目を覚ましたのは、深夜の二時頃だった。結界に人の気配を感じたからだ。相手は結界に気づかずに中へと入ってきた。ダミーの結界を避けて、僕の本命の結界に触れたのだ。威圧して追い払うか、捕まえるか少し悩んだ。今後を考えれば捕まえるべきだ。僕は寝たふりでギリギリまで引き寄せた。相手が、短剣を振り上げている。手首が迫った時、それを掴んで、反転させた。ソファの上に押さえ込む。まずは短剣をソファに突き刺し動かせないようにした。そのまま魔術で金縛り状態にした。殺し屋さんだ。フードを取って顔を確認するが、面識はない。やり口が随分と大胆だ。多分僕は、結界をはっていなかったとしても、剣の気配で目を覚まして取り押さえられたと思う。かといって素人とは思えない。本人の人体の気配は完璧に消えている。あちらも取り押さえられたことに驚いている。どうしようかな。騎士団を呼んで全て尋問を任せるか、自分でも少しは聞いてみるか。実行犯と依頼主の名前くらいは知りたいような気もする。無差別犯や強盗という感じではない。
「違う、違うんだ……! 見逃してくれ」
相手が口を開いた。命乞いをされた経験は何度かあるが、ここまで率直で、しかも逃がして欲しいと言われたのは始めてだ。それに、何が『違う』のだろうか。
「こ、これは訓練で……っ……しかも部屋を間違えたんだ!」
変わった言い訳である。それとも真実なのだろうか……?
「俺、は! ここはグレン隊長の部屋だと思って……!」
それならば隣室だ。事実確認をするにしろ、騎士団に連絡するにしろ、戦略魔術師であるグレンさんに来てもらったら心強いだろう。そこで僕は、夜分遅く申し訳ないが、隣室をノックした。すると眠そうな顔でグレンさんが出てきてから、僕を見て硬直した。礼を取ってくれようとしたので、手で制する。そして事情を話した。すると顔色を変えてグレンさんがついてきた。
「ミスト……! この、馬鹿!」
「隊長……助けて……!」
なんと事実らしかった。二人のやりとりを、僕はぼんやりと見守った。そして二人は現実逃避気味に、ソファの弁償について話し始めた。僕のソファは彼らの三年分の給料を合計したらなんとか支払える額くらいだという内容だった。それは別にどうでも良いのだが。
「……これからは間違えないようにお気をつけ下さい」
なんだか疲れたし面倒なので僕はそう告げた。
「えっ、いいのか!? ミストには良く言い聞かせるけどな」
「有難うございます!」
二人が声を上げた。拘束していた魔術をとく。
それから僕は頷いて、二人を見送った。なんだか目が覚めてしまったので、クラウ殿下に借りた小説を読んで時間を潰した。
翌日職場に行くと、キースがニコニコとしていた。試した結果、大丈夫だったらしい。誰で試したのだろう。あまり深くは聞かなかった。
その後は、特に何事もなかった。そうこうしている内に、すぐに四月がやってきたのだった。春、王宮には沢山の魔術師が就職してきた。特務塔で窓の外を見ると、たまに歩いている姿が見えるのだ。特務塔の内部は、変わらず静かであるが。少しずつキースと雑談する回数が増えてはいるけど。他の同僚をここで見かけたことはやはり一度もない。寮でもグレンさんしか見ない。父ともしばらく会っていない。食堂では、他の塔や騎士団の人を見かける。あそこはにぎやかだ。腐竜が出た後、最初はみんな恐る恐る僕を見ていたが、特に礼をされたことはない。みんなそっとしておいてくれるのだ。そういう気の使い方をしてくれているのだろう。僕としては有難い。母からは夜会デビューの催促がきているが、僕はひたすら断っている。
そういえば昨日、隣国の第一王子のレクサード殿下と第一王女のミレイア殿下から手紙が届いた。
レクサ殿下は、少し変わっている。
手紙の内容は、こんな感じだった。
愛しのネルへ。
ついに長年の研究が稔り、理想の焼き印がいくつか完成した。
第一の焼き印は、治癒魔術封じの魔法陣、堕聖の印だ。これでネルの治癒魔術を封じ、いつでも命と体を損なえる。毒も怪我も自己・他者治癒が不可能になる。
第二の焼き印は、魔力封じの魔法陣、無力の印だ。これでネルの攻撃魔術と結界魔術を封じることが出来る。ネルは何の抵抗も出来なくなる。推測ではなく純然たる事実だ。
第三の焼き印は、感覚封じの魔法陣の内で、視力の封印に特化している、盲目の印だ。ネルは何も見ることが出来なくなる。
第四の焼き印も、感覚封じの魔法陣といえる。こちらは、背中に巨大な円を焼き付ける他の魔法陣と比較すればとても小さい。しかしその方が都合が良い。烙印した部分の感覚と動きを封じることが出来る。ネルの両手をまずを焼こう。そうすればペンを持つことは愚か、手首から先を動かすことが出来なくなる。次は、両足だ。足首から先が動かなくなる。走ることも歩くことも、どころか立つことが出来なくなる。
魔術と剣技が使えず、研究成果を残すことも不可能になる。立てず、書けず、見えず、ネルは無力になる。望むなら聴覚と声を奪うことも可能だが、私の声を聞いて絶望の声を上げる姿が見たいので、それは検討中だ。さて無価値になったネルは、誰が受け入れてくれるだろうか。ネルの価値は、力と頭脳のみだ。それがなければ、ネルは無価値だ。ネルは不要な人形として、捨てられる。
しかし私に限っては、ネルにもう二つ価値を見いだしている。美しい姿と血を残す能力だ。ネルは良い愛玩具となるだろう。優秀な種馬になるはずだ。きっと贈れば女性が喜ぶ。子種を死ぬまで提供し続けて貰おうではないか。ネルの子であれば、麗しい外見と相応の能力を持つだろう。その上、高貴な血を継ぐ。
安心して良い。無論隷属の焼き印は押す。ネルは私に逆らえなくなる以上、舌を噛み切ることは叶わなくなる。ネルに死ぬ権利はないし、殺してはやらない。
私達は、近いうちに会えるはずだ。その時を楽しみにしていると良い。
また手紙を書く。元気で過ごす事を祈っている。
こんな内容だった。隣国には第一王子しか王位継承者がいない。そのため、有事の際には、またいとこである兄と僕に継承権がまわってくる。国籍が違うが、それを考慮しなければ、兄は継承権第二位、僕は第三位となる。男子にしか継承権はないのだ。殿下の父上と弟は亡くなっているから、殿下が第一王子なのだ。僕と同じ歳だ。僕にもし男の子供が生まれれば、あるいは隣国の王族として引き取られることもあるのかも知れない。彼はそれを望んでこのようなことを言うのかも知れない。ただレクサ殿下が、こんな変わった手紙をつづるのは、公爵家では僕にあてた場合のみだ。例えば僕の妹には、とても優しく明るい内容を送付してくる。何度か見せてもらったことがあるのだ。僕は自分に届いた手紙は、決して家族には見せないけれど。
力がなければ無価値だから、捨てられる、か。
言われるまでもなく、僕はそれを知っている。彼の言うとおりだが、そんな分かりきったことを何故彼は手紙に書くのだろう。他には僕には価値など無い。
第一王女のミレイア殿下からの手紙は、もう少し普通だ。
彼女も僕と同じ歳だ。レクサ殿下が春の生まれで、ミレイア殿下が冬の生まれなのだ。
こんな内容だった。
ミレイア殿下に婿入りして、隣国の王家に入れという内容だ。
またいとこだから、僕には血筋的に王族として復権する権利があるのだという。本来王女殿下の配偶者には継承権がないが、僕の場合は、第二王位継承者になるそうだ。第一王子殿下に男の子が生まれるまでの間の順位だけど。未婚の王子殿下しかいない現状が心許ないらしい。結局の所、レクサ殿下の子をなして王族を増やせという意見と同じだ。兄に打診しないのは、兄は公爵家を継ぐと分かっているからだ。そういう意味では、僕は空いている。
ちなみに僕自身は結婚というものを上手く思いえがけないから、今、結婚する気はない。いつかは誰かと政略結婚するようにも思うけど。家族は、僕には恋愛結婚をする権利もあると言っていたが、僕が誰かに今後恋をすることはあるのだろうか。それに、なかなか会えなくなってしまうから寂しいと家族は言ってくれた。
僕が隣国に婿入りすることは、この国の国王陛下である伯父と、母方の祖母である王太后陛下が強く反対している。それこそ、僕には腐竜を退治できる力があるからだろう。あるいはレクサ殿下が言うとおり、僕が力を失ったら、率先して婿入りを勧められるかも知れない。だが、レクサ殿下がそれを実行するとは思えない。隣国としても、力がある状態の僕を手中に収めたいのは分かっている。隣国は治癒魔術は大変盛んだが、攻撃魔術を使用できる魔術師の数が少ないのだ。
だからレクサ殿下のあの手紙は、見えにくい優しさでもあるのだ。僕が無力になっても、受け入れてくれるという事を言いたいのだ。ミレイア王女殿下も、僕を愛してくれるそうだ。時には、愛していると書かれていることもある。ちなみに僕の結婚相手の候補には、この国の王女殿下達も含まれている。だがミレイア殿下にしろ、王女殿下達にしろ、別に本当に僕を愛しているとか好きだとか、そう言うことはないはずだ。政略結婚に愛を求めることは、間違っているだろう。婚姻後に愛が生まれる可能性は否定しないけど。
なんて返事を書こうか。僕は様々な人と手紙のやりとりをしている。手紙を受け取る魔術ポストを公爵家に設置しているから、いつでも手元にすぐに届くのだ。だが、返事を書くのは、それほど得意ではない。
レクサ殿下は、近々会えると書いていた。殿下は、恐らくこの国に来訪するのだろう。もしかしたら、この国の第二王子であるクラウ殿下の、外交官になってからの初仕事が、レクサ殿下への外遊の打診だったのかも知れない。レクサ殿下が来たら、僕も会いに行かなければならない。またいとこだからだ。お祖母さまも公爵領地から来るはずだ。
クラウ殿下とミレイア殿下にも婚姻の話がある。結構お似合いなんじゃないかと僕は思うが、二人とも沢山の候補者がいるから、決定的な話はない。
どうせ暇なので、僕は特務塔で返事を書くことにした。
紙とペンをテーブルの上に置くと、キースが興味津々という顔をした。
「どんな内容のやりとりしてるの? 俺、見てみたい!」
返事について思いを巡らせていた僕は、深く考えずにキースへと手紙を差し出した。
カップを傾けながら、キースは楽しそうな顔をしていた。
僕は、そのカップが割れる音で我に返り顔を上げた。
ぷるぷると震えながら、キースが真っ青になっている。
「な、何これ……! 怖っ!」
「……ちょっとした冗談だよ」
「本当!? 本当に冗談なの!?」
魔術でカップを除去している僕を、真っ青な顔でキースが見る。
なんどかじっと見ては視線を逸らしてから、唇を震わせた。
「えっと……結婚して、隣の国に行っちゃうの?」
「……」
「……俺ならこんな手紙来たら絶対行かない! よく考えた方が良いよ!」
明言を避けた僕に対して、キースが複雑そうな顔をした。
明言を避けたのは、僕の意志にかかわらず、国の状況が変わり政略結婚する事になった時に、気まずいからだ。そうなる可能性は否定できないから、何も言わないに限る。
「結婚して特務塔を辞めちゃったら、寂しくなるなぁ」
「寂しい?」
「だって折角仲良くなれたのに! 俺こうやって雑談してるの結構楽しいんだけど」
意外な言葉だった。僕と雑談するのが楽しいなんて、初めて言われた。
「まぁ、隣はあんまり腐竜が出ないって聞いたことがあるから、そういう意味では良いかもしれないけど」
キースが続けた。僕は首を傾げた。
「どういう意味?」
「だって腐竜退治なんて危ないじゃん。俺だったらやりたくない。ネルは偉いよね、嫌がらずにやってるんだから。だけどネルだって別に好きって言うことはないんじゃないの? やりたくないことはやらない方が良いよ。無理な時は無理って言った方が良い。ってそんなこと言える状況じゃないだろうし、俺だって退治してくれることには感謝してるけどね! けどネルが危ない目に遭うのは心配だ」
まさかそんなことを言ってもらえるとは思ってもいなかった。キースは、あるいは僕に腐竜を退治する力が無くても、こうして雑談してくれるのだろうか。そもそも純粋に身の危険を心配されたりしたのは初めてかもしれない。正直嬉しかった。がらでもなく照れてしまいそうになったから、僕は笑ってみた。するとキースも曖昧に笑った。キースの方が照れていた。キースはいい人だ。
僕はレクサ殿下への返事にキースの事を書いた。名前を出したわけではないけど。
僕と会話することを楽しんでくれて、僕のことを心配してくれる人がいたと書いたのだ。
すると、良い友人がいるんだなと返事が来た。
僕はキースと友人関係なのだろうか。それは分からないが、キースは大切な同僚である。