アルファに抱えられたまま、僕は異世界の夜空を飛び越えた。
風が頬を叩き、地上の景色が急速に変わっていく。
宮殿の煌びやかな塔が小さくなっていき、やがて暗い森の上空に出た。
「しっかり掴まって!」
アルファの声が耳元で響く。彼女の体温を感じながら、僕は無意識のうちに彼女の肩を強く握った。彼女の身体は細く見えるが、力強さを感じる。
突然、彼女が急降下を始めた。木々が迫ってくる。衝撃に備えようと目を閉じた瞬間、彼女は見事に着地し、柔らかく僕を地面に下ろした。
「大丈夫?」
アルファが黒いフードを脱ぎながら尋ねる。月明かりに照らされた彼女の金色の髪が風になびく。
「ああ……大丈夫だけど……ここは?」
「安全な場所よ。少なくとも今のところは」
アルファは周囲を見回しながら答えた。
二人が立っているのは古い建物の前に見える。石造りの壁はところどころ崩れかけていて、長い間使われていないように見える。
「中に入りましょう」
アルファが先に進み、錆びた扉を開けた。
内部は暗く、埃っぽい空気が漂っている。
アルファが手に持った蝋燭に火を灯し、それが部屋全体を薄く照らした。
「ここならしばらくは安全よ」
アルファがそう言って壁に背を預ける。
彼女の青い瞳が光を反射して輝いている。それは幼い頃の夢と同じように神秘的で美しい。
「君は……本当にあの夢の中のエルフなの?」
恐る恐る尋ねると、アルファは少し驚いたような表情を見せた。
「夢?」
「そう。幼い頃に見た夢。金髪のエルフと一緒に遊んでいた夢」
アルファは沈黙したまま僕を見つめた。その青い瞳が揺れている。
「……正直に言うと、私も困惑していたわ。あなたがまさか異世界の兵器としてここに来るなんて」
「……そもそも、魔物とか、意味が分からないよ」
僕の呟きに対して、アルファは。
「それは私達の事を言っていると思うわ」
「えっ」
アルファの言葉に、さすがに驚きを隠せなかった。
「アルファ……?」
「この世界は……あなたたちがいた世界とは全く違うのよ」
アルファは蝋燭の炎を見つめながら静かに話し始めた。
「この王国は『人間至上主義』を掲げていて、私たちエルフやドワーフのような、人間とは少し異なる特徴を持つ種族を全て『魔物』や『暗黒の勢力』として扱っているの」
「そんな……」
「彼らにとって、耳が尖っていることや髪の色が珍しいこと、あるいは魔法の使い方が異なるだけで十分な理由なのよ。だから私たちの国々を次々と侵略して、住民を迫害してきた」
アルファの声には怒りと悲しみが混じっている。
「そして今、彼らは異世界から勇者と称して人々を召喚している。あなたのようなね」
「なんでそんなことを……」
「簡単よ。彼らにとって都合の良い兵隊にするためよ。異世界の人々は知識も力も持たない。だから洗脳しやすいの。そして彼らは自分たちの正義のために戦わせようとしている」
アルファは僕を真っ直ぐに見つめた。
「あなたは『悪魔の力』と言われたけれど、それは彼らの偏見に過ぎない。実際には彼らもまだあなたの力を理解していないだけ。だから危険だと決めつけたのよ」
「じゃあ、僕はどうすればいいの?」
「あなたの能力のことを知る必要があるわ。それが分かれば、あなたがこれからどうすべきかが見えてくるはず」
アルファは立ち上がり、懐から古びた本を取り出した。
「これで調べられると思うわ」
彼女は本を開き、僕の前に置いた。文字は読めないはずなのに、不思議と内容が頭に入ってくる。
「面白い……異世界の魔法と同調しているようね」
アルファが呟いた瞬間、本のページが自動的にめくれ始めた。まるで何かに導かれるように。
「これは……刻印魔法の説明だわ」
アルファは真剣な表情で読み上げた。
「刻印魔法……特定の紋様を他者の肉体に刻み込むことで、その者に特殊な能力を与える魔法。刻印された者は刻印を施した者の意志に従うことになる。ただし……」
アルファは一瞬言葉を詰まらせた。
「ただし、刻印を施せるのは他人に対してのみ。自分自身には施すことができない」
「じゃあ……僕が使った『悪魔の力』って……」
「そう。あなたは他者に刻印を施すことができる。そしてそれにより相手を下僕のように従わせることができる」
アルファは僕の両肩に手を置いた。
「だからこそ王国は恐れたのよ。あなたの能力が知られたら、彼らはあなたを消そうとする。あなたが彼らの支配を覆す可能性があるから」
「そんな……僕はただ……」
「でも大丈夫。今はまだあなたの能力の全容を彼らは知らない」
アルファの瞳が僕を優しく見つめる。
「刻印魔法は……私達にとって非常に重要な魔法なの」
アルファは本を閉じ、僕の顔を見上げた。
「この魔法があれば、戦争で勝てる確率が格段に上がる。味方を強化したりできるから」
「でも……どうして僕に?」
「簡単よ。私達エルフにはこの魔法を使える者がいないから」
アルファは窓の外を見た。
「人間たちは今、様々な種族を『魔物』として扱って侵略を続けている。私達エルフも例外じゃない。でも私達は負けない」
アルファは真剣な表情で頷いた。
「エルフの多くは誇り高い種族だわ。それぞれが独立した部族を持ち、互いに助け合うどころか、時には争っていることもある」
「それって……」
「そう。もし仮に戦争に勝ったとしても、その後は部族間で争いが始まる可能性が高い。それは人間たちにとってまた新たな機会になる」
アルファは僕の手を取った。
「だからあなたが必要なの。異世界からの者でありながら、刻印魔法という強力な力を持つあなた。あなたが私達の王になれば、エルフは一つにまとまり、人間たちとの戦いに勝つことができる」
「でも……僕は王なんて……」
「不安なのは分かるわ。でも今はそれしか道はない。このままでは多くの命が失われる」
アルファの青い瞳が真剣に僕を見つめる。
「もちろん無理強いはしないわ。でも考えてみてほしいの。あなたにはこの世界を変える力がある」
「そんな……僕にそんな責任……」
「最初から完璧な人はいないわ。私も同じ。でもやらなければならないことがあるの」
アルファは立ち上がり、窓辺に立った。
月明かりが彼女の金色の髪を照らし、幻想的な光景を作り出す。
「私達には時間がない。人間たちは今も他の種族への侵略を進めている」
彼女は僕を振り返った。
「一緒に来てくれる? それとも……」
答えを待つアルファの姿に、僕は複雑な感情を抱きながらも。
「私はずっとあなたのそばにいるわ」
アルファの声が静かに部屋に響く。
「王になりたいとか、そういうのは二の次でいいの。ただ……あなたを守りたい。それだけ」
彼女は僕の前に立ち、真剣な眼差しで見つめた。
「妃でも側室でもなく……ただ一人のエルフとして、あなたを支えたい。この世界があなたを脅かすなら、私はその盾になる」
「アルファ……」
「怖いでしょう。突然異世界に連れてこられて、王になれと言われて」
彼女は優しく微笑んだ。
「でもあなたには私がいる。それに……」
アルファは一瞬躊躇ったように見えたが、すぐに言葉を続けた。
「私はあなたがずっと私の夢に現れていたのを覚えているわ。子供の頃から。それが運命だと思っているの」
「そうだったの?」
「ええ。だから……」
彼女はゆっくりと僕に近づき、その指で僕の頬を触れた。
「答えは今すぐじゃなくていい。でも……少なくとも私と一緒に来てほしい」
僕はしばらく沈黙し、窓の外を見つめた。星空が広がり、ここが本当に異世界であることを実感させられる。
「……分かった」
僕の言葉にアルファの表情が明るくなった。
「一緒に戦おう。でも王になるかどうかは……もっと考えてから」
アルファは嬉しそうに頷いた。
「それでいいわ。まずは生き延びること。それから考えていけばいい」
その瞬間、アルファの顔がゆっくりと近づいてきた。彼女の青い瞳が輝き、唇が近づく。僕は何も言わず、その温もりを受け入れた。
柔らかな唇が重なり合い、時間が止まったような感覚に包まれる。
それは長いキスではなかった。でも僕たちにとっては永遠にも感じられた。
「ずっと……待ってたわ」
アルファが囁いた。
「この日が来るのを」
その言葉を胸に刻みながら、僕は新たな人生の始まりを感じた。