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無事、両親からの許可を得て、僕とハルは同棲を始めることになった。大きな荷物は後日運ぶ予定で、今日は差し当たって必要な物を持っていくことにする。
2階の自室でキャリーバッグを広げて、必需品を詰め込んでいく。大学の教科書やノート、バイト先で使う制服、財布やスマホの充電器、数日分の服などなど。あとは――。
「あっ」
大事な物を忘れるところだった。
額縁に入れて飾っている僕の宝物――ハルからもらった初めてのサインを壁から丁寧に取り外し、キャリーバッグの奥へと大事に詰め込む。
「それ、まだ持っててくれたんだね」
僕の準備が終わるのをベッドの上で待っていたハルが、不意に声をかけてきた。
「当然だよ。ハルと初めて会った日にくれた物なんだから」
「まっ、どっかの誰かに転売されたり破いたりもされたけどね」
昔あった炎上のことを言っているのだろう。あれを思い出すと、自分事のように虫の居所が悪くなる。
「会員限定だったのに、酷いことする人もいるよね。許せないよ」
「当時はすごいショックだったけどね。でもまあ、今はそんなに気にしてないよ? 私も幼稚なところがあったし、送る側の気持ちを、受け手の人には強制できないから」
「それでも、破るのはやり過ぎだよ」
ハルはあっけらかんとしているけど、僕はやっぱり許せなかった。
「いいのいいの。終わった話なんだから。こうやって大事に想ってくれてる人が少しでもいてくれれば、私はそれで十分」
達観している。歳の違いというより、それは経験の差に思えた。
「ならいいけど……」
本人が気にしていないと言っている以上、しつこく蒸し返すのは野暮だろう。その話題はそれ切りにして、僕は荷造りを再開した。
「――よし」
準備完了だ。
「じゃあ行こっか」
「はーい!」
キャリーバッグを持って1階に下りる。リビングに行くと、親同士たちがダイニングテーブルを囲んで会話しており、アキホはテレビを見るフリをしながらそれに聞き耳を立てていた。
「江崎さん。もう出れますよ」
「では、マンションまでお送りしますね」
ダイニングテーブルから立ち上がると、江崎さんは母さんたちに向かって頭を下げた。
「突然押しかけてしまい申し訳ありませんでした。また後日、改めて機会を」
そのまま家を出る流れになり、家族全員が玄関まで見送りに来る。
「ハルさん! 今度遊びに行ってもいいですか?」
「いいよ! いつでも連絡して!」
「やったー!」
僕が靴を履く傍らで、アキホは小躍りして喜んでいた。
「ハルネさん。どうか息子のことをよろしくお願いします」
「なにかあったら遠慮なく連絡してもらって構いませんから」
父さんと母さんにそう言われ、ハルは上機嫌に頷いた。
「お任せください! これでもひとつ年上のお姉さんですから!」
ハルといるところを両親に見られるのはどうにも落ち着かない。僕はそそくさとキャリーバッグを引いて、玄関の扉に手を伸ばした。
「じゃあ、荷物とか運ぶときにまた連絡するよ」
家族に一言残し、ハルと江崎さんの行動を促すようにドアを開ける。別れの挨拶を背後に聞くと、江崎さんの運転する車で僕たちはマンションに向かった。
*
道中、チェーン店のお弁当屋さんで夜ご飯をテイクアウトして、21時を回った頃にマンションへと到着する。
「――では、私はここで」
地下駐車場に停車すると、江崎さんは運転席から後部座席に首を巡らせた。
「ショウタさん、どうか娘のことをよろしくお願いします」
江崎さんの声は穏やかで、けれどもどこか寂しげだった。
考えてみれば、ハルもハルで親元を離れるのは今回の同棲が初めてのはず。当然、親としては思うところがあるのだろう。
……ともすると、母さんたちも同じ気持ちだったりするのだろうか。あっさりと家を出てしまったけど、もっとちゃんと別れを告げといた方が良かったかな。
「安心してください。ハルに不自由はさせませんし、なにがあっても僕が守りますから」
「ちょっとちょっと! 私の方が年上なんだけど!? お世話するのは私だよ!」
「この通り、かなり子供っぽいところがあるので……、本当によろしくお願いします。これ、私の連絡先です。なにかあったら連絡してくださいね」
名前、電話番号、メールアドレスが載った名刺を差し出され、それを受け取る。
トランクに入ったキャリーバッグを地面に下ろし、最後に運転席のところに回って江崎さんに会釈しておく。
テールランプの光が駐車場の奥に溶けていくのを、僕とハルは並んで見送った。
「ふぅ、やっとふたりきりになれたね!」
語尾と共に、ハルが肩に寄りかかってくる。
江崎さんが寂しさを纏っていた一方で、ハルは清々したと言わんばかりの明るさだ。
「とりあえず部屋に戻ろっか」
「うん!」
ハルと密着したまま、キャリーバッグをガラガラと引きずって部屋を目指す。二重のオートロックときらびやかなフロントを抜けて、長いエレベーターで18階に上がる。
部屋に入ると、証明が自動で点いて玄関を明るく照らした。
鍵を二重に締めてから敷居を跨ぐ。
「あぁ、お腹減った! ひとまず腹ごしらえだねー」
ふたり分のお弁当が入った袋を、ハルはぶらぶらと揺すりながらリビングの方に歩いていく。キャリーバッグを玄関に置いたまま、そのあとを追いかける。
昼間からなにも食べていないため、僕も腹ペコだ。しかし、食事に際して少しだけ懸念もあって――。
「うーんと」
電気を点けて、ハルは辺りを見回した。だだっ広い、テーブルもなにもない空間を。
「あははー、どこで食べよっか? 床に置いて食べるっていうのは、ちょっと見栄えが悪いよね」
「だね」
「寝室にはベッドしかないし……あっ! ベッドの上で食べる?」
「ハル……それはさすがに行儀が……」
呆れたような声が漏れてしまう。いや、天然なところも可愛いけどさ。
「なにか机の代わりになりそうな物は――」
ぐるりと部屋を見回すが、やはり家具のカの字もない。ただ、良さげな物をリビングの隅に発見した。
「おっ。あれなんて使えそうじゃない?」
――たくさん積まれたダンボールの残骸。
反対側に裏返せば、即興の机になるだろう。
「ナイスアイデア!」
「あれ、なにが入ってたの?」
洗濯機、冷蔵庫、ベッドを入れるにしては小さい。他にそれっぽい物も見当たらないから、ふと気になった。
「実家からの荷物だよ。服とか化粧品とか小物とか」
「ああ」
そりゃそうか。クローゼットには着替えもあったし、僕が必需品を持ってきたのと同じように、ハルもダンボールに入れてそれらを持参したのだろう。
「じゃっ、ご飯の用意しよっか」
ハルと一緒にダンボールを裏返しに並べて即席のテーブルを作る。
そのあと、浄水機能つきの蛇口を通した水を紙コップの中に満たして、僕たちはテイクアウトしたお弁当をテーブルの上に広げた。ハルは野菜がたくさん入ったヘルシー志向の幕の内弁当で、僕はガッツリ系の焼肉弁当だ。
「ショウタくん!」
「ん?」
「乾杯しよっ! 私たちの新生活を祝して!」
太陽みたいに明るい声でハルは紙コップを掲げた。
「いいね。……まあ、乾杯って言ってもただの水だけど」
「いいのいいの! こういうのは気持ちが大事なんだから!」
嬉しそうに笑うハルに、僕も笑みも返して紙コップを掲げる。
「それじゃあ――乾杯」
「かんぱーい!」
お互いの紙コップをこつんと合わせ、僕たちはささやかな祝杯を上げた。
出来立てが売りのお店だったけど、時間経過もあってか中身は冷めている。電子レンジもないから、このまま食すしかない。
「――――」
固まりかけた肉を咀嚼しながら、僕は改めて部屋を見渡した。
壁一面の大きな窓からは、まだカーテンも取りつけられていないため、夜空がそのまま広がっている。
贅沢な空間の中、それとは真逆の粗末なテーブルでハルとお弁当をつつく――冷静に今の状況を俯瞰してみると、思わず笑みがこぼれてしまった。
「なに? どうしたの?」
「なんか、変な状況だなぁって。こんなに広いのに、ダンボールの上でお弁当食べてるの、かなりシュールじゃない?」
「たしかに! いやね、最初は家具備えつけの物件にしようかなって思ったんだけど、一緒に選んで家具を揃えていった方がワクワクすると思って」
「それは同感かも。でも、その割にはベッドは注文済みなんだね」
「おっ。それ言っちゃう?」
他意はなく言った言葉だけど、ジト目のハルにからかうような視線を向けられて、それが結構な発言であったことを自覚する。
「あー、電子レンジも買わなくちゃだね……! お弁当美味しいけど、ちょっと冷たいし……!」
「照れちゃって」
無理くりに話を逸らすと、ハルは顔を斜めにして流し目で僕を見やった。
可愛いけど……可愛いけど恥ずかしい!
ただ、ハルの意地悪はそこまでだったらしく、
「でもそうだね。これじゃあ不便だし、明日にでも家具とか注文しよっか。一緒に通販で探そ!」
何事もなかったかのように、僕の話題に乗っかってくれた。
「テーブルに電子レンジ、あとはテレビも欲しいかな。ショウタくんと一緒に映画観たい!」
「ってなると、ソファーもあるといいかな?」
ハルと肩を並べて座り、コーヒーでも飲みながら映画を観る。想像するだけで頬が緩んでしまう。
僕の提案に、ハルは「うんうん」と納得したように頷いた。
「ふかふかのラグもマストだね! 寛げる場所は大事だもん」
「カーテンも必要じゃない? 今は夜だから気にならないけど、さすがに昼間とかは日差しがキツそうだし」
「それも採用! あとは――」
そんなふうに、僕たちは必要な家具をあれこれと挙げながら、ふたりきりの初めての夕食を楽しんだ。初めてだったけど、今日からはこれが当たり前になっていく。
ハルとの新生活は、着々と始まりを告げていた。
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