そういえば、トシマサに再会して、ふと昔の友だちのことを思い出した。
小学校のころ一緒に遊んだあの子や、何気ない日々の中で自然と離れていったあの子たち――。
その中で、特にマサユキのことが頭に浮かんだ。
マサユキは小学校5年の途中から、学校に来なくなった。
いじめがあったわけじゃない。
本人はいつも穏やかで、クラスでも友だちが多かった。
でも、体調が安定しなくなって、学校にいると頭痛がしたり、急にお腹が痛くなったりすることが増えていった。
後になって聞いた話では、神経症の一種だったらしい。
身体に症状が出るけれど、原因は心の疲れや不安だったりする――そんな病気だ。
当時の僕たちは、正直それがよくわかっていなかった。
でも、不思議とマサユキは、学校の外では元気だった。
放課後に誘えばゲームを一緒にやったし、公園でキャッチボールもした。
時々、ふっと表情が曇ることはあったけど、それでも笑ってくれていた。
彼の家に遊びに行くと、新しい漫画やカードが並んでいて、ちょっと羨ましかったのを覚えている。
中学に上がるころ、マサユキは別の学校に通うようになった。
不登校の子たちが通う支援学校で、そこからは自然と距離ができてしまった。
直接話すことはほとんどなくなったけど、親同士の付き合いが続いていて、彼のことはなんとなく聞いていた。
最近では、地元のスーパーで働いているらしい。
母さんが買い物のときにレジにいたよって言っていた。
「元気そうだった?」と僕が聞くと、「穏やかな顔してたわよ」とだけ、やさしく返ってきた。
なんだか、その言葉だけで少し安心した。
もうひとり、思い出すのはユイちゃんだ。
彼女は小学校まで一緒だったけれど、中学から私立の中学に進学した。
おとなしくて落ち着いた子で、勉強もよくできていた。
今は九州の国立大学の医学部に通っていると聞く。
こちらも親同士が仲良いから、近況はよく耳に入る。
将来は医者になるんだろうな。
命を預かるような、責任ある仕事に向かって、着実に歩いている。
マサユキも、ユイちゃんも、トシマサも、みんなそれぞれの道を、自分なりに歩いている。
遠回りだったり、早かったり、選んだ理由は人それぞれだけれど、どこかしら“自分”を持っているように思える。
そう思うと、少しだけ、自分が不安になる。
焦るというより、取り残されているような感覚だ。
でも、不思議とそれは嫌な感じじゃなかった。
むしろ、ちゃんと思い出せることが、どこかあたたかくて、うれしくもあった。
みんな、生きてる。
そして僕も、まだ途中なんだと思える。
すでに書いたように、母たちは今でも仲がいい。
母さんと、トシマサの母さん、マサユキの母さん、そしてユイちゃんのママ。
昔からの「お茶友達」だ。
たまに母さんが言う。
「今度、ユイちゃんの家で集まるのよ」って。
あの家は広いから、みんなで集まるのにちょうどいいんだろう。
テーブルに手作りのお菓子や果物を並べて、おしゃべりに花を咲かせているらしい。
母たちは、そこで近況を交換している。
あの子は元気にしてる、とか、最近就職したんだって、とか。
ちょっとした噂話も含めて、情報網のように回ってくる。
僕は、その話を台所の隅っこで、なんとなく聞いている。
特に話題に入るわけでもなく、ただ「へえ」とか「そうなんだ」と相づちを打つくらい。
でも、内心ではいろいろ思っている。
トシマサがしっかり店を継いで頑張っている話や、ユイちゃんが病院実習に入ったという話を聞くたびに、ちょっと胸の奥がざわつく。
同時に、どこか安心もする。
みんながそれぞれ、ちゃんと生きていることを知ると、自分もその輪の中にいられるような気がして。
子どもの頃は、親のつながりがそのまま子どもたちのつながりだった。
でも、いつの間にか僕たちは、別々の世界を生きるようになった。
それが「成長」なのかもしれない。
母さんたちが今でも変わらずお茶をして、笑って、近況を語り合っている姿を見ると、なんだかほっとする。
僕がまだうまく進めずにいるこの時間も、きっとそうやって見守られているんだと思うと、不思議と焦りよりも静かな気持ちになる。
自分も、どこかでちゃんと前に進まなきゃな……そんなことを、ふと思った。