(何故、闇の戦士であるこの俺が、こんなことを?)
我らが
雑巾を持って床やテーブルを拭いたからではない。
そもそもこの男は掃除が大好きだった。
スタイリッシュさを希求し続ける闇の戦士は、身の回りをきれいにすることが好きだったからだ。
しかし彼が不本意だったのは、まな板に向かって玉ねぎを切ることにあった。
それを鍋に入れ、にんじんとじゃがいもを切るなんて、闇の眷族にとってありえない事だ。あくまで彼の価値観であったが。
鍋の中に入れていたのは、新しいカレーの具であった。
「らっしゃっせーでチュウ!」
カウンターから、エスカの元気のいい声がまた響いた。
エプロンをかけて丸見えの股を隠すダフネと、店のどこかから引っ張って来たミニスカートと半袖のメイド服を華麗に着こなし、クールな女給を演じる姉の姿があった。
「全部入れたぞ、モッチモチ」
DSは挽きたてのコーヒーをドリップしていたハーフリングの店主に言った。彼は鍋を一瞥すると、
「では火をかけてくれ。最初は強火で。煮立って野菜が崩れてきたら弱火でね。それかあ特製のカレールーを流し込んでいってくれ」
「最初に教えてもらってコツは掴んでいるが……このにぎわいは何時まで続くのだ?」
DSはキッチンの壁にかかった時計をみる。既に午前3時をまわっていた。
店に客が入り始めてからおおよそ8時間、ずっと客が入って来て休む暇も無かった。汚い店なのにあまりにも出入りが多すぎる。
「いつもこんなに儲かっているのか? こんな廃屋みたいな店で?」
「そうだよ。リリカルララフェルは今の時間が一番のかきいれ時さ」
「だったら手伝いを雇えばいいだろうに。ソファもテーブルも塗装が剥げていたり破れていたりひどいものだが。ここの客はそんなことも気にしないのか?」
モッチモチ夫妻の喫茶店は、外装も中もとにかくひどかった。
それなのに看板に灯火がつけば客はひっきりなし。
その客層だが、プリンプリン=カワイイヤッターの話によれば、『シンコイワ』の交尾用ホテルを出たばかりの不倫カップルや、夜勤の仕事を終えたばかりの労働者ばかりだとか。
「まあしかし、お前たちはニンゲンに化けずにそのままの姿でこの店をやっているわけだろう。その『ようかい』とやらに目を付けられて襲われないのか?」
「この店のご愛顧さんが守ってくれるんだよ。それと、魔族がやっている店だと、ある程度は見逃してくれるのさ」
何せ『監督官』の店でもある。
ここに手を出せば、『ナスシオバラ』にいるポコリーヌが『ジパング政府』に圧力をかけてくれるだろう。
「なら安心だ。が、そんなことはお構いなしのやつらもいるのではないのか?」
「とりあえず、この店に籠もっている時は問題無いだろうね」
プリンプリンの笑顔があまりにものんきそうに見えたので、DSは鼻で笑って黙りこくった。
そのもしかしたら、を危惧していたのだが、闇の戦士の鋭い勘は当たっていた。
「ありがとうございましたでチュウ!」
エスカにお釣りを渡されると、ずんぐりむっくりとした体型のツナギのその男は、少し歩いて商店街に出て、40歩ほど歩いた右にある路地に向かうと、暗い中で独り言のように誰かに呼びかけた。
「モッチモチの店にいやがった。確かに『妖怪』みたいなのが4名いた」
「そうか。ご苦労だった」
暗がりから、ぬっ、と姿を現したのは、黒い翼を背中に生やした、『せーらーふく』姿の黒髪の少女だった。白猫御前の部下の、烏天狗である。
「では急ぎ向かわせよう。取り囲めば、いくら強くてもどうということは無い」
「ですが、店にはまだ客がいるぞ?」
「構わん。皆殺しだ」
烏天狗は腰にさした片手剣を抜いた。
『ワキザシ』と呼ばれる小剣だ。
鋭くそして、ものを貫く威力は暗殺者ゴブリンが持つ玉鋼の刺突剣に、匹敵するほどである。
彼女が剣を抜くと同時に、その背後から屈強な男達が幾十人も近づいてきた。
彼女は振り返り、皆に呼びかける。
「出番だ。まつろわぬ『妖怪』は4名。生け捕りにしろ。犠牲を厭うな。お前達も、白猫御前様の為に命を差し出せ。だがモッチモチとプリンプリンには決して手を出すな!」
おう、と掛け声。
それから烏天狗は皆を引き連れて店に向かった。
□ □ □ □ □
その、集団の殺意の気配が街に明らかに漂った時。
カレーを煮込み始めていた闇の戦士DSは鋭敏に気配を察し、己の本分が何だったのかを思い出していた。
おたまを持った手が、武者震いを起こしていた。
「……おい、モッチモチ。無事では済まされんようだぞ?」
「藪から棒になんなんです?」
「コーヒー豆を挽いている場合ではない。いや、この俺が、この辛い汁の熟成にかまけている場合でも無いわけだ」
彼はおたまをモッチモチに頼み、キッチンの隅にかけていた二振り、『ヴァルド=ムアーリス』と『ゴーラ=イシュバーン』を手に取った。
「ちょっと待っててくれ。小癪な悪党どもを片付けてくる」
「あんまり大事にしないでくださいね? 一応ですが警察や司法も機能しておりますし、法律でも殺人罪が適応されるわけですから」
「それは、人殺しがまかり通っていない光の眷属たちののみの世界で言えることだろう? この『トーキョー』はどう見ても悪の巣窟、闇の者の棲まう場所だ!」
DSは銀色の髪をなびかせて外に出た。
『コイワ』の駅から既に、長く黒い髪の娘とそれが引き連れる、どうにも色欲地獄の餓鬼道地獄の真っ只中にいるような、闇属性の小悪党どもが、武器を持って連なって近づいてきていた。
その汗臭い、それでいて精液くさい連中の中から、このような声をDSは耳にした。
「見つけたぞ、リリカルララフェルのキッチンに立っていた耳長の『ようかい』だ! 剣みたいなものを手に持っている、あの銀髪のやつだ!」
烏天狗は目を怒らせ、男どもは武器を構える。
しかし彼等ができたのはそれだけだった。
目の前のDSはすっ、と姿を消したと思うと彼等の背後にまわり、両手に持った剣をさっ、と振った。
そよ風が起こった。
だが、凪の寸前でもある穏やかなそれは、遥かに強大な殺意を含んだ、薙ぎによるものだった。
まるで根元がスポンジとつながっているかいわれ大根を包丁で切り離すかの様に、闇の戦士が起こしたその風は、多くの男達の両脚の膝から下を刈り払っていた。
「おっ?」
「うあああっ!」
次々と起こる阿鼻叫喚。
屈強な男達の多くが一瞬にして不具の者にされ、血しぶきと悲鳴とがあたりに起こった時、その烏天狗はようやく気がついた。
(……まさか!)
彼女は恐る恐る、後ろを振り向いた。
そこには脚を抑えて呻き続ける男達を踏みつけながらゆっくりとこちらに向かって歩いてくる、異界から来た闇の戦士の姿があった。