「やめて!」
一之瀬さんが上げたその叫び声は、思いの外クラス内に響き渡った。当然、周囲の視線が一斉に俺たちの方へと寄せられる。
「一之瀬、いきなり叫び出してどうしたんだ? 特段、北郷が何かおかしなことを言ったようには俺には思えなかったが……」
渦中にいた神崎が、困惑げに一之瀬さんへと問いかける。
それは何もおかしくない。一之瀬さんの過去、彼女の犯したであろう罪。そこら辺の事情を知らず、故に見当が付かない神崎にとっては、一之瀬さんが突然耳を塞いで叫んだようにしか見えないのが道理だ。
もちろん、俺とて確証はなかった。今ですら、具体的な確証は持っていない。ただ、麻波ちゃんへの誕生日プレゼントを手に入れるに当たり、一之瀬さんは後ろめたい行為を行い、高確率で今もそれに自責の念を持っているだろう、と踏んだだけだ。
「やめて? やめるわけがない。もしかしてとは思っていたが、まさか真実そうだったとはね。一之瀬さん、君は麻波ちゃんの誕生日プレゼントを手に入れるために、何か後ろめたいことに手を染めたね?」
追い詰めるかの如き俺の言葉に、一之瀬さんは耳を塞いだままイヤイヤと首を横に振る。
「まあ、その事実自体はどうでもいいんだ」
「……え?」
だが、続く俺の言葉で、一之瀬さんは呆けたような声を出して俺を見つめた。
「俺が問題にしてるのはね、一之瀬さん。問題として取り沙汰されていない以上、問題にはなっていないにも拘らず、君が未だにそれに負い目を持っていることだ。決着を付けられずにいることだ。向き直り、立ち直ったつもりでいて、全然それができていないことだ。
君は今度から俺のクラスに入る。だからこそ、そんなある意味でぬるま湯に浸かったままの状態じゃあ困るんだよ。君がいくら優秀でも、それじゃあ実力を発揮できる筈がない。普段は良くても、肝心要の部分で足を掬われかねないんだ。
君が善人であることは疑いようがない。しかしその一方で、その人の好さは些か異常だ。有体に言えば人が好すぎる。少なくとも、俺にはそう見えるし、俺以外にも、何か裏があるんじゃないか? と勘繰る奴は出てくるだろう。人が好いからこそ、君はその疑いと無縁ではいられない。
そして、この学校生活においてはクラス闘争がシステムに組み込まれている以上、龍園辺りなら嬉々として仕掛けてくるだろう。実際に弱点であるかどうかは関係がない。こういうのは疑念の種を蒔くだけでも効果はある。
俺はこのクラスのリーダーとして、その危惧を抱きながら手を拱いているつもりはない。周りに俺がどう思われようと、どんな手段を使おうと、是が非でも早急に君を立ち直らせる。言い方を変えれば吹っ切らせる。その覚悟があるから、俺は君をハーレムに加えると言った。
ハーレムの主として、俺はハーレムのメンバーを見捨てない。だからこそ、君は俺のハーレムに加われ。
一之瀬さん――いや、帆波。言えよ。君を苦しめている最大の要因は何だ? 君は何に対して罪の意識を抱えている? 俺が憶測を語るのは簡単だが、それじゃあ意味がない。現状、君の罪を『罪』として認定できるのは君しかいないんだからね。
だからこそ、君がその罪を吐き出したなら、ハーレムの主として、他ならぬこの俺がその罪を認定し、改めて裁きを与えよう」
俺の言葉に、一之瀬さんはパクパクと口を動かしている。……葛藤しているのだろう。救われたいという思いを持つ一方で、自責の念が強過ぎるあまりに、救われることに疑念を抱いているのだ。言わば、自発的に無間地獄に陥っている状態だ。
ならば、向こうに手を掴ませるのではなく、こちらが手を掴んで引っ張り上げてやらねばならないだろう。
俺は帆波の身体を抱きしめ、その唇を奪った。舌を絡め、唾液を送り、否応なく俺を意識させる。見捨てないと言った事実を、強制的に身体に叩き込む。
「帆波は確かに母子家庭の育ちで『お姉ちゃん』なのかもしれないが、この瞬間からは俺の女でもあるんだ。
だから、弱音ぐらい吐けよ。助けを求めろよ。その華奢な身体に似つかわしくない重荷を、俺にも一緒に背負わせろよ」
「……弱音、吐いてもいいのかな? ……助けを求めてもいいのかな?」
「ああ、弱音ぐらいいくらでも吐け。むしろ、助けを求めてもらわないと困る。帆波が抱え込み過ぎる女だってのは、ハッキリとしたからな。追い詰めた俺が言うのもなんだが、潰れそうで見てられない。だから、帆波のことは俺が支配してやるよ。次からは、安心して俺に荷物を分け与えろ」
俺の言葉に、帆波は表情を緩ませた。
「ふふ、ひどいマッチポンプだ。……でも、ダメだな。そうだと分かってるのに、ホッとしちゃった。キュンときちゃったんだよ」
「当然だ。俺の『女好き』を甘く見るなよ。俺に手を掴まれた時点で、帆波はもう俺のハーレムの一員になって逃げられなくなったんだ。諦めてその『現実』を受け入れるんだな」
「ふふ、何それ……」
そう言って、帆波は一度目を瞑った。そのまま深呼吸を何度か繰り返す。再度目を開いたとき、そこには強い輝きを宿していた。
「ご主人様に命令されちゃったので、私、一之瀬帆波はここに私の罪を告白します!」
そして、高らかに宣言したのであった。
♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢
「ふふ、ごろにゃ~ん」
己の過去――己の罪を告白し終えた帆波は、だいぶスッキリした様子だった。
今も俺の腕に抱きつき、猫の如き鳴き声を上げて甘えている。
帆波の罪は、『現実』には罪として認定されていない。万引きをしたのは事実だが、店側が訴えなかったからだ。その結果として問題視もされていない。
しかし、だからこそ、帆波は余計に苦しむこととなった。自責の念ばかりが積み重なる日々を迎えていた。やがて一念発起したものの、そんなのは目を逸らしているだけに過ぎない。
帆波は、他者から己が罪を『罪』として認定されることこそを望んでいた。それが『現実』に起こって、初めて彼女の
だがその一方で、自分から進んで口を開く気にはなれなかった。当然だ。罪が『罪』として認定されなかった以上、彼女の罪を認定できるのは彼女しかいないのだ。その状況で、責任感の高い彼女がどうして自分の罪を放り投げるような真似ができようか。
必然、帆波が救われるためには、『他者から罪を認定される』、『己の口から罪を吐き出す』、という、面倒な条件の両立を果たさなければならなかったのである。
実際に万引きを行った際、それを問題として取り沙汰されなかった時点で、もはや不可能に等しい成立条件と化していたのだ。
だが、他ならぬ俺の手でそれは叶った。麻波ちゃんという繋がりがあった俺は、帆波の罪に気付ける要因も持ち合わせていた。その事実も大きいだろう。まるっきりの第三者であったなら、ここまですんなりとはいかなかった筈だ。
「最初はどうなることかと思ったが……こういうのも『終わり良ければ総て良し』と言うべきか?」
俺たちの方を――特に帆波を見てそう言ったのは神崎だった。
「感謝するぞ、北郷。たとえクラスが変わろうと、一之瀬は俺の友人だ。そんな彼女を救ってくれたことは、正直に言って喜ばしい。
まあ、だからこそ自分が不甲斐なく感じるのも事実だがな。俺は彼女の友人を自任し、クラスメイトだったにも拘らず、彼女が自責の念に苦しんでいることに気付けなかった。気付こうともしなかった。
改めて、お前との実力の違いをまざまざと思い知らされた気分だ」
「保有情報の違いと言ってしまえばそれまでだけどな。俺は、麻波ちゃんを通して婉曲的ながら帆波の過去を知っていた。その分だけ、お前よりは指摘しやすい状況にあったのは確かだ」
「それを認めた上で、だよ。現在は七月――俺たちがこの学校に入学してから、既に三ヶ月が経っているんだ。
それだけの時間があるなら、そして可能性だけで言うなら、俺が一之瀬の過去を知ることもゼロじゃなかった。だが、現実には知り得ていない。当たり障りのない関係では、得られる情報だって当たり障りのないものになる。だから情報を得られなかった。一面の事実として、俺が必要以上に一之瀬に踏み込むことを恐れていたのは否定できないんだ。
良くも悪くもお前を有名足らしめている『女好き』の異名。その実態を、初めて分かった気分だよ。こと女性を相手にする場合、お前は相手の深くへ踏み込むことを恐れないんだな。自分が傷付くことも、相手を傷付けることも厭わない。その先に、より良き関係を結べると信じているからだ」
自嘲気味に神崎は告げた。
それに対し、俺からどうこう言うことはできない。神崎がどう受け取るかは、神崎の自由だからだ。
「北郷、一つ頼みがある。俺を、お前の創設する部活に入れてくれないか?」
深呼吸をした神崎は、真剣な瞳を俺に向けてそう言ってきた。
「それに答える前に、俺の質問に答えてくれ。……お前は、俺の創る部活についてどう考えている?」
「率直に言って、怪しい、だ。怪しく思わない理由がない。現在の心情を正直に言えば、悪魔との取引に臨んでいる気分だよ。
だがその一方で、実力の向上に繋がるのは間違いがないとも感じている。この学校で三ヶ月を過ごして、今しがたのお前と一之瀬とのやり取りを目の当たりにして、良くも悪くも俺は変わらなければならない、と強く感じた。
そしておそらく、お前の部活はその最短ルートだ。綺麗事ばかりが罷り通らない。否応なくグレーやブラックに触れる、そんな部活だと思っている」
「そう思いつつ、入部を希望するのか?」
「言ったろう? 従属同盟を結んだと言っても、あくまでも期間限定。俺だってAクラスでの卒業を諦めているわけじゃないんだ。
それに、俺の父は大手企業の代表を務めていてな。将来的には、俺がその座に就くことになるだろう。それもあって、今のままの自分に不安があるのも事実だ。
人を動かすということ、駆け引き、目標を見据えて取り組むためのスタンス……ただでさえ学ぶべきことは山のようにあるんだ。
その点において、『次代を担うに値する人材の輩出』を謳うこの学校が最適だと感じたことは事実であり、そのために入学したんだ。なら、そのチャンスを目の前にして逃げるわけにもいかないだろう」
神崎の瞳は、未だに強い輝きを宿している。果たして、部活に入った後もこの輝きを宿したままでいられるのか……。
一抹の不安を覚えつつも、別にそうなると確定したわけではないのも事実だ。
第一、こういう奴は個人的にも好ましい。どうなるか分からなくても、時には我武者羅にぶつかっていく必要がある。それを乗り越えた場合、その事実を以て『適応した』と表現するのだ。
たとえ神崎がエロに染まったとしても、それはそれだ。むしろ男である以上、エロいくらいが丁度良い。
「歓迎するよ、神崎。あとで用紙に名前を書いてくれ。ただ、覚悟しておけよ。うちの部活に関しては自由退部なんかできないからな?」
そう、ガッツリとグレーに絡むうちの部活が、自由退部なんぞ認められる筈がないのである。……まあ、それもあっての『理事長肝いり』なわけだが。
「それも理解しているよ」
改めて、俺と神崎は握手を交わした。
♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢
「そう言えばさ。私も星之宮先生に一刀くんの部活への入部を勧められたんだけど、何かあるの? 神崎くんとの会話でグレーとかブラックとか言ってるのは耳に入ってきたけど……」
寮への帰り道。変わらず俺へと抱きつき、その豊満な胸に俺の腕を挟み込みながら、帆波は問いかけてきた。
「帰ったら改めて説明するよ。帆波の荷物も運ばなきゃいけないしな」
「ほえ? 荷物?」
「言ったろ。パーティールームで一部の生徒と共同生活してるって。帆波も俺のハーレムに加わったし、Dクラスの生徒になるんだ。加えない理由がないだろ」
「……ああ! そういえば言ってたね。……でも、一刀くんはそう言うけど、いきなり加わっちゃって大丈夫? 私、不和の種になるのは嫌だよ?」
「そんなに心配する必要はないさ。ある種のルールはあるが、基本的には和気藹々としてるし、緩いからな」
寮へ着いたら、部屋へ戻る前に管理人に申し出て、帆波も部屋の使用者に加えてもらう。……管理人からは、またか、みたいな視線をもらったが、そこについては努めて無視をした。
その後は、帆波の部屋に行く前にパーティールームへ。
「おかえり~! いや~、物の見事に帆波ちゃんも一刀くんに堕とされちゃったね! とりま、今日からはルームメイトとして、一刀ハーレムの一員としてよろしく!」
俺と帆波を出迎えたのは桔梗だった。俺のハーレムに序列はないが、何だかんだで前に出ることが多い。
「ただいま。出迎えありがとう、桔梗。……ほら、帆波も。ただいまって言わないと。いつも通りの態度でいいから」
「え、と……ただいま! 改めて、今日からよろしくね、桔梗ちゃん!」
若干の困惑の後、帆波も現状を受け入れ、笑顔で言葉を返すのであった。
「うん、よろしく! ……ただし! まだメンバーの全員が、帆波ちゃんをハーレムの一員として受け入れたわけじゃないから、その点は覚えておいてね?」
「うん、分かった。それは当然だと思うし、一日でも早く受け入れてもらえるように努力はするつもりだけど……」
「ああ、違う、違う。勘違いさせちゃってゴメンね。共同生活の一員としては、もう全員が受け入れてるよ」
神妙な態度で答える帆波に、桔梗は片手を振ってあくまでも軽く答えた。
「私が言ってるのは、一刀くんのハーレムメンバーとして、ってこと。……当然、帆波ちゃんはまだ儀式を行っていないでしょ?」
「儀式?」
勿体ぶった桔梗の言葉に、帆波を小首を傾げて答えた。
「そう。処女姦通の儀式。……って言っても、メンバーの全員が全員、加入した時点で処女ってわけでもないんだけどね! まあ、分かりやすく言えば一刀くんとの初セックスだね!」
「セッ……!?」
あまりにも率直な桔梗の言葉に、帆波は言葉を最後まで続けられなかった。
「ありゃ、恥ずかしい? う~ん、初々しい反応。私にもこんな時があったなぁ~。今ではもう、存分に一刀くんに染まっちゃったよ……。
それと、セックスは別に冗談でも何でもないからね? 一刀くんの絶倫ぶりは、経験した者にしか分からないのよ。だからこそ、それを経験して、初めて本当の『仲間』になるってわけ。……何であれ、実際に経験してもいない相手に仲間面されたくないってのは分かるでしょ?」
「それは、まあ……」
「そこが分かってれば、問題はないよ。……ただ帆波ちゃんの場合、すぐにとはいかないかな?」
それまで人好きのする笑顔を浮かべていた桔梗は、その瞬間に笑みの種類を切り替えた。それはまさしく、人を嘲笑うかの如き笑みに。
「だって、帆波ちゃんは千尋ちゃんの手で一刀くんに売られちゃったからね」
「ッ……!? そう、やっぱりそうだったんだ……」
桔梗の言葉を受けた帆波は僅かに息を呑み、直後に諦めたように呟いた。
「な~んだ。気付いてたんだ?」
「そりゃあね。だって、今日の千尋ちゃん、いつもと雰囲気が違ったもの。それでも、最初は私がフッたことが原因かとも思ってたけど……。
女の子が女の子に告白するのって、普通に考えて凄く勇気がいることだと思うんだ。それを私は、自分がノーマルだからって、突然の告白で混乱したからって、深く考えもせず『一般常識』に当て嵌めて断りの返事を返してしまった。
分かったとは言ってくれてたけど、千尋ちゃんは凄く傷ついたと思う。そして、そんな千尋ちゃんはその後で一刀くんに逢っている。それだけじゃなく、今日、一刀くんは千尋ちゃんのことを名前で呼んでた。……ここまで揃えば、訝しく思いもするよ。
今日の私にしたみたいに、一刀くんは千尋ちゃんにも発破をかけたんでしょ? 結果、千尋ちゃんはそれに応えた。私を一刀くんに差し出し、自分もまたハーレムに加わることで、私との肉体関係だけでも、って思ったんじゃないかな?
哀しいけど、千尋ちゃんを恨む気はないよ。むしろ私の自業自得。それだけの強い想いに対して、当たり障りのない態度と言葉で返してしまったんだからさ」
それに対し、桔梗は拍手で返した。
「ピンポンピンポン大正解! じゃあ、分かるよね? たとえ全部じゃなくても、今度こそ千尋ちゃんの想いに応えてあげて?」
「うん。千尋ちゃんと一緒に一刀くんに抱かれて、私なりに千尋ちゃんを愛するよ」
静かに、帆波は決意を表明したのであった。
堂々たるまでのマッチポンプです。
ただ、一刀はそれを衆人環視の中で行うからこそ、成功した場合のリターンも大きくなります。
帆波をガッツリと掴む上で、帆波自身に罪を自白させるのは必要な行為でした。
結局のところ、被害に遭った店が問題として取り沙汰していない以上、自責の念はどこまで行っても帆波の『負い目』でしかありません。
そして負い目である以上、それに歯止めを掛けられるのも帆波しかいません。
だがそのためには、事情を知る他人から『そこまででいい』と救いを齎される必要があります。
ハッキリと言えば無理難題です。何せ『陸の孤島』であるこの学校には、事情を知る者がいませんから。
そんな状況下で、事情を知らずとも高精度で予測を立てられたのが一刀になります。
過去、妹との繋がりで色々と情報を得ていたのがその最大の要因です。
帆波自身、妹の口から一刀の存在を示唆されていたので、『予測を立てられる』という事実を蔑ろにはできません。
ただ、そこで一刀は外から暴くのではなく、帆波自身の口で晒すことを求めてきました。
『俺が救ってやる。ただし、救われたければ罪を自白しろ』……と、言ってみればこういうことですね。
ハッキリと言えば弱みに付け込んだ上での最低な行いですが、『罪人』である自分に熱烈なキスまでしてきたんですから、帆波だって揺らぎます。
そして、結果として転落しました。
その場にいたことでそれを見た神崎も、影響を受けないわけにはいきません。
結果として帆波のモチベーションが上がっているのを目にすれば、やり方がどうあれ『正解だった』ことになるからです。
必要以上に相手に踏み込まず、それでいて踏み込まれないようにしている神崎としては、ある種の羨望を覚えずにはいられません。
その結果が、ある程度裏側を悟りつつの入部志願に繋がりました。
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