※この作品はR-18です。

甘くて、こわい君だった   作:Marks_Lee

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maybe あやね
maybe 1話


最初に気づいたのは、声だった。

 

朝倉先輩の声は低くて、どこか乾いていて、それでいて静かに耳に残る。怒るわけでも、笑うわけでもなく、淡々とした口調に私は少しずつ惹かれていった。

 

先輩は誰に対しても一定の距離を保っている。優しいのに冷たい。話しかけられれば応えるけど、自分からは決して踏み込まない。

 

たぶん、それが心地よかった。

 

深く関わらないことで守られるものがある。そう思っていた。

 

でも、あの日――先輩が誰かと話しているのを見てしまってから、違った。

 

理由はわからないけど、胸の奥に引っかかるものができた。

 

◇◇◇

 

昼休み、早川あやねはコーヒーを片手にデスクへ戻った。

 

窓際の席、左斜め向かいに座る朝倉湊は、今日も黙々と画面を見つめている。

 

少し長めの前髪が伏せた目元を隠し、その表情は硬い。

 

時折、小さく息を吐き、疲れを隠そうと肩をすくめるその仕草に、どこか優しさが滲んでいるように見えた。

 

「あ……」

 

思わず声が出そうになったのを慌てて飲み込む。

 

先輩は気づいていないようだった。あるいは、気づいていても無視しているのかもしれない。

 

(このあいだの、あの光景)

 

あやねは数日前の夜のことを思い返す。

 

駅へ向かう途中、コンビニ前で偶然、湊を見かけた。

 

制服姿の見知らぬ少女と話していた。

 

彼はただ静かに聞いているだけだった。

 

会話の内容も、関係もわからない。

 

ただ、先輩があんな表情を見せるのは初めてだった。

 

あれ以来、その少女の姿は見ていない。

 

気にすることじゃないと思いつつ、胸の奥に小さなざわめきが残った。

 

胸のざわめきは、何度考えても理由がわからなかった。ただ、どうしようもなく気になってしまう。

 

それは嫉妬なのか、期待なのか、自分でもまだわからない。

 

(私には、あんな顔見せたことないのに)

 

コーヒーはすっかり冷めていた。

 

◇◇◇

 

仕事が一段落した頃、あやねは意を決して声をかけた。

 

「先輩、今日は残業ですか?」

 

湊は顔を上げ、短く頷く。

 

「じゃあ、少しだけ付き合ってください」

 

あやねの誘いに、湊は一瞬目を細めたが、黙って頷いた。

 

二人は近くの居酒屋へ向かう。

 

店内は落ち着いた照明に包まれ、静かなざわめきが広がっていた。

 

あやねは軽く枝豆を注文した。仕事帰りのささやかな楽しみだ。

 

ぷちぷちと弾ける豆の食感と、程よい塩気が疲れた身体に染み渡る。

 

湊は迷わず冷やしトマトを選んだ。

 

瑞々しい酸味が、彼のさっぱりした嗜好を物語っている。

 

お酒が進むにつれ、あやねの声は少しずつ柔らかくなった。

 

「先輩って、ずるいですよね」

 

ぽつりと漏らした言葉に、あやねは視線を伏せ、指先でコップの縁をそっと撫でる。

 

湊は一瞬眉をひそめたが、すぐに軽く笑みを浮かべた。

 

「そうか? まあ、距離感は大事だからな」

 

いつもの冷たさは消え、どこか気遣うようなニュアンスが含まれている。

 

その反応に、あやねは少し心をくすぐられた。

 

「優しいようで、全然優しくない。距離を保ったままで、近づけないんです」

 

頬を赤らめながら続けると、湊は少し表情を和らげ、軽くからかうように返した。

 

「お前が勝手に近づこうとしてるだけだろ」

 

あやねは戸惑いながらも、思わず笑ってしまった。

 

酔い覚ましに外へ出る。

 

夜風がひんやりと肌を撫でる。

 

二人並んで歩く足音だけが、静かな街に響いた。

 

あやねは隣にいることの不思議さと、これからのことを考えていた。

 

「先輩、今日はありがとうございました!また一緒に飲んでください!」

 

「……ああ」

 

その言葉に、湊は視線をすっと遠くに向けた。

 

まだ何かを隠しているような気配を感じながらも、あやねはわずかにほっとした。

 

ぎこちない会話のなか、二人の距離はほんの少し縮まった気がした。

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