※この作品はR-18です。

甘くて、こわい君だった   作:Marks_Lee

18 / 83
if 13話

小さな物音がして、美遥はゆっくりと目を開けた。

薄暗い室内。窓の外はすっかり夜に包まれている。

玄関のほうで、扉が閉まる音がした。

わずかに乱れた視界の中に、湊の姿が見える。

 

「……ただいま」

 

その声が、部屋の空気を静かに震わせた。

美遥はソファに横たわったまま、まぶたを持ち上げる。

 

「おかえり……」

 

声はまだ眠たげで、喉に少し引っかかった。

湊は鞄を置き、ゆっくりと靴を脱ぐ。

そのまま、何も言わずにこちらに歩いてきて、ソファの隣に腰を下ろした。

美遥との距離が、すっと、ひと呼吸ぶん近づいた。

 

「何か食べた?」

 

「……ううん」

 

「今から作ろうか?」

 

「……あとででいいよ」

 

囁くような声に、湊は小さく笑った。

 

「そう。じゃあ、少しだけ、こうしてようか」

 

湊の腕が、ゆっくりとソファの背にまわる。

そこに甘えるように美遥が身を寄せた。

肩と肩が触れ合い、二人の呼吸が、静かに重なる。

 

「今日は……ずっと、ここにいたの」

 

「うん」

 

「紬ちゃんも、帰ってこなかった」

 

「うん。たぶん、気をつかってくれたんだと思う」

 

湊の声は穏やかだった。

その優しさに、返す言葉を見つけられないまま、美遥は目を閉じる。

 

すっと髪に指が触れる。

濡れてもいないのに、そっと拭うような動きだった。

額に落ちた前髪を、丁寧に払ってくれる。

それだけの仕草が、どうしようもなく愛しかった。

 

美遥は、湊の胸元に顔をうずめた。

シャツ越しに伝わる体温。穏やかな鼓動。

その一拍ごとに、自分の輪郭が溶けていくような気がした。

 

唇が触れる。

ほんのわずか、確かめるように。

目を閉じたまま、美遥は応える。

重なった熱が、次第に深くなる。

 

肩口をそっと撫でる手。

すこしだけ力を抜いて、美遥の背中を引き寄せる。

シーツの上とは違う、ソファの狭さが、ふたりの距離をさらに近づける。

 

もう、言葉はいらなかった。

 

シャツの裾に指がかかる。

脱がせるというより、そっとほどくような仕草で、湊は服の隙間に触れる。

肌に触れた指先が、驚くほど静かで、だからこそ息が詰まりそうだった。

 

「……湊くん」

 

その名前を呼んだ瞬間、ふたりの空気が変わった。

それは合図でも、許しでもなく、ただ、いま確かにここにいるという証だった。

 

湊の手が、美遥の腰を抱く。

頬に触れ、首筋をなぞり、ゆっくりと背中にまわる。

美遥は湊にしがみつくようにして、微かに身体を揺らす。

 

くちづけが何度も重なり、呼吸の隙間に吐息が落ちていく。

ソファからベッドへ、ふたりの動きは自然で、迷いがなかった。

 

ベッドの上で、シーツの音が小さく響く。

ふたりの影が重なり、布越しの体温が、夜の闇にゆっくりと溶けていく。

 

灯りはまだついたまま。

けれど、もう何も見えなくてもいいと思った。

 

――こんな夜が来るなんて、知らなかった。

心の奥で、そうつぶやいた。

 

◇◇◇

 

目を覚ましたとき、窓の外はもう明るかった。

でも、カーテンが閉じられているせいで、部屋の中はまだ夜の名残を残していた。

 

布団の中に、もうひとつの呼吸がある。

すぐ隣で、湊が眠っていた。

 

仰向けの姿勢のまま、穏やかな寝息を立てている。

その胸が、ゆっくりと上下するたびに、昨夜のことがよみがえる。

指先の触れ方も、唇の熱さも、確かに全部そこにあったのに――

まるで夢の中で交わしたもののように、儚くて遠い。

 

自分の指先が、どこか熱を帯びたままだった。

そっと動かして、湊のシャツの端に触れる。

触れただけなのに、そこからまた何かが始まりそうな気がして、慌てて引っ込める。

 

……怖くはなかった。

けれど、まだ少し、息の仕方がわからない。

こんな朝が来たあと、どうやって振る舞えばいいのか。

 

布団から出ようとすると、後ろから腕が伸びてきた。

気づかれないように静かに動いたつもりだったのに、湊は起きていた。

 

「……おはよう」

 

「……うん、おはよう」

 

囁くような声が、耳のすぐそばで落ちる。

腕が、美遥の腰にそっと回される。

抱き寄せるというよりは、ふわりと包むような力加減だった。

 

「もうちょっとだけ、こうしてていい?」

 

そう言われて、うんとも言えず、美遥は頷いた。

首の後ろに額を預けられたまま、ふたりはまた沈黙する。

でもその沈黙は、昨夜とは違う。

言葉がなくても、何かを伝え合っている気がした。

 

「……お腹すいたね」

 

「うん。ちょっとだけ」

 

「何が食べたい?」

 

一瞬、答えを考える。

でもすぐには出てこなくて、代わりにこう言った。

 

「……湊くんが食べたいもの、でいいよ」

 

「それだと、たぶん……また時間かかるけど」

 

「……え?」

 

ふいに、湊が笑った。

あたたかい笑い声だった。

肩が、少しだけ揺れた。

その振動が美遥の背中にも伝わって、つられて笑ってしまう。

 

こんなふうに、笑える朝が来るなんて。

昨夜とはちがう種類の、柔らかい幸福が、胸の奥を静かに満たしていく。

 

目を閉じる。

もう一度だけ、深く呼吸をしてみる。

何かが少しだけ変わった朝。

でも、それは――怖くない。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。