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「どこ行くか楽しみにしててね! じゃあお母さん、レッツゴー!」
ハルの浮き立つような声に導かれ、江崎さんは車のアクセルを踏み締めた。
しかし……このふたりが親子とは驚いた。
ハル界隈でもマネージャーが母親という噂は聞いたことがなかったから、知っているのは本当にごく一部の人間なんだろう。というか、もしかして僕だけかも?
「――――」
駅前から5分ほど走らせると、車は高層マンションの地下へと滑り込んでいった。どうやら目的地はこの場所らしい。
「ここって?」
「私たちの家だよ!」
ハルと江崎さん、駅近のタワーマンションに住んでいたのか……さすがは有名人だ。
しかもこの場所、僕のバイト先と通っている大学からめちゃくちゃ距離が近い。ハルの家がこんな近場にあっただなんて、まさに灯台下暗しというやつだった。
「――着いたよ! 下りて下りて!」
地下駐車場に車を停め、僕たちはエレベーターで18階に上がる。絨毯が敷き詰められた廊下を進んでいくと、ハルは巨大な扉の前で立ち止まり、鍵を差し込んでドアを開けた。
「――――」
まず、黒い大理石に覆われた空間に出迎えられる。土足で上がるのを躊躇ってしまうほど、玄関はピカピカ仕様だ。
なんの説明もなしに家に招かれてしまったけど、これ、入ってもいいんだよな……?
「こっちだよ!」
「う、うん……」
おそるおそる玄関で靴を脱ぐ。ハルに導かれ、リビングに足を踏み入れると、
「うわっ……すごっ……」
壁一面を覆うようなガラス張りの窓が目に入った。その向こうにはバルコニーが広がっており、夕焼け色の街並みを一望することができる。18階からの景色はまさに絶景で、開放感は半端じゃなかった。
しかし――なにか決定的に違和感がある。
「ここがリビングだよ! どう? 広いでしょ~」
ハルの声が伸び伸びと反響する。澄み切った声は壁から壁へと跳ね返り、空気に溶け込むように消えていった。
広い。たしかに広大だ。ただ、辺りはもぬけの殻で、この空間には物がほとんど置かれていない。
ミニマリストが見たらよだれを垂らしそうなほど、白一色のなにもないリビングだ。一応冷蔵庫とエアコンはあるみたいだけど、それ以外は本当になにもない。
「ねえ、ハル」
「んっ? なに?」
「家具が全然見当たらないんだけど?」
ソファもテーブルもなければ、窓にはカーテンすら取りつけられていない。こんな高層階で覗きはないだろうけど、日差しが強い日とかはさすがに厳しいんじゃないか。
まさか買うお金がないとは言うまい。疑問が口を衝くと、ハルは当然とばかりにこう答えた。
「そりゃそうだよ! これから揃えるんだから!」
「これから揃えるって……ハル、ここに住んでるんじゃないの?」
「今日から住むんだよ、ショウタくんと一緒に!」
「はい!?」
思わず声を荒らげてしまった。
一緒にとは……、え……、え!?
「あれ? 私たちの家って言わなかったっけ?」
言っていた。たしかに言っていたけど、その主語はハルと江崎さんのことだと思っていた。
「えっと……ちょっと待って。頭の中を整理するから……」
ここに住む? 僕とハルが一緒に?
いや……いやいやいや!
第一こんな高そうな場所、家賃を折半するとしても、僕のバイト代ではとても賄えない。どうしたってハルに負担のかかる生活になってしまう。
「あの、ハル……気持ちはすごい嬉しいんだけど、僕お金が……」
情けない話を、正直に告白する。そんな僕に、ハルは満面の笑みでサムズアップした。
「安心して! お金ならたーくさん稼いだから! 家賃も光熱費も食費も、同棲に必要なお金はぜーんぶ私が出すよ!」
「待って待って!」
チャンネル登録者数100万人を超える配信者であり、音楽活動やグッズ販売、ファンクラブからの莫大な収益もある。そりゃ、金銭的な余裕は相当にあるんだろうけど……。
「それじゃあ僕、完全にヒモだよ……」
男として、それほど情けない立場があるだろうか。
「――そんなことありませんよ」
僕の自嘲を、傍らに立っていた江崎さんが柔らかい声で否定した。
「ショウタさんは知らないでしょうけど、ハルネの成功はあなたの存在によるところが大きいんですから。その報酬と考えれば、ヒモだなんて滅相もない。お釣りが出るぐらいですよ」
「僕は別に、見返りが欲しくてハルを応援してたわけじゃ……」
「謙虚な人ですね」
「ていうか、江崎さんからも言ってくださいよ! 自分の娘がこんな男の面倒を見るの嫌でしょう!?」
必死に訴えるが、江崎さんは穏やかな笑みを浮かべたまま、予想外の言葉を紡いだ。
「お義母さんと呼んでくれてもいいんですよ」
「はい……?」
一瞬、思考が停止した。お母さん?
「ふたりが結婚すれば、そういうことになるでしょう?」
結婚!?
「いやいやいやいや!」
「それに、賃貸の契約には一般的に保証人が必要なんですよ」
「は、はあ……?」
文脈を読み取れず、僕は首を傾げる。
「ハルネの保証人は私ということです。つまり、同棲については私も認知済みです」
「ぐあぁぁっ……」
変な声が出てしまった。ハルの暴走には、どうやら江崎さんも同調しているらしい。
「それに! 今さら無理なんてそれこそ無理だよ! もう契約しちゃってるし! ほら、ここならショウタくんのバイト先や大学とも近いし、普段の生活も楽になるでしょ?」
ハルは捲し立てるようにそう語る。
なるほど。だからこの前の電話で、僕の身辺情報を探ったのか。その配慮は嬉しいけど、やっぱり話が突然過ぎて理解が追いつかない。
しかし、僕の困惑など置き去りにして、ハルと江崎さんは話を進めていく。
「同棲を始める前に、ショウタさんのご両親にも挨拶しないとね」
「だね。じゃっ、ひと通り部屋見たらショウタくんの家に行こ!」
「え!?」
駄目だ。驚きっぱなしで息つく暇もない。
挨拶って――つまり僕の実家に顔を出すということか!?
なんだよこの急展開!
「ごめん、ハル。色々と突然過ぎて頭がパンクしそう……」
「善は急げだよ! 人生なんて長いようで、本当にあっという間なんだから。後悔しないうちに前進あるのみ!」
ポジティブだなぁ……まあ、それがハルの最大の魅力でもあるんだけど。
ハルと一緒に暮らす――夢のような想像が膨らむ一方で、ハルを家族に紹介することに躊躇を覚える自分がいた。それはなんというか、かなり面映ゆい行為に思える。
「今日? これから?」
「もちろん! 最悪後日でもいいけど、早いに越したことはないからね。一緒の家に住んじゃえば、こうやってコソコソ会う必要もないしっ。それに――」
言って、ハルは僕の耳元に顔を近づけた。そして、とびっきりの秘密を打ち明けるようにこう囁いた。
「エッチだってし放題だよ?」
「――ッ!」
「嫌?」
下から顔を覗き込まれ、ハルはこくんと首を傾げる。
「そんな! 嫌なわけ!」
「じゃあ決まりだね! 言質もーらいっ!」
しまった。完全にハルのペースに乗せられてしまっている。
まあ……嫌かどうかと問われれば、当然答えはNOなんだけど。
結局は覚悟の問題だ。頭の中で予想図を描き、未来をシミュレーションしてみる。
「…………」
金銭面は――ハルの厚意でクリア。
家族への説得は――僕が頑張るとして。
家事とかその他諸々は――家賃などを負担してもらう手前、さすがに僕が請け負うべきだろう。
――よし。
ハルがここまで尽くしてくれたのだ。僕も腹を決めよう。
「わかったよ。ハルさえ良ければ、一緒に暮らせると嬉しいな」
「やったー!」
「わっ……!」
勢いよく飛びつかれ、かくっと膝が折れかける。僕の胸元に顔を預けたまま、ハルは意気揚々と言った。
「よし! じゃあ挨拶に行こう!」
「あっ、でも……」
ちょっとした懸念が脳裏を掠めた。
「どうしたの?」
「いや、妹がうるさそうだなぁって」
「え!? ショウタくん妹いるの!?」
「まあね。僕の3つ下」
「そういう大事なことは早く言ってよ! ってことは、私に妹ができるんだ。義妹かぁ」
「生意気なやつだよ」
「そこが可愛いんじゃん! よーし、仲良くなれるよう頑張るぞ!」
僕から離れ、ハルは両手でガッツポーズを作る。
とにかく、家に顔を出すなら一報は必要だろう。いきなり彼女を連れて帰ったらみんなびっくりするだろうし、家の中が散らかっていたりしたら僕が恥ずかしい。
「ちょっと母さんに連絡するね」
一言断ってスマホを取り出す。メッセージアプリを開き、文章を打ち込んでいく。
『彼女が会いたいって言ってて、一緒に帰っても大丈夫?』
母さんにメッセージを送る。既読マークがつくと、すぐに返信が来た。
『彼女って誰?』
『誰って言われても……彼女だけど』
『だから誰よ?』
僕に彼女がいることを、家族は誰ひとりとして知らない。おそらく母さんは『彼女』という単語を代名詞的な意味合いで捉えたのだろう。誤解のないように文章を作る。
『だから彼女だって。ガールフレンド』
メッセージを送った、その途端だった。
――ブーブー!
と、間髪容れずに手の中のスマホが振動する。母さんからの着信だ。
「もしもし?」
『ショウタ! なに!? 彼女ってどういうこと!?』
電話の向こうから聞こえる声はひどく慌てていた。
「いや、だから、彼女が挨拶したいって言ってるんだけど、今から家に行っても大丈夫かって話」
『ええ!? いきなりそんな! それにあんた、いつの間に彼女なんて……!』
「まあ、色々あって。2週間ぐらい前から付き合ってる」
『なんでもっと早く言わないのよ! ああもう、なにも準備してないじゃない……!』
「掃除だけお願いね。たぶん1、2時間後には着くと思うから。父さんとアキホにも伝えといて」
今日は土曜日。アキホはどうか知らないけど、父さんは仕事が休みだから家にいるはずだ。母さんの口から伝えてもらうよう頼んでおく。
「じゃあよろしく」
『あっ、ちょっ! 待ちなさい、ショウ――』
無理やりに通話を終わらせる。隣では、ハルが心配そうな顔で僕を見ていた。
「大丈夫だった? お母さん、驚いてた?」
「うん、かなり。でも、なんとか話は通したよ」
「良かった」
安堵の息を吐き、ハルは表情を緩ませる。
「なら、向こうの準備もあるだろうし、ルームツアーしてからショウタくんの家に行こっか!」
――それから軽く家の中を散策することになった。
広大なリビングの他に部屋はふたつあって、片方は8畳ほどのなにも置かれていない部屋と、もう片方はダブルベッドが置かれた寝室だ。
「とりあえず暮らせるように、生活必需品とベッドだけは急いで揃えたんだー」
とのことだった。事実、冷蔵庫と洗濯機は備えてあるし、ウォークインクローゼットの中には多少の服も入っている。面積が広いから寂しく感じるけど、差し当たって生活するのに困ることはなさそうだった。
「こんなところかな。どう? 同棲楽しみになってきた?」
リビングに戻り、家の中を表現するようにハルは両手を大の字に広げる。
実感は湧かないし、まだ親から許可をもらったわけではないけど、この家で過ごすハルとの日常はとても刺激的に思える。きっと幸せな毎日が待っているに違いない。
「ワクワクはしてきたかも」
「正直でよろしい!」
「あとは母さんたちを説得できるかだけど……」
「断るような親御さんなの?」
「うーん」
母さんは意外とふたつ返事で許可しそうではある。別に退学するとかいう話でもないし、しっかりと大学を卒業しさえすれば、あとは好きにしたらいいという感じだと思う。
父さんは……どうだろう。こっちも放任主義的なところがあるから問題なさそうに思えるけど、いかんせん男女の同棲だ。進路と同じぐらい重要な話だから、口を突っ込んで来そうな予感もある。
「話してみないとわからないかな。五分五分ぐらいのイメージ」
「大丈夫! 私からも誠心誠意お願いしてみるから!」
「ハルがいてくれたら心強いよ」
「うんうん!」
快活に笑い、ハルは僕の肩にそっと自分の頭を重ねる。そのタイミングで、場を締めるように江崎さんが口を開いた。
「では、あんまり遅くなってしまうと迷惑でしょうし、ショウタさんの実家に向かいましょうか」