※この作品はR-18です。

甘くて、こわい君だった   作:Marks_Lee

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maybe 24話

週明けの朝。

早川は自席に座り、カップに注いだばかりのコーヒーに口をつけた。

窓の外は曇り空。週末のあのやわらかい陽射しは、どこか遠い景色のようだった。

 

社内の空気は、以前よりずっと静かだった。

それでも、ごく一部の視線や声にならない噂が、完全に消えたわけではない。

 

けれど、早川の中で、何かが少し変わっていた。

 

いつものように湊が出社してきて、彼女の視界の中に自然に入ってくる。

その姿を見るだけで、不思議と呼吸が落ち着いた。

何も言葉は交わさなくても、隣にいるというだけで――少しだけ、安心できる。

 

「おはよう」

 

背後から届いた声に、少し驚いて振り返る。

湊だった。鞄を持ったまま、柔らかな笑みを浮かべて立っていた。

 

「あ……おはよう」

 

思わず顔を上げると、彼の目がまっすぐ自分を見ていた。

そのまなざしに、一瞬、胸がふっと温かくなる。

 

◇◇◇

 

午後。営業先から戻る途中、小さなトラブルが起きた。

 

クライアントとの納品日程に齟齬があり、先方から強めのクレームが入る。

その場にいたのは湊と早川のふたりだけ。上司は外出中で、判断は自分たちに委ねられていた。

 

「どうする?」

 

小声で尋ねる早川に、湊は一瞬だけ迷った後、はっきりと答えた。

 

「……俺が話すよ。君は、必要なデータだけ手元に準備してくれ」

 

頷くと同時に、早川は無言で端末を操作しはじめた。

怒鳴り声が飛ぶ場で、湊はまっすぐ先方を見据え、必要以上に下手に出ず、だが冷静に説明を続ける。

 

「こちらの伝達不足は否めません。ただ、おっしゃる通りすぐにでも再調整可能です」

「……信頼を損ねたことは、必ず挽回します。約束します」

 

声を荒らげた担当者が一息ついたタイミングで、早川が静かに資料を差し出した。

ぴたりとタイミングが合った。

互いの呼吸を感じて動けたことに、早川はふと驚く。

 

クライアントの表情がやがて和らぎ、話は一応の収束を見た。

 

「……ありがとう。助かった」

 

オフィスに戻る道すがら、湊がそう言って頭を下げた。

 

「こっちこそ。すごかったね……あの切り返し」

 

「いや、内心めっちゃ焦ってたよ」

 

ふっと笑い合う。

この距離が、いまの二人にはちょうどいい。そう思えた。

 

◇◇◇

 

その夜。

早川は湊と、駅前の小さな居酒屋にいた。

 

明るすぎず、落ち着いた照明の店内。

木目のテーブルに湯気を立てる出汁巻き卵と、揚げたての天ぷら。

ビールのグラスがカチリと軽く鳴った。

 

「……ああ、久しぶりに、外でゆっくりできたかも」

 

湊が息を吐きながら、目を細める。

 

「お疲れさま。今日の対応、本当に助かった」

「……あの場にいたのが湊でよかった」

 

「俺も。君と一緒じゃなかったら、どうなってたか」

 

目が合って、自然と笑みがこぼれる。

 

少しして、沈黙の間。

その静けさが、どこか心地よかった。

 

箸を置き、早川はグラスを持ったまま、ぽつりと口を開いた。

 

「……私、家を出てから、誰かに頼るのがすごく苦手になった」

 

「うん」

 

湊は、急かさず、ただ耳を傾ける。

 

「地元では、“女は結婚して落ち着け”って、ずっと言われてて。

だから、上京して自立することが自分を守る唯一の手段だった」

 

言いながら、自分でも驚いた。

こんなふうに、誰かに過去を話すなんて。

 

湊はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。

 

「……俺も、実家はあまり居心地よくなかった」

「自分がどうありたいかって、あの頃は誰にも言えなかったな。言ったら、否定される気がして」

 

「……わかる」

 

小さく、頷く。

共通する部分が、ほんの少しだけ触れ合った気がした。

 

◇◇◇

 

夜の駅前。

夜風がすこし涼しく、シャツの袖を揺らしていく。

街灯が並ぶ歩道を、ふたりは言葉少なに並んで歩いていた。

 

「今日は……ありがとう」

 

早川がぽつりと言うと、湊は少し立ち止まり、彼女の横顔を見つめた。

 

「俺ね、たぶん……これからも君の隣にいたいって思ってる」

 

心臓が、少しだけ跳ねた。

唐突でも、重くもなかった。

まっすぐで、ただ誠実な言葉だった。

 

早川は言葉を探すようにうつむいて、そして、目を合わせずに言った。

 

「……私も、たぶん。そう思ってる」

 

肩が少しだけ触れた。

でもその距離感が、ちょうどよかった。

 

そのまま、駅の改札まで。

並んで歩きながら、ふたりは何も言わず、それぞれの心に、あたたかなものを灯していた。

 

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