目を覚ますと、イグナさんは隣で寝ていた。
おおう、意外と無防備。
いや、私程度が襲って来ようと、寝ながら対処できるという余裕か。
ここはおそらく、イグナさんの私室だ。
昨日やってきたときは観察する余裕もなかったが、イグナさんが寝ている今は見放題である。
テーブルに並ぶ空の酒瓶、山のように吸い殻の溜まった灰皿。
うーん、どう見てもクズが住んでいる! そしてそのクズは私の隣で寝ている!
どこを出歩いても構わないと言われているので、ゴミを捨てるために部屋の外を往復した。
吸殻と酒瓶がなくなると、まるで生活感のない部屋だ。
それほど埃は積もっていないので、かろうじて人が手入れしているのだろうと思えるだけだ。
ごはんは別の場所で食べているのだろうか? 外食?
キッチンないしそうなるのかな。
唯一存在していた食器は水差しとコップだった。
その辺を歩いていたイグナさんの部下らしき人に水道の場所を聞くと井戸を案内されたので、そこから水を汲んでいれておく。
部屋に戻り水差しからコップに水を移し、飲む。
労働後の水はおいしいなあ。
ぷはー、と息をついていると、ベッドから寝返りをうつ衣擦れ音がして振り返る。
「おはようございます、イグナさん!」
「……こいつマジかよ」
信じられないものを見るような目をされているが、私、なにをしてしまったのだろうか。
実は昨日のセックスで腹上死しており、今の私は幽霊だったりするだろうか。
だったらさっきまでの掃除は全部ポルターガイストでやっていたことになるが? 便利?
自分の手を眺めると、やはり真っ白だ。幽霊ってこのくらい白いのかもしれない。
顔を上げると至近距離にイグナさんがいたので、驚いてのけ反る。
びっくりした、不意を打たないでくれ。コップ落として割ったらもったいない。
コーザさんも割とそうだったけど、音もなく動くのやめてくれないかな。
私の耳はいいはずなので、彼らが極端に音を消すのが上手なのだと思う。
暗殺者とかやってた? 現役じゃないと良いな。
しゃがんで私と目線を合わせたイグナさんは、ちょっとだけ真剣な顔をしていた。
まだ出会ってから日が浅いので、それほど感情を読み取れないが、やや眉を下げているように見える。
「性奴隷になった方が幸せだと思うか?」
「いや、なったことないんでわかりませんよそんなこと」
「……こんなん今まで見たことねェ。クッソ、コーザの野郎、面倒を押し付けやがって」
がしがし頭を掻きまわしながら、イグナさんは吐き捨てた。
この感情は読みやすい。不快だ。
私が原因でイグナさんの機嫌が悪くなっているらしい。
しかもその責任の矛先が、私経由でコーザさんに向かおうとしていた。
「えーっ!? 私が迷惑をかけると、コーザさんの株が下がるんですか!? めっちゃ頑張るので勘弁してくださいよ!」
「あー、イライラしてきた」
「なんでもしますからーっ!」
抱き着いて懇願すると、イグナさんは舌打ちした。
首根っこを掴まれあっけなく引きはがされる。
感覚的に自分は力が強いと思っていたが――実際コーザさんよりは強かったんだけど――イグナさんには勝てない気がする。
本能的な感覚だろうか。たぶんこの人めっちゃ強いんだろうな。
私が本気で蹴ってもまったく怪我をしていない。
これだけムキムキの筋肉を持っていて見せ筋ですって言われたらそれはそれですごいけれども。
イグナさんの素晴らしい腹筋に抱きついたまま、私は上目遣いでこう言った。
「掃除したからご褒美がほしいんですけど」
「なんだてめェ図々しすぎるだろ、奴隷の自覚あんのか」
「正直あんまりないです!」
「堂々言ってんじゃねェ」
イグナさんは私に張り手をかました。
パーンと非常に良い音が鳴ったが、まったく痛くなかった。
す、すごい。音は鳴るのに痛みはない、完璧なツッコミの技術だ。私は感動した。
ビンタされた頬を押さえながら、私は言った。
「コーザさんに噛まれたんですけど、これこのまま刺青にできませんか?」
イグナさんは軽く目を見開いた。
予想外だったらしい。私もイグナさんの全身刺青を見ていてふと思いついただけだ。
「どうかねェ……」
「難しいですか? 私もタトゥーがどんな原理なのか知らないしな……」
「肌に針ぶっ刺してインクいれんだよ、簡単だ。……傷物アピールってことで、いいか。いざとなりゃ服で隠すし……」
しばらく黙ったイグナさんはやがて頷いた。
「いいぜ。やってやる」
「わーい! イグナさんのお抱え彫り師を紹介してくれるんですか?」
「これは全部俺がいれてんだよ」
「え!? 天才!?」
お世辞とでも思われたのか、イグナさんは眉を寄せて舌打ちした。
心の底からそう思ったのだが、褒められるのは苦手なのだろうか。
「傷が治ったらやってやる。綺麗な肌でやらねえとヨレる」
「楽しみだな〜えへへ」
イグナさんはそれ以上特に何も言わず、あくびをしながら部屋から出ていった。
私は放置である。自分の部屋に小娘残してって気にならないんだ、すごいな。
これ以上この部屋で掃除ができるところはなさそうだ。
私は大人しく部屋に戻り――部屋に戻ってもすることがなかったので、その辺にいた人に掃除道具の在処を聞いた。
困惑しながらも教えてくれたので親切な人だった。
鼻歌を歌いながらモップで廊下を磨いていると、通りがかったイグナさんが私を見てぎょっとした。
この人も驚くことがあるんだなと顔を見ていると、イグナさんは煙草の煙を吐き出した。
「お前って変態?」
「なんですか藪から棒に」
「頼まれてもいねえのに掃除するのは趣味か?」
「やることなくて暇なんですよ〜! 迷惑でした?」
やることがなく、じっとしていると、嫌なことばかり考えてしまう。
もう泣くのは嫌だ。慰めてくれるコーザさんはいない。
「ご褒美目当てか?」
「いえ、今のところ特に不自由してませんよ?」
「……マジかよ」
なぜ信じられないものを見る目をされているのだろう。
あなたの与えている環境で、私は特に文句ありませんよという発言のはずだ。
喜んでいいんじゃないすか? ねえ?
ふと、イグナさんが片足を上げた。そういえばこの人はずっと裸足である。
なぜだろうと思っていたが、皮膚が硬いからなのだろうか。
たしかに、靴より素足の方が丈夫なら、靴を履く意味はないのかも……いや汚れ対策とかあると思うけどな?
イグナさんはつま先を私の股座に押し付けた。
は? と思うが、そのまま足先をぐりぐり押し付けられるのを止められなかった。
腰から走り抜けた快楽で脳みそがビリビリする。
――気持ちいい。
信じられない。屈辱的だ。
こんなんで気持ちよくなっている自分が恥ずかしくて泣きそう。
腰が震え足から力が抜ける。
倒れそうになるのを、持っていたモップにすがってなんとか堪えた。
「な、なにしゅるん……ですかっ」
「ご褒美」
「してくれなんて言ってませんけどお!?」
「へえへえ」
まったく反省している様子がない。
さすがにちょっとムカついてきたな。
「本当にやめてくださいね? 私がえっちなことしてほしくて働いてることになるじゃないですか」
「違ェのか」
「違うっつってんでしょうが!」
「へえ」
こいつ本当にわかっているのか!?
次は蹴り入れるからな! 微動だにしないんだろうけど!
蹴りを入れる瞬間は、思っていたよりはやくやってきた。
たぶんオークション会場なんだろうな、というステージとたくさんの観客席がある場所で、私は床を箒ではいていた。
座席の下に腕を突っ込んで掃除していたので、背後に近づいてきていたイグナさんに気づかなかったのだ。
突如しっぽを握られた私は「みぎゃっ!」と叫びながら、反射的に後ろ蹴りをする。
私の足はあっさりイグナさんに掴まれ、蹴ることもできなかった。
「く……っ! 硬いだけじゃなくて素早さもあるんですかイグナさん! パラメーターが高すぎる!」
「なに言ってんだかわかんねェ」
「お強いですねえ!」
「お前が雑魚なだけ」
「ぐぅううう〜っ!」
またぐうの音を出してしまった。
「それセクハラですからね!」
「何語だ?」
「知らないです、記憶ないんで!」
「あ?」
「あれ? コーザさんから聞いてませんか? 私記憶喪失なんですよ」
「あ〜……言ってたかもな」
適当過ぎる。
「ともかく、無断でえっちなことしないでください! 雰囲気とかあるでしょうが!」
「雰囲気……?」
「こ、こいつ……!」
あれか、えっちに関する能力値が高すぎて、雰囲気など気にせずとも相手を満足させてきたということか。
親指一つで女を絶頂させられるのならそりゃそう。チート主人公?
危ないところだった、コーザさんを知らなかったら私も完全にメロメロになっていただろう。
「私はまだ売られてないから奴隷じゃないんですよね?」
「そうだな」
「なら商品管理の責任からいって、これ以上私にちょっかいを出すのはおすすめしません! イグナさんのこと好きになって他の人へ売られるとき泣いて暴れますよ!」
「お前趣味悪」
「お前が言うな~、お前が言うなぁ~!」
てっきりこの俺のことは全人類が好きだろ? とかいうナルシストタイプかと思ったがそうでもないようだ。
自分のことを好きになるようなやつは趣味が悪いと思う程度の常識はあるらしい。
翌日寝て起きて、今日も掃除しよ~と道具を担いで歩いていると、イグナさんに襟ぐりを掴まれた。
「ぐえっ。なにすんですか」
「傷治ってんな。獣人の中でも治癒力高い方だわ」
「やった~」
首筋の傷を確認したらしい。
他の獣人を知らないため、平均がわからないが、奴隷商としてたくさんの獣人を見てきているはずのイグナさんがそういうのならば信頼できる。
素直に喜んでおこう。
「というか、治っちゃったんですけど、どんな傷だったか覚えてませんよ私」
「俺が覚えてるっつの」
「記憶力良い~すげ~」
イグナさんについていくと、こないだ連れていかれたのとは別の部屋にたどりついた。
そっか、屋敷丸ごとこの人の所有物なら、自分の部屋だって何個持っていてもいいんだな。
こないだ連れ込まれた部屋よりもまだ生活感があった。
というかものが多い。ベッド、机、散乱する紙がたくさん。
紙の切れ端には様々な図案が走り書きされている。
次に入れるタトゥーの模様だろうか。この人にはもういれられるところないんじゃないか?
イグナさんは背中にまでびっしりとタトゥーが彫られているが、これも自力でやったのだろうか。
背中にも目がついている? ついてたとしても無理か。体柔らかいのかな。
椅子に座らされ、イグナさんはくわえ煙草のまま、入れ墨の専用器具を手にした。
自分の体に針が刺されるところは怖くて見れないので、首を横に向けて目を背ける。
イグナさんは不親切なので、特に予告なくぶっ刺してきた。
声を上げそうになるのを堪えるが、顔をくしゃくしゃにするのは止められなかった。
「簡単と言った割に痛くないですか?」
「じゃあやめるか?」
「いややめませんけど」
イグナさんに遠慮というものがあるわけもなく、私はザックザック刺された。
途中で後ろを向かされ、そっちにも彫られる。
噛み痕だからね、前と後ろ両方についているのだ。
一般的な彫師の腕は知らないが、相当はやく終わったような気がする。
作業を終えたイグナさんは煙草をふかしながら、布を放り投げてきた。
何に使うのか首を傾げていると、イグナさんが自分の首元をとんとん指した。
それを見て、私も自分の首元――つまりタトゥーを彫られた場所を確認すると、血にまみれていた。
「うわあ!? こんなことになってたんですか!?」
渡された布で押さえる。これほど出血しているとは思わなかった。
だとしたらあんまり痛くなかったかも。イグナさんの腕が良かったのだろう。
「血まみれのまま彫り続けたんですか? 難しくないですか?」
「慣れ」
「職人だなあ」
血を拭うと、刺青が見えた。
周辺の皮膚は真っ赤に腫れ上がっているが、インクの色は見える。
私の体は丈夫だから、この腫れが引いてタトゥーが良く見えるようになる日もそう遠くないだろう。
ふふふ、コーザさんの噛み跡が一生モノになった。うれしい。
「私も自分で刺青入れられるようになりたいな」
残しておきたい記録は体に刻みつけるのが一番だ。
私は記憶喪失になっているし、尚更である。
コーザさんの名前でもいれようかな。
「へえ。そういう芸術を理解する気持ち、獣人にもあったんだな」
「うわっ! ダイレクト差別やめてくださいよ、獣人だからとか関係ないでしょう? むしろ獣人の方がパーツ多いんだからタトゥー入れられる場所多いじゃないですか。私だったら耳の内側とかになにか描けるんじゃないですか?」
「へえ。おもしろそう」
イグナさんの視線が私のうさ耳をなぞったので、私は自分の耳を掴んで下に引っ張った。
ロップイヤー――そんな言葉が脳裏をよぎるが、ロップイヤーってなんだろう。
「やらないでくださいよ。やりたくなったらイグナさんに頼みますから、今は勘弁してください」
「……へえ」
そのへえが何を意味するのかはよくわからなかった。