※この作品はR-18です。

甘くて、こわい君だった   作:Marks_Lee

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true 24話

 朝の光が、薄く白いカーテンを通して部屋の隅々までそっと届いていた。紬のまぶたの裏に映るのは、見慣れた木目調の天井。何度もこの部屋で目を覚ましたはずなのに、今日の朝はどこかいつもと違っているような気がした。

 

 柔らかな布団の匂い、湊が昨夜使ったままの枕の形。目の前には、小さな水滴が残る窓ガラス。外の空気がまだひんやりと冷たく、部屋の中の温かさがいっそう際立っている。

 

 キッチンから聞こえる湊の足音が、控えめで静かに響く。湊がコーヒーカップを置く音がぽつりと落ちる。湊の声が穏やかに部屋に満ちた。

 

「ごはん、できたよ」

 

 その声に紬は自然と顔を向けた。ほんの少しだけ緊張を含んだ表情で、小さく微笑みながら答える。

 

「ありがとう」

 

 けれど、どこか声が震えていて、いつものはっきりした明るさはなかった。

 

 胸の奥、静かな場所にふと重い影が落ちる。

 

「……わたし、ほんとにここにいていいのかな」

 

 安心するはずの場所が、今は少しだけ、こわく感じられた。

 それは形のない不安で、指先で触れられそうで、でも触れられない何かだった。

 

 紬は、わずかに震える手を握りしめる。外の街の音はまだ遠くて、部屋の空気は柔らかく包んでくれるはずなのに。

 

 それでも、まだここにいることに、迷いが消えることはなかった。

 

 食卓に置かれたトーストの端を指で軽く押しつぶしながら、紬はスマホの画面を見つめていた。未読のメッセージがいくつも重なっている。母親からのものだ。返さなければとわかっていても、その指はなかなか動かなかった。

 

 湊が隣で、静かにコーヒーを啜る音だけが響く。

 

「帰らなきゃいけないんだろうな」と、紬は心の中でつぶやく。

 

 でも、心のどこかで、「もう少しだけ、ここにいたい」とも思ってしまう。

 

 湊がぽつりと尋ねる。

 

「家のこと、大丈夫?」

 

 その声に紬は一瞬、目を伏せた。

 

「うん、大丈夫……だよ」

 

 でもその声はほんの少し震えていた。

 

 スマホを置き、手をテーブルの上で組み直す。

 

「ここは……落ち着くんだ。湊のそばにいると、なぜか怖くない」

 

 本当のことを言えば、ここにいる自分が少しずつ弱くなっている気がして、それが怖かった。

 

 湊は黙って紬の横顔を見つめていた。彼の視線が優しく、それでいて何かを察しているように感じた。

 

「無理しなくていい。でも、逃げすぎるのもよくないよ」

 

 その言葉は重くて、紬の胸に静かに響いた。

 

 紬は深く息をつき、目の前のコーヒーカップに視線を落とした。

 

 まだ答えは見つからない。

 

 ただ、今はここにいることを選んだ自分を、少しだけ肯定したいと思った。

 

 ◇◇◇

 

 夕暮れ時、大学からの帰り道。美遥はひとりで歩きながら、ふと湊の家の方向に目を向けた。

 ベランダに干された洗濯物が風に揺れている。その中に、いつもとは違うフード付きのパーカーや小さな衣類が混じっていることに気づく。

 胸の奥に、言葉にはできないざわつきが広がった。

 

 スマホを取り出し、湊との最近のメッセージを何気なく見返す。やりとりは続いているものの、どこか距離を感じる文章。

 

「……あの子、紬ちゃんだったよね」

 

 思い出すのは、ほんのかすかな記憶と、自分でも説明できない違和感だった。

 

「私、あの子のこと、きっとまだよく知らないんだ。だから……ちょっとだけ、こわい」

 そう自分に言い聞かせるように呟く。

 

 美遥は深く息をつき、空を見上げた。

 

「でも、兄さんが選んだ子なら――ちゃんと信じたい」

 その言葉には揺るぎない決意と、わずかな戸惑いが混じっていた。

 

 彼女の心は複雑だった。

 大切な兄の幸せを願う一方で、知らないものへの不安と、まだ触れていない何かに対する慎重さ。

 それらが入り混じり、静かな葛藤となって胸に渦巻いていた。

 

 ◇◇◇

 

 深夜の静けさが部屋を包み込む。紬はそっとインターホンのボタンを押した。曖昧な声で「忘れ物……したかも」と告げるが、その言葉の裏に隠れた本当の気持ちは、ただここにいたいという渇望だった。

 

 湊は少しの間迷いながらも、何も言わずにドアを開ける。紬が入ってくるのを静かに見守った。

 

 二人は無言のまま、並んでソファに腰を下ろす。テレビも音楽も消えた、重く澄んだ時間が流れていた。

 

 紬がふと呟く。

 

「湊、わたしのこと……ちゃんと見てる?」

 

 答えが返ってくることを待っていたわけではなかった。ただ、その言葉を口にすることで、自分の不安を確かめたかったのだ。

 

 湊は言葉を返さず、そっと紬の頭を撫でる。そのぬくもりに紬は少しだけ安堵した。

 

 だが胸の奥のざわつきは消えなかった。

 

「この気持ち……なんか、こわいな」

 

 その言葉が小さく部屋の中にこだました。

 

 夜は静かに更けていく。

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