FINAL FANTSY X ~脈導の聖女~ 作:彼処舐ノ助嗅過
その頃――
スピラ各地の掲示板には新たな「手配書」が貼られていた。
【異端者を探せ】
【脈導教に背きし者たち】
【女神ユウナ様の脅威を排除せよ】
そこには、ティーダ、ワッカ、ルールー、リュック、キマリ――かつて英雄と讃えられた彼らの姿があった。
「へっ、笑えねぇな」
手配書を見ながら、ワッカが吐き捨てる。
「もはや完全に、敵認定ね」
ルールーも険しい顔をする。
「ユウナのために動かなきゃいけないのに……これじゃ、下手に動けないじゃん!」
リュックが焦った様子で言った。
その時だった。
暗がりから、そっと1人の影が現れる。
「……ティーダ……みんな……」
ユウナだった。
ティーダは驚き、すぐに駆け寄る。
「ユウナ! よかった……!」
だが、ユウナの顔はどこか遠かった。
彼女は仲間たちを見回し、そっと口を開く。
「私……決めたの。脈導師様と一緒に、スピラを救うって」
「なっ……!」
ティーダは言葉を失う。
「ユウナ、それ本気か?」
ワッカが唸るように問う。
ユウナは苦しそうに微笑んだ。
「私には……これしかできない。みんな、ごめんね」
「ふざけるなッ!」
ティーダが怒鳴った。
「そんなの、スピラのためなんかじゃない! お前が、無理して、自分を犠牲にしてるだけだろ!」
「……でも、犠牲にならないと救えないなら、それが私の役目だよ」
ティーダは、言葉を失った。
目の前のユウナは、かつて彼が愛した、まっすぐな少女の面影を残しながらも、どこか遠い存在になっていた。
「もういい。俺たちが連れ戻してやるよ!」
ワッカが構えたその時だった。
「それは困ります」
静かな声が割り込む。
ルチル、エルマ、そして数十人の脈導教徒たちが周囲を囲んでいた。
「女神様を連れ戻そうなんて、異端者のすることじゃないか」
ルチルが、淡々と告げた。
「くっ……!」
ルールーが構えたが、数で不利なことは明らかだった。
「ティーダ……」
ユウナが、悲しそうに言った。
ティーダは悔しさに歯を食いしばった。
だが――今は撤退しかなかった。
「……わかったよ。だけど、絶対に迎えに行くからな」
そう言い残し、ティーダたちはその場を離れるしかなかった。
ユウナはその背中を、胸を押さえながら見送った。
ジッジは私室にて、1人過去を回想していた。
──それは、まだ彼が「脈導師」などと呼ばれる遥か昔。
ひとりの青年が、憧れと希望を胸に、祈り子の間へと足を踏み入れた。
「……召喚、できないのか?」
ざらついた風が、ひび割れた唇を撫でた。何度祈っても、何度命を削っても、幻光虫は舞わなかった。
旅は続いた。だが、青年に従うガードはいない。祈りを捧げても、耳を傾けてくれる村人もいない。
──それでも、スピラを救いたかった。救いたかったのだ。
彼は諦めなかった。エボンが語る「罪の連鎖」は誤りだと、信じた。
己が無力な者であることも知っていたが、それでも、歩いた。
「……祈りではない、“脈”こそが魂を導くのだ」
その教えは、やがて彼の旅を通じて練られていった。
エボン教の偽善と欺瞞を憎み、“脈道”と名付けた己の教義を、道行く者に語った。だが、誰も信じなかった。
罵倒され、石を投げられ、時には追い払われた。
──だが、彼女だけは違った。
数年前の、あの旅路。ザナルカンド跡地へ向かう道中で、出会った旅人たち。
若き召喚士と、彼女を守る幾人かの仲間たち。
誰も彼に興味を持たなかった。むしろ不審者として見下された。
だが、その中で──ただひとり、少女が微笑んで、彼に小さく会釈をした。
「……ああ……なんという……光だ……」
その一瞬が、彼の胸に、灼けつくような光を残した。
それが、ユウナとの出会いだった。
──そして、それ以前から、もう一人の“聖女”に彼は心を支配されていた。
ユウナレスカ。
かつて究極召喚を生み出し、ザナルカンドの希望とされた伝説の召喚士。
脈導師は、何度も何度も、彼女の残した映像スフィアを見返した。
その気高い顔立ち。静かな声。
「死」を慈愛と共に受け入れさせるその力。
──それは、祈りでも教義でもない、「支配」だった。
そして、脈導師はその姿に己を重ね、彼女を屈服させる幻想を幾度も脳裏で再生していた。
だが、そのユウナレスカは──あの少女、ユウナによって討たれたと知る。
「……彼女が、ユウナレスカを……!?」
その瞬間、彼の中で何かが決定的に“狂った”。
尊敬と崇拝が、嫉妬と欲望へと反転したのだ。
その後、ユウナが世界を救い、英雄として讃えられるようになると──
彼の胸に巣食った「劣等感」は、ゆっくりと、しかし確実に「倒錯」へと変わっていった。
スピラ中が彼女を崇めるなか、脈導師は信奉者の男に命じて彼女の行動を監視させた。
祈りの場に立ち、子どもに手を振り、時には涙を見せるその姿を、スフィアに収めさせた。
──だが、転機はカモメ団としての彼女の活動だった。
戦う少女。踊る少女。歌う少女。
民衆を魅了するアイドルのような姿は、老いた男の枯れかけた欲望を焚き付けた。
「そうだ……この子は、“偶像”ではない……生きている。息づいている……」
「そして、私の“脈”で導くべき存在なのだ……この身の奥まで……導いてやろう……」
その欲望は、愛でも恋でもない。
崇高を穢したい、手に入らぬものを無理やり我が物にしたい、という最も卑しい欲だった。
──そして今、彼女は目の前にいる。
何十年も手に入れられなかった希望。
何度も妄想し、何度も手を伸ばして届かなかった聖女。
だが今、彼女は自らの意志で、自分と婚姻を結び、自分の子種を受け入れようとしているのだ。
「……ついに……この私が……あの、ユウナ様と……!」
その老いた顔が、恍惚の笑みに歪む。
かつての理想は崩れ、信仰は汚され、ただの獣が、そこにいた。
そして、交脈の儀の前日の夜——
鈍い金属音を立てて、扉が背後で閉まる。
ジッジの私室は、いつもと同じ静寂に包まれていた。
ただ、それがこの日は妙に、息苦しいほど重く感じられる。
「……ジッジさん」
絞り出すように、ユウナが声をかける。
彼は椅子に腰かけ、灯火の揺らめきのなか、いつものように目を細めていた。
「明日……いよいよですね。正直、まだ少し、怖いんです。でも……信じています。これが世界のためなら——」
「世界のため? ふふ、そう。そうですね……」
ジッジの声は、まるで子守唄のように穏やかだった。だが、そこにある温度が違う。乾いた笑みが、彼の唇を歪ませる。
「……?」
ユウナは眉をひそめる。違和感。ほんのかすかな歪みが、心の奥で警鐘を鳴らした。
「あの……本当に、これは……本当に、世界のため、なんですよね?」
その一言で、空気が凍った。
そして、脈導師は立ち上がった。背筋を伸ばし、目を細めたまま、ひとつ息をつく。
「……ユウナ様。あなたは、本当に美しい。いや、美しいなどという言葉では到底足りない……」
「え……?」
「あなたを初めて見たあの日から……私の心は決まっていた。あなたこそが、世界を変える存在。私の、聖女」
彼の言葉に、ユウナの血が凍る。嫌な汗が背中をつたった。
「あなたを救うことが、世界を救うこと。あなたを手にすることが、私の……いや、“私たち”の救いなのです。さあ、ようやく……ようやく、あなたは“私のもの”になる。そうでしょう?」
「……やめて……っ」
一歩、二歩と下がる。だが、部屋には鍵がかかり、窓には重い鉄格子。
背を向けて逃げようとした瞬間、何かが足元から響き、体が痺れるような感覚に包まれた。
「……ッ、動け、ない……っ!」
「封印術ですよ。あなたの魔力と筋肉制御は、今から“私の許可なし”では働かない。ええ、ご安心を。明日の儀までは、傷ひとつつけはしません。大事なお身体ですから……ふふふ」
——意味がわからない。信じたかった。
でも、もう全部、わかってしまった。
これは“救い”なんかじゃない。
これは——
「最初から、ただの狂った独りよがりだったんだ……っ」
膝をつき、唇を震わせる。喉が乾き、叫びたいのに声が出ない。
誰か、助けて。
ティーダ……みんな……私、間違ってた……。
この人を、信じるんじゃなかった——!!
だが、助けは来ない。
ここは、鉄の箱。聖女という名の“檻”。
そして、明日にはすべてが穢される。
「ユウナ様……明日、私たちは一つになるのです。すべては、世界のために……ふふ、グフ……フフフ」
静かに嗤う老いた男の顔は、もう“聖職者”などではなかった。
ただの俗物。欲望にまみれた、ケダモノの目だった。
ユウナの目から、音もなく涙がこぼれ落ちる。
誰にも気づかれぬまま。誰にも助けられぬまま。
その涙は、静かに床に落ち、乾いていった。
ユウナは椅子に拘束されていた。手足には軟らかながらも魔法封印を刻んだ拘束具、首には細い銀の輪。
彼女の魔力は封じられ、体は重く、反抗の意志さえ霞んでいく。
扉が開く音。そして、あの足音。
「……やはり、美しい……」
囁くように、脈導師は近づいてきた。
白い衣を纏いながら、その目はまるで猛禽のようにギラつき、ユウナの姿を舐め回すように見つめる。
「明日が、待ちきれませんよ。いえ……今この瞬間ですら、私はあなたに触れたい欲求を抑えるのがやっとです」
彼の指が、そっとユウナの頬を撫でる。
その手は驚くほど優しく、だがそこに宿る“意図”がユウナの皮膚を刺すようだった。
「……やめて……っ」
ユウナが顔をそむけても、指先は滑るように頬から顎へ、そして唇の端へと這った。
「拒まないでください……。私はあなたを、誰よりも理解している。誰よりもあなたの“意味”を知っている。あなたは、過去と未来を繋ぐ聖なる血……そして、私のものになる存在だ」
そのまま、脈導師は彼女の顔を手で支え、目を覗き込んだ。
その瞳には狂気すら宿りながらも、どこか陶酔した甘さがあった。
「かつてあなたが、世界を救った英雄であろうと。人々に愛された聖女であろうと——それはもう過去のこと。これからは、あなたは私だけのものになる。“交脈”によって、我々は一つとなり、そしてその血が、新しい“神”を生むのです」
ユウナの身体が震えた。
彼の言葉の意味、それはただの誇大妄想ではない——彼は本気だ。心の底から、この歪んだ未来を信じている。
「子が生まれた暁には……私は“父なる預言者”として、あなたと共に世界の頂に立つでしょう。人々は、私たちを恐れ、そして讃える。スピラは変わる……すべては、私たちの意志のままに」
視線がユウナの喉元から胸元へとゆっくりと降りていく。
服の上からでも、彼女の肉体を隅々まで観察しているのがわかる。まるで“聖遺物”を検分するように。
「どうか、明日は微笑んでください。
あなたの微笑みは、人々に“偽りの希望”を与え、私に“真の悦び”を与えてくれるのです」
彼はそれだけを言い残し、満足げに扉へと向かう。
だが最後に、再び振り返ると、指先で空中をなぞるようにして言った。
「……その唇に触れるのは、明日まで我慢しましょう。“あの儀”の最中に、真に“あなた”を味わえるのですから」
扉が閉まり、静寂が戻る。
だが、ユウナの鼓動は速く、体温は下がっていた。
汗ばむ手のひら、乾ききった喉、そして涙も出ない心の底の絶望。
明日が来なければいいと、心の底から、初めて思った。
重い扉の音が消えると、部屋には再び沈黙が訪れた。
ユウナは、ただ静かに天井を見つめたまま、震える唇をかみしめた。
「……ティーダ……」
かすかに漏れた声は、誰にも届かない。
手足は柔らかな布に包まれ、魔法による封印は体中を巡り、力を奪っていた。
――思い出す。青い海、暖かな風、仲間たちの笑顔。
果てしない旅路の中、幾度も絶望を乗り越えてきた。
父の背を追い、罪の歴史を終わらせ、全てを懸けてスピラを救った。
それなのに。
「……どうして、私はまた……ここにいるの……?」
自分の意思を奪われ、体を縛られ、見知らぬ男の欲望の象徴として囚われるなんて。
涙は出なかった。あまりにも乾ききった心。あまりにも理不尽な運命。
それでもユウナは、希望の灯を手放さなかった。
「……私は、まだ……あきらめない……」
その瞳に、かすかに光が戻る。
たとえ力が尽きても、声を、意志を、心を使って、あの男を止めなければならない。
「こんな……歪んだ世界を、許さない……」
震える声の奥には、かつて数多の死を乗り越えた聖女の強さが、確かに息づいていた。
その頃、別の部屋で、ジッジは一人鏡の前に立っていた。
淡く光る香の煙が、部屋の中を漂っている。
「……ふふ……なんと神聖な夜だろうか……」
彼の声は、陶酔に満ちていた。鏡に映る己の老いた顔を、恍惚と見つめる。
「私は、ここまで来た。誰も耳を貸さなかったあの日々……泥にまみれ、罵倒され、それでも歩み続けた」
彼の指が、鏡をなぞる。
「やがて、人々は私の名を呼び、私の言葉に耳を傾けるようになった。だがそれだけでは……足りない……。私の信仰を完成させるには、“象徴”が必要だったのだ」
その象徴——ユウナ。
「スピラが誇る聖女。民衆が愛し、神が選びし娘……その全てを、この手に落とす日が……ついに、明日、訪れるのだ」
ジッジは笑う。静かに、だが底知れぬ狂気を伴って。
「唇に触れたとき、どんな声をあげるのだろう。胎に“我が血”を宿したとき、その聖なる眼差しは、いかなる色に染まるのだろう」
「その子が生まれれば、私の名は永遠となる。“聖女を受け入れし預言者”、いや——“新しき神の父”として、スピラの頂点に立つのだ」
その目は遠く、だが燃えるように熱い。
欲望と野望、自己愛と妄信が渦巻く瞳。
「ありがとう、ユウナ……。あなたは、私の夢のために、生まれてきてくれたのですね……」
その口元は緩み、手は祈るように胸元で組まれている。
だがその“祈り”は、誰にも救いをもたらさない、ただの狂信。
明日、儀式は始まる。
ひとりは絶望の中で立ち上がろうとし、
ひとりは希望に歪んだ夢を見て、天を仰ぐ。
やがてその夜が明ける時——運命が動く。
夜風が吹き抜ける高台に、ティーダはひとり立っていた。
眼下に広がるスピラの街並みは、儀式の準備に沸き、輝かしい光で満ちている。
——その中心にいるのは、ユウナだ。
「おかしいと思ってた……最初から」
後ろから聞こえた声に、ティーダは振り返る。
ワッカ、ルールー、、キマリ、リュックが集まっていた。
「“交脈の儀”なんて……ユウナが望むはずないっスよ」
ワッカが握った拳を震わせる。
「スピラのため?世界の救済?そんなことのために……また、あいつが犠牲になるなんて、俺は認めねぇ!」
「ユウナは……きっと、何かに気づいてる。でも、逃げられなかったんだよ……優しいから」
リュックの声は悲しみに滲む。彼女の頬に、怒りと悔しさが交じっていた。
「脈導師は、彼女を“希望”じゃなく、“道具”として扱ってる。スピラの人々がどれだけ彼を崇めていようと、そんなのは関係ないわ」
ルールーの目が静かに燃える。
「たとえ世界中があの男の味方でも、私たちだけはユウナの味方でありたい」
「……キマリは誓う。命を賭けて、ユウナを守る」
重く低い声が、決意とともに響く。
ティーダは拳を握った。脈導師の言葉、ユウナの泣きそうな顔、誰もが盲信している儀式の狂気。
すべてを思い返しながら、彼は言い放つ。
「……ユウナを取り戻す。俺たちはもう、“英雄”なんかじゃねぇ。今度は、ひとりの大切な人のために、世界を敵に回すんだ!」
仲間たちは黙ってうなずいた。
かつてスピラを救った者たちは、再び剣を取り、魔法を構え、決意を胸に進み出す。
その瞳に映るのは、偽りの光ではない。
たったひとりのために燃える、本当の希望の炎だった。