂柳に対してかけていた考慮や配慮というものを見直さざるを得ん。……お前たちでもそれは分かるだろう?
結果、坂柳に対する運動面での補正と、杖の日常的所持が撤廃されることとなった。
如何に学力が高かろうと運動能力が最底辺ではな、Aクラスに置き続けることなどできん。それが学校側の判断であり、坂柳はめでたく不良品――Dクラスの仲間入りを果たしたわけだ。
ああ、坂柳の席は山内が使っていた場所となる」
茶柱先生の説明は、道理と言えば道理であった。むしろ、杖が無ければ歩けないような有栖がAクラスに配属されていることに、疑問を抱いていた生徒は多い。頭が良い、の一言では説明がつかない部分があるのは事実だ。……その疑問が、ここにきて解消されたことになる。
有栖の場合、『杖を使っているのにAクラス』ではなく、『杖を使わなければならないからAクラス』というのが、正しい評価だったわけだ。
メガネやコンタクトの着用を例に出されたことで、周囲は『学校側の配慮』という事情をすんなりと受け入れたようだった。
「そういうわけですので、本日からこのクラスの一員となりました坂柳有栖です。運動面では足を引っ張ってしまいますが、頭の良さは自負しておりますので、暫くはそちらで貢献していくつもりです。今月は期末テストもありますし、絶好の機会というものでしょう。
皆さん、どうかよろしくお願いしますね?」
微笑を浮かべて有栖が言った。
それを受け、主に男子連中が雄叫びを上げた。まあ、有栖は紛うことなき美少女だからな。単純明快な男連中にとっては、以前はAクラスだった、などと言う事実はどうでもいいのだろう。
女子の中にも喜んでいる者たちはいる。タイミング的に、見方を変えれば
元より、ホラ吹き以外は特に秀でたところのない山内だ。それと引き換えにして有栖を手に入れられたと考えれば、十分にお釣りがくる。運動面でややマイナスになっても、学力ではグンとプラスになっているのだから、女子が有栖の合流を喜ぶ理由は確かに存在するのだ。
おまけに有栖は美少女だ。それだけで山内以上の価値はある。
「ほら、落ち着けお前ら。まだこちらの話は終わっていないぞ」
手を打ち鳴らした茶柱先生が、例のポスターを黒板に張り出していく。それによると、Dクラスは95CPとなっていた。
「山内の退学でうちのクラスは-300CPを食らったが、目に見えぬ負債は残さないのが当校のルールだからな。
また、初の中間試験を乗り越えたお前たちへ、最低100CPが支給されるのは最初から決まっていたことでもある。
結果、CPがゼロになったお前たちは、またもや不死鳥の如く復活を遂げたわけだ」
揶揄するかのように茶柱先生は語る。……まあ、それも無理はないだろう。五月もCPをゼロにしておきながら小テストで持ち直し、今またこれだ。自分たちで勝ち取ったものか、元々用意されていたものか、という違いはあるにせよ、一旦はCPゼロにまで落ち込んでいるのだから、意地汚いというより他にない。
「だが、今回は少しトラブルがあってな。一年生全体に対するポイント支給が遅れている。巻き込まれた者たちには悪いが、もう少し待ってもらうことになる。
まあ端的に言うと、昨日、とある生徒からとある生徒への訴えが学校側に齎された。学校側としては、それの審議を執り行う必要がある。そして、その結果次第ではCPに変動が起こるかもしれん。それ故の支給遅延だ。
そういうわけだから北郷。放課後、職員室に来い。こちらとしては、訴えられたお前に対し話を訊かざるを得んわけだ」
「了解です。……いやはや、実力者というのも辛いですね。常に不平や不満の的になる」
「たわけ。……では、これにて朝のホームルームを終了する」
言い捨て、茶柱先生は教室を出ていった。
一方、俺に対しては、またアイツか、的な視線が寄越されることになるのであった。
そんなわけで、学校側の判断によりDクラスに有栖が移籍となりました。
普通に考えれば、杖を使わないと歩行もままならない有栖がAクラスというのもおかしな話ですしね。
その疑問を解決するに当たって、本作では『杖を使わないと歩行もままならないから』とさせて頂きました。病院側から正式な診断結果と協力要請が出ていることもあり、運動面の成績が補填されていた形になります。
だからこそ、診断結果が更新され、協力要請が無くなってしまえば、必然として補填も無くなり、Dクラス行きも已むなしというわけです。
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