教会から自宅へ戻り、クイーンサイズベッドに身を投げ出す。
ばっふんと高反発ベッドが身体を跳ね返しながらも受け止めてくれて、慣れた匂いに脱力していく。
「あぁ……落ち着く」
「チトセ様、何かお飲み物は? 膝枕は? 私に出来る事があれば言ってください」
「至れり尽せりだな。……あー、とりあえずアレだ。ビャクが帰って来たら大事な話があるって言ってほしい。で、出来れば二人きりにしてくれると助かる」
「…………やっぱりビャク、なのですか?」
寝っ転がって目元を腕で覆い隠していると、ニルの声が不安に揺れた。
暴れっぱなしの千里眼越しにもニルの感情の揺らぎが嫌でも見えてしまう。嫉妬や羨望の色が強く出ており、次第にそれは自罰的なネガティブ思考へ染まっていく。
見えるせいでコミュニケーション能力下がりそうで怖いわこの目。
目を覆う手とは逆の手で、隣のスペースを叩く。
「別件でビャクに用が出来ただけだ。ニルには、ここで添い寝してもらいたい。……目が落ち着くまで、ちょっと抱きしめてくんね?」
俺がそう言うと、そそくさと隣へ寝転んだニル。
「失礼します……!」
言うが速いか、ニルの大きな胸に頭がむにゅりと埋まる。
髪を撫でる優しい手付き。穏やかな息遣いとは別に、目と鼻の先で高鳴っている鼓動。次第に足まで絡みつけてきたニルに包まれる。
「……なんでそんなに俺が好きなんだか。でもあんがと。落ち着く……暫く…………このままが……いい……」
遠のいて行く意識の端で、ニルの小さな呟きが鼓膜を揺らした。
「いつまでも、ずっとずっと側にいますよ。か弱いのに頼り甲斐があって……いつも優しく愛してくれる貴方様の為なら……貴方様の人生いっぱいまで。ずぅーっと」
◆
時は少し遡り、チトセがミルスについて調べ始める前の事。
教会の入り口横の柵に、身体を預けて目を閉じ、ぼーっと突っ立っている女が居た。
身長一三〇センチほどの小柄な女は、紺色の髪をツーサイドアップにており、纏う衣服は斥候の様なクロークと身軽な軽装だった。
口元には棒付きの飴を咥え、暇を潰す様にカラコロ、カラコロと舌を器用に使って飴を転がしている。
一見不審者にも思えるが、通行人は孤児院の出身の子だろうと当たりを付けて微笑ましく通り過ぎるのみ。
女にとってはそんな対応も慣れたもの。それどころか見た目の優位性を理解して扱っている程度には彼女は自分というものを心得ていた。
そんな彼女の元に、同じくらいの背丈の女がやってくる。
明るい茶髪に新緑を思わせる穏やかな色の瞳。しっかりとシニヨンに髪を纏め上げ、まるでスーツの様な冒険者ギルド受付嬢の制服をキッチリと身に纏った彼女の名はヴェルダンディーナ。
「ん、どうしたのお姉ちゃん。まだ仕事中じゃなかったっけ?」
「それがね、お姉ちゃんが『気になるものが見えた』って。お昼にマスターのお部屋に集まって欲しいんだって」
「お姉が言うなら仕方ないか……。分かった。じゃあ一緒に戻ろ、お姉ちゃん」
「え〜? まだまだ甘えん坊なんだからぁ、もぉ〜。良いよ!」
ヴェルダンディーナは言葉とは裏腹にとても嬉しそうな顔をして、小柄な女と手を繋いで歩き出した。
女は目蓋を開けて、冬の様な澄んだ白銀色の瞳を楽しそうに細めていた。
「そう言えばどうして教会の前に居たの?」
「ん〜? まだ内緒〜」
「えー! お姉ちゃんにも教えてよぉ!」
「いっひひ。やーだよーだっ!」
その様はまるで幼い姉妹が戯れ合うようで、多くの通行人が糸目になって今日という輝かしい一日を享受したとかなんとか。
===
お昼時。休憩時間になったヴェルダンディーナは、小柄な女と共にギルドマスターの部屋へとノックする。
「お姉ちゃん、入るよー?」
「……ああ。構わない」
茫洋とした声を受けてドアを押し開ける。
中では、執務机に向かいながらも虚空を見ながら書類の処理を終えていく小柄な女の姿があった。
「あー、また変な所見てるよ、ウルルズお姉ちゃん」
「すまないヴェルダンディーナ……この状態が比較的に楽なんだ」
「ウル姉は目を便利に使い過ぎなんだよ。せめて目隠しでもしたらぁ〜?」
「スクリアルド……そういうお前は目をもう少し、使いなさい。いざと言う時に……困る」
「今日はちょーっと使ってたし」
ギルドマスターである灰色の超長髪とトランジスタグラマーな身体が特徴的な女の名はウルルズ。
教会の前で突っ立っていた紺色のツーサイドアップが特徴的な女の名はスクリアルド。
姉であるウルルズと、妹であるスクリアルドに挟まれて世話焼きな性格を獲得した、最も穏やかな受付嬢がヴェルダンディーナ。
三人は目の事を話しながら、目を閉じる。何故ならそれが一番楽だから。
瞳を閉じたままヴェルダンディーナとスクリアルドはまるで見えているかの様に部屋を歩き、ソファに腰掛けお昼ご飯の用意を始めた。
ウルルズは一旦仕事に区切りをつけると、同じく瞳を閉じたままにも関わらず迷いの無い足取りで長机を挟んで二人の対面のソファへと腰掛ける。
毎日次女が作ってくれるご飯を食べる時こそ、ウルルズにとっての密かな楽しみの時間。しかし今日はそうも言っていられない。
つかない足をぷらんと揺らしてウルルズは身体を前のめりに倒す。
「食べながらで構わない……聞いてほしい。つい先日発見された、空き屋敷地下のさらに地下にあった、大空洞。あそこの、
ピリッと空気が締まる。
『ケルベロスの首輪』。それは昨今、巷を騒がせる犯罪組織の名前である。
強盗、略奪、殺人、誘拐、監禁などなど、思いつく限りの悪事を国を股に掛けて行っている、底の見えない組織だ。
噂では、国の中枢にも根を張っているだとか、同じく国を股にかける冒険者ギルドこそが正体であるだとか、謂れなき誹謗中傷の火種ともなっている厄介な奴ら。
「あそこを一通り、見た。……ヴェルダンディーナ、お前のお気に入りが……関わっている」
「……私の、お気に入り……?」
「それって、もしかしてチトセって奴?」
「………………そうだ。あの場の物を……根こそぎ持ち出した……張本人だ。私は話しがしたい……気になるのは、そのチトセ、だ」
ゆったりと紡がれるウルルズの言葉に、ヴェルダンディーナは目の前が真っ暗になる思いだった。
思い出すのは出会った日のこと。見た事もない服で、言葉が通じるかを不安そうにしていたチトセ。それは世界中を回っているせいで、色んな国の方言や辺境の訛りが移っているかを不安がってのものだったのかもしれない。
やけに実入りの良くない人助け依頼を受けていたのは、王都と言う場所の下調べだったかもしれない。
思えばチトセが来た後にあのアジトは見つかり、思えばある時を境にチトセは実入りの良くない依頼を受けなくなっていった。
ヴェルダンディーナは、ウルルズが見た過去の時期を聞き出すと、チトセの行動の変化時期がピッタリと重なる事に思い至る。
変な汗が出て、やけに胸が痛んだ。定まらない呼吸が、とてもとても苦しかった。
スクリアルドはチトセと言う名前が出た瞬間に険しかった顔付きをさらに厳しくさせていた。
元々教会前で張り込んでいたのは、姉に纏わりつく悪い虫を品定めして、良くても悪くても追っ払う為だった。
目的に理由が追い付いたのならば、必要な行動は決まっている。
「アタシがここまで引っ張り出してあげるよっ! ヴェル姉に近付く悪い奴はアタシが許さないから!!」
「……スクリアルド。私は……話がしたいと、言っている。危害を加えるな……」
「チッ……はいはーい。まっ、抵抗されなきゃの話だけどねー?」
話はその後も進んでいき、スクリアルドがチトセを連行する事が決まった。日時は少しでも早い方が望ましく、しかしチトセがどんな力を持つか分からない。
最近の様子では彼の周りには四人の女が侍り、常に彼を守っていると言う事が分かっている。
狙うべきは、何故かチトセが王都に構えた店、『なんでも相談所』に勤めている時だ。
あの時だけはチトセが単独で仕事をしている事をスクリアルドは直近で調べ上げていた。
「ごめん、スーちゃん。ウルお姉ちゃん。私が……私に話をさせて?」
懇願する様に縋るヴェルダンディーナの姿を見れば見るほど、任せられる訳が無かった。
「認められない……。だが、安心して良い。悪い様に……しない」
「甘くなーい?」
「勘違い、するな。気になる……としか言っていない。それ以上は、分からないからだ」
ウルルズの断固とした決定を覆すことはスクリアルドには出来なかった。それでも、末妹の苛烈さが変わる事は無いだろう。
…………作戦決行の日は近い。