朝の薄明かりが、カーテン越しにかすかに部屋を照らす。
紬は鏡の前に立ち、制服のリボンをぎこちなく結び直していた。
指先は微かに震え、結び目を確認する度に、胸のざわつきが募る。
「大丈夫、大丈夫……」
口の端から漏れたその言葉は、まるで自分にかけるおまじない。
けれど、その声の震えは隠せず、自分の心の弱さをさらけ出していた。
鏡に映る自分の顔は無表情を保つ。けれどその奥で、まるで荒波のように心が揺れている。
目の奥に、焦りと不安、そしてどこか諦めに似た寂しさが潜んでいた。
ため息が喉の奥からこぼれ落ち、胸がぎゅっと締めつけられる。
「ほんとに、大丈夫なのかな……」
思わず呟いたその言葉は、自分への問いかけでもあった。
◇◇◇
教室。友人たちの楽しげな笑い声が耳に届く中、紬はその輪に入りきれずにいた。
隣の席の真奈美が、明るい声で話しかける。
「ねえ、昨日のドラマ見た?めっちゃ泣いちゃってさ!」
紬は短く「うん、見た」とだけ答える。
その声はか細く、まるでどこか遠くから響くようで、真奈美の笑顔にさえ届かなかった。
「紬ちゃん、最近元気ないよね……大丈夫?」
問いかける真奈美の目は、優しさに溢れている。
けれど、そんな優しさにすら、自分をさらけ出せないもどかしさがあった。
「大丈夫」
口にするその言葉は、まるで自分に言い聞かせているようで、虚ろに響いた。
真奈美は何かを察したように少し顔を曇らせ、声を落とす。
「もし、話したいことがあったら、いつでも私がいるからね」
優しい言葉に胸が締め付けられ、紬はうつむく。
まだ自分の弱さを誰かに見せる勇気はなかった。
「ありがとう……でも、まだ話せそうにない」
その言葉の奥に隠された孤独は、誰にも届かないままだった。
昼休み、スマホの画面に湊からメッセージが届く。
「今日の調子はどう?」
指が震え、何度もその文字を眺める。
返事を書きたい気持ちと、素直になれない気持ちがせめぎ合う。
「……どう答えればいいの?」
心がざわつき、胸の奥が締め付けられるように痛む。
ようやく「まあまあ」と打つ指先は震えていた。
数分後の返信は、やさしく温かかった。
「そっか。無理しないでな」
その言葉に少しだけ救われる。
でも、もっと心の内を明かしたい自分と、それを怖れる自分が交錯して、紬は戸惑った。
◇◇◇
放課後。バイトの面接会場の前に立ち尽くす。
深く息を吸い込んだが、心臓は激しく波打ち、言葉が出てこない。
面接官の冷たい視線が痛く、紬は言葉に詰まる。
「……バイト経験は少しだけですが、一生懸命頑張ります」
震える声に、自分でも驚き、肩が小さく震えた。
「ありがとうございます。結果は後日連絡します」
冷たく告げられたその言葉が、胸に冷たい石を置いたようだった。
扉を閉めた瞬間、紬は膝がぐらつくのを感じた。
「うまく話せなかった……」
ぽっかりと空いた穴の底に、焦りと自己嫌悪が渦巻いた。
夜の街に出て、暗闇に紛れながら足を運ぶ。
何もかもが重く、歩みは鈍い。
ふと見つけたカフェの扉を押し開けると、窓際の席に腰を下ろした。
手にしたカップの温かさが、少しだけ冷えた心を溶かしていく。
「こういう、何も考えずにいられる時間が欲しかったんだ」
小さく呟いた言葉が空気に溶ける。
顔を上げると、そこに湊の姿があった。
「紬?」
目が合い、驚きとともに胸が締め付けられる。
けれど、その胸の奥には、ふっと安堵が広がった。
「湊さん……」
お互いにぎこちなく笑い合い、自然と温かな空気が生まれた。
席につくと、紬が静かに口を開いた。
「昨日は本当にありがとう。すごく助かった……」
湊は優しく頷く。
「無理しなくていい。ゆっくりでいいんだ。気持ちが落ち着くまで」
紬は視線を落としながら、少しだけ震える声で打ち明ける。
「不安で……時々、自分が嫌になる。そんな自分が情けなくて」
その告白に、湊は静かに手を差し出した。
「そんな時は、俺を頼っていいんだ。俺は紬の味方だから」
言葉の一つひとつが胸に染み渡り、紬は肩の力をゆっくりと解いた。
「ありがとう、湊さん……本当に」
二人の目がじっと合い、そこでようやく、小さな微笑みが交わされた。
帰り道。夜風が冷たく頬を撫でる中、並んで歩く二人。
紬は勇気を振り絞って尋ねた。
「湊さんは、どうしてそんなに優しいの?」
湊は少し照れながらも、真剣に答える。
「そりゃ、紬みたいな子を放っておけないからさ」
その言葉が胸の奥を温かく満たし、紬の心の壁が少しずつ崩れていくのを感じた。
改札前に着くと、紬は小さな声で言葉を紡ぐ。
「また、話せる?」
湊は迷いなく笑顔で応えた。
「もちろん。いつでも」
紬はその言葉に力強く頷いた。
揺れる心と重なる想いはまだ不確かだけれど。
二人の距離は、確実に近づいていった。