個性『淫魔』 作:えっちいやつ。
「えー、まず最初に転校生の紹介をします。じゃあ、入って自己紹介してー」
まだ朝の空気は冷ややかで、天気によっては一枚多く着込んでおきたい春の日。今日からお世話になる担任教師に大きな声で呼ばれて、廊下に突っ立っていた黒髪少女はビクッと肩を震わせる。恐る恐ると言った様子で目の前の引き戸に手を伸ばして、一度動きを止めた。左手首のブレスレットが人目に入らぬよう、そっと袖に隠す。念の為にマスクの位置を確認し、それからもう一度、今度は右手を伸ばした。
寂しいとは思っているけど、誰かと親密に関わるのが困難だとも思っている。だから出来る限り、人と関わりたくない。人との会話は出来る限り最小限に抑えて、出来る限り人から遠ざかる。そうやって過ごして来た。そうしないと、相手の人生や家庭を意図せず壊してしまうかもしれない。彼女にとっては、それが何より怖い。そんな風に過ごして来た少女が、いわゆる外向的な性格である筈がなく。
……つまるところ。蜜月桃香は内向的だ。言葉を選ばずに言うのであれば、陰キャでコミュ障である。
(うぅう……。行きたくない、お腹痛い、帰りたい帰りたい帰りたい……っ)
何度経験してたとしても、教壇に立ってクラスメート達に自己紹介するのは桃香には辛い。既にぐるぐるお目々と化している陰キャ女子学生は、胸を締め付けるプレッシャーから一歩後退った。許されるなら逃げ出してしまいたい。けれども、そんな真似をしたらどんな事になるのかも分かっているつもりだ。目上の人に逆らうなんて気骨なんて、当然ない。
だから、結局。もう一度担任教師に呼ばれて、諦めた顔で渋々と扉を開く。なるべく誰かと目を合わせないよう顔を下に向けて、静かにゆっくりと扉を閉める。たったそれだけで。
「ん? なんか甘い匂い……? えっ、可愛くね……?」
「やばっ、もろタイプ……!」
「髪きれー……。どこのシャンプー使ってるのかな……」
「何か、すげー良い匂い……」
「うわっ、お前鼻血出してんじゃん! 女子の匂い嗅いでコーフンしてんのかぁ?」
「い、いやこれはちげーしっ! おめーだって、何か顔赤くねぇ!?」
この瞬間、桃香は生きた心地がしなかった。瞬く間も無く肝が冷え、思わず息を呑む。緊張から、ついスカートを掴む。もう一秒だって、人の前に立ちたくない。誰とも目が合わないように祈りながら黒板の前に立ち、教室を見渡すことなく頭を下げる。
「み、……蜜月桃香……です。……その、特個者です。出来る限り気を付けるので、よ、よろしくお願いしま、しゅ……」
手早く自己紹介を済ませようとして、桃香は最後に舌を噛んだ。緊張と気恥しさから耳を赤くして、ぎゅうっとスカートを掴んでしまう。そんな彼女を見て、最前席にいる同級生諸君は男女問わず生唾を飲んだ。担任教師は教壇に立ち、黒板にチョークで大きく文字を書く。カツカツと硬質な音を鳴らしながら教師が記したのは指定特別個性の六文字。
「……えー、じゃあ先生から蜜月さんを紹介する上で話しておくことがあります。
彼女は指定特別個性保持者、いわゆる特個者です。昨年の個性カウセリングの前に、世の中にはそういう人も居るって話をされたのを覚えてるかな?」
「なんかこう、ヤバい個性……だっけ? ほっとくと社会的に悪影響しかない的な?」
「ってことは、蜜月さんはヴィラン候補ですかー?」
「おまっ、それは言っちゃやべーだろ。つーかそんな事する子に見えなくね??」
「うわ、なんか必死。お前もしかして〜〜、惚れてんのか〜〜??」
「ばっ、ち、ちげーーし!!」
教室のざわめきが、一段と大きくなる。熱のある粘ついた視線に好奇心が混ざり始め、桃香は更に生きた心地がしなかった。こういう目に遭うのは、何も初めてではない。けれど、慣れることもない。マスクの下で唇を噛んで、下げたままの頭を上げることもままならない。
「はい、みんな静かにー。指定特別個性保持者っていうのは、簡単に言うと個性そのものが強力過ぎて社会だったり周囲の人達に大きな影響を及ぼす個性を持ってる人達です。
例えば体液が致死毒になっちゃう個性とか、体臭が強烈な幻覚作用をもたらす個性とか。そういう本人の意思ではどうしようもない難儀な個性を持っていて、国が補助したり管理しなきゃいけない人達ですね」
担任教師が淡々と説明を続けて行く。生徒達の視線に、徐々に好奇心と警戒心のふたつが混ざり始めた。
「センセーよぉ! こっちは受験控えてんのに、んなヤベー奴と授業受けなきゃなんねぇのか? 俺ぁ雄英目指してんのに、内心に響いたらどうすんだ!」
半ば怒気を含んだ声が教壇に向かって飛んだ。ヤジを飛ばしたのは、机の上に足を置いている如何にも不良な感じの男子生徒だ。そんな彼の一言に乗じてか、殆どの生徒は桃香に向かって鋭い視線を向けた。担任教師は疲れた顔を隠すこともせず、首を横に振るう。
「蜜月さんは別室で授業を受けるから、みんなは心配しなくて良いよ。ただ、一応このクラスだから紹介だけね。
じゃあ、……緑谷。昨日、校舎裏にプレハブ建ってたでしょ? そこまで案内してあげて。ついでに校舎の案内もよろしく」
「えっ!? は、……はいっ」
―――転校初日。こうして、蜜月桃香は自己紹介だけして教室から隔離された。
♡♡♡
はぁ……。と、桃香はため息を吐いた。こうなることは、残念ながら最初から分かっていた。自分が指定特別個性保持者である以上、隔離されるのは当然。むしろ隔離されないと、生きた心地がしない。彼女にとって、普通の学校生活など夢のまた夢。日々色々とサポートアイテムが発展している世の中ではあるけれど、未だ桃香の個性を完全に抑制することは出来ない。
校舎裏の
何せ。道案内の道中、緑谷は明らかに桃香の個性に当てられていた。顔は林檎よりも赤かったように見えたし、声は上擦り過ぎてひっくり返ってたぐらいだ。時折、チラチラと熱に浮かされた目で桃香を盗み見ようとしていた。明らかに異性慣れしていないことが見て取れて、しかもそんな彼が
それはそれとして。
プレハブは外から見ると簡易的な作りをしているように見えるが、中は違う。出入り口は前後にあり、内部はちょうど半分の位置で透明な壁でふたつに分けられている。片方の部屋には机と椅子が一組、それとロッカー。もう片方には、新品の黒板や教卓が置かれている。空調が程良く効いており、暑くもなければ冷えてもいない。激しい運動でもしない限り、汗は流れないだろう。
「……、はぁあ〜〜……」
机の横にスクールバッグを掛けつつマスクを外した桃香は、椅子に腰掛け机に突っ伏した。一人になって、ようやく生きた心地を取り戻せた。転校初日の様子は、上々。端から見ればろくでもないが、桃香からすればそうでもない。酷い時なんて、登校して直ぐ大勢の男子と乱交騒ぎだ。無論、大問題になった。転校当日の内に、転校が決定する大騒ぎだ。それと比べたら、今日は随分と平穏な朝だ。あくまでも桃香個人としては、だが。
とにかく、一人になれた。また何ヶ月か、或いは一年か。このプレハブの中で、桃香は一人で学園生活を送る。何事もなければ、卒業まで転校しないで良いかもしれない。そんな風になれたら楽だなぁと考えつつ、授業の準備をいそいそと進めていく。バッグの中からノートパソコンを取り出して起動し、隔離教室に完備されたWi−Fiでネットに接続。オンライン授業用のソフトを立ち上げる。……が。
「……何も見えない……」
本来見える筈の教室の様子が見えない。いつもなら、教室の最後列からの風景が画面に映し出される筈だ。しかし画面は真っ黒のまま。けれども、音声だけはしっかりと届いている。
「……そういうパターンかぁ……」
真っ先にカメラの故障を疑えたが、桃香は一人で納得してパソコンを机の隅に追いやり、教科書やノートを開く。筆箱からシャーペンを取り出し、カチカチと芯を出した。
転校初日。取り敢えず、桃香からすればいつも通りの授業が始まった。分厚いアクリル壁によって仕切られた隔離教室で、一日の殆どを誰と会うこともなく過ごす。それが、彼女には平穏な学校生活なのだ。
えっちパートまで持って行きたかったのですが、駄目でした。焦らし回ということで、どうかひとつ。