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待ちに待ったハルとの約束日。暦は10月の中旬で時刻は17時だ。日が落ちかけた夕方の駅前に、僕はやや緊張気味に繰り出す。
服装は、長袖のシャツにニットベストを重ね着し、下はスラックスという出で立ちだ。男子大学生のファッションランキングを参考にして、全身新しくコーディネートした。髪も美容室で整えてもらい、最低限お見苦しい姿を見せないように努力したつもりだ。
財布とスマホを懐に入れた手ぶらの格好で、待ち合わせ場所である噴水広場へと向かう。
「――あっ」
約束の10分前に到着すると、人だかりの中に見覚えのある姿を見つけた。向こうは僕のことなど覚えていないだろうけど、サイン会での対面、そして配信や動画などでも度々映ったりしていたので、僕は一方的に彼女のことを覚えていた。
「江崎さんですか?」
パンツスタイルのスーツに身を包んだ、きっちりした格好の女性に声をかける。ハルのマネージャーの江崎さんだ。
今のハルは超がつくほどの有名人。どれだけ変装しようとも、そのオーラは隠し切れない。だからこうして江崎さんを使い、間にワンクッション挟んだわけだ。そのことはメールでも知らされていたから、彼女がいることに驚きはなかった。
「お待ちしていました。それでは向かいましょうか」
合流するなり江崎さんは歩き出す。ここから先は、僕もどこに行くのかは知らない。『マネージャーが連れてってくれるよ!』とハルは言っていたけど、果たしてどこに向かうのだろうか。
最初は駅の駐車場に連れていかれ、車の助手席に座るように指示される。
江崎さんとふたり。車での移動中に会話は一切なく、ただ黙々と道路を進んでいく。駅前の喧騒を抜け、大通りを外れ、物静かな路地裏へ。そこから少し走らせると、江崎さんは車をコインパーキングに停めた。
「到着です。降りましょう」
「はあ?」
車から降り、江崎さんの背中にひょいひょいとついていく。目的地は、ビルの裏手だった。
「なんなんですか、このビル」
立地が立地なだけに高層ビルと呼べるほど高くはないけど、決して低くもない高さだ。見たところ6階建てだろうか。
「安心してください。ただのホテルですよ、会員制の」
「へえ、ホテルですか」
と、納得しかけた直後、
「ホテル!?」
思わぬ単語が飛び出して驚嘆する。
僕の動揺を見透かしたように、江崎さんは説明を続けた。
「お店だと周りの目がありますから。その点ここなら気兼ねなく密会できます。受付や支払いもネットで完結していますし」
たしかに有名人からしてみれば、ありがたい話なのかもしれないけど……しかしまさかホテルに連れて行かれるとは……。
いやいや、変な勘繰りはよそう。江崎さんだっているし、ハルに他意はないはずだ。
「さっ、中に入りましょう」
裏口の扉を開けると、マンションのオートロックのようなエントランスが目に入る。中にはまたガラス張りの扉があって、そこのカードリーダーに江崎さんはスマホをかざした。するとオートロックが解除され、すぐにエレベーターに突き当たる。
ふたり並んでエレベーターに乗り込み、最上階である6階へ。
エレベーターから降りると、廊下が左右に伸びていた。端に非常階段、もう端には部屋の入り口らしき扉がある。最上階が特別なだけかもしれないけど、1階層に1部屋とはなんとも贅沢な造りだ。
「では、私はここで失礼しますね。車で待機していますので、なにかありましたらお声がけください」
「えっ!? 江崎さんも来るんじゃ!?」
想定外の発言に、僕はギョッとして振り返る。
「ハルたっての要望ですので。今日ここでなにが起ても、くれぐれもご内密にお願いしますね」
「いや、でも……」
「ハルは部屋の中で待機しています。ノックしてあげてください。あの子のこと、どうかよろしくお願いします」
反論の隙を与えまいとするかのように、エレベーターの扉が閉まる。取り残された僕は、他にどうすることもできなくて、言われた通りに行動するしかなかった。
「大丈夫……大丈夫……」
襟元を整え、扉の前で深呼吸する。体が強張るほど緊張しながら、僕は扉をノックした。
「――はーい」
間延びした返事が中から聞こえる。
聞き間違えるはずもない。この声は――。
「いらっしゃい! ショウくん!」
扉が開き、満面の笑みでハルが僕を出迎えてくれた。
キャミソールにドルフィンパンツを着ていて、太ももと鎖骨がこれでもかと露出している。無防備といえば、あまりに無防備な格好だ。
僕と会うとわかっていたはずなのに、自分の家にいるみたいに警戒心がない。
「う、うん……その……こんばんは……」
「ほら、早く入って! 一緒にお話しよ!」
柔らかい手に引かれ、部屋の中に誘われる。
ああ、ハルが僕の腕にくっついて……しかも二の腕に柔らかい感触が……。
駄目だ。頭がパンクしそうだ。夢か現実かもわからなくような浮遊感に襲われながら、僕は入り口で靴を脱いで、導かれるままに足を進めていく。
部屋の中は、まるで高級ホテルのスイートルームのような内装になっていた。白と木目調が絶妙にマッチした、暖かみのあるインテリア。間接照明が淡く室内を照らしていて、落ち着いた雰囲気を醸し出している。
高そうなローテーブルにふたり掛けのソファー。そして、枕がふたつ置いてあるクイーンサイズのベッド……。
本当にホテルじゃないか!
「座って座って!」
ベッドに腰を下ろしたハルが、横に座れと言わんばかりにシーツを叩く。
「い、いや! 僕はソファーに!」
隣に座る度胸など僕にはない。というか、分不相応にもほどがある。
「……私の隣じゃ嫌?」
だが、上目遣いでおねだりされてしまった。こんなの反則だ。断れるわけないじゃないか。
「じゃ、じゃあ……」
結局、観念して隣に腰を下ろす。肩と肩が触れ合いそうになるほどの至近距離。
「ね、ねえ、ハル。今日はなんで僕なんか呼んでくれたの?」
そう、この子は超がつくほどの人気アイドル。僕なんかという表現は、謙遜でも自虐でもなく、紛れもない事実なのだ。
直接会って話したいことがあるとメッセージには書かれていたけど、肝心の内容についてはなにも書かれていなかった。
僕の質問に、ハルは優しい笑みを浮かべてこう言った。
「ずっと、君にお礼を言いたかったから」
「お礼……?」
「うん。私ね、今すっごく幸せなんだ。いろんな人に認めてもらって、夢だったライブも成功させて」
語る横顔はとても穏やかで、心から幸福を感じているように見える。でも、それでどうして僕に礼を言う必要があるのだろう。
「それはハルが頑張ったからでしょ? 僕にお礼なんて――」
「そんなことないよ」
ハルは静かに否定する。真剣な眼差しが僕を捉えていた。
「いや、もちろんいっぱい頑張ったよ? でも……初めて配信したとき、30分ぐらい経ってたかな。ずっと誰も来てくれなくて、ああ、やっぱり私なんかじゃ無理なのかなって諦めかけてた。そこに君が来てくれたんだよ?」
「けど、それだってたまたまで……」
「それでも、だよ。もしショウくんが来てくれなかったら、今の私は絶対になかった。初めての視聴者、初めてのコメント、初めてのファンクラブ会員……。私が炎上したときも、ずっとメッセージ送ってくれてたよね。私はそれにすっごく救われた」
僕が送ったメッセージ、ちゃんと読んでくれていたのか。嬉しいな。
「全部全部、君のおかげだよ。ねえ、ショウくん。私、どうしたら君に報いれるかな?」
ハルの手のひらが、そっと僕の手の甲に重ねられる。指先の感触がやけに鮮明で、全身にぐっと熱が込み上がった。
「む、報いるだなんてそんな……僕はただ、ハルに夢を叶えて欲しくて、見返りを求めていたわけじゃ……」
「君は優しいね。でも、私はちゃんと恩を返したいよ。私にできることなら、なんでもするから」
肩を寄せられ、僕たちの距離が冗談では済まないレベルまで縮まる。夢にまで見た憧れの存在がこんなに近くにいて、しかもふたりきりで、さらに言うなら手まで握られている。
……なんなんだこの状況は?
恩返しと、ハルは言った。自分にできることならなんでも、とも。もしそれが本当なら――。
「ほ、本当に……、なんでも……?」
「うん。どんなことでも、だよ」
頭の中で、天使と悪魔が熾烈な争いを繰り広げていた。こんなチャンス二度とないかもしれないぞ、という悪魔の囁きが聴こえる。しかし、欲望に身を任せるのは愚か者のすることだと、天使からの忠告も入る。
そんな脳内会議を刹那に繰り広げた結果――結論が出た。
「じゃあ、その……ハグをしていただけると……」
天使の辛勝だった。それこそ本物の天使であるハル相手に、下劣な欲望を向けられるはずもない。
「…………」
僕の要望を聞いて、ハルはポカンとしていた。
ヤバい。これでも引かれたかな……?
「ふふっ……、あははっ!」
不安を感じていると、ハルは突然お腹を抱えて笑い出した。予想外の反応に、今度はこっちが呆然としてしまう。
「ごめんごめん! あんまりにも可愛いお願いだったから、つい笑っちゃった!」
「か……、可愛いって……!」
恥ずかしい!
かぁぁっと、顔が燃えるように熱くなる。
「うんうん、いいよいいよ! 私の方がひとつお姉さんだもんね! それじゃあ、ぎゅーしてあげる!」
僕を迎え入れるよう、ハルは大の字に両手を広げた。
「はい! おいでっ!」
吸い込まれそうな光景を前にして、僕はごくりと喉を鳴らす。
いいのか……?
本当に、このまま抱きついていいのか……?
いや、仮に駄目だったしても、すでに手遅れだ。最悪捕まってもいい。それぐらいの覚悟で僕も両手を広げる。そのままハルの背中に腕を回そうとして――。
「ぎゅゅぅーっ♡」
僕が抱きつくよりも早く、ハルの方が先に動いた。華奢な体を押しつけられ、背中に回された腕がぎゅっと締まり、ふたつの膨らみが胸板の上で潰れる。
「どう? 嬉しい?」
僕の肩に顎を乗せ、囁くようにハルは言う。女の子の甘い匂いが鼻腔を掠め、体に帯びた熱が急速に全身へと広がっていく。
「ぁっ……」
これは駄目かもしれない……。
悪魔が勝利の雄叫びを上げてしまった。
「ハル――ッ!」
「きゃっ!」
衝動的にハルをベッドに押し倒す。シーツの上に、艶のある黒髪が扇のように広がった。覆い被さる体勢になり、お互いの鼻先が触れ合う。
「僕……、僕……我慢できない……!」
「いいよ……、ショウくんの好きにして……♡」
「ほ、本当に……?」
「うん……! 一緒にエッチしよっ……?」
蠱惑的でありながら、どこか初々しさを感じさせる微笑み。ハルにそっと股間を撫でられ、僕の理性は完全に崩壊した。