※この作品はR-18です。

追放された転移者とエルフの王への道   作:ボルメテウスさん

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エルフと猫の初詣

雪は静かに降っていた。

白い吐息が灯籠の火をかすめ、赤い鳥居の朱が夜に浮く。ここはエルフ王都の外れ――元は人間の聖堂だった建物を、あえて“社”の形に整えた場所だ。異世界の儀式を、異世界の祈りで塗り替える。政治的には悪くない演出だし、何より年の初めに「それっぽいこと」をすると、民は勝手に安心する。

 

そして俺は今、影の実力者めいた顔で鳥居の前に立っていた。

内心では「寒い、早く帰って紅茶が飲みたい」と思いながら。

 

「……これが初詣か」

隣で、もう一人の転移者――猫に取り憑かれた男が、妙に真面目な声で言った。

 

「そう。新年に神社行って、今年も無事にって願うやつ」

彼は視線を鳥居に据えたまま、どこか遠い目をする。

「俺は毎年、猫が病気しないようにって願ってた。……こっちの世界でも、結局それが一番大事なんだよな」

 

俺は鼻で笑いそうになって、やめた。軽く扱うには、彼の“願い”は真っ直ぐすぎる。

 

「猫への責任、か」

「笑うなよ。俺、家の猫と会えないのが嫌で帰りたいんだ。未練って言うより、責任」

「……悪くない。理由が綺麗だ」

 

その瞬間、背後で布が擦れる微かな音がした。

雪の匂いに混じって、甘い香が一筋、夜気を裂く。

 

「あなた、待たせたわね」

 

振り向いた俺は、言葉を失いかけた。

アルファが立っていた。月光を吸ったような濃藍の浴衣。銀糸で縫われた森と月の意匠が、彼女が“夜の側の存在”であることを隠さない。襟元は控えめに抜かれ、白い喉から鎖骨にかけての線が、雪よりも冷たく、しかし触れたら溶けそうな危うさを帯びている。

 

青い瞳が俺を捉える。

視線だけで、背筋を正させる圧があるのに――同時に、息を奪うほど甘い。

 

「どう?」

アルファは裾を指先で軽く摘まみ、静かに一回転した。帯の結び目が揺れ、髪がさらりと頬を撫でる。殺気も刃もないのに、彼女は昔よりずっと危険に見えた。

“武器”としての危険ではない。男の理性を削る、別種の凶器として。

 

「……反則だろ」

俺が絞り出すと、アルファはわずかに唇を上げた。

「反則?」

「普段との落差が、刺さる」

「差があるほうが、あなたは好きでしょう?」

耳元に落ちる声が低く、柔らかい。吐息が頬の近くを撫で、俺の喉が勝手に鳴った。

 

その横で、乾いた笑い声。

 

「へぇ。じゃあ、こっちはどうかな、“主”」

 

猫耳が揺れた。

ゼータが、羽のように軽い足取りで前へ出る。白地に紅の花が散る浴衣、帯には薔薇の飾り。艶やかな生地が身体の線をほどよく拾い、歩くたびに布の下で形が変わる。その動きは、猫が獲物の前でわざと優雅に振る舞う時のそれだった。

 

紫の瞳が細く笑い、彼女は猫のように首を傾ける。

「可愛い?」

問いは短いのに、意図は露骨だった。褒めろ、と。褒めたら離さない、と。

 

「……可愛い、けど」

猫好きの男が返した瞬間、ゼータは満足そうに耳をぴくりと動かし、彼の腕に絡みついた。

「“けど”の先はいらないよ。主が可愛いって言った、それで十分」

「十分じゃない顔してるだろ」

「うん。だから、もう一回言って」

 

アルファが、静かにゼータへ視線を流す。

「距離が近いわね」

「主は猫に慣れてるから平気だよ?」

「猫と同列に扱わないで」

「でも主、猫に会えないのが嫌って言ってたし?」

「それは“責任”でしょう。あなたのは、ただの独占よ」

「独占、悪い?」

ゼータは笑う。無邪気で、毒がある。愛らしさの奥に、躊躇なく喉笛を噛み切る獣の影が見える。だからこそ、目が離せない。

 

俺は横目で、猫好きの男を見る。

彼は困った顔をしながらも、ゼータの頭を撫でてやっていた。指先に吸い付くように、ゼータが身を預ける。浴衣越しに伝わる体温が、男の頬をわずかに赤くする。

 

「……お前も大変だな」

俺が小声で言うと、彼は苦笑した。

「そっちもな。秘書って言ってたけど、あれは秘書の距離じゃない」

「分かってる。だから困ってる」

「困ってる割に、顔が嬉しそうだぞ」

「言うな」

 

鳥居をくぐり、手水の代わりに用意した桶の前へ。

作法を説明しようとした猫好きの男の言葉を、アルファが即座に遮る。

 

「口はすすがないで。衛生的に問題があるわ」

「雰囲気だってば」

「雰囲気は命を守らない」

その断言が妙に色っぽいのは、彼女が“守る”という言葉を、刃の意味で知っているからだ。

 

社殿の前に並ぶ。鈴を鳴らし、二礼二拍手。

俺が手を合わせた瞬間、アルファがそっと近づき、袖の端が俺の指に触れた。

ほんの一瞬。だが、その触れ方が計算されすぎていて、心臓が一拍遅れる。

 

「何を願った」

俺が小声で問うと、アルファは俺の横顔だけを見て囁く。

「あなたが、無茶をしませんように」

「それは願いじゃなくて監督だ」

「同じよ。……私は、あなたが傷つくのを見たくない」

雪より冷たい夜に、その言葉だけが妙に熱い。

 

一方でゼータは、手を合わせたあと即座に笑った。

「私はね、主が私から離れませんようにって願った」

「重い!」

猫好きの男が即ツッコミを入れると、ゼータは悪びれずに頬を寄せた。

「だって大事だもん。主がいない世界、つまらない」

その言い方は甘いのに、背筋が冷えるほど真剣だ。

 

参拝を終え、屋台通りへ出る。揚げ物の香り、甘酒の湯気、笑い声。

異世界の王都で、初詣の喧騒が成立していること自体が可笑しいのに――俺はそれを“悪くない”と思ってしまった。

 

アルファが団子を一串、俺に差し出す。

指先が細く、白く、そして迷いがない。

「食べて。あなた、今日はずっと顔が硬い」

「硬いのは寒いからだ」

「嘘。……私の浴衣を見て、少し息が乱れた」

「――っ」

耳元で囁かれ、俺は反射的に視線を逸らした。

彼女は微笑むだけで追わない。逃げ道を残した上で、逃げたくなくなるように仕向ける。そういう誘惑の仕方だ。

 

ゼータはというと、串焼きを買うと、堂々と猫好きの男の前に掲げた。

「主。あーん」

「やめろ、人がいる」

「見られたいの?」

「見られたくない」

「じゃあ、私だけ見て」

その言葉で距離を詰め、浴衣の袖が男の胸元をくすぐる。ゼータはわざと襟を指でなぞり、うなじを見せるように首を傾けた。猫が“触れろ”と背中を向ける時の仕草に酷似している。

 

男は観念したように、ゼータの髪を撫でた。

「……可愛い」

ゼータの瞳が、妖艶に細まる。

「うん。もっと言って」

「欲張りだな」

「猫だから」

 

俺は咳払いして話題を戻す。

「……で、帰還の手がかりは」

猫好きの男が真面目な顔になる。

「あの召喚の仕組み、奪った資料から少しだけ分かった。まだ“帰れる”とは言えない。でも、“帰れない”とも断定されてない」

「十分だな」

「そう。だから――」

彼が言いかけたところで、ゼータがにやりと笑う。

「だから、次は外交だよ。エルフの王様に協力してもらって、召喚国家の残党が動けないようにする。主が帰る道を守るためにね」

彼女は可愛い声で、平然と戦略を口にする。そのギャップが、背徳的に魅力的だ。

 

アルファが俺の袖を軽く引く。

「あなた、理解した?」

「……ああ」

「なら、今夜は少しだけ休みなさい」

「少しだけ、って何だ」

「私の隣で、少しだけ」

青い瞳が、冗談みたいに真剣だった。

 

ゼータも負けずに、猫好きの男の腕を抱きしめる。

「主も。今日は寒いから、私が温める」

「その言い方が一番危ない」

「危なくないよ。……主が嫌がることはしない」

「“嫌がることはしない”の定義が怪しい」

「じゃあ、主が嫌がらない顔するまで、ゆっくり誘惑する」

 

二人の浴衣が、灯りを吸って艶めく。

一人は夜の森のように静かで、触れた瞬間に絡め取る。

一人は猫の毛並みのように甘く、気づけば膝の上で支配している。

 

俺と猫好きの男は、もう一度だけ目を合わせた。

状況は何も片付いていない。戦争も、帰還も、同盟も。

それでも――初詣の一夜だけは、危険なほど甘く、そして滑稽に平和だった。

 

「新しい文化ってのは」

猫好きの男が小さく呟く。

「こういう、厄介で……悪くないものも生むんだな」

俺は団子を一口噛み、静かに答えた。

「厄介さを楽しめるなら、生き残れる」

 

アルファの指が、俺の手をほんの少しだけ握る。

ゼータの頬が、主の肩にすり寄る。

雪は降り続ける。灯りは揺れる。

そして俺たちは、今年もまた――“ただ生き延びるだけ”では終わらない一年になると、嫌でも理解してしまった。

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