旅行は、七月上旬に決まったようだ。
ちょうど学校の夏休みに入る直前で、世間的にもまだ混雑のピークには早い時期だ。
そのおかげで、希望していた宿もすんなり予約が取れたらしい。
行き先は、長野のわりと有名な温泉旅館。
山の中腹にあって、静かで落ち着いた雰囲気の宿だという。
母さんは嬉しそうに、スマホの画面を僕に見せてきた。
「少し古いけど、料理がいいのよ」
「露天風呂も評判なんだって。星が見えるらしいのよ」
「駅から送迎バスがあるから、移動も安心だしね」
そんな母さんたちの会話が、昨日から家のあちこちから聞こえてくる。
夕食の支度をしながら、洗濯物を畳みながら、電話越しに笑い声が弾んでいる。
どうやら、あのユイママ――ユウナさんが中心になって、しっかり計画を進めてくれているらしい。
段取り上手なユウナさんの主導で、四人の“女子旅”は着々と現実になりつつある。
宿の詳細だけじゃなく、道中の立ち寄りスポットや、お土産の候補、服装の話まで。
LINEのグループチャットも作られたようで、通知音が鳴るたびに、母さんがにやにやしながらスマホを覗いている。
リビングのローテーブルには、旅行パンフレットや口コミ記事があれこれ広げられていて――
まるで修学旅行前の中学生みたいだな、と内心苦笑した。
でも、そんな母さんを見ていると、なぜだか悪くないと思える。
この何年か、家族のことばかりで、自分の楽しみなんてほとんど口にしなかった母さん。
そんな母さんが今、友達とわくわくしながら旅の準備をしている姿は、たぶん初めて見るものだった。
正直なところ、少し寂しい気持ちもある。
僕の知らない場所で、母さんが誰かと笑っていることに、ぽっかり穴が空いたような感覚がする。
だけど――それと同時に、どこかでほっとしている自分もいる。
ようやく母さんが、“母”じゃない時間を持てるようになった。
それは、僕が心の奥でずっと望んでいたことだった気もする。
ずっと僕を支えてきてくれた分だけ、母さんにだって“自由”があっていい。
誰かと笑い合える時間、誰かに頼れる瞬間、それを母さんが持てるなら、僕はそれでいいと思う。
……とはいえ。
内心では、少しだけ心配している自分もいる。
旅先で何かあったらどうしよう。
例えば、変な人に絡まれたら?
あるいは、母さんが不用意に誰かに親切にしすぎたら?
――なんて、考えすぎだとわかっていても、そんな思考がちらつく。
心配し過ぎなのはわかっている。
でも、前回のこともあって
旅館にマッサージサービスがあるかどうか、こっそり調べたりもした。
パンフレットにもネットにも情報がなかったから、思わず電話までして確認した。
「ありません」と言われたとき、ほっとした自分がいたのも、ちょっと情けないけれど事実だ。
それでも、母さんには思いっきり楽しんできてほしいと思う。
七月上旬の、そのほんの二日間だけの旅。
でも、そこには小さな“変化”が、確かに生まれている気がして。
僕は、それをちゃんと見届けたいと思っている。
とはいえ、僕の妄想は暴走する。
長いこと母NTR作品群を見過ぎだせいだろう。
やっぱり僕はおかしい。