※この作品はR-18です。

甘くて、こわい君だった   作:Marks_Lee

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maybe 12話

夜の静けさが部屋を包み込んでいた。

カーテンの向こうには街灯の淡い光が滲み、ソファに並んで座る二人の影を、部屋の明かりが静かに落としている。

 

早川のスマートフォンが、テーブルの上で小さく震えた。

画面に映った番号を見た早川は、湊に視線を向け、少し申し訳なさそうに口を開く。

 

「……ごめん。ちょっと、実家から」

 

「うん」と湊は短く答える。

早川はその場で通話に出た。

 

「もしもし? うん、元気にしてるよ。ちゃんと食べてるし、寝不足もしてないって。……うん、うん、そっちは?」

 

笑い声が漏れる。母親か、あるいは祖母か。

早川の表情は、職場ではあまり見せないほど自然で、柔らかかった。

 

「え? うん、えっと……その、特にそういう話はしてないかな……いや、別に焦ってるとかじゃなくて……お見合い!? ないない、そういうのは大丈夫。間に合ってるから」

 

苦笑交じりにそう言って、そっと目を泳がせる。

湊はその様子を黙って見つめていた。

日常の中にある、当たり前のやり取り。

自分の中では遠くなった世界。

 

「……うん、またね。うん。おやすみなさい」

 

電話を切ると、早川はスマホを伏せたまま、湊の方をちらと見た。

 

「……なんか、ああいうの、湊の前で初めてだったかも」

 

「……仲、いいんだな。家族」

 

ぽつりと湊が呟く。

それは羨望とも、過去の名残を抱くような響きとも取れた。

 

「うん、まあ……前より少し、話すようになったかな。私が離れて暮らすようになってから、ちょっと頻繁に」

 

「寂しがりなんじゃないか」

 

「たぶん。……でも、私も、ああいうのちょっと嬉しかったりするから」

 

微笑む早川の声は、穏やかだった。

 

沈黙が少しだけ流れる。

そして早川は、ふと思い出したように口を開いた。

 

「……湊は、ご両親とは話さないの?」

 

その問いに、湊の指がピクリと止まった。

彼はわずかに眉を動かし、目を逸らす。

 

「……してないよ。何年も」

 

「そっか……なんとなく、気持ち、わかる気がする」

 

その言葉に、湊は湯飲みを持つ手をゆっくり下ろし、わずかに声のトーンを落とした。

 

「……何が“わかる”って?」

 

空気が一瞬ひりついた。

 

早川は一瞬言葉を失い、視線を揺らす。

 

「いや……ごめん。うまく言えない。でも、無理にとは思ってないから……」

 

湊は何も言わず、ただ湯飲みを“コトン”とテーブルに戻した。

少し強めに響いたその音が、部屋に残る。

 

しばらくの沈黙のあと、早川が控えめに問いかける。

 

「……そんなに、私に話したくない?」

 

「話す意味があると思えないだけだよ」

 

目を合わせず、静かに返されるその声に、早川の表情がわずかに曇る。

 

「私は……湊のこと、もっと知りたいだけなのに」

 

「それで? 知って、何か変わるのか?」

 

口調は淡々としている。だが、その奥に潜む苛立ちは、早川にも伝わった。

 

「わかってる。あんたは優しいし、ちゃんと向き合おうとしてくれてる。でも……それが逆につらい」

 

「つらい……?」

 

「……ごめん。言い方が悪かったな」

 

湊は小さく息を吐き、続けた。

 

「そうやって向き合ってくれるのが、お前にとっては自然なんだろう。でも俺は——それが、怖いんだよ」

 

「……」

 

「前に、一度だけ“家族になれた”と思ったことがあった。ほんの一瞬だった。でも、すぐに壊れた。……些細なすれ違いが、積もって、気づいたときにはもうバラバラだった」

 

湊の指が、テーブルの縁をなぞる。

 

「信じてたんだ、ちゃんと向き合えたって。でも……俺が勝手にそう思ってただけだった」

 

その言葉には、どうしようもない虚無感があった。

 

「それ以来、踏み込むのも踏み込まれるのも、怖くなった。……けど、お前がいると、それが揺らぐ」

 

声が、わずかに震える。

 

「揺らいで、また壊れるんじゃないかって……びびってるんだよ。ずっと」

 

その言葉がこぼれた瞬間、早川はゆっくりと手を伸ばした。

隣に座ったまま、そっと湊の肩に腕をまわす。

 

「——っ……やめ、……」

 

湊の体が一瞬だけこわばる。

拒もうとした。反射的に身を引こうとした。

 

けれど、早川の腕は強くなかった。

ただそこに“ある”だけの、温かくて、静かな抱擁。

 

湊の肩から、少しずつ力が抜けていく。

 

「……なんで、そんなに……」

 

絞り出すような声に、早川が答える。

 

「湊が怖がるのも、疑うのも、無理ないって思った。でも……私は離れないよ」

 

「……」

 

「全部わかるなんて思ってない。でも、それでもここにいたい。湊のそばに」

 

湊は息を吐くように言う。

 

「……重たいな、お前」

 

「うん。でも、軽くなろうとは思ってないよ」

 

早川の声は、どこまでも優しかった。

 

湊の腕が、ゆっくりと早川の背に回る。

ぎこちない動作。けれど、確かにそれは“受け入れる”という意思だった。

 

「……めんどくさい男だよな、俺」

 

「知ってる。でも……そういうとこ、嫌いじゃない」

 

小さく笑うような声が、肩越しに響いた。

湊もまた、目を細めて、ふっと鼻で笑う。

 

しばらく、言葉も交わさず、ただ隣同士で、静かに寄り添っていた。

 

——この夜、ふたりの距離は、確かに少しだけ近づいていた。

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