「そら、できたぞ」
ウォーキングを終えて寮に戻ってきたあと。
現在、俺の部屋には幾人かの姿があった。有体に言えば綾小路と幸村である。グループメンバーのうち、自炊できない勢だ。
流石に朝からガッツリ中華というのは重すぎるので、炒飯と中華スープ、あとはサラダの簡素なメニューだ。
「ッ……!? 美味いな!」
「これが……炒飯!? 知識として知ってはいたが、実物を食べるのは初めてだ」
双方共に美味しそうに食べている。その点は喜ばしい限りだ。
しかし綾小路よ。お前、炒飯すら食べたことが無かったのか。その事実に、俺は喜びよりも悲しみの方が勝って仕方ない。
「んで、これが昼用な」
余った炒飯と春雨サラダを詰め込んだだけの、これまた簡素な弁当だ。朝から無駄に凝った物など作ってはいられない。食材の大半を無料品で賄っているのだから尚更である。
まあそこに関しては、調理道具その物然り、配置然り、設備然り、色々な部分でまだ慣れてないからってのも大きいが。
「すまない、ありがとう」
「感謝する」
二人から礼の言葉を受け取り、俺もまた食べ始める。……うん。流琉には及ばないが、我ながらいい出来だ。
というか、個人的には野郎の料理が女子の料理に勝ることはないと思っている。少なくとも、明らかな差でもない限り、俺は女子の方に軍配を上げる。その点で、俺が流琉に追随する料理の腕を身に付けたとしても、俺の中では未来永劫流琉に勝ることはない。
食べ終わったら、調理道具や食器を手早く洗う。炒飯やサラダに関しては、予めラップを敷きその上に盛り付けたため、その分だけ洗い物の手間が減る。ほんの僅かではあるが、これが存外馬鹿にならない。
つけ置きして帰ってから洗うのも一つの手ではあるが、流石に放置時間が長すぎる。細菌が増え、それにより食中毒が起こる危険性を加味すれば、あまり望ましいことではない。……まあ、学生の独り暮らしを鑑みれば、時にはどうしてもそうせざるを得ない場合もあるのだろうが。
その点においても、共同生活にはメリットの方が大きい。たとえ洗い物が多くなっても、それに取り掛かれる人数自体が増えているのだから、必然として手間と負担は分散される。
「んじゃ、行くか」
「ああ」
「おう」
男三人部屋を出て、忘れずに施錠する。
女性陣とも一緒に登校することにしているため、あとはロビーで待つだけだ。――逆に向こうの方が待っている可能性もあるけど。
ロビーへの短い道すがらだけでも、多くの生徒とすれ違う。
ロビーにも多くの生徒がいた。
一年生の全員がこの寮に住んでいるんだし、未だ部活動も始まっていない。それを思えば、登校時間が重なるのは無理もないことなのだろう。俺たちと同じように、一緒に登校するために待ち合わせをしている生徒だっているだろうから尚更だ。
しかし、そうと理解を示せても、この人ごみの中から探し出すのは流石に手間だ。
グルグルと周囲を見渡す。……お! 可愛い子発見。何とも立派な胸部装甲も持っていらっしゃる。女子の胸に貴賤は持っていないつもりだが、だからといって巨乳が嫌いなわけではない。
うちのクラスでの見覚えはないから、きっと別のクラスだろう。是非ともお近づきになりたいところだが、女子と待ち合わせをしておきながら他の女子に声をかけるのは流石にマナー違反だ。この場は諦めるしかないだろう。
その考えをクルリと翻したのは直後のことだった。何故なら、待ち合わせ相手の一人が件の女子とお話をしていたのである。これならば声をかけても不自然はない。ありがとう、櫛田さん。
「やあ、櫛田さん。待たせちゃったかな? ……そっちの人は初めまして。Dクラスの北郷一刀だ」
「気にしないでいいよー。友だちを増やしたくて早く来ただけだから。……あ、こっちの子は一之瀬帆波ちゃん。Bクラスの生徒ね」
「一之瀬帆波です! 初めまして!」
うん、活発だ。それでいて笑顔がよく似合っている。
本音を言えば連絡先を交換したいところだが、初対面で別クラス、かつ異性という条件が加わると、がっつくのは体裁が悪い。だから、一先ずこの場は機を待つことにする。
「こっちの二人は俺の連れで、同じくDクラスの綾小路と幸村だ」
「おはよう。綾小路清隆だ、よろしく」
「幸村け――輝彦だ。よろしく頼む」
「一之瀬帆波です! こちらこそよろしく!」
綾小路、幸村、一之瀬さんが挨拶しているのを尻目に、櫛田さんに問いかける。
「櫛田さん、他の人たちは?」
「分かんない。流石にこの人数だからねぇ。既にこの場にはいるのかもしれないけど……」
見つけられないのなら、いないも同然である……と。その意見には賛成するしかない。
「電話してみるか」
自然な流れで端末を取り出し、取り敢えずは軽井沢さんに電話する。
『もしもし~、軽井沢ですけど~』
「北郷だけど、もうロビーに来てるかな? 人が多くて見つけられないんだ」
『あ~、やっぱり? 一応、こっちもロビーには来てるし、櫛田さん除いて女子は揃ってるんだけど……』
「そう? じゃあ、逆に外に出たところの方がまだ見つけやすいかな?」
『う~ん? 断言はできないけど、そっちの方がいいかもしんない』
「じゃあ、外に出たところで。櫛田さんはこっちと合流してるし、一緒に連れてくよ」
『りょ~」
通話を切り、櫛田さんに話しかける。
「どうだって?」
「ロビーには来てるってさ。櫛田さんを除いた女性陣も向こうに揃ってる。ただ、見つけられないから外に出たところで待ち合わせることにした」
「おっけー」
「一之瀬さん、それじゃあ俺たちはこれで……」
「あ、うん! ……あ、せっかくだから連絡先を交換してもらっていいかな?」
「喜んで。美少女の連絡先が得られるのは素直に嬉しい」
「にゃにゃ!? ちょっとも~! 恥ずかしいから美少女とか言うの禁止!」
「いやいや、素直な感想だよ」
軽口を叩きつつ、連絡先を交換する。綾小路と幸村も交換したようだ。
一之瀬さんと別れ、外に向かう途中、不意に背中に痛みが走った。
「この女たらし」
次の瞬間、ボソリと櫛田さんが言った。その声音は先程までと違って非常に冷たい。どうやら、彼女が俺の背中をつねったようだ。
「一之瀬さんにも言ったけど、本音を言っただけだよ。……ああ、もちろん櫛田さんだって可愛いさ」
「はいはい、それはどうも」
「あれ、信じてない? これでも我慢してるんだよ。正直、櫛田さんほどの美少女が相手なら、すぐにでも行動を起こしたいところだ」
「行動って?」
「ん~? キスしたりとか? そりゃあセックスだってしたいけど、流石に衆人環視の中ではね」
「は? 冗談やめてよね」
「冗談なんかじゃないさ。男ってのは、女の子とお近付きになりたいものなのさ。だからカッコつけるんだ」
「じゃあ、今この場で私にキスしてみせてよ。私の醜い本性を知って、それでもこの衆人環視の中でやれる度胸があるんならね。
ああ、もちろん、実行したところで怒りはしないから。綾小路くんと幸村くんの二人が証人。……オーケー?」
クルリと向き直り、二人に向かって櫛田さんが言った。
一緒に行動しているため、声を抑えていても先のやり取りは二人にも聞こえていたようだ。
「それは構わんが……。本音か冗談か知らんが、どっちも度胸があるな」
「こちらも同じく。ただ、櫛田はもう一度宣言をしてくれ。念のために録音をしておく」
「はいはい、用意周到なことで……。『私、櫛田桔梗は、今この状況で北郷くんにキスをされても怒ったり恨んだりはしません』。……これでいい?」
「……ああ。雑音は入っているが、無事に録音はできた」
「さ、どうぞ? 女の子がここまでやったんだから、恥はかかせないでよね?」
「もちろん。それじゃあ、遠慮なく」
少なくとも、櫛田さん自身が彼女の本性を好んでいないことは明らかだ。本性に対し、醜いと言ったことからもそれが分かる。
だからこそ自暴自棄になっているのか。それとも、これが櫛田さんなりの駆け引きなのか。その本当のところは分からない。
だけど、俺からしてみれば、やはり櫛田さんは可愛い女の子に過ぎないのだ。そして、だからこそ、自分のことを嫌っている様が物悲しい。故に、俺は俺の想いをぶつけるだけだ。君が自分のことを嫌っていようと、そんなことは関係なしに俺は君が好きなのだと。
彼女の背中に腕を回し、唇を重ね合わせる。彼女のことを思えば、そっと触れ合わせるようなキスで済ませるべきなのかもしれない。だが、俺の想いはそんな生ぬるいもんじゃない。出逢ってからまだ間もない? 関係性が薄い? そんなのは知ったことか。より深くぶつかり合わずして、より深く互いのことを分かり合うなど不可能なのだ。
売り言葉に買い言葉なのかもしれない。だが、彼女が許容したことに間違いはない。ならば、この想いをぶつけるのに、如何ほどの障害があろうか!
「んん!? ん! んん~~~~!?」
櫛田さんの拳が俺の胸を叩く。止めてほしいのかもしれない。だが、止めない。止める理由がない。本人が許可を出してくれたんだから、とことんまで堪能させてもらう。
唾液を送る。舌を絡ませ合う。……そうしているうちに、櫛田さんの目がトロンとしてきた。胸を叩く手からも力が抜けている。それを確認してから、唇を離した。
瞬間、彼女の身体が崩れ落ちそうになる。腕に力を入れることで、それを支える。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、……」
櫛田さんの息が荒い。無理もない。唇が塞がっている中、鼻呼吸だけでは限度がある。
まして、強制的に性感を高められ、快感を叩き込まれたのだから。
「どうだった?」
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、……凄かった。気持ち良かった。……これが、キス」
俺の問いかけに答え、櫛田さんは指で自分の唇をなぞったかと思いきや――
「うん!?」
今度は彼女の方から唇を重ね合わせてきた。
俺から仕掛けた時ほど長くはなく、程なくして離されたが、確かに舌を絡ませてきた。これには流石に意表を突かれた。
「悪く思わないでよね。アンタは私の価値観を壊した。私が『女』であることを自覚させた。私を本気にさせた。『皆の櫛田桔梗』を止める気はないけど、私の本命はアンタになった。……これからは、本気でアンタを堕としにいく」
勝ち気な、それでいて妖艶な笑みを浮かべ、櫛田さんは俺に向けてそう宣った。どうやら、やりすぎてしまったらしい。
「うわ~、うわ~」
「凄いもの見ちゃった」
「同い年なのに、凄く大人です」
「早くも王の寵愛を向けられる人物が出ましたか……。それが私じゃないのは、少し残念ですね」
そして、気付けば軽井沢さんたちがすぐ近くにいた。それぞれが顔を赤く染めている。軽井沢さんが一番テンパってるのが意外と言えば意外だ。そして王さん。俺はそこまであなたの気を惹き付けることをしましたかね? 一人だけ、明らかに反応がおかしいんだけど!?
「見てたら興味が湧いてきた。誰か、俺ともしないか?」
ついでに、綾小路は真顔で四人にそんなことを宣う始末。いや、その気持ちは分からないではないけども。何せ、今のはドラマや映画のような『演技』じゃない。櫛田さん自身の素の反応だ。俺のキスが、それを引き起こした。
色々と興味津々なところにそんなものを見せつけられれば、その上で何ら嘘臭さの無い反応を示されれば、綾小路のことだ。自分も試してみたくなったとしてもおかしくはないだろう。
「うわ~、うわ~」
軽井沢さんは未だにテンパり中。
「ゴメン。興味が無いわけじゃないけど、逢ってまだ間もないし、流石にパスで」
松下さんは興味を示しつつも、辞退。
「あ、私はどうせなら北郷くん相手の方がいいので」
王さんは俺を引き合いに出して断った。だから、何でそんなに俺に対する好感度が高いの!?
「あの、じゃあ、私が……。私、今のままだと付き合える相手ができるかどうかも分かりませんし……。やっぱり、女の子としてその手のことに興味もありますし……」
そして、佐倉さんは何とオーケー。いや、その気持ちも分からなくはないけど、それでいいのか人気アイドル!?
「じゃあ、いくぞ。流石に経験なんてないから、北郷ほど上手くできるかは分からんが……」
「あ、はい。私も初めてなので……」
そして、二人の唇が重なった。これも一種の場酔いだろうか? 自分のしたことを棚上げするようではあるが、明らかに常軌を逸している。
二人もまた、俺と櫛田さんに負けず劣らず、唇を重ねている時間が長い。どちらもが初体験であることを鑑みると信じ難いことだ。もしかしたら、綾小路は経験がないからこそ、俺を手本にしているのだろうか? まあ、見ただけでどこまで真似できるのかは怪しいところではあるが。
などと思っていると、佐倉さんの目がトロンとしてきた。さっきの櫛田さんと同じである。そして、そのタイミングで綾小路も唇を離した。やはり、佐倉さんも身体が崩れそうになったが、綾小路がそれを支えた。
「これがキスか……。何とも不思議な感覚だな。病み付きになりそうだ」
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、……凄い、気持ち良かったです」
いくら地味な格好をしているとはいえ、そこはやはりアイドルである。艶を纏った雰囲気は、周囲の男子の視線を一身に惹き付けるだけの魅力があった。
このままだと、場の雰囲気に吞まれた周辺男子が、暴走して彼女に襲いかかる可能性を否定はできない。
「不味いな。学校まで駆けるぞ。綾小路は佐倉さんを運べ。俺は櫛田さんを運ぶ」
「分かった」
「お、おい!?」
「ほら、行くよ!」
「軽井沢さんも!」
言うだけ言って、俺は櫛田さんを抱きかかえ、学校へ向かって一気に駆ける。
綾小路も遅れずに続いたが、運動が苦手な幸村とテンパっていた軽井沢さんが出遅れた。しかし、そこを松下さんと王さんが見事にカバー。二人の腕を取って駆け出すのが見えた。
当然と言うべきか。この一件は瞬く間に一年生の間を駆け巡るのであった。
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