※この作品はR-18です。

甘くて、こわい君だった   作:Marks_Lee

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true 紬
true 1話


夜のコンビニは、妙に静かだった。

 駐車場の端に車を停め、買い物を終えた湊が店を出たところで、視界の隅に人影が映った。

 

 軒下。

 雨は降っていない。それなのに、制服姿の少女がぽつんと立っている。

 左手にはレジ袋ひとつ。白い靴下は薄く汚れ、視線は下に落ちたままだ。

 

 いつものように見過ごすこともできた。

 だが彼女の顔には、どこか見覚えがあった。正確には、「よく見る顔」だった。

 このあたりの高校に通う生徒で、時間帯は違えど、何度かこのコンビニで見かけた記憶がある。

 名前も、何をしているのかも知らない。ただ、顔だけが妙に記憶に残っていた。

 

 湊は戸惑いながら、声をかけた。

 

 「……こんな時間に、どうしたの?」

 

 少女はぴくりと肩を揺らし、ゆっくりと顔を上げた。

 一瞬だけ湊を見たが、すぐに目を逸らす。だが逃げようとはしなかった。

 

 「家、近いんじゃないの?」

 

 少し間を空けて、少女が答えた。

 

 「……帰る場所、ないんです」

 

 言葉は平坦だった。感情がこもっていないというより、感情を押し込めているような――そんな印象だった。

 湊は数秒黙り、少女の足元と表情を交互に見た。

 

 ずぶ濡れでもなく、スマホをいじっているでもなく、ただ立っている。

 高校生が、夜の九時過ぎに一人でコンビニの軒下に。理由がなければおかしい。

 だが、そうとしか言いようのない佇まいだった。

 

 「……誰かに声かけられるの、待ってたって感じかな」

 「運が悪かったな。俺、こう見えて放っておけないタイプでさ」

 

 そんな冗談じみた言葉に、少女はほとんど反応しなかったが――しばらくして、微かにうなずいた。

 

◇◇◇

 

 部屋までの道のりで、ほとんど会話はなかった。

 湊自身も状況をうまく整理できていなかった。

 見知らぬ女子高生を、自宅に連れ帰っている。

 我ながら理解不能な行動だと思う。だが、それでも足は自然に動いていた。

 

 マンションの玄関で、少女は黙って靴を脱ぎ、丁寧に揃えた。

 そして、ごく自然に頭を下げる。その仕草には礼儀があるが、どこかぎこちない。

 緊張というより、「慣れていない」ことの表れに見えた。

 

 「ベッド使う? ソファでもいいけど」

 

 湊が問いかけると、少女は首を横に振った。

 

 「ソファで大丈夫です。……というか、こんな知らない子、家に上げちゃっていいんですか?」

 

 その言い方はまるで、自分のことではないようだった。

 湊は苦笑しながら、頭をかいた。

 

 「自分でも不思議に思ってるよ」

 

◇◇◇

 

湊はキッチンで湯を沸かしていた。

 カップ麺にしようか、インスタントスープにしようか迷った末に、結局どちらも出してテーブルに置く。

 少女はソファに座ったまま、小さく礼を言った。

 

 「……ありがとうございます」

 

 声は小さいが、はっきりしている。

 そうして膝の上で指を組みながら、彼女はどこか所在なさげに部屋を見渡していた。

 

 「この時間にさ、誰かに声かけられたら危ないと思わなかった?」

 

 湊がそう言うと、少女はわずかに眉を寄せた。

 けれど、反論も、肯定もしなかった。ただ少し、口元を引き結ぶだけ。

 

 「まあ……俺が言える立場じゃないか。連れて帰ってきたし」

 

 湊はカップを少女の前に置き、ソファの向かいに腰を下ろした。

 湯を注ぐ音だけが部屋に響く。

 

 しばらくの沈黙のあと、少女がぽつりと口を開いた。

 

 「……別に、助けてほしいと思ってたわけじゃないんです」

 

 「うん、そういう顔してた」

 

 湊は軽く笑って、カップのふたを抑えたまま言った。

 

 「でも、ちょっとだけでも誰かに声かけてもらえたら――って、思ってたんじゃない?」

 

 少女は何も言わなかった。

 けれどその目は、まるで答えを認めているように見えた。

 

 湯気がふわりと昇る。

 その向こうで、少女がふいに顔を上げた。

 

 「……紬って言います。名前だけ、ですけど」

 

 湊は少しだけ目を細めて、その言葉を受け取った。

 

 「名前だけ、ね」

 

 「苗字は……言いたくないです。今は」

 

 その言い方は、どこか覚悟のような響きを含んでいた。

 湊はそれ以上何も聞かず、静かにうなずいた。

 

 「朝倉湊。こっちはフルネームで失礼」

 

 少女――紬は、その名前を聞いて、一瞬だけまばたきをした。

 だが、何かを悟った様子はなかった。ただ、また静かにうなずいた。

 

 「……湊さん、ですね」

 

◇◇◇

 

カップ麺のふたを開ける音が、やけに大きく響いた。

 

 テレビはつけていない。音楽も流していない。

 ふたりの間にあるのは、コンビニの袋とスープの湯気と、それから妙に居心地の悪い沈黙だけだった。

 

 「……おいしいです」

 

 紬がそっとそう言った。

 

 「それはよかった」

 

 湊も手を止めずに言う。

 向かいに座る少女の存在が、どこか現実感を持たないままだった。ついさっきまで、あのコンビニの軒下に立っていたのに、今は自分の部屋のソファでスープをすする声を聞いている。

 

 「本当は……どこかに帰るつもりだったの?」

 

 「ううん」

 

 紬はかすかに首を横に振った。

 その動きが、小動物のように控えめで、どこか危うい。

 

 「帰れる場所がないって言ってたけど」

 

 「そう、ですね……家族には、知られたくないから。今日のことも」

 

 「家出?」

 

 「そういうつもりじゃなかったんですけど……結果的に、そうなってるかも」

 

 紬の声は淡々としていたが、ふとした瞬間に言葉が揺れる。

 何かを隠しているというより、言葉を整理できていないまま話しているように見えた。

 

 湊はそれ以上、踏み込まなかった。

 問い詰めたところで、少女の肩を縮こまらせるだけだと思ったからだ。

 

 代わりに、紙コップを指先で回しながら、少しだけ視線を逸らして言った。

 

 「……家、わりと狭いから。今日はここで寝てもらって、明日の朝になったら……」

 

 言いかけて、言葉を濁した。

 紬は、静かにうなずいた。

 

 「朝になったら、ちゃんと出ていきます」

 

 「そうじゃない。無理しないで、って意味」

 

 紬が、ふっと表情を緩めた。

 

 「……優しいんですね、湊さん」

 

 「いや、そういうんじゃなくて」

 

 「じゃあ、変わってます。女の子連れて帰ってきて、何もしないんですから」

 

 その一言で、湊は言葉を失った。

 たしかに、そう言われればそうだった。

 知らない女子高生を自分の部屋に泊めて、ただスープを飲ませている男など、冷静に考えればまともじゃない。

 

 「なんか……俺も、自分が何やってんのかよくわかんないわ」

 

 「でも、ありがとうございます」

 

 その声は、今までよりもほんの少しだけ近かった。

 湊はそれ以上何も言わず、ぬるくなったスープを口に運んだ。

 

◇◇◇

 

翌朝。

 

 湊が目を覚ますと、カーテンの隙間からやわらかな朝日が差し込んでいた。

 狭い部屋に、見慣れない違和感が残っている。

 リビングのほうから、湯を沸かす音が聞こえた。

 

 身を起こして、寝ぼけた頭で時計を確認する。午前七時。

 遅くとも八時には出社しなければいけない。

 

 Tシャツのままリビングへ行くと、紬がケトルの前に立っていた。

 学校の制服ではなく、昨夜のままの私服にパーカーを羽織っている。

 

 「おはようございます」

 

 「……おはよう。早いんだな」

 

 「もう出ていきます。ご迷惑かけました」

 

 紬の声ははっきりしていたが、目の下には少しだけクマができていた。

 眠れなかったのかもしれない。

 

 テーブルの上には、スーパーの菓子パンが二つと、インスタントのドリップコーヒーが置かれている。

 たぶん、湊が買い置きしていたものを見つけて用意したのだろう。

 

 「パン、食べませんか?」

 

 「……ありがとう。でも俺、朝はコーヒーだけでいいタイプだから」

 

 湊は笑って、椅子に腰を下ろした。

 紬も小さく笑った。

 

 「じゃあ、これは私がもらいますね」

 

 その仕草が、ほんの少しだけ「普通の女の子」っぽく見えた。

 夜の沈黙と無防備さが、ほんの少し和らいでいた。

 

 このまま別れてもきっと忘れるはずだった――そう、湊は思っていた。

 だがその夜から、少女の顔が妙に頭に残るようになる。

 

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