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ハルと肩を並べてソファーに座り、食後のコーヒーを飲みながら朝のニュースをのんびり眺める。朝食の余韻をまったりと味わっていると、テレビのキャスターさんが8時を知らせるコメントを読み上げた。
1限は9時から始まる。ハルが大学近くにマンションを借りてくれたおかげで徒歩10分ほどで通学はできるけど、そろそろ用意はしないと。
寄りかかるハルをそっと離して、僕はソファーから立ち上がった。
「大学の準備してくるね」
「えー、もう行っちゃうの?」
「終わったら速攻で帰ってくるから。今日行けば、明日からは土日休みだし」
「むぅ……わかった」
ハルは渋々といった感じで頷いた。
顔を洗って歯を磨き、ワイドパンツと長袖のシャツに身を通して、上からダウンジャケットを羽織る。トートバッグで荷物を持ち、玄関にある全身鏡で最終確認。よし、バッチリだ。
「じゃあ、行ってくるね」
玄関まで見送りに来たハルに軽く手を振る。
「その前に――はいっ!」
ハルは僕に向かって両手を広げた。
これだ。こればかりは、同棲を始めて2週間が経っても慣れない。
――行ってきますのハグ。
恥ずかしさと嬉しさが入り混じる複雑な感情に、顔が熱くなるのを感じながらも、僕はそっとハルの体を腕の中に抱き留めた。ガラス細工を扱うかのようにそっと、それでもしっかりと。
「よしっ! ショウタくんエナジー、チャージ完了! これで帰ってくるまで耐えられるよ!」
「僕も一日元気でいられそう。じゃあ」
パッと体を離したハルに「行ってきます」と告げて、僕はつま先の方角を扉に向ける。
ドアが閉まる直前まで「気をつけてねー!」と手を振ってくれたハルに、僕もまた笑顔で手を振り返した。
*
夜の帳が下りた駅前を、僕は足早に進んでいく。ヘトヘトになった体を引きずって、第二の我が家を目指す。
早く部屋に戻って、ハルと一緒に夕食を囲みたい。そんなささやかな願いを胸に駅前を歩いていると、
「――ちょっとちょっと! あんた!」
本当になんの前触れもなく肩を引かれ、僕は思わず足を止めた。
「ショウじゃないの!?」
声の方に振り返ると、そこには女の人が立っていた。
上半身はコート、下半身は膝上スカートに黒タイツで、靴は厚底のローファー。緩く巻かれた茶髪に、ピンク色のエクステが紛れている。
そんな派手めな装いをした女性が、僕の肩を掴んでいた。
「えっと……、どちら様で……?」
記憶の引き出しを漁っても、該当する人物は浮かんで来ない。
「はあ!? あんたまさか、この私を忘れたっていうの!? 信じられない!」
「いやあの、本当に申し訳ないんですが、全然覚えがなくて……お会いしたことありましたっけ?」
低姿勢な態度で、相手の剣幕を和らげようと試みる。しかしその努力も虚しく、彼女の怒りはさらに燃え盛るばかりだった。
「会ったじゃない! 私の人生において最も屈辱的な瞬間に、あんたはそこにいたのよ! ハルが初めてやった、顔出しのサイン会でね!」
「サイン会……?」
その単語を聞いた瞬間、とある光景がフラッシュバックする。
ハルの活動1周年を記念した初めての顔出しサイン会――あの日、僕に対して一方的に敵意を剥き出しにしてきた女の人がいた。
ああ、そうだ。朧気だけど思い出してきたぞ。
たしか、
「……もしかして、会員ナンバーが2番だとかでやっかみをつけてきた人ですか……?」
「そうよ! ようやく思い出したみたいね! 私はあんたのこと、片時も忘れたことはないわよ! あの日の屈辱、あの日の怒り、今でも昨日のことのように覚えてるわよ!」
「は、はあ……」
「あんたのせいで、私のハルオタ人生に泥を塗られたんだから!」
身振り手振りを交えながら、彼女は僕への恨み辛みを捲し立てる。
「いや、それは大袈裟じゃないですか。前も言ったような気がしますけど、コンマ数秒の差とか、そういうレベルの話じゃないですか」
正直、そこまで執着されるほどの出来事だろうかと首を傾げたくもなる。1番だからといって、なにか特典があるわけでもなかったし。
「私にとっては大事なことなのよ! 万年2位の、このもどかしさがあんたにわかる!?」
「2位じゃなくて2番でしょう……」
「一緒よ!」
順位の話じゃない気が……。
やはり、この人とは話が噛み合いそうにない。
「私はね、配信も全部リアタイして、投げ銭だってたくさんして、ハルのグッズも全部買ってるんだから……!」
なんか急にマウントを取られてしまった。いやでも、それは素直にすごい。ハルのグッズって、ちょいちょいアパレル系が混じるから結構値が張るんだよな。
可能ならそうしたかったけど、いち学生の僕にそれをコンプリートする財力はなかった。
「じゃあ、あなたもハルが好き、僕もハルが好き、それでいいじゃないですか」
「私の方がハルのこと好きよ!」
むっ。それはさすがに認められない。
「いいえ。使った額では負けてるかもしれないですけど、気持ちってお金じゃないですし。僕の方がハルのこと好きだと思います」
「なんですって!?」
うーむ……。
これ以上関わっても、ろくなことになりそうにない。立ち話をするほどの間柄でもないし、ここは早々に切り上げて、一刻も早くハルのもとに帰るのが賢明だろう。
僕は話にならないとばかりに、あえて無愛想にため息を吐いた。
「……では、僕はこれで失礼しますので。お元気で」
軽く会釈をして、踵を返そうとした。しかし僕のその行動は、彼女の素早い動きによって阻止されてしまう。ぐいっと腕を掴まれ、
「ちょいちょいちょい! 待ちなさいよ! せっかくこんな所でバッタリ再会したんだから、これもなにかの縁じゃない?」
「は?」
「一杯どう? 奢ってあげるからさ! ハルの話でもしながら、旧交を温めましょうよ!」
「ええっ!? いやあの」
友人にでも話しかけるかのような気安さで、僕の肩を馴れ馴れしく叩いてくる。
嫌われていると思ったのに、まさかお誘いを受けるなんて……さっきまでの険悪な雰囲気はどこへやら、距離感の縮め方が尋常ではない。というか、旧交なんてあっただろうか。
「そういうのはちょっと……それに僕、まだ19歳なんでお酒は飲めませんし」
「そうなの? まあ、たしかに言われてみれば、高校生っぽい見た目してるしねぇー」
「れっきとした大学生ですけど」
どこか小馬鹿にするようなニュアンスを感じたので、眉間に皺を寄せながら釈明しておく。
「あと、家で彼女が待ってるんで、他の女性とふたりきりで飲み食いするっていうのは少し抵抗があります」
「へえ」
角が立たないように断ると、彼女は意外そうな顔で僕をまじまじと観察し始めた。
「もやしみたいな男のくせに、一丁前に彼女いるのね」
「あなたには関係ないでしょう」
「まあ、安心しなさいよ。別にあんたのこと煮て食ったりする気は全然ないから。私は単に提案してるだけよ。同じハルを愛した戦友への、ささやかな親切心ってやつね」
「……どういうことですか?」
我ながら無視すればいいものを、意味深な言葉が気がかりで突っかかってしまう。そんな僕に、彼女はニヤリと勝気な笑みを浮かべた。
「ハルの噂、知りたくなーい? ちょーっと、きな臭いのが流れてるのよ」