「わあ、今日カレーなんだ!」
玄関に立つ沙希が声をあげた。キッチンから漂う香りで夕食のメニューを悟ったのだろう。
「真斗は偉いよね……男の子なのにいつも夕食作って……」
自分の家のように遠慮なく上がって食卓に座る沙希。
三歳のとき真斗の母が亡くなって今の家に越してきた。沙希は隣の家に住む同い年の幼馴染だ。
沙希の父は単身赴任でいない。看護師の母が夜勤の時には沙希は真斗の家で食事をしている。
「今日おじさんは?」
「群馬の方に行ってる」
真斗の父である義之は、不動産投資を個人でしていて新しい物件を泊りがけで見に行っていた。
「私達、三年生になっちゃったね……」
カレーを頬張りながら沙希が言う。
「真斗は、進路どうするの?」
「俺は、国立大の推薦入学を狙ってる」
「真斗なら頭いいからいけるかもね」
しばらく無言で食べ続ける二人。
「沙希は……どうするの?」
真斗が尋ねる。
「私、頭悪いけど……看護師か介護士になりたいかな、って最近思うんだ……」
「沙希なら、人のためにする仕事がぴったりだと思う」
「ありがと。真斗、食べ終わったら今日の宿題見てくれない?」
無意識に首を傾げる沙希の表情が可愛い。
保育園から高校まで沙希とは同じ学校に通っている。
お互いの家を行き来して、家族ぐるみの付き合いがあった。
沙希が中学生になると誰の目にも明らかな美人になってきた。
明るい沙希は皆に好かれていたが、まわりの男子が沙希を見る眼の質を変え始めた。
真斗も、膨らみ始めた胸を見て、沙希を女として意識してしまう。
だが沙希は、真斗に対して幼い頃と変わらぬ親しさで接してくる。
毎朝、二人で登校する沙希と真斗の親密な空気感を察して、沙希にアプローチしてくる男子はいなかった。
高校に入っても公認のカップルとして二人は皆に認知されていた。
だが、真斗は沙希にいまだ告白をしていない。
「ああっ、わかんないよっ!」
真斗の部屋で宿題を一緒にしている。沙希は身体を伸ばしてベッドに寄りかかった。
セーターを押し上げている巨乳がぷるんと揺れた。
「真斗、答え教えてよ!」
ベッドに身体を預けた沙希のスカートがめくれて白い腿が覗いている。
「ダメだ。自分で解かないと力がつかないよ」
真斗は生々しい肌から眼を逸らし、諭す。
ベッドからがばっ、と起き上がり沙希は真斗の横に身体を寄せた。
甘い香りがふわっと真斗を包む。
「ねえ。疲れちゃった! 教えてよっ!」
沙希が真斗のシャツの袖を掴んで引っ張る。腕に柔らかい乳房が当たった。
ふと、このまま沙希を押し倒してしまおうか、という想いが真斗をよぎる。
発育の良い女子高生と夜の部屋で二人きりだ。
慌てて真斗は妄想を振り払い、沙希の眼を見た。
「看護師だって介護士だって、勉強できなきゃなれないぞ」
「意地悪。真斗が教えてくんないなら、他の人の所に行っちゃうぞ!」
何気ない沙希の言葉に真斗の胸が微かに疼く。他の人って、他の男のことか?
「智也くんに教えてもらおうかな?」
首を傾げて沙希は真斗の表情を覗き込む。
「あの転校生の智也?」
三年生になってから転入してきた佐野智也。難しい真斗たちの進学校の転入試験をクリアしてきたのだ。かなりの学力に違いない。
「智也くん、イケメンだしね~」
「イケメンと勉強は関係あるのか?」
真斗が思わず語気を強めてしまい、沙希が驚いた眼をする。
転校生の智也は、そのルックスでクラスの女子たちの話題になっていた。
「妬いてんの?」
沙希が悪戯っぽい眼で微笑む。
「んなわけあるかよ……」
妬いているもなにも、そもそも沙希とは付き合っていない、と真斗は胸を微かに痛める。
「桐谷、真斗くん……だよね?」
転校生の智也が昼休みに真斗の席に来た。
女子たちがチラチラとこちらに視線を向けている。
「そうだけど?」
地味で存在感が薄い自分に何の用だろう? と真斗は訝しむ。
嫌っているわけではないが、真斗の口調が棘のあるものになっていた。
四月に入って転校してきた智也は、いわゆるイケメンだが、それを鼻にかけた様子は全くなく、誰とでも親しく接していた。
クラスの皆は本当に親しい親友以外は、お互い苗字で呼び合っていたが、智也は男女問わずいきなり名前で呼んでくる。
あっという間に智也はクラスに溶け込み、人気者になっていた。
特に女子たちの智也を見る軽薄な目線が真斗は嫌だった。軽い嫉妬の気持ちもあるのかもしれない。
「真斗くん。俺、真斗くんちに遊びに行っていい?」
智也の突然の申し出に驚く真斗。まだお互いのこともよく分かっていないのにグイグイくる智也。
「別に、いいけど……」
屈託のない笑顔の智也に、家に来ることを拒む理由もない真斗はOKした。
二階の真斗の部屋で智也と向かい合っている。
智也はクラスの人間関係について真斗に訊いてきた。誰と誰が仲がいいとか悪いとか、そんな話だ。
クラスの皆とは基本的に仲がいいが、かといってそんなに親しくしているわけでもない。詳しく聞きたいのなら、もっと別な人物がいるのにな、と真斗は思う。
その時、玄関の方から声がする。
「真斗、いる~?」
沙希の声だ。返事をする前に階段を駆け上がる軽快な足音が聞こえてきた。
「真斗……」
二階の部屋のドアを勝手に開けた沙希が驚いた眼をする。
「智也……くん?」
部屋にいる智也を見て、声のトーンを変えた沙希。
「真斗。お母さんがね、今夜家で夕食どうか、って……」
ちらちらと智也に視線をやりながら沙希が話す。
「うん。まだ夕食の準備してないから、お願いしようかな?」
「わかった。じゃ、ね……」
沙希はそう言うと、智也に向かって微笑みながらドアを閉めた。
「沙希ちゃんと仲いいんだね」
智也がにこやかに真斗に尋ねる。
「隣同士で幼馴染だからね……」
沙希の家で夕食をご馳走になった後、二階の沙希の部屋で宿題をしている。
「智也くんと仲良かったんだ……」
沙希が教科書を見ながら尋ねてきた。
「別に仲が良いってわけじゃないんだけど……」
沙希を見つめる真斗の視線に気づき、沙希が顔を上げた。
「何? 真斗……」
しばらく無言の後、真斗が呟く。
「やっぱり、イケメンがいいのか?」
真斗の言葉に沙希が眼を丸くする。
「そんなこと言ってないでしょ?」
沙希が微笑んだ。だが眼は笑っていない。
「ねえ、また真斗くんちに遊びに行っていい?」
次の日も真斗の机の前に立つ智也には、相変わらず女子たちの視線が注がれている。
昨日のように沙希とのやり取りを見られたくないと真斗は思った。
「ごめん……今日、ちょっと用事があって……」
咄嗟に嘘をついて真斗は断った。
「そっか……じゃあ、また」
智也が軽く手をあげて去って行った。
夕食前に真斗が勉強していると、沙希の声が玄関から聞こえた。
「真斗、ちょっといい?」
いつものように階段を上がってくる沙希がドアを開けた。
部屋の中を探るように視線を泳がせる。
「真斗。週末にパパが久しぶりに帰ってくるんだけど、おじさんと真斗も一緒に食事しようっ、てママが言ってた」
「そっか。良かったね! 親父に伝えとく。多分OKだよ」
「ありがと。真斗。ところで今日は智也くん来なかったの?」
沙希が尋ねる。突然智也の名を出されたことで、真斗の胸が騒めいた。
「そんなに、あいつの事が気になるのか?」
思わず真斗は強い口調で沙希を責める。
「違うよ、真斗……」
困ったような顔で見つめる沙希。
お互い変な雰囲気になり、沙希は無言でドアを閉めた。
翌朝、沙希はいつものように玄関に迎えに来てくれた。
昨夜の気まずい雰囲気は引きずらず、笑顔で真斗を待っている。
並んで歩きながら、沙希の揺れる胸をちらりと見る。
卒業したら、明らかに進路が異なるだろう沙希とは会う機会が減ってしまうのは明らかだった。
沙希は魅力的な女性になった。幼馴染の親しさで毎朝二人で登校している。
周囲は真斗と沙希は付き合っていると誤解している。
沙希ほどの美人にアプローチしてくる男子がいないのは、真斗と沙希の醸している親密な空気感に入り込む余地がないと思い込んでいるからだと思う。
真斗は何度も沙希に告白しようと考えてはいた。
だが、いざ告白することを考えると、照れくささが先に立ってしまう。
「真斗?」
沙希の言葉に我に返る。何か話しかけられていたらしい。
「話聞いてる? まだ眠いの?」
悪戯っぽい眼で沙希が真斗の顔を覗き込んでくる。
「そんなんじゃないよ」
「真斗くん、ちょっといい?」
智也が話があるから、とひとけのない特別棟の廊下に真斗を誘う。
「真斗くん、沙希ちゃんと付き合っているの?」
いきなり直球の質問をぶつけてくる智也。
真斗は押し黙ってしまう。
「毎朝、仲良く登校してくるけど……どうなの?」
沙希と付き合っている、と言えば噓になる。かといって智也に本当のことを話すのも躊躇われる。
「何でそんなこと訊いてくるの?」
真斗は苦し紛れに智也に問う。
「沙希ちゃんって、美人だよね……」
智也が真斗を真っ直ぐ見つめてくる。
「もし真斗くんが付き合っていないのなら、狙ってみようかな、って」
真斗の胸がざわついた。
「で、どうなの?」
無言の真斗に智也が言葉を被せてくる。
「そっか、ゴメンね……無理に訊いちゃって」
押し黙った真斗を見て智也は微笑むと、背を向けて去って行った。
智也が沙希を狙っている、と言った。
真斗の胸は騒めく。
学校では半ば公認のカップルとして認知されていた真斗と沙希。
沙希の美貌と巨乳に学校の男子が惹かれているのは、同じく男子である真斗には肌感覚でわかる。
沙希と真斗が醸し出している親密な空気に入り込む余地はないと同級生は思い込んでいる。
だが、転校生の智也は、そんな空気を読むことなく単刀直入に切り込んできた。
もし、沙希が智也に告白されたら、どうするだろうか?
クラスでも存在感の薄い地味な真斗。イケメンで誰とでも親しくなれる智也。
沙希はどちらを選ぶだろう?
真斗は沙希に告白してはいない。そもそも幼馴染として親しいだけで、恋人関係にあるわけではない。
沙希がどちらを選択するかと考えたが、そもそも真斗は選択肢にはないかもしれないのだ。
智也に告白されて恋人として求められたとき、沙希はどうするだろうか?
智也が告白する前に、自分から告白したらどうだろうか?
そう考える真斗は、急に不安になってきた。
「真斗。私、真斗のことそんな風に考えたことなかったよ」
妄想の中の沙希が言う。
真斗が沙希に恋愛感情を寄せているように、沙希が真斗に好意以上のものを感じているのかは、正直わからない。
今、慌てて告白するのは、今まで何もしなかったくせに智也に煽られているようで浅ましいように感じる。
夜の部屋で勉強も手に付かず、思考をぐるぐるさせていると、窓の外から声がした。
カーテンを開けると、向かいの家の窓から笑顔の沙希が手を振っていた。
「真斗。ちょっと数学でわからないとこあるんだけど」
もう遅い時間なので、窓から呼びかけたということか。
スマホに電話してくれればいいのに、と真斗は思ったが、正直なところ沙希の顔が見れて嬉しかった。
真斗は窓越しに、公式の適用と解法を簡潔に伝えた。
「真斗……」
用件は終わったが、沙希は何か言い淀んでいる。
「私、智也くんに告白されちゃった……」
真斗の胸がずきん、と疼く。
「真斗は、どう思う?」
「どう思うって、沙希はどうなの?」
「私が先に訊いてるんですケド……」
沙希が寂しげに眼を伏せた。
「俺がどう思うかより、沙希の気持ちだろ?」
窓を閉めた後、真斗は突き放したような言葉を沙希にかけてしまったことを猛烈に後悔していた。
智也に告白されたことを、わざわざ真斗に言ってきた沙希の心情を
本当はこのタイミングで沙希に告白すべきだった。
俺はお前が好きなんだから、智也なんか断れ、とひとこと言えば終わる話だった。
今からでも、沙希を引き留めるべきではないか、と真斗は思う。
一方で、沙希は智也の告白を断るのではないか、とも思い始めた。
もし智也に沙希が好意を感じているのなら、わざわざ真斗に報告するわけがない。
沙希は、真斗と同じ気持ちでいるのかもしれない。
だったら、智也の告白をOKすることはないのではないか?
真斗の思考はぐるぐる同じ所を巡るが、何の結論も出ないままだった。