※この作品はR-18です。

甘くて、こわい君だった   作:Marks_Lee

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if 11話

午後の光は穏やかに、テーブルの上に落ちていた。

湊の部屋の窓辺、ほんの少し開いたガラスの隙間から風が入り、カーテンが微かに揺れる。

その揺れを見つめながら、美遥は指先で湯飲みの縁をなぞっていた。

 

「……ありがとう、わざわざ時間つくってくれて」

紬が微笑む。その声は、日向のようにやわらかかった。

 

「ううん、こっちこそ……」

 

美遥はゆっくりと首を振る。少しだけ、言葉を選ぶような間があった。

 

湯気の立つ緑茶の香りが、ほのかに鼻をくすぐる。

ふたりの間には長い沈黙が流れ、しかしその静けさは居心地の悪さというよりも、互いを探るような呼吸の重なりだった。

 

「美遥さんって、すごく丁寧にお料理作るんですね」

 

「……好きなんです、黙々と切ったり、煮たりするの」

 

「やさしい味でした。湊くん、ほんとうれしそうだった」

 

「……うれしかったんです。久しぶりに“おかえり”って言えたから」

 

小さく、けれど確かに、美遥の声は熱を帯びていた。

 

カップを置く指先がほんの少し震えているのを、紬は見逃さなかった。

その震えは、感情の種がゆっくりと芽吹いていることの表れのように見えた。

 

「ねぇ、美遥さん」

 

紬の声が、少しだけ空気の重さを変えた。

 

「3人じゃダメかな?」

 

美遥は、ぴたりと動きを止めた。

湯飲みの中の影が静かに揺れ、彼女の視線がそこに沈み込んでいく。

 

「……どうして、そんなことを?」

 

「私ね、うまく言えないけど……置いていかれるのが怖いの」

 

紬の声には無理に笑うような響きがあった。けれど、それは崩れそうな防波堤のようでもあった。

 

美遥は、ゆっくりと顔を上げる。

その瞳の奥に宿る感情は、最初こそ曇りガラスのようにぼんやりとしていたが、次第に光が差し込むように、ある形を持ちはじめていた。

 

「3人で一緒に、なんて……きっとできない」

 

言葉を選ぶように、美遥はゆっくりと話しはじめた。

 

「私は……兄さんを見ているだけで幸せだった。昔からずっと。でも、それだけじゃだめだって思うようになった」

 

唇がわずかに震え、けれどその言葉は真っ直ぐだった。

 

「私、兄さんを誰かと分け合うなんてできない」

 

「……」

 

「友達としても、妹としても……もう、その枠の中じゃいられないの」

 

その声は決して大きくはなかった。

けれど、確かに心の奥深くに咲いた想いが、初めて地上に顔を出した瞬間だった。

 

紬は微かに瞬き、視線をそらした。

 

「そう、だよね……。ごめん、変なこと聞いた」

 

笑みを浮かべようとして、けれどその端がほんの少しだけ下がった。

それが精一杯のやさしさであり、敗北の予感でもあった。

 

部屋の空気は、風が通ったように静かに揺れた。

 

やがて、何事もなかったかのように、美遥は立ち上がった。

 

「……そろそろ、台所借りてもいいですか? 今日は兄さんに食べさせたいものがあるんです」

 

そう言った美遥の声は、ごく自然で、それでいてどこか胸の奥からあふれたような響きがあった。

紬は一瞬だけ目を伏せ、それから笑みを返す。

 

「うん、いいよ。お皿も、いつもの場所にあるから」

 

それきり、二人は多くを語らなかった。

リビングの空気が、どこか静かに沈んでいくようだった。

 

日が傾き、家の中には柔らかな灯りがともる。

湊が帰宅した頃には、すでに台所からいい香りが漂っていた。

 

「おかえり、兄さん」

 

振り向いた美遥の笑顔は、どこか少し照れたようだった。

台所には炒めた春巻きが並び、脇にはきれいに盛られた副菜が置かれている。

テーブルクロスの端をさりげなく整えている姿を、湊はしばらく見つめていた。

 

「……これ、美遥が?」

 

「うん。ちょっとアレンジしてみた。懐かしいかなって」

 

湊はひとつ春巻きを口に運び、咀嚼する。

香ばしい衣の中に、やさしい味がじんわりと広がっていく。

 

「これ、美味しいな……なんか懐かしい味がする」

 

「よかった……」

 

美遥は安心したように息を吐き、湊の向かいに座った。

 

紬も席につき、笑顔を見せていた。

けれど、その笑顔の奥に宿るものは、ふたりには見えなかった。

 

湊と美遥の会話が自然と弾んでいく。

けれど、そのやりとりの端々に、紬の心は少しずつ遠ざかっていった。

 

春巻きの香ばしい匂いに包まれながらも、自分の居場所だけがふわふわと浮いているような、そんな感覚。

自分の声だけが、食卓の空気に溶け込まず、宙に残っているような、そんな感覚。

 

しばらく箸を動かしていた紬は、ふいに手を止めた。

目の前に並ぶ小皿をぼんやりと見つめたまま、ふっと席を立つ。

 

「……ちょっと、風に当たってくるね」

 

ふたりが振り返る前に、紬は静かに部屋を出ていった。

その背中には、もう笑顔は残っていなかった。

 

玄関のドアが開く音と、閉じる音だけが、短く夜の空気に刻まれた。

 

テーブルの上に、春巻きの匂いだけが、まだ淡く残っていた。

 

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