FINAL FANTSY X ~脈導の聖女~ 作:彼処舐ノ助嗅過
夕暮れ。
ルカの宿舎の一室で、ユウナは窓の外をぼんやりと眺めていた。
ティーダの姿は見えないまま。
何度か弟子たちに尋ねても、「お祈りに出ています」「今は集中の時です」とはぐらかされるばかりだった。
その時、扉がノックされた。
「ユウナ様、よろしいでしょうか」
柔らかな声。
扉が開き、入ってきたのはルチルとエルマだった。
だが、彼女たちの様子は明らかに以前と違っていた。
表情は穏やかだが、目の奥にある静かな狂気――。
ユウナは、どこかぞっとする感覚を覚えた。
「……ルチルさん、エルマさん」
「私たちは、悟ったのです」
ルチルが静かに言った。
「脈導師様のお導きは真実。心も身体も、すべてが軽くなる。幸福に満たされる」
エルマも続ける。
「ユウナ様も、もうすぐ。その苦しみや迷いから解き放たれる時が来るのです」
ユウナは小さく息を呑んだ。
「……何を、するんですか?」
「大丈夫です」
ルチルが柔らかく微笑む。
「特別な儀式に参加していただきます。脈導師様と共に、地脈と霊脈の深奥に触れるのです。……それは、究極の救済。私たちが体験した幸福を、ユウナ様にも」
ユウナは、彼女たちの言葉に強い違和感を覚えながらも、言葉に詰まってしまう。
その時、もう一つの気配がした。
奥の扉が開き、ゆったりとジッジ――脈導師が現れた。
「お待たせしました。ユウナ様」
その声は、いつものように穏やかだった。
だが、ユウナはその笑みの奥に、目を逸らしたくなるような底知れぬ何かを感じた。
ジッジは、ゆっくりと彼女に近づく。
「ユウナ様。貴女はスピラを救った英雄。今こそ、スピラを真に救う母となる時です。私と共に、交脈の儀に臨んでいただきたい」
その言葉を聞き、ユウナの全身に冷たいものが走った。
交脈の儀――。
それがどんな意味を持つのか、彼女は言葉では説明できなかったが、直感的に理解していた。
(……これは、ただの修行じゃない)
それでもジッジは優しく続けた。
「怖がる必要はありません。貴女は英雄、私はその伴侶。スピラのため、共に歩みましょう」
ルチルとエルマが、そっとユウナの肩に手を添える。
その手は温かいはずなのに、冷たい檻のように感じた。
「さぁ、準備は整っております」
ジッジが手を差し出した。
ユウナは、微かに震えながら、その手を見つめる。
(ティーダ……どこにいるの……?)
ユウナの指先は微かに震えていた。
脈導師ジッジが差し出した手を、彼女は見つめたまま動けないでいた。
「……ごめんなさい。私は……その、できません」
ユウナは絞り出すように声を出した。
ジッジの表情は変わらない。むしろ、慈愛に満ちた微笑みを浮かべている。
「なぜでしょう、ユウナ様。貴女は世界を救った英雄。今また、スピラが新たな救いを求めています。私たちが結ばれることこそ、その道標となるのです」
柔らかい口調。だが、そこに拒絶を許さない強さがにじんでいた。
ユウナは困惑して、ルチルとエルマの方を振り返る。
「私たちも最初は、怖かったんです」
ルチルが静かに口を開く。
「でもね、ユウナ様。脈導師様と交わした誓いは、私たちに“本当の平和”を見せてくれた。スピラの苦しみを、私たちが背負うことで終わらせるんです」
「そうですよ、ユウナ様。あなたならわかるでしょう? スピラのために、自分を犠牲にすることの意味を」
エルマの声も優しく、けれど芯があった。
ユウナの心に、かつて旅の中で背負っていた“召喚士の覚悟”がよみがえる。
(……また、私が……)
「でも……」
ユウナはなおも口ごもる。
「スピラは、貴女の光を必要としている。脈導師様と結ばれれば、その光はもっと多くの人を救える」
ルチルの言葉は、まるで諭す母親のように温かい。
「英雄の責務ではない。これは、貴女の優しさそのものなのです」
エルマが続ける。
ユウナの脳裏に浮かぶのは、かつての旅路――。
罪のない人々がモンスターに怯え、シンの脅威に怯え続けたあの日々。
(……あんな想いを、誰にもさせたくない)
ユウナは唇を噛み締めた。
「脈導師様の元でなら、苦しむ人を救えるのです」
「そして貴女自身も、幸福になれる。スピラにとっても、貴女にとっても、それが一番の道だと、私たちは信じています」
ルチルとエルマの言葉は、ユウナの胸に静かに沈んでいった。
(違う。私にはティーダがいて……。でも……)
スピラの民の苦しむ顔と、ティーダの無邪気な笑顔が、心の中でせめぎ合う。
「貴女なら、きっとできる。スピラの未来を変えることが」
ルチルがそっとユウナの手に触れた。
その手の温もりに、ユウナは迷いを覚えた。
(もしこれが……もしこれが、スピラのためになるなら……)
ジッジは、静かに手を差し出したまま待っていた。
ユウナの瞳が、微かに揺れた。
ジッジの穏やかな声が、ユウナの耳に心地よく響いていた。
「ユウナ様。スピラの民は、貴女が女神として君臨し、我が子――神の子を抱くその日を待ち望んでおります。脈導の力を継ぎ、スピラに新たな光をもたらす存在。それこそが、貴女と私の結びつきが生む奇跡なのです」
「神の……子……」
ユウナは息を呑んだ。
思いも寄らぬ言葉。
けれどその響きには、どこか抗い難い説得力があった。
(私が、神の子を……? でも、それで……本当に……?)
苦しむスピラ。
救いを求める人々。
そして、優しく微笑むジッジ。
ユウナの心は、大きく揺れていた。
(シンを倒した時みたいに、また……私が、スピラのために犠牲になれば……)
だがその時――!
宿の外に、激しい物音が響いた。
「何事だ!?」
ジッジが振り向くと、部屋の外で弟子たちが押し合い、騒ぎが起きていた。
「来たぞ! ティーダを助けに!」
怒号と共に飛び込んできたのは――
「ワッカ! ルールー!」
「リュック! キマリ!」
かつて苦楽を共にした仲間たちだった。
ワッカはブリッツボールを巧みに操り、弟子たちを次々に倒していく。
ルールーは雷の魔法で周囲を威圧し、リュックは素早い動きで弟子たちを翻弄。
キマリは槍を構え、ティーダを守るように立ちはだかった。
「ユウナは!? ユウナはどこだッ!?」
ティーダが叫ぶが、弟子たちの数があまりに多い。
「ティーダ、今は撤退するわよ!」
ルールーの冷静な声が飛ぶ。
「ちっ……!」
ティーダは悔しげに奥の部屋を見つめるが、ワッカたちに押されるようにして脱出する。
弟子たちの応援が次々に駆けつけ、数で押し切られる形となった。
「くっそぉ……!」
ティーダは歯を食いしばったまま、宿から遠ざかる。
町外れの廃屋に身を潜めた一行。
ティーダは荒い息を吐きながら、拳を握りしめていた。
「……アイツら、ユウナを“神の子”を産む女神にしようとしてる。ジッジってヤツの子供を、だ」
ルールーとワッカ、リュックとキマリも真剣な顔で聞いている。
「ユウナも……少し、揺れてる。スピラのためだって、また自分を犠牲にしようとしてる」
ティーダの声には、怒りと焦り、そして深い悲しみが滲んでいた。
「ユウナ……」
リュックが、小さく呟いた。
「くそっ……。そんなの絶対にさせねぇ。絶対に、だ!」
ティーダは拳をテーブルに叩きつけた。
「もう、あの子には犠牲になってほしくない」
ルールーが静かに言った。
ワッカも深く頷く。
「だな。あいつはもう十分やったんだ。今度は、俺たちが――」
ティーダは、こみ上げるものを飲み込むように息を吸い込んだ。
「――今度は、絶対にユウナを救う」
強く、強く誓うように。
ティーダたちは、北へ北へと逃げていた。
街道は静かだった。
だがそれは、嵐の前の静けさに他ならなかった。
「……静かすぎるな」
ワッカが周囲を見回して呟く。
ルールーも険しい表情で頷いた。
「この静けさ……嫌な予感がする」
リュックは後ろを振り返りながら、不安そうに言う。
「ねえ、なんか、ずっと誰かにつけられてる感じ、しない?」
そう、奴らは――
民だった。
普通の村人、旅人、漁師、商人――
誰もが、脈導師を讃える者たちだった。
「いたぞ! 異端者たちだ!」
叫び声と共に、草むらから現れる男たち。
額には脈導の紋章を刻んだバンダナ。
腰には自作の武器。
彼らは信じているのだ。ユウナを神にするために、異端者を捕らえなければならないと。
「うわっ、マジかよ……」
ティーダは剣を抜き、身構えた。
「止めろッ! あんたたち、どうしちまったんだよ!」
ワッカが叫ぶ。
だが彼らは耳を貸さない。
「脈導師様の教えに背く者は排除せねばならん!」
「女神ユウナ様を救うためだ!」
その目は、狂信の色に染まっていた。
「……全土に広がったってことね……」
ルールーが静かに言う。
かつては自由だったスピラ。
今は違った。
民衆は信仰を武器に変え、仲間だったはずのティーダたちに牙を剥く。
その頃、遠く離れた静かな館の一室。
ジッジは部屋の高台から、スピラ全土を映す多数のスフィア映像を眺めていた。
「……ふむ、よきかな、よきかな」
ジッジは小さく笑った。
各地の街、村、路地裏――
映し出される光景は、どれも信者たちが自発的に集まり、異端者を狩る準備を進める姿だった。
「私が命じたわけでもない。彼らが自ら動いたのだ。……これぞ“民意”というものよ」
満足げに笑みを深めるジッジ。
ゆっくりと、玉座のような椅子に腰を下ろし、手に持ったワイングラスを傾ける。
「民意は、導くものではない。……編み、縫い、私の望む形に育て上げるもの。ふふふ……スピラよ、よくぞ育った」
彼の眼差しはすでに、スピラという大地すべてを手中に収めた王のようなものだった。
「さあ、ユウナ様。そろそろお覚悟を」
脈導師は、グラスを置き、満面の笑みで呟いた。
荘厳な聖堂の一室。
白い布をまとい、淡い光に包まれたユウナが跪いていた。
その前に立つのは――ジッジ。
「ユウナ様。スピラは、あなたを必要としています」
ジッジは柔らかな口調で語りかけた。
ユウナは俯き、ぎゅっと両手を握る。
(本当に、これしかないのかな……)
「シンを倒したあなた。ヴェグナガンを鎮めたあなた。それでも、この世界は救いを求めています」
ジッジの声は、まるで子守唄のように心に入り込んでくる。
優しく、しかし、逃れられない鎖のように。
「……本当に、私にできるんでしょうか。スピラを救うことが」
ユウナは、かすれた声で問う。
ジッジは微笑んだ。
「できますとも。ユウナ様と、私の間に生まれる神の子こそ、真にこのスピラを救う光」
ユウナは目を閉じた。
胸に手を当て、震える心を押さえ込もうとする。
(ティーダ……ごめんね)
「……わかりました」
ユウナは静かに、しかしはっきりと頷いた。
ジッジは満足げに目を細め、そっと手を差し伸べた。
「ありがとうございます、ユウナ様。これで、スピラは救われます」
手を取って目に涙を浮かべて続けるジッジ。
「……なんという……尊い、決断でしょう。その身を捧げ、絶望に光をもたらすあなたの覚悟は──まさに“神の器”そのもの……ユウナ様……あなたは、世界の“希望”です。交わりの儀は、三日後の満月の夜。神と人の祝福が、きっと……」
儀式の日取りが決まった。
世界中に向けて、神の子を宿す女神誕生の報が流れた。
ユウナが部屋を去った後……。
「く、くく……ッ、くっくっくっく……!」
頭を抱えながら、腰を折って嗤うジッジ。
「ついに……ついにこの私が……あの、ユウナ様と……! 神のように崇められ、天から人々を導き、そしてこの手で“神の種”を蒔く……世界は私の子によって浄化される! 私が神を産ませるのだ……!」
これ以上ない程に顔を紅潮させ、背筋を震わせながら気味の悪い息を漏らすジッジ。
「ユウナ様……グフッ、グヘヘヘヘ……ククク、クハハハ……!」