「レクサの片思いの相手に手紙を書いて報告しようかな」
「ぶは」
「潔癖な女性みたいだから、登山道を見かけてもスルーするようになるかもね」
レクサ殿下が、僕を睨んできた。思わず僕は吹き出した。クラウ殿下は苦笑している。
「ネル……言わないでくれ」
「レクサの行動次第だ」
「じゃあどの女なら、黙っててくれるんだ?」
「だから僕には紹介できるような人脈はないっていってるだろ。クラウに聞いて」
「俺のおすすめか……難しいなぁ。候補は腐るほどいるんだけどな……ネルが密告しない保証はない」
「ウェザークラフトは厳しい国だな」
レクサ殿下が嘆くように溜息をついた。クラウ殿下は声を出して笑うのを堪えながら腕を組んでいる。僕はどうしようかな。ユーネリア嬢の事を前向きに考えてみるべきだろうか。それとなく一瞥する。誰にもバレずに、話が出来たらとても良い。その上で判断できれば最高だ。彼女の気持ちだって問題だ。僕のことが嫌だったら可哀想だし、逆に僕がその気になれないのに彼女がその気になっても困るのだ。
しかし、話をするのはとても難しい。でも周囲にバレたら、結婚まっしぐらだ。
何か良い案はないだろうか。
それとも中身なんかどうでも良いと割り切って、彼女の気持ちなど考えず、結婚してしまおうか。気が合わなかったら、家に帰らず顔を合わせなければいいのだ。そう割り切るのであれば、別にレクサ殿下が手を出した後に結婚したって良い。僕が救済措置をとるということだ。
うーん……。
「ねぇ」
僕が声をかけると、二人がこちらを見た。
「結婚生活ってさ、具体的に何をすると思う?」
「んー、私の場合は子作りを第一に望まれるだろうが、希望としては愛を囁きあって、互いに尊重しあい、幸せに暮らしたいな。小さな事でも喜びを分かち合いたい。例えば、春には咲いた花を二人で見て、夏には海を見て、秋には紅葉を楽しみ、冬には雪だるまでも作るような生活を夢見ている」
さすが恋する男は違う。レクサ殿下からは、思いの外まっとうな答えが返ってきた。若干ロマンティストで夢見がちだが。
「俺は、愛し愛され、癒し癒されるような関係が良いな。一日に一度は顔を合わせて、キスをしたい」
クラウ殿下も恋愛結婚すると豪語しているだけはある。
「ネルは私やクラウ殿下と違って両親も祖父母も健在なんだから、間近で見てきたんじゃないのか?」
「確かにレクサ殿下の言うとおりだ。ちなみにネルはどんな女がタイプなんだ?」
「うーん……長生きしそうな人かな……」
僕の言葉に、レクサ殿下とクラウ殿下が、それぞれ顔を背けた。二人とも笑みが引きつっている。二人も、王族は狙われやすいと思っているに違いない。それぞれ家族を失っているのだから、尚更だろう。悪いことを言ってしまったかも知れない。
「ネル、私は先のことは後で考えるとして、心躍るような恋をしてみることを勧めるぞ」「俺もそう思う。お前、恋愛経験あるのか?」
幼い頃になくなった婚約者の顔を思い出した。ただ別に、心は躍らなかった気がする。好きだったと思うのだが。淡い初恋だ。
「……」
無言になった僕に、二人が眉を顰めて悲しそうな顔で詰め寄った。
「頑張れ! その年で枯れることはない!」
「ファイトだ、ネル! 俺は全力で応援する!」
その後暫く、二人に恋愛の良さを説かれた。二人は意気投合している。多分ちょっと酔っているのだ。素面になったら、またお互い化かし合うことだろう。この二人は、クラウ殿下が狐で、レクサ殿下が狸みたいなものなのだ。そろそろここにいるのも潮時だろう。面倒くさくなってきた。段々退席しても、誰にも嫌な顔をされない頃合いだ。
「努力してみるよ。二人とも有難う。早速会場を回ってみる」
「俺も行く」
「私も供をしよう!」
「せっかくだけど自分の力で掴んでみようと思う」
「そうか。声をかけづらい時は手伝うからな!」
「ここはクラウ殿下を頼っても良いところだ。私も応援している!」
「では、失礼します」
僕は適当にそう言って一礼してから、踵を返した。適当に一・二周したら帰るつもりである。誰か知り合いと一言二言話が出来れば、カモフラージュにもなるのだが。現在僕をちらちら見ている人は多い。僕に顔を売っておきたい人は、案外いるのだ。だがそれらの人も含めて、大半の人は道を空けてくれる。僕に話しかけるには、勇気がいるそうなのだ。恐らく僕が、愛想笑いをあまりしないからだ。時にはするが、誰彼構わず振りまくことはない。そういうのは気怠いのだ。ちなみに僕は、家族がいるので挨拶回りの必要はない。どちらかといえば、僕は元々、挨拶される側でもあるようだ。しかし、挨拶するには勇気がいるそうなので、それもない。僕へのかわりに、僕の家族に挨拶するのだ。そして必要であれば、家族経由で僕は紹介を受ける。それがクラウ殿下や国王陛下経由の時もある。
どうしようかなと考えながら歩いていると、ぱくぱくと骨付き肉を食べているグレンさんを見つけた。侯爵家の三男である上に戦略魔術師だから、警備の一環でここにいるのだろう。爵位が高い出自の魔術師や騎士は、必ずかり出されるのだ。今回僕は、親戚だから来たというのもあるが、そうでなくとも王宮で働いている限り呼ばれた可能性は高い。本来は、父親と長男が来ることが多いのだ。ちなみに出自が高い女性は無条件で全員呼ばれる。会場に華があった方が良いからだそうだ。年齢も問われない。五十代以上の女性は断ることも多いようだが。その辺りは、人による。四十代までは、断るのが困難だと聞いたことがある。遠方にいる場合は別だけど。だからどうしても出たくない人は、領地にひきこもるのだ。しかし事前に招待状が送られるから、なかなかそれも難しいらしい。
さて、グレンさんに話しかけてみようか。同僚といって差し支えないから、別に不自然ではない。それとなくそちらに向かった。彼は、テラスに通じる窓際の、肉料理が並ぶテーブルの前にいた。僕は、すぐそばでグラスをチェンジした。今度はシャンパンを手に取ったのだ。あいたワイングラスは、給仕の人に渡す。二つシャンパンを取りグレンさんに渡すか、料理皿を手に近寄るか、単純に話しかけるか。どれが良いか一瞬悩んだ時、グレンさんが僕を見た。ものすごく嫌そうな顔をされた。話しかけるなというオーラだ。しかしここまで来て話さなかったら不自然だろう。
「こんばんは。お世話になっております」
「滅相もない。こちらこそ大変お世話になっております、ネルレイン卿」
周囲の視線が、かなり集まった。グレンさんは作り笑いで、僕に答えた。心なしか、引きつっている。気のせいではないだろう。なんだか申し訳ないので、立ち去ろう。
「お互い楽しい夜を」
僕はそう言って笑って見せた。そして会釈して歩き出そうとした。
「あ」
そうしたら、意外なことにグレンさんが声を上げた。視線を向けると、彼は集まっているご令嬢達の方を一瞥した後、再び僕に視線を戻した。
「あのさ……」
グレンさんが小声になった。僕は一歩、歩み寄る。するとさらにグレンさんが声を潜めた。僕らにしか聞こえない音量だ。
「お前のこと紹介して欲しいって頼まれてたんだわ」
「誰にですか?」
「俺の妹。バース侯爵家の長女で、末娘。お前というか、サザーカインツ公爵閣下と話したいらしい。魔術学院の学生で、今十六なんだ。お前の妹は、学院が違う上に先輩で話しかけるチャンスがないらしい。すごいガードが堅いんだってな」
「ルナマリアの学院生活のことは分からないけど、お祖父様に?」
「攻撃魔術の論文で、光属性の応用理論がどうのこうのって言ってた。直接聞きたいらしい」
「ああ、月槍化の理論?」
「多分それだ。後は、鏡なんとか」
「闇鏡理論?」
「そんな感じだったな」
「良いですよ。お祖父様も喜ぶと思う」
僕は視線で祖父を探した。祖父は国王陛下から少し離れた位置で、宮廷魔術師長と話している。作り笑いだから、ただの挨拶だ。祖父は、はっきりと顔に出るのだ。盛り上がっている時や楽しい時は、表情が違う。
「でも、グレンさんも一緒に来て」
「嫌だぞ、俺は。妹を紹介したら、こっちに戻る」
「侯爵家のご令嬢を僕が家族に紹介したら、変な噂が立つ。単純にグレンさんの同伴者という形で紹介した方が良い」
「それはそうだろうけどな……俺の心臓が持たない」
「お祖父様に紹介したら、僕達はすぐに引き返せばいい」
「本当か? 絶対か? 約束だぞ!」
「うん。まず、グレンさんが、妹さんを呼びに行く。僕は、西の時計の下にいるから、そこまでそれとなく来て。その後、連れていくよ」
「了解」
こうして僕らは別れた。僕は、お祖父様に一番近い、西の柱時計のそばに向かった。グレンさんがやってきたのは、五分後だった。ご令嬢の輪の中に入る勇気を僕は尊敬した。僕だったら、妹があそこにいても呼びに行ける気がしない。
「ごきげんよう、ネルレイン様。レステル・バースと申します」
「こんにちは、レステル嬢。ネルレイン・ラ・サザーカインツです」
僕は略式で名乗った。本名は長すぎるから、こういう形になるのだ。レステル嬢は、会場の中では地味な濃い青のドレスを着ていた。どちらかというと、淡い色合いでピンクとか水色とかのドレスの人が多いのだ。そして珍しく、眼鏡をかけていた。眼鏡をかける貴族女性はかなり少ない。視力が良くなる魔術をかけて参加することが多いのだ。不思議に思ってよく見ると、ただの眼鏡ではなかった。魔導具だ。
「青霞の硝子ですか?」
僕の言葉に、レステル嬢が息を飲んだ。それからおずおずと頷く。この硝子は、魔力を屈折させる。眼鏡を取ると、彼女には、他者の魔力が奇妙な形で見えるのだろう。生まれ持った潜在魔力が強すぎて、自分の体が耐えられないと、こういう症状が出ることがあるのだ。訓練して魔力の許容値を伸ばすしかない。
それから僕は、二人をお祖父様の方へ案内した。グレンさんは顔が引きつっている。レステル嬢は、お祖父様しか視界に入っていない。
僕が歩み寄ると、祖父が話し相手に「失礼」と声をかけて、こちらに来てくれた。
「お祖父様、同僚のバース侯爵家ご子息のグレン氏と、彼の妹のレステル嬢です」
「同僚……? 特務塔のか?」
祖父が興味津々の笑顔に変わり、グレンさんをまじまじと見た。
狼狽えたようにグレンさんが挨拶をする。それからレステル嬢を紹介した。
「お祖父様、レステル嬢が、お祖父様の理論に興味があるそうです」
「そうか、我輩は、特務塔に興味があるのだが」
祖父はグレンさんしか見ていない。どうやらレステル嬢の紹介は失敗してしまったらしい。僕は、母と姉妹がこちらを見た事に気づいた。まずいまずい。
「ではお祖父様。僕は少し挨拶に回って参ります」
「えっ」
グレンさんが声を殺しきれずに口にした。裏切り者という目で僕を見ている。悪いが僕は自分が大切なので、微笑して知らんぷりした。僕はグレンさんを生贄に捧げて、二人をお祖父様の前に残し踵を返した。
さて、どうしようかな。家族の元にいって、紹介理由を話すのが無難だ。しかしそうしたら、多分誰かご令嬢を紹介されて、明日の一曲目を誘わなければならなくなる。それは嫌だ。他意がない証明に、他のご令嬢とも雑談すればいいのだろうけど……誰を選んだものか。やっぱりどう考えても無難なのは、ユーネリア嬢だ。周囲が結婚の話題を出さなければだけど。現在は、レステル嬢の事があるから、ちょっと挨拶するくらいは大丈夫ではないだろうか。流石にユーネリア嬢をお祖父様に紹介したらアウトだが。
ユーネリア嬢は、東の時計のそばにいる。会場には、貴族のご令嬢の集団が三つほどあるのだが、その中の一つの端にいる。声をかけづらい位置でなくて良かった。例えば集団のど真ん中にいたら、心が折れていただろう。それとなくそちらに歩く。視線は白ワインに向けておいた。僕はそこで、シャンパングラスと白ワインをチェンジした。
その時である。
ユーネリア嬢が転んだ。白ワインが、僕の方に跳んできた。完全にわざとだ。故意だ。他の人々が気づいたかは知らないが、僕は彼女がわざと靴に不自然な力を込めたのを確認していた。筋肉の動きに気を配る癖があるのだ。相手が暗殺者の場合、それに気づくか否かで生存率が変わってくるからだ。どうしよう。白ワインを浴びるか、避けるか。僕には避ける事が可能だった。だが、そうすればユーネリア嬢は、シャンパンタワーにつっこむ事になる。僕には、彼女を見捨てるか、抱き留めるか、という選択肢がある。避ければ大勢の人の批判を受けるだろう。避けなければ、今度は彼女が、僕になんて言うことをしているのかという批判を受けるだろうが、それは事故と言うことで片づけられるだろう。しかしユーネリア嬢は、大変な勇気の持ち主だ。仮に僕が、彼女が意図的に転んだと気づかなかったとしても、少しでも不機嫌さを表せば、すぐにここから連れ出されて厳重注意を受けるだろう。明日はパーティ自体に出席できなくなる。そもそも転ぶこと自体が、ご令嬢にとっては恥となる。困った。例えば魔術で、白ワインをはじいて、彼女の体を静止させるという術もある。ここは仮にも王宮の晩餐会の会場だが、咄嗟のこととなれば、僕は魔術を使っても許されるだろう。そうすれば、ユーネリア嬢だけが恥をかいて終わりだ。僕が濡れることもない。しかし僕は彼女に挨拶するためにここに来たのだ。彼女を助けて言葉をかけて、濡れたから着替えるという理由で退出するというのは、悪くない案だ。あくまでも事故だから、周囲に変に取られる事もないだろう。打算的にそう考えて、僕は彼女を抱き留めることにした。
周囲が静まりかえる。僕は、腕の中にいる彼女を、少しの間、いつも通りの無表情で、沈黙したまま見守った。
「大丈夫ですか?」
それから僕は笑顔を作ってそう声をかけた。
するとユーネリア嬢が、慌てたような、泣きそうなような、恥じ入るような、そんな顔で僕を見た。すぐに白磁の頬が、桜色に染まり、目が潤む。表情を自由自在に変えられるなんて、すごい。しかし同じ事が、僕の母と姉妹も出来る。僕は騙されなかったが、笑みを深くして答えた。ゆっくりと彼女の姿勢をただして、腕を放す。
「失礼致しました」
消え入るような小さな声で言われた。心なしか、震えていた。
「ユーネリア嬢に怪我が無くて良かったです」
「わたくしの名前を覚えていて下さったのですか……?」
「ええ。妹の大切な友人ですから」
僕は、妹の友人だと強調して言った。かなりその部分に力を込めた。わざとらしくなっても構わないのだ。あくまでも僕は善意で助けたのだという強調だからだ。僕がそうしたことは、周囲も、僕の彼女に対する配慮だと受け取ってくれるはずだ。ユーネリア嬢が、小さな鞄から、ハンカチを取り出した。
「ありがとうございます」
素直に受け取り、僕は濡れた肩を拭く。
「本当に申し訳ありません……」
「どうぞお気になさらないで下さい」
「是非お詫びをさせて下さいませ」
「本当にお気になさらないで下さい。僕は着替えてきます。名残惜しいですが、また」
僕はそう告げて会釈した。さっさと帰ろう。僕は、まっすぐに入り口へと向かった。濡れているから、家族に挨拶する余裕がない風に外に出た。ユーネリア嬢がひきとめるように何か言いかけていたが、言葉を聞く前に僕は歩き始めたのだ。とりあえず、外に出てすぐ御手洗いに向かい、魔術で服を乾かした。早く帰って、シャワーを浴びたい。その気持ちに素直に、僕は魔法陣へと向かい、帰宅した。