次ぎに気がついた時、僕はもう慣れてしまった寝台に寝ていた。体を起こす気力がない。だからぼんやりと天井を見上げた。左手の甲をみると、点滴針が突き刺さっていた。そこらから伸びるチューブを目で追っていくと、ハッとしたように僕を見ている人と目があった。魔力を見て、治癒魔術師だと分かった。僕の体の状態が、彼の手に負えなければ良いのだが、どうなのだろうか。僕は一命を取り留めてしまったのだろうか。せっかく自然死できそうだったというのに。僕はもう何も考えたくないし、皇女殿下も僕の死を願っているだろうに、何故治癒魔術師がいるのか。やはり外聞が悪いからだろうけど。死亡診断書も必要だろうし。
「ご気分はどうですか?」
治癒魔術師が穏やかに微笑んで僕に聞いた。しいて言うなら最悪だが、僕は咄嗟に大丈夫だと言おうとした。そして声が出ないことを再確認することになった。そんな僕を見て、治癒魔術師が首を傾げた。それからすぐに事態に気づいたようだった。
「声が出ないんですか?」
頷くか迷った。その僅かな迷いを見とがめられた。
「出ないんですね」
強い口調で言われ、僕は結局頷いてしまった。いつからかと聞かれたが、分からないので首を横に振る。その他にも体調について色々尋ねられた。僕は頷いたり首を横に振ったりした。皇女殿下が入ってきたのは、僕が上半身を起こした時だった。
「皇女殿下! 貴方は何を考えているんですか!」
すると治癒魔術師が声をかけた。僕は驚いて目を見開いた。皇女殿下はドキリとしたような顔で息を飲んでいる。
「人はこんな閉鎖空間に、一人きりで孤独には生きられないんです。少し考えればおわかりになりますよね!? 窓がないことも致命的だ。日の光を浴びなければ、人の体は持たない」
「え……」
「なによりここには、最悪なことに魔力の気配を消す結界がはってありますね。強い魔術師ほど、空気を漂う魔力の吸収が生命活動に必要不可欠だと言うことはおわかりでしょう? 貴女は彼を最初から殺す気だったんですか!?」
「そ、そんなつもりは……え?」
「知らなかったではすまされません!」
動揺している彼女が可哀想に思えてきて、僕は治癒魔術師の腕を引いた。僕について怒ってくれるのは有難かったけど。だから笑った。お礼を言いたかったがそれは出来ないからだ。すると僕を見て小さく息を飲んだ後、治癒魔術師が涙ぐんだ。すぐにぽろぽろ泣き出してしまった。僕は正直困った。確かに僕は、長らく魔力が全身に満ちあふれてはいない。しかし使う必要性もないから、そういうものだと思っていたのだ。それが帝国の、僕への対応だと考えていたのだ。魔力が半分程度しか満ちない僕は、非常に立場が弱くなる。そういうものだと思っていたのだ。
「ネルは……どうなるんだ?」
「胃に穴が空いています。そして栄養失調も著しい。魔力欠乏症もゆるやかとはいえ慢性化しています。先ほど倒れたと聞きましたが、立っていられたことこそが奇跡だ! 絶対安静にして、早急に治療しなければ、世継ぎのご子息が産声を上げる前に死にます。それは今日であってもおかしくない状態だ」
皇女殿下が声を失っている。だが僕は、その事よりも場違いなことを考えていた。どうやら僕の子供は男の子のようだ。そして世継ぎになるらしい。ちゃんと皇族として生きていくことが出来て、皇位継承権も得るのだろう。それは子供にとってはきっと良いことだ。
「一時たりとも目を離すことは出来ない。彼は苦痛の声を上げることが、今できないんです。喋れなくなっているんですよ!」
「な」
「ストレス性の失語だ。心の傷が癒えなければ、声は戻らない。それは一生かかっても戻らない場合もあるって事です!」
まるで皇女殿下のせいのような言い方だ。耐えられなくて、僕はまた彼の腕を引っ張った。違うのだ。もともと僕の精神は脆弱なのだ。皇女殿下のせいではない。どうしたら良いんだろう。僕にはそれを伝える術がない。筆談でもしたら良いのだろうか。だとして、なんて書けばいいのだろう。思わず溜息をついてしまった。しょうがないので、こちらをみた治癒魔術師に、苦笑して首を振っておいた。するとまた泣き出してしまった。弱ったなぁ。
はっきりと僕の思いを伝えた方が良いのかも知れない。
僕は指を宙に向けた。魔術で文字を書くことにしたのだ。幸い帝国の文字は知っている。共通語でも良かったが、帝国語なら確実なので、そちらで書いた。治療放棄をして、このまま殺してくれるようにお願いしたのだ。そうすれば、誰も困らない。僕の家族だって、病死ならば何も言わない。良い考えだと思って、僕は満面の笑みを浮かべてしまった。
だが、それは失敗だったようで、治癒魔術師と皇女殿下の顔色が変わった。真っ青で、信じられないものをみているように目を見開き、何か言おうとするように唇を震わせているのだ。二人とも、そっくりの動作だった。もしかしたら、二人にはその案が思いついていなかったのかも知れない。今それを知り、迷っているのかも知れない。良い案だと気づいたと思う。僕は念押しに、頼むからお願いしますと書いた。すると今度は皇女殿下ががくがくと震えだし、声は上げなかったが、涙で頬に線を作ってしまった。治癒魔術師は呆けたように僕を見ている。うーん。僕は困惑しながら、大丈夫ですかと宙に書いた。二人とも答えてくれなかった。僕はそれからすぐにまた血を吐いた。慌てた二人の前で、僕の意識は再び闇に飲まれた。
次ぎに目が覚めた時には、口に酸素マスクがくっついていた。大分胸が楽になっている。どうやら僕は生きているようだ。今は、何月何日だろう。排尿用の管がついている上に、おむつまでしているのが分かった。これはようするに、意識不明で寝たきりだったと言うことだ。正直、下半身が気持ち悪いし、恥ずかしい。周囲に人気はない。僕は腐っても治癒魔術師でもあるので、自分で引き抜いて、空間魔術で処分した。酸素マスクも勿論外したのだが、いっきに苦しくなったので、すぐにまたつけることにした。ベッドの端に座り、室内を見渡してみる。僕が知っている部屋ではなかった。塔じゃない。なにより大きな窓があって、陽光が差し込んでいる。白い光を久しぶりに見た。窓際には緑色の植物が飾ってある。綺麗だ。大きな花瓶に入っている。病室のようで、沢山の魔導具がある。どれもウェザークラフト王国のものとは異なるから、ここは帝国か第三国だろう。だが、ここはどこなんだろう。咳が出たので、大きく酸素を吸う。とても広い部屋だ。その時扉が開いた。入ってきたのは、無表情の皇女殿下だった。少し前よりも大人っぽくなっている。老けたと言うほどではないが、年月は感じた。僕はかなり眠っていたのかも知れない。緩慢に皇女殿下が僕を見る。そして目を見開き硬直した。僕は思わず苦笑した。
「ネル……?」
「今は、いつ? 僕はどれくらい寝ていたの?」
「ネル……! ネル!」
皇女殿下が走り寄ってきた。そして僕に抱きついて泣き始めた。僕は苦笑したまま、少し悩んだ末、彼女の体に両腕を回した。静かに髪を撫でてみる。感触は全然変わっていない。髪は随分と伸びている気がするけど。
「あ」
「どこか辛いのか!? 大丈夫か!?」
「いや、そうじゃなくて、声が出るようになってるから」
彼女が僕の肩を掴んで顔を上げたので、僕は自分の喉を片手で触ってみた。あーあー、と言ったら、ちゃんと音が伴った。良かった、ような気がする。もう一方の手を握ったり開いたりして、魔力の感覚を確かめた。完全に戻っている。いや……むしろたまりに溜まっているようで、僕が経験している中では、一番魔力量が増えていた。きっと僕には伸び代があったのだろう。一度遮断してから摂取すると増えやすいとも聞いたことがある。僕は、どうしても一つ聞きたいことがあった。
「ねぇ……子供はどうなった?」
元気かと聞きたかったが、死んでいる可能性を考えたのだ。
「無事に生まれて、もう五歳だ。すごく元気で、男の子だ。喜んでくれるか?」
僕は笑って頷いた。本当に良かった。すると皇女殿下が号泣しはじめてしまった。
「私を恨んでいるだろう? 無理に連れてきた上に、貴方に酷いことをした。なのに、なのに……っ、貴方の話を聞かず、貴方を糾弾して……っ……本当に、本当にごめんなさい。ずっと後悔していたんだ」
「別に恨んでないよ。元気な子供を産んでくれて有難う」
「貴方は馬鹿だな。優しすぎる」
そんなことを言われても困ってしまう。それにしても五歳ということは、僕は十九で父親になったのだから、二十四歳ということだ。あるいは、二十五になる歳かも知れない。五年も僕は寝ていたのか。そんなに意識がない状態が続いたのに、よく帝国から追い出されなかったものだ。皇女殿下も見舞いに来てくれるなんて。
「名前はなんて言うの?」
「ウィルナードだ」
「それ、もしかしてお祖父様がつけた?」
「何で分かるんだ?」
「昔から曾孫が生まれたら、その名前を付けたいっていってたから。兄上の子供につけると思ってたんだけど。初孫だからかなぁ」
続けつつ、僕は、この事態を祖父が知っているのだろうと判断した。なんということだ。祖父はどう思ったのだろう。それにしても、なんだか疲れてきた。ずっと寝ていたのだろうから、当然かも知れない。
「ねぇ、少し眠っても良い?」
「……ああ。ちゃんと目を覚ましてくれるならな」
それは約束できないから、思わず苦笑してから僕は横になった。僕の片手を、皇女殿下が両手でギュッと握る。僕はそのまま眠った。彼女の体温を感じながら眠るのは、初めてだ。