チャンネル登録者が僕しかいない時から応援してる歌い手が『超人気ネットアイドル』に成長して、最高の恩返しをしてくれるお話 作:花染彩葉@幼馴染ハーレム2巻発売中!
迎えたサイン会当日。チノパンにTシャツという無難な服装に身を包み、トートバッグの中にタオルとサイン用の額縁を詰め込んでいざ出陣。
電車に揺られること1時間ほどで、会場がある最寄り駅に到着した。開始時刻の30分前に現地入りを果たす。
ビルの入り口にある案内板には、本日開催されるイベントが液晶で表示されていた。
『7階会議室・ハルのサイン会』
エレベーターに乗って目的の階へ。7階に到着すると、自販機などが設置されている広い休憩用のロビーに出た。すでに何人か、それっぽい人たちが集まっていた。
サイン会は、混雑を回避するために会員ナンバーごとで時間が分かれている。1番~25番は00分から、25番~50番は30分から、といった具合だ。
つまり、今ここにいる人たちは、本当に初期の初期からハルを応援している選りすぐりの古参勢ということ。その中で僕は一番……少しぐらい優越感に浸ってもバチは当たらないだろう。
他の人がそうしているように、僕もソファーに腰を下ろす。スマホを弄りながら開始時刻まで時間を潰していると、やがて会議室の扉が開いて、中からスーツ姿の女性が現れた。
「本日はお越しいただきありがとうございます。私はハルのマネージャーを務めている江崎(えざき)と申します」
丁寧なお辞儀と共に自己紹介する女性。年齢は30代半ばぐらいだろうか。黒髪を一本に結んだ、見るからに冷厳そうな印象を抱かせる女性だ。
この人が例のマネージャーさんか……。
今回のサイン会を強行した件で、ハルが「マネージャーさんと喧嘩しちゃった」と配信で嘆いていたけど、無事に仲直りはできたのだろうか。
「直に時刻となりますので、ただいまより第一部の受付を開始いたします。番号順にお呼びしてナンバーをご確認するので、入室のご用意を願います。なお、事前にお伝えしている通り、撮影録音の類は一切禁止となります。どうか良識のある行動をお願いします」
淡々と説明をこなすと、江崎さんは切り替えるように咳払いをした。
「では、ナンバー1の方」
「あっ、はい」
返事をしながらソファーから立ち上がると、ぎろりと周囲のファンから一斉に睨まれた。
なんだよ一体……。
戦々恐々と扉の前まで歩いて、マネージャーの江崎さんに会員証の画面を見せる。
「なるほど、あなたが」
「はい?」
吟味するように僕の顔を見つめる江崎さん。彼女はすぐに首を横に振って、
「失礼しました」
一言謝ると、右手に持ったスマホに目を落とし、軽く画面を操作した。来た人を確認する名簿的なやつだろうか。
「どうぞ中へ。床にマスキングテープが貼ってありますので、線の外側でお待ちください」
「わかりました」
促されるままに、扉を引いて中に足を踏み入れる。
会議室は長方形の形をしていた。机と椅子はすべて隅に寄せられており、広々とした室内になっている。部屋の奥にはパーテーションに覆われた謎の空間があり、出入り口のように左右が開いていた。おそらく、あの向こう側でハルがサインしてくれるのだろう。
そして、後ろ手に扉を閉めたその瞬間だった。
「――はっ!」
パーテーションの角から、ちらっと端から顔を覗かせる女の子がひとり。その子は僕を視認するなり、片手を出してひらひらと手を振った。
え……えっ!? 今のってハルか!?
たしかめようと目を見張るも、それより早く彼女は頭を引っ込めてしまった。一瞬しか見えなかったけど、めちゃくちゃ可愛かった!
もし本当にハルだとしたら、とんでもないサプライズだ!
「――ッ」
思わぬ出来事に興奮していると、扉の開く音で我に返った。
……いけない。こんなところに突っ立っていたら後続の人に迷惑だ。江崎さんの指示に従い、床に敷かれた赤いラインまで歩く。部屋の中心に辿り着いて、とりあえず待機。すると、
「マジWSSなんだけど……」
背後に呪詛のような声を聞く。反射的に振り返ると、そこにはゴシック調のワンピースを着た女性が立っていた。
ピンク色の長い巻き髪に厚底の黒いブーツ。いかにも地雷系といった風貌のその人から、じーっと怨念めいた眼差しを向けられる。
「あんたが、あの忌々しいショウ?」
「えっと……、どちら様で?」
「私の方が先に好きだったのに!」
え、こわっ……なんか突然キレられたんだけど……。
普通に生活していたら絶対に関わることはないであろう人間なだけに、どう対処していいのか全然わからない。
「私の方がずっと前からハルのこと推してたのに! 1の会員ナンバー絶対に欲しかったのに!」
ああ、なるほど……。
察するに、というか、番号順で呼ばれている時点で当然といえば当然だけど、この人は会員ナンバー2の人か。そして僕が会員ナンバー1だから嫉妬していると。
ファンクラブの中にはファン同士のコミュニティが存在する。僕はソロで推し活しているから他のファンのことはよく知らないけど、どうやらこの人は僕のことを知っているらしい。
登録順、投げ銭ランキング。様々な形でファンの情報は共有されているから、どこかで僕の名前を目にしたのだろう。
「まっ、まあ、それは先着順なので仕方ないというか……」
「人生で殺意を抱いたのはあのときが初めてよ! もう最ッ低!」
マジか。殺意まで抱かれるほどなのか。背中には気をつけた方が良さそうだ。
「気持ちはわかりますけど落ち着いてください。それだと完全に厄オタです。ハルに嫌われちゃいますよ」
「うっ。それは嫌だ……」
「ハルが好きなのは一緒なんですし、穏便に行きましょう」
「ガキに窘められた!?」
ガキ……!?
いや、まだ高校生の子供ではあるけども、酷い言われようだ。この人は何歳なんだろう。社会人……でこの格好はどうかと思うので、大学生が妥当なところかな。
そんな中、また扉が開いて次のファンの人が入室する。それを利用して僕はこう言った。
「他の人の迷惑になりますよ。静かに待ちましょう」
「きぃぃぃっ! 絶対あんたよりハルに認知されてやるんだから!」
フンッとそっぽを向かれる。どう考えてもそっちの方がガキじゃないか……。
前に向き直りつつ、僕は小さくため息を吐いた。
その後も続々と参加者が部屋に入り、最後のひとりと一緒に江崎さんが入室する。パーテーションの前に立った江崎さんは、粛々と宣言した。
「これよりサイン会を開始いたします。ひとり1分を目安に順番に行いますので、出番が来るまで暫しお待ちください。それでは、会員ナンバー1の方はこちらへどうぞ」
呼びかけに応じて歩みを進める。
さあ、いよいよハルとの対面だ。どんな顔で、どんな格好で、どんな表情で僕を出迎えてくれるのだろう。刹那に思いを馳せながら、ゆっくりとパーテーションの向こう側へと足を踏み入れる。
瞬間、辺りの光景が花で覆われたのを僕は幻視した。
「――初めましてだね、ショウくん。初めて配信したときのこと、私は今でも覚えてるよ?」
横長のテーブル越しに座った女の子から、ニコッと微笑みを向けられる。
きめ細やかな黒髪は肩ほどの長さで、毛先が内側に緩くカールしている。長いまつげに縁取られた瞳は猫のようにつぶらで、小さな鼻の下では桜色の唇が艶やかに色づいていた。
華奢な体を包むのは、パステルカラーを基調とした清楚なコーディネートだ。上はブラウス、テーブルの下には白のフレアスカートが見えた。
「あ、あのっ……、その……」
「あれ。もしかして忘れちゃった?」
「そんなわけ! ただ……その……、想像以上に綺麗だったから……」
「ほんと!? 嬉しいなぁっ」
ハルは照れ臭そうに頬を掻いた。ヤバい。一挙手一投足が可愛い過ぎる。
「ほらほらこっち! 時間オーバーするとマネージャーがうるさいから」
ちょいちょいと手招きされ、誘われるようにハルの正面に立つ。こちらに椅子は用意されておらず、ハルを見下ろす形になった。
「なにか要望はある? 名前書いて欲しいとか」
机に置いてあるサイン用紙の束から一枚抜き取り、ペンを構えたハルがこくんと首を傾げる。
「あっ、い、いや、特に……」
ああ、僕の馬鹿野郎!
こんな大事なときに吃ってしまうなんて!
「そう? なら私の好きに書いちゃおーっと」
ふんふんふーんっと嬉しそうにハミングしながら、ハルは慣れた手つきでペンを走らせる。
「今日のために頑張ってサインの練習したんだ! デザインもお金払って、プロの人に作ってもらったんだよ。君が最初のお客さん!」
そう自慢気に口ずさむと、
「できたっ!」
満面の笑みで顔を上げた。はいどうぞ、と差し出されたサイン用紙には、デザインチックなローマ字で『haru』と書かれている。筆末には可愛らしいハートマークが添えられていた。
「わあ……! ありがとう、ハル!」
感激のあまり、つい子供のような声を漏らしてしまう。サインを受け取るために色紙の端を掴むと、僕の手を覆うようにしてハルに手を重ねられた。
えっ……幻覚?
「どういたしまして! ショウくんに会えて嬉しかった!」
手のひらはほんのりと温かい。人肌だ。本物の手。ハルの手だった。
なんだこのサービスは!?
握手もセットだなんて聞いてない!
「ずっと私のこと応援しててね?」
「もっ、もちろん! 死ぬまで推すよ!」
「あははっ! じゃあ、私も死ぬまで頑張る! 一緒に添い遂げよう!」
屈託のない笑顔でハルは言う。プロポーズみたいな台詞だなと、僕は勝手に思った。
もちろん違うとわかっているし、ただのファンサだと理解もしているけど……破壊力がエグい。これがいわゆる尊死というやつか……。
「――時間です。次の方に移ります」
しかし、夢とは儚く脆いもの。無情にも終わりを告げる江崎さんの声が、僕を現実に引き戻す。
ガチ恋なんて、それこそハルに迷惑がかかる。一端のファンとして礼儀正しく接しないと。
「じゃあ……」
後ろ髪を引かれる思いで僕の方から手を引く。直後、ハルが寂しそうな顔を浮かべたように感じた。これも多分、僕の勝手な思い込みなんだろうけど。
別れ際こそ大事だ。柄ではないと思いつつも、僕は精一杯に声を張り上げた。
「今日はありがとう! ずっと応援してるから、これからも頑張って!」
呆気に取られたように目をぱちくりさせるハル。
引かれたかな……?
刹那に不安を抱くが、どうやらそれは杞憂だったらしい。
「うん! 私の方こそありがと! ショウくんに応援してもらえるよう、たくさん頑張るから!」
力強く返事をして、ハルは胸の前でガッツポーズを作った。
サインを大切に鞄の中に仕舞い、体を出口の方に向ける。最後に手を振り合って、入った位置とは逆の方向からパーテーションを抜けた。
今日はこれといって他にイベントもなく、サイン会が終われば即退散となる。夢心地の中、列に並ぶ残りのファンを横目に会議室の扉を目指す。
「きゃぁぁぁぁぁッ! 生ハルだぁぁぁぁッ! マジで可愛過ぎるんだけどッ! ウチの登録名、きょーこ言うんよ! わかるかな? 名古屋から新幹線使って今日は来たの! それでね――」
後方から聞こえた黄色い奇声。順番的に、あの派手な女性の声で間違いない。ここで突っ立っていると出てくるときに絡まれるかもしれないし、さっさと退散することにしよう。
そうして、僕とハルの初対面は幕を閉じた。