夕暮れの柔らかな光が部屋を染める中、湊は美遥の隣で静かに息をついた。
「そろそろ、ちゃんと話をしないといけないと思う」
その声は穏やかだが、確かな決意がこもっていた。
美遥は目を伏せたまましばらく黙っていたが、やがて静かに顔を上げて頷く。
「うん、私もそう思う。行こう」
言葉は短くても、瞳の奥に浮かぶ光には覚悟があった。
二人はそっと手を取り合い、静かな夜の街を歩く。
冷たい風が頬を撫でるたびに身を縮めたが、不思議と心は落ち着いていた。
義母の家の扉の前で立ち止まり、湊は深く息を吸う。
美遥の手を、少し強く握りしめた。
「大丈夫。俺たちなら、きっと乗り越えられる」
その言葉に美遥も小さく頷いた。
玄関のチャイムを押す。
短い沈黙の中、どこか遠くで時計の秒針が静かに音を刻んでいた。
やがて、扉がゆっくりと開く。
「いらっしゃい」
義母の声は穏やかだったが、その奥には微かな緊張が滲んでいた。
三人は居間へ通され、それぞれの思いを胸に静かに席につく。
義母は湊をまっすぐに見つめ、少し間を置いてから口を開いた。
「お二人のことは、少し前から察していたわ」
その一言に、張り詰めていた空気がほんの少し緩んだ。
湊は息を整えながら、まっすぐ義母に向き直る。
「……美遥さんと、これからの人生を一緒に歩いていきたいと考えています。
簡単な道ではないかもしれませんが、どんなときも隣にいて、支え合っていくつもりです」
一言一言、心から絞り出すように語る湊の声は震えていた。
だがその震えには、嘘のない誠実さが宿っていた。
義母はその言葉を静かに受け止め、わずかに視線を落とす。
テーブルの上に組まれた手が、わずかに指先を動かしていた。
沈黙の中、美遥がそっとその手に触れた。
義母は少し驚いたように目を見開いたが、すぐに微笑みを浮かべる。
「……わかりました。あなたの言葉は、ちゃんと届いたと思う。
どうか、美遥を、大切にしてあげてくださいね」
湊は深く頭を下げた。
美遥も、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。
言葉は多くなくても、そこには確かな理解と受け入れがあった。
◇◇◇
部屋の中は、淡い灯りだけが静かに揺れていた。
義母は椅子に腰を下ろし、両手を膝の上に重ねたまま、ぽつりと語り出す。
「私にもね、あなたたちとは少し違うかたちだけど、大切な人と向き合うのに悩んだ時期があったのよ」
その声は柔らかく、しかしどこか遠い過去を見つめるような響きだった。
美遥は静かに頷き、義母の言葉に耳を傾ける。
「自分の気持ちだけを押しつけて、相手のことを見失ってしまったの。
あの頃は、ただ好きなだけじゃ、うまくいかないんだって思い知らされたわ」
義母の指先が、そっと組み直される。
その仕草に、ほんのわずかな痛みと、年月を超えた強さが滲んでいた。
「だからこそ、あなたたちには焦らずに、でも正直に向き合ってほしいの。
ぶつかることもあるかもしれない。でもね、ちゃんと話して、理解しようとし続ければ、きっと乗り越えられる」
言葉の一つ一つが、美遥の胸に静かに降り積もっていく。
目の前の義母が、ただの「家族」ではなく、一人の女性として生きてきた時間が、ほんの少し垣間見えた気がした。
美遥は息を吐き、言葉を選びながら小さく答える。
「……私も、これからはちゃんと向き合いたい。湊とも、自分自身のこととも」
義母は優しく微笑み、そっと手を差し伸べた。
「それでいいのよ。少しずつでも、歩いていければ」
美遥はその手をしっかりと握り返す。
その温もりが、胸の奥にぽっと灯をともすのを感じた。
外では、夜の静けさが一層深まっていく。
三人の心には、それぞれの思いと決意が、確かな根を下ろしていた。
その根は、これから先の季節を支え、静かに伸びていく。
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