※この作品はR-18です。

甘くて、こわい君だった   作:Marks_Lee

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maybe 13話

朝の光が、カーテンの隙間から静かに差し込んでいた。

 

湊の部屋の空気はまだぬるく眠っていて、どこかやわらかい。

早川はベッドの縁に腰掛け、隣で寝息を立てる湊の横顔をぼんやりと見つめていた。

 

目を閉じている顔は、どこか子供のように無防備で、昨日の夜に見せた痛みの残る表情とは違っていた。

この人のことを、私は本当に知っているんだろうか。

そう思うたび、胸の奥がそわそわと疼く。

 

「……もう起きなきゃ、か」

 

自分に言い聞かせるように呟き、そっと立ち上がる。

昨夜のうちに準備しておいた着替えや化粧ポーチを手に取りながら、心の中に残る“ぬくもり”の正体を探るように、静かにバスルームへ向かった。

 

◇◇◇

 

身支度を終えた頃、湊が眠そうに髪をくしゃくしゃと掻きながら起きてきた。

寝起きの顔は少し不機嫌そうで、それでもどこか頼りなく、やっぱり他の誰でもない“湊”だった。

 

「……朝か」

 

「おはようございます。先輩」

 

「ん……おはよう」

 

交わした言葉は短くて素っ気ない。

だけど、目が合ったその瞬間、早川はほんの少しだけ安心していた。

 

昨日、ちゃんと届いていたのかもしれない——

湊の心の奥に、自分の声が。

 

でも同時に、まだ不安も拭いきれなかった。

 

“あれは一時の気の迷いで、今日になればまた壁ができているんじゃないか”

そんな臆病な声が、自分の中にも確かにあった。

 

トースターにパンを入れて、会話を始める。

 

「今日、午前中の会議、二件ありましたよね?」

 

「ああ、クライアントのと内部の進捗報告。……午後は社外打ち合わせ」

 

「社外、って……例のプロジェクトの?」

 

「うん。先方、来週で異動になるらしくてさ。こっちも顔合わせは今回が最後になるかも」

 

言葉の端々に、少しだけ湊の口調が軽やかになるのがわかる。

 

それが、なんとなく寂しかった。

 

仕事の話になると、自然と表情が明るくなる。

私と話していたときよりも、もっと柔らかく笑ってる気がした。

 

——なんでだろう。

昨日の夜、あんなに近くにいたのに。

 

早川はパンの焼ける匂いに紛れて、静かに視線を伏せた。

 

◇◇◇

 

朝の通勤時間帯を少し外して、ふたりは早めにアパートを出た。

 

並んで歩く道。

早川は黙ったまま、湊の歩幅に自然と合わせていた。

 

手が触れ合うでもなく、寄り添うでもない。

ただ“並んで歩いている”というその事実が、今は救いだった。

 

「……今日の夜、ちょっと残業になりそうですか?」

 

「どうだろ。先方次第かな。終わったら連絡するよ」

 

「わかりました」

 

やり取りは形式的。

けれど、そのたびに小さく胸が鳴る。

 

湊は少しずつ、ほんの少しずつ、いつもの“先輩”に戻っていく。

あの夜に触れたあたたかさが、また遠ざかっていく気がした。

 

◇◇◇

 

午後、社内で湊の姿を見かけた。

 

コピー機の前、女性社員と話している。

話題は業務のことらしく、ふたりとも穏やかな表情をしていた。

 

——ただ、それだけのはずだった。

 

けれど、湊が誰かと“自然に笑っている”姿を見るだけで、胸の奥がずきんと痛んだ。

 

(昨日、あんなに弱さを見せてくれたのに)

 

(それでも、私はまだ——)

 

湊はどこか遠い。

 

抱きしめたはずの背中も、言葉を交わしたはずの心も、今はもう手の届かない場所にあるような気がしていた。

 

「私は、まだ……隣に立ててないんだ」

 

小さな呟きが、心の中にぽたりと落ちた。

 

◇◇◇

 

夜、帰宅した早川は、スマホを手に取り、何度も入力しては消す。

 

“もっと話したい”

“私は、あの人をちゃんと知りたい”

 

それを言葉にするのが、こんなにも難しいなんて。

 

けれど、伝えなければ、またあの壁ができてしまう気がしていた。

 

【今日はありがとう。今度、ちゃんと時間とって話せたら嬉しいです。】

【私は、湊のことを、もっと知りたいと思ってる。】

【それだけじゃ足りないかもしれないけど、私は……一緒にいたいです。】

 

送信ボタンを押す前、深く息を吸い込む。

 

「重いって、思われたらどうしよう」

 

でも、それでもいい。

伝えなければ、何も進まないままだ。

 

◇◇◇

 

湊は風呂上がりにスマホの通知を見て、一瞬、眉を寄せた。

けれど内容を読んだ瞬間、ふっと笑みがこぼれる。

 

「……本当に、重たいな」

 

でもその声は、どこか安堵していた。

“重たい”のに、“嫌じゃない”——

むしろ、その想いに包まれている気がして、胸の奥が温かくなる。

 

「また、ちゃんと話そう」

 

声には出さなかったけれど、湊の中にはもう答えが出ていた。

 

夜の空は静かで、雲の切れ間からわずかに星が滲んでいた。

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