※この作品はR-18です。

甘くて、こわい君だった   作:Marks_Lee

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true 18話

 冬の朝は、どこか世界を遠ざけるように静かだった。

 部屋の隅で灯る小さな暖炉の火も、凍えた空気をほんの少しだけ溶かすだけで。

 

 湊は窓の外に広がる灰色の空を見つめながら、胸の奥のざわめきを抑えきれなかった。

 紬が実家に戻ってから、何日が過ぎたのだろう。

 

 距離を置くべきだと理解しながらも、彼女の不在が穴のように心を空洞化させている。

 スマホの画面を何度も確認するが、紬からの連絡はない。

 

 そんな中で、唐突に届いたメッセージ。

 送信者は、柚月。

 

 短い一文。だが、その一言に湊の心は揺れ動いた。

 

「今日、少し話せますか?」

 何かを伝えたいという覚悟が、その文字の端々から伝わってくる。

 湊は一瞬ためらったが、すぐに返信を打った。

 

「はい。時間を作ります。場所はどうしますか?」

 返事を送信した指先が震える。

 会うことが、こんなにも怖くて、そしてどこか期待している自分に気づく。

 

 ◇◇◇

 

 約束のカフェは午後の柔らかな日差しに包まれていた。

 店内は穏やかな空気が漂い、外の冷たい冬の風とは対照的に暖かい光が差し込んでいる。

 

 柚月は窓際の席に腰かけ、静かに外を見つめていた。

 彼女の装いは落ち着いた色味のニットワンピースにロングコート。

 首に巻いた淡いベージュのストールが揺れる。

 丁寧に手入れされた爪が、カップを包むように繊細に震えていた。

 

 やがて、扉が開き、湊が姿を現す。

 視線が交わり、ぎこちなくも礼を交わす。

 

 柚月が口を開いた。

 

「突然の連絡、ごめんなさい。でも、話がしたかったの」

 

 湊は静かに頷き、言葉を選びながら答える。

 

「紬のこと、心配しています。彼女の気持ちがわからなくて、自分でもどうしたらいいのかわからなくて……」

 

 柚月は少し目を伏せ、落ち着いた声で言う。

 

「紬はまだ、自分の感情を整理している途中。距離を置いたのも、そのためでしょうね」

 

 湊の胸に重くのしかかる言葉。

 

「それでも、彼女を手放したくない」

 

 柚月は深く頷き、慎重に言葉を選ぶ。

 

「無理に近づくより、彼女のペースを尊重してあげてほしい」

 

 湊はその言葉を胸に刻み、静かに頷いた。

 

 二人の間に流れる時間は柔らかく、しかし緊張感を含んでいた。

 

 ◇◇◇

 

 週末の昼下がり。

 湊は自宅の部屋で書類を整理していた。

 

 ふとスマートフォンが震え、通知を見た瞬間、胸の奥にざわめきが走る。

 表示されたのは、紬からのメッセージだった。

 

「……今日、少しだけ会えないかな」

 

 画面の文字を何度も見返す。

 最後に顔を合わせたのは、あの夜、突然彼女が部屋を出て行ったときだった。

 それから連絡はほとんど取っていない。距離を置いたまま、時間だけが過ぎていった。

 

 悩んだ末、湊は返信した。

 

「わかった。〇〇公園でいい?」

 

 場所を指定したのは、過去に何度か会っていた静かな公園だった。

 人目も少なく、会話をするにはちょうどよい。

 

 ◇◇◇

 

 ベンチに腰掛けてしばらく待っていると、紬がゆっくりと歩いてきた。

 制服の上に薄手のカーディガンを羽織り、顔にはどこか迷いが浮かんでいる。

 

 目が合っても、彼女はすぐには口を開かなかった。

 湊も、どこかどう声をかけていいかわからず、沈黙が流れる。

 

「……久しぶり」

 

「うん」

 

 それだけでまた沈黙。風が木々を揺らし、葉の擦れる音がふたりの間を埋める。

 

「……会いに来てくれて、ありがと」

 

 紬がぽつりと呟く。

 

「別に……たいしたこと話すわけじゃないんだけど。ただ、ちゃんと話したいなって思っただけで……」

 

 湊は頷いた。

 

「……俺も、そう思ってた」

 

 それでも、言葉はなかなか続かない。

 何から話すべきか、それとも話さないままでいいのか。

 お互いに答えを探り合うような、そんな間が続いた。

 

「……まだ、怒ってる?」

 

 紬の声はかすかに震えていた。

 

「怒ってないよ」

 

 即答した湊の言葉に、紬は少しだけ目を見開く。

 

「ただ、びっくりしたんだ。あの夜、急にいなくなって……何も言わずに」

 

「……うん、ごめん。ちゃんと話さなきゃいけなかったのに、怖くなっちゃって」

 

 紬の視線は地面に落ちている。

 その細い肩が、ほんのわずかに震えていた。

 

 湊は何も言わず、ポケットの中で自分の指を握った。

 距離を取っていた時間の意味が、ここにある気がした。

 

 ◇◇◇

 

 静まり返った部屋に、エアコンの低いうなりだけが響いていた。

 

 ソファの端と端に座ったまま、ふたりともそれ以上言葉を発することなく、微妙な間が続く。先ほどまでの会話が、どこか夢の中の出来事のように思えるほど、現実感がなかった。

 

 紬は、指先でスカートの裾をつまんでいた。制服姿の彼女は、年相応の少女に戻ったようにも見えた。

 

「……あの時、さ」

 

 ふいに、紬が小さな声で切り出した。視線は俯いたまま、靴下の先をじっと見つめている。

 

「夜の公園で、わたし、湊に会えて、すごくほっとした。変な言い方かもしれないけど、……泣きたくなるくらい」

 

 湊は、応えられずにいた。

 

 紬は続ける。

 

「でも、それってずるいことだったよね。……お姉ちゃんのことも、湊の気持ちもちゃんと考えないで、勝手に甘えてた。……わたし、あのままじゃだめだって、思った」

 

 言葉の一つひとつが、自分に対する戒めのように聞こえた。

 

「それで、連絡もしなかった。……距離を置かなきゃって。ちゃんと自分で、自分の足で立たなきゃって……そう思ってたのに……」

 

 そこまで言って、紬は息を詰めた。

 

「……でも、今日もまた、こうして来ちゃった」

 

 その言葉に、湊の胸の奥で何かが静かに軋んだ。

 

 間違いだったのかもしれない。けれど、来てくれたことが、嬉しくなかったわけではない。むしろ――。

 

「来てくれて、よかったよ」

 

 自分でも、なぜそんな言葉が出たのかはわからなかった。けれど、紬の肩がかすかに震えたのを見て、後悔はしなかった。

 

 彼女は、ゆっくりと顔を上げた。目の縁が赤く、涙をこらえているのがわかる。

 

「……ありがとう」

 

 その言葉に、今度は湊の方が、何も言えなかった。

 

 ただ、隣にいること。ほんの少しでも、彼女の孤独を和らげられること。

 それだけで、今日は十分だと思えた。

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