※この作品はR-18です。

甘くて、こわい君だった   作:Marks_Lee

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true 27話

 朝の光はまだ優しく、街は静かな湿り気を纏っていた。

 制服のシャツに袖を通すのも、今日が最後になる。そう思っただけで、胸の奥に静かな熱が灯る。

 

 鏡の前で、紬はネクタイを手にしながら自分の姿を見つめた。

 肩にも届かないほどに切り揃えた髪。まだ少し見慣れないそれは、どこか背中を押してくれるようだった。

 

 少しだけ深呼吸して、ネクタイを結びながら、小さくつぶやく。

 

 「……うん、大丈夫」

 

 鏡の中の自分に頷いてみせる。

 あの頃のわたしとは、もう違う。

 そして――今日、わたしは卒業する。

 

 冬が過ぎ、春が来て。

 何度も立ち止まったし、逃げたくなったこともあった。

 でも、そのたびに思い出した。あなたの声。あなたの言葉。

 

 “無理しなくていい。でも、自分とちゃんと向き合ってみなよ”

 

 時間が経っても、その言葉はずっと胸の中に残っていた。

 まるで小さな灯のように、静かにわたしを照らしていた。

 

 外へ出ると、冷んやりとした春の風が頬を撫でる。

 通学路の途中、道端の桜の蕾がわずかに色づいているのに気づいて、足を止めた。

 まだ咲いてはいない。でも、もうすぐ、確かに咲く。

 

 季節はちゃんと前へ進んでいる。

 わたしも、同じように。

 

 校門が見えてくると、自然と歩く速度が上がっていた。

 今日をちゃんと終わらせて、そのあとで。

 わたしは、あなたに会いにいく。

 

 ◇◇◇

 

 体育館の中は、いつもより少し肌寒かった。

 静まり返った空間に、名前を呼ばれるたびに響く返事と、証書を渡す音だけが続いていく。

 

 呼ばれる順番が近づくにつれ、背筋が自然と伸びていた。

 卒業証書を受け取り、一礼をしてから席に戻るまでの間、ほんの数秒。

 けれどその短い時間が、不思議なほど長く感じられた。

 

 終わりが近づくにつれて、あたたかいものと寂しさが入り混じる。

 

 終礼が終わり、式が解散になると、空気が一気にやわらぐ。

 クラスメイトの笑い声、カメラのシャッター音、誰かの涙。

 それぞれが、それぞれの別れを抱いていた。

 

 「紬ー! 写真撮ろ!」

 

 呼び止められて振り向くと、何人かの友人たちが手を振っていた。

 少し戸惑いながらも、その輪に入って笑顔をつくる。

 

 ――楽しい、と思った。素直に。

 

 卒業式なんて形だけだと思っていた。

 でも、ここにいるみんなの姿を見て、ちゃんと終わることにも意味があるんだと感じていた。

 

 「……髪、切ったのすごい似合ってるね」

 「大人っぽい!」

 

 そんな声に、紬は「ありがとう」と照れながら笑った。

 リップもほんの少しだけ、今日はしてきた。

 湊に会うつもりで、選んだ色だった。

 

 ――今日をちゃんと終わらせて、そのあとで。

 

 校門の外。写真を撮り終え、皆と別れたあと、紬はひとり歩き出す。

 胸の内にあるのは、未練ではなく、確かめたい想いだった。

 

 ふと思い出す。あの人の部屋で、初めて泣いた日のこと。

 心がバラバラだった頃の自分。

 それでも、あの日からすべてが少しずつ変わっていった。

 

 携帯を取り出して、登録された名前を見つめる。

 指が震えそうになるのを抑えて、深呼吸する。

 

 「……ちゃんと、自分で選びたい」

 

 そう呟いて、通話ではなく、歩き出した。

 言葉じゃなくて、顔を見て伝えたいから。

 

 足取りはまっすぐだった。

 その先にある扉へ向かって――。

 

 ◇◇◇

 

 湊の家の前に立ったのは、どれくらいぶりだっただろう。

 最後に訪ねたのは冬の終わりだったか――けれどそのときとは違う、確かな静けさが今はあった。

 

 インターホンの前で、紬は深呼吸をひとつ。

 ポケットの中で指先が緊張していたけれど、引き返すつもりはなかった。

 

 押したボタンの音と、呼び出しの電子音。

 数秒後、玄関のドアがカチャリと開いた。

 

 湊が、そこにいた。

 変わらないようで、どこか少しだけ雰囲気が変わった気がした。

 でも、すぐにわかる。

 この人は、ずっと自分が会いたかった人だと。

 

 紬は一歩踏み出し、前髪を軽く揺らして、視線を合わせる。

 

 「……ひさしぶり。……似合ってない、かな?」

 

 肩までかからない、軽やかなショートカット。

 これまでと違う自分を、どこか不安そうに晒しながら、それでもまっすぐ湊を見ていた。

 

 湊は、少しだけ驚いたように目を見開いて、それからゆっくりと表情を和らげた。

 

 「……いいや。似合ってる。少しビックリしただけ」

 

 その言葉に、紬の表情がふわっと緩む。

 安心したように、でも少しだけ照れたように、目元を細めて微笑んだ。

 

 「そっか。……よかった」

 

 湊が軽く玄関に手を添える。

 

 「入る?」

 

 「うん」と頷いて、紬は一歩、懐かしい空気の中へ踏み込む。

 靴を脱ぎながら、自然と目が室内を見渡す。家具の配置も、光の入り方も、どこか見覚えがある。でも――

 

 「……なんか、ちょっと変わったね」

 

 「少し模様替えしたんだ。春だしな、気分転換」

 

 「へぇ……なんか、大人っぽくなった気がする。前より」

 

 「紬もだよ。――髪だけじゃなくて、なんとなく、全部」

 

 その言葉に、また少しだけ照れながら紬は「ありがと」と呟いた。

 ぎこちなさはある。距離もほんの少し残っている。

 けれど、それを埋めるための時間は、もう怖くなかった。

 

 ふたりの間に、穏やかな春の気配が流れていた。

 

 ◇◇◇

 

 湊の部屋の窓から差し込む、柔らかな午後の光。

 カーテンがゆらりと揺れ、時間の流れがゆっくりと感じられた。

 

 ふたりはソファに並んで座り、言葉は多くなかった。

 それでも、重なった手のぬくもりが、静かに伝わる。

 

 紬は少しだけ顔を上げ、湊の目を見つめた。

 

 「ねえ、わたし……変わったかな?」

 

 湊はゆっくりと微笑み、答える。

 

 「変わった。だけど、それはいいことだと思う。前より、自分らしくなった」

 

 紬の胸の中に、ぽっと灯がともる。

 不安もあったけれど、その言葉で少し軽くなった気がした。

 

 「これからも、色々あると思うけど……わたし、あなたとなら、怖くない」

 

 湊の手がぎゅっと紬の手を包み込む。

 

 「俺もだ。これからも、支え合っていこう」

 

 ゆっくりと近づき、ふたりは小さなキスを交わした。

 それは静かで、確かな約束のように感じられた。

 

 時間が過ぎて、夜の帳が降りてきても。

 ふたりの間に流れるのは、穏やかで暖かな未来への希望だった。

 

 

「甘くて、こわい。

 それはきっと、わたしが知った、ほんとの自分の一部。

 でも、だからこそ、誰かと一緒に歩いていける。

 怖がらずに、あなたと。」

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