※この作品はR-18です。

母の写真 日常の向こう側   作:松田義和

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第十三章 旅の夜

最初はただの不安だった。

でも、それは静かに、そして確実に、僕の中で“妄想”へと形を変えていった。

 

旅館の夜――

母さんたちは夕食を終えて、部屋に戻ってくる。

浴衣姿で「お腹いっぱいね」なんて言いながら、冷たいお茶をすすってる。

そこで誰かが言う。「ちょっとだけ、中庭にでも行ってみようか」

 

その流れで、旅館の敷地内をぶらりと歩くうちに、出会ってしまうのだ。

中年のグループ旅行客。

「こんばんは」「あれ、お一人ですか?」と、軽く声をかけられる。

たわいのない世間話――どこから来たか、どんな旅か、そういう他愛のない会話。

 

そこから、なんとなく「ロビーで一杯どうです?」なんて話になって。

 

ふだんなら、母さんも他の三人も、きっと笑って断るだろう。

でも、旅の空気はどこか普段と違って、少しだけ判断を鈍らせる。

 

「ちょっとだけなら……ね?」

「せっかくだし、ね?」

 

そんな言葉で、彼女たちは――あろうことか、誘いに乗ってしまうのだ。

 

ロビーの隅、小さなテーブルを囲んで、ビールやウイスキーのグラスが並ぶ。

最初はぎこちなかった会話も、時間が経てば、自然と笑い声が増えていく。

イクミさんは早々に打ち解けて、冗談を飛ばして場を盛り上げる。

ユキさんは、口数少なめに笑ってはいるけれど、なんだか楽しそうで――

そして、母さんはといえば、少し頬を赤らめながらも、気さくにうなずいている。

 

その隣で、男がグラスを母さんの方に傾ける。

 

「お綺麗ですね」

――やめろ。

「息子さんがいるなんて信じられない」

――黙れ。

 

母さんがまんざらでもない笑顔を浮かべていたら、どうしよう。

イヤリングに触れる仕草で照れていたら、どうしよう。

まさか、まさかとは思うけど――

夜の廊下を並んで歩いたりなんて……いや、そんなわけない。ないはずだ。

 

でも、“可能性ゼロ”とは言いきれない。

あの夜を思い出せばわかる。

母さんは、あのとき、僕の前で――

その顔が、浮かぶたびに、妄想が現実のように血を騒がせていく。

 

まさか、そのまま別室へ……

「ちょっとお話だけ……」なんて言いながら、誘われたら?

「こんなの初めて……」って、静かに扉の向こうに入っていったら――

 

僕の中で、全身を締め付けるような衝動が渦巻いた。

そんなはずない。

でも、もしも。

そんなことが“あった”なんて、後から聞かされたら、僕は……

 

笑って済ませられるわけがない。

 

僕はどうしてこんなにも、母さんに執着してるんだろう。

誰にも言えないし、自分でも答えが出ない。

けれど確かなのは――

「何も起きませんように」と祈るような気持ちで、ただスマホを握りしめている自分がいることだ。

 

画面に「通知なし」の表示が出るたびに、安心と不安が交差する。

“知らせ”がないということは、“何もない”ということか?

あるいは、“何かあっても連絡できない”ということか?

 

不安が、妄想を育てていく。

そして、妄想が、母さんへの感情をさらに揺らしていく。

 

旅の夜は、まだ終わらない。

 

 

 

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