※この作品はR-18です。

◯学生のボク、図書室の司書さんに「セックス」という言葉の意味をカラダで教えてもらう   作:昼間寝音

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書庫に咲く蜜の頁

──あ。こんにちは。

 

柔らかく透き通った声が、図書室の静寂を破る。

司書の彼女は、カウンターの向こうの椅子に座り、眼鏡越しに優しく笑っていた。

 

「今日も本を借りに来たんですか?」

 

ボクは、無言でうなずく。

 

「この学校、図書室は大きいのに、あんまり本を借りに来る生徒さんがいないから、私、毎日楽しみにしてるんですよ。

放課後、君がこうやって新しい本を借りに来るの」

 

少し頬を染めながら語る彼女の声に、ボクの胸がじんわりと熱くなる。

 

「本はいいですよねえ❤ 現実の世界じゃ体験できない、色んな人生を歩める。

それに、文章の中でなら、何をしても誰にも咎められない。うふふふっ……❤」

 

彼女は、ふと遠くを見るように目を細める。

ボクは息を飲んだ。彼女のその表情が、どこか艶めかしく、何かが始まりそうな予感を漂わせていたから。

 

「はっ。ごめんなさい。えーと、それで、今日はどんな本を借りに来たんですか?」

 

我に返ったように咳払いしながら、彼女が言う。

ボクはランドセルから一冊の本を取り出し、机に置いた。重たい音が、二人の間に落ちる。

 

「えっ、これ……。あ、君にはちょっとこの本、難しいんじゃないかなーって、お姉さんは思うっていうか……」

 

彼女が顔を赤らめて早口になる。

 

「あの、ね。たしかにこの本は文学的価値があって、その……。えーと……」

 

言い淀んでから、一呼吸おいて落ち着いた声音になる。

 

「私も色んな意味で人生を豊かにしてもらった本、だけど。それは大学生も後半になってから、だったから。

君にはまだちょっと、早すぎる気が、する、なぁ……」

 

ボクは、その言葉に何かをこらえきれなくなっていた。

 

「あっ、えっ!? なんで泣くの!? ご、ごめんなさい!

私、何かまずいこと言っちゃいましたか!?」

 

涙がこぼれた。読んでも理解できなかった本。

ボクは、それが悔しくて、惨めで、恥ずかしくてたまらなかったのだ。

 

「というかまずいのは、こんなハードな性描写のある小説が置いてある学校の方ですよ……」

 

呟く彼女の言葉の意味は分からなかったけれど、その声は、熱を帯びた耳に微かに心地よく届いた。

 

「なんで、泣いちゃったのか、お姉さんに教えてくれる?」

 

ボクは、ぽつりぽつりと説明した。

すでにその本は読んだこと。けれど意味が分からなかったこと。

ボクなりに読み込んだのに、感情や身体の感覚が理解できなかったこと。

 

「……そっか、たしかに君はこの学校の中では一番の読書家さんだと思うけど、この本に書いてあることは流石にわからないよね。……そっか」

 

優しい声が、頭の上から降ってくるようだった。

 

「じゃあ……。お姉さんが、少しだけ、教えてあげても、いいですよ? この本に書いてあること」

 

彼女は、声をひそめるように言った。ふざけているわけではない。本気の声だった。

 

「うん。その代わり、約束してください。私が教えたこと、絶対に誰にも言わないで、内緒にするって。

もし秘密がバレちゃったら、私はこの学校にいられなくなっちゃいますからね。この本に書いてあることは、そういうことなんですよ」

 

ボクは、こくりと頷いた。

大好きな司書さんがこの学校からいなくなるなんて、想像しただけで、苦しくなった。

それでも、そんな大事な秘密のことを教えてくれるなんて、やっぱり司書さんは優しい人だと思って、胸がドキドキした。

 

「それでもいいなら、小指、だして❤」

 

彼女の細くしなやかな小指が、ボクの前に差し出される。

 

「指切りげんまん、嘘ついたら針千本、のーます。ゆびきった❤」

 

指と指が絡み合い、やわらかな体温が伝わってくる。

 

「よーし。いい子いい子。ふふっ。可愛い❤」

 

彼女は、微笑みながら言った。その表情に、ボクの鼓動が跳ねる。

 

「じゃあ、この図書室も静かだけど……誰かに見つかっちゃうかもしれないですね。

そうだ。書庫に、行きましょうか。あそこなら、私以外入らないし」

 

彼女はゆっくりと立ち上がり、ボクに手招きした。

この学校で一番静かな図書室の、さらに静かな、奥へ。禁断の扉が、開かれようとしていた。

 

 

 

書庫の扉が静かに閉まると、空気が変わった。

もう夏休みも間近だというのに、ひんやりとした静寂が辺りを包んでいる。

 

「……こっちですよ。もっと奥に来て」

 

司書さんが囁くように言う。

彼女の後ろ姿を追って、ボクは静かに歩を進めた。

書棚の影に隠れたその奥は、まるでこの世界から切り離された異世界のようだった。

 

「この辺りは、普段誰も来ませんから……ね」

 

足音が止まり、ボクらは完全に閉じた空間の中に立った。

 

「……ねえ、君は、“恋”って、したことありますか? 本の中じゃなくて……現実で」

 

唐突な問いに、ボクは言葉を失った。

彼女はその沈黙すらも肯定するように、やわらかく微笑んだ。

 

「……ふふ。やっぱり、まだなんだ。でも、それでいいんですよ。

今はまだ知らないものがあって、その分、これから感じられることがたくさんある」

 

その言葉の直後、耳元にふっと温かな吐息がかかった。

 

「……っ」

 

ボクの肩がわずかに震えたのを、彼女は見逃さなかった。

 

「ふふっ。びっくりしました? ……でも、その顔、ちょっとだけ期待してるようにも見えます。

“気持ちよさ”っていうのはね……静かなほど、深くなるものなんですよ」

 

彼女の声が、低く、甘くなっていく。

 

「たとえば、こうやって……誰にも聞こえないくらいの声で、耳元で囁かれると……ぞくって、しませんか?」

 

その直後、耳の内側に響く囁き声。

 

『君のこと、もっと知りたいんです』

 

一言が、体の芯を震わせる。ボクの喉が、勝手に小さく鳴った。

 

「……こういうふうに、少しずつ、近づいていくんですよ」

 

彼女の気配が、ほんの少し距離を詰めた。

肌と肌が触れ合ってはいないのに、ボクの背筋には電気が走る。

 

「急がなくていいんですよ。今日は、その“はじめの一歩”を、ゆっくり一緒に、踏み出しましょうね」

 

ボクは無意識にうなずいていた。

それが何を意味するか、正確には分かっていなかったはずなのに。

 

「……ねえ、目を閉じて。……そう、そのまま、深呼吸してみてください」

 

彼女の声に導かれ、ボクは静かに目を閉じる。

その瞬間、肩にそっと触れられた。ふわりと、彼女の手が乗る。

軽い、けれど、体温だけははっきりと伝わってくる。

 

「君が、今、どんな気持ちなのか……言わなくても、わかりますよ。

不安と……期待。知らないことを、知ろうとするときの、あの震えるような感覚」

 

耳の奥に囁かれるようなその声は、鼓膜から脳髄を這い上がっていく。

 

「……ふふ。可愛い」

 

ボクは何も言えなかった。息を吸うたび、鼻腔に司書さんの香りが満ちていく。

 

「でもね、まだ触れません。今はまだ……“想像”だけを味わってもらいたいんです」

 

その言葉と同時に、彼女の唇が再び耳元へと近づいた。

気配でわかる。今度は、本当に近い。

 

「……たとえば、このまま私が君の首筋に『キス』したら。どうなっちゃうと思いますか?」

 

喉の奥で息が詰まった。

想像するなと言われても無理だった。彼女の唇が、自分の首筋に触れたときの感触を……。

 

「想像しました? ……んふふ、そんな顔して」

 

耳元で甘く笑われる。

彼女には、ボクの心の動きがすべて見えているのだ。

 

「じゃあ……“この本に書いてあったこと”、少しずつ、思い出してみましょう」

 

彼女の声は、まるで呪文のようだった。

 

「“疼くような熱”“思考がとろけるような感覚”……それが、どんなことか……ちゃんと、考えてみましたか?」

 

ボクの喉が乾く。

考えれば考えるほど──

 

「考えれば考えるほど、胸の奥が、熱くなってくるでしょう? でも、それは……間違っていませんよ」

 

彼女の声が一段と低くなる。

 

「それが、性的な興奮。……君の身体が、大人の男になろうとしてる証なんです」

 

耳にふっと息がかかった。

 

「ふふ……ねえ。私に触れてみたいですか? それとも……私に触れられたい、ですか?」

 

言葉にならない。選べない。

どちらも欲しくて、どちらも怖くて──

 

「……どちらにしても、ね。教えてあげますよ。君が、まだ知らない“身体の意味”を、ね」

 

彼女の声が、頭の奥に染みこんでいく。

ボクはもう、逃げられなかった。いや、逃げたいなんて思っていなかった。

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