※この作品はR-18です。

母の写真   作:松田義和

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第四章 夜の沈黙と、目をそらせない光

夜。

部屋の明かりを消して、ベッドに潜り込んでいた。

カーテンの隙間から、かすかに街灯のオレンジが差し込んでいる。

その淡い光の中、僕の手の中にはスマホがあった。

 

画面の明かりが、まぶしい。

明るさを少し下げて、音も切って、それから――

指が、あの写真のフォルダを開いた。

 

もう、何度目かもわからない。

やめればいいのに、見なければいいのに。

でも、指は迷いなく、その写真を選んでしまう。

 

この人は、母さんだ。

 

そう認識しながらも、

でも同時に、どこかで思っていた。

 

いや、本当は違うのかもしれない。

 

――これは、「母さん」じゃない。

台所でエプロンをつけてるあの人じゃない。

僕の成績を気にして、風邪のときにポカリを買ってきてくれた人じゃない。

 

写真の中にいるのは、

誰かに見せるための下着を身に着けて、鏡の前で微笑む**“ひとりの女性”**だった。

 

そう気づいた瞬間、胸の奥がざわついた。

何かがこぼれた気がした。

今まで、感じたことのない感情。

どこか、黒くて、あたたかくて、重たいもの。

 

それを認めたくなくて、

必死に頭の中で打ち消した。

 

「違う。これはただの写真だ。ふざけて撮っただけだ」

「母さんは、そんな人じゃない」

「これは間違いだ、何かの――」

 

でも、言い訳はもう、通用しなかった。

写真は確かに存在している。

それを“保存した”のは、他でもない僕自身だった。

 

どうして、消せなかったんだろう。

どうして、こうして夜中に見ているんだろう。

気持ち悪い。自分が、信じられない。

 

でも、目が離せなかった。

画面の中の“彼女”は、何も語らないまま、

僕の視線を受け止めて、そこに立ち尽くしていた。

 

何のために撮ったの?

誰のために、そんなポーズを?

母さん……。

 

声には出せなかった。

出した瞬間、すべてが壊れてしまいそうだったから。

 

僕の中で、母さんが「母さん」じゃなくなりはじめていた。

いや、まだ半分は、確かに母さんだった。

でももう半分は――

僕が、まだ名前をつけられない何かに変わりつつあった。

 

そしてその夜、

僕は一度も眠れなかった。

 

スマホの画面を見つめながら、

目を閉じたふりをしながら、

心の奥底でずっと、誰にも言えない感情を、抱えていた。

 

八月の半ば、夏の暑さが少しだけ和らいできた頃。

僕は、下宿先に戻らなければならなかった。

 

荷物は少しだけだった。

母さんが用意してくれた野菜や惣菜を、小さめの保冷バッグに詰めて。

駅までの道のりは、いつもより少し長く感じた。

 

車の中では、特別な会話はなかった。

母さんも、父さんも、いつも通りだった。

笑って、気遣って、どこにも“異変”は見えなかった。

 

――だからこそ、僕は結局、あのことを何も言えなかった。

 

あの写真のこと。

ブラウザ履歴も、LINEのログも、SNSのDMも、見たかぎりでは“怪しいやりとり”はなかった。

送信の痕跡もない。証拠は、何ひとつ見つからなかった。

 

きっと、本当にふざけて撮っただけ――

そう思い込もうとしている自分がいた。

「深く考えすぎたんだ」と、自分をなだめるように。

 

でも――

あの瞬間に胸の奥に残った違和感だけは、どうしても消せなかった。

 

画面の中で笑っていた“母さん”の裏に、

僕の知らない誰かが、確かにいた気がした。

それが誰なのかはわからない。

でも、あの笑みは、僕に向けられたものじゃない。

 

それが、ただの思い過ごしであってほしいと願いながら、

僕は電車に乗った。

 

窓の外には、夏が引きずるように流れていく。

遠ざかっていく家。

戻っていく自分の部屋。

そして、持って帰ってしまった、あの“写真”。

 

日常は何も変わっていない。

大学の講義、コンビニ飯、眠れない夜。

でも、ほんの少し、風景が違って見える。

 

そして、なぜか、ふと思った。

 

次は、秋の連休に帰ろう。

 

本当なら、わざわざ帰る必要なんてないはずだった。

予定もない。授業もある。友達も呼ぶかもしれない。

 

でも――それでも、帰ろうと思った。

理由なんて、なかったはずなのに。

 

いや――違う。

理由のない帰省に、理由ができてしまった。

 

そう思ったとき、自分の中の何かが、また一つ、静かに軋んだ。

 

 

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