2006年6月。隼人26歳、綾24歳、愛菜4歳、さくら1歳7か月。美咲からの手紙の一件以来、僕たちは調布市のマンションに引っ越した。家族4人が住むには少し手狭だったが、比較的新しいマンションで、近くには広い公園もあった。綾は愛菜とさくらを連れてよく散歩に出かけ、新しいママ友も何人かできたようだった。
そんな穏やかな日常が戻りつつあったある日、綾が公園を散歩していると、親しいママ友のルナから「美咲さんて知ってる?」と尋ねられた。綾はすぐにあの山田美咲のことだと直感し、内心は穏やかではなかったが、平静を装い「うん、高校時代の友達だけど?」と答えた。
ルナはお菓子作りが趣味で、自分が焼いたお菓子などをmixiに投稿していた。一方、美咲もケーキ作りが趣味で、その繋がりでルナと美咲はメッセージを送り合い、友人になった。美咲はルナのmixiの写真を見て、綾とルナがママ友であることに気づいたのだ。「えー、偶然!今度3人で会おうよ」とルナは純粋に綾に話しかけてきた。綾は「う、うん、そうだね」と、はぐらかすように答えるのが精一杯だった。
ルナはさらに続けた。「そういえば美咲が、綾と連絡を取りたがってたよ。美咲の携帯の番号知ってるから、あとでメールで送るね」。そう言ってルナは自宅に戻っていった。「美咲」──それは綾にとって、今一番聞きたくない名前だった。ルナと別れ帰宅した綾は、すぐに自室で仕事をしていた僕に、その状況を説明してくれた。ほどなくして、ルナから美咲の携帯番号が書かれたメールが届いた。美咲の真意がわからなかった、目的は何なのか。僕と綾は、およそ1年ぶりに聞いたその名前に身震いした。家族を守りたいという一心で、綾は美咲に会うことを決意し、僕も同行することにした。
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翌週、僕たち3人は近所のファミリーレストランで再会した。綾はよそよそしく「久しぶりだね」と挨拶し、美咲も緊張気味に「ほんと久しぶり」と応じた。しばらくの沈黙の後、美咲から衝撃の事実が語られた。「2人のお母さん、亡くなったの知ってる?」。僕と綾は思わず息を呑み、言葉を失った。綾が高校を卒業すると同時に、僕たちは逃げるように実家を出た。以来、実家とは全く連絡を取っていなかったのだ。元々、母は体があまり丈夫ではなく、特に心臓が弱かった。
美咲は静かに語った。「先月、亡くなったんだよ。私も高校の部活の友達と一度お見舞いに行ったの。綾たちに会いたがってたよ。子供がいることを話したら、すごく喜んでた」。綾の目には、大粒の涙がにじんでいた。僕たちの関係が知られるまでは、綾と母はとても仲が良く、一緒に買い物に行けば、よく姉妹に間違えられるほどだった。
「でね、実は、お父さんも具合が悪いみたいなの。だから早めに会っておいた方がいいと思って。綾たちには合わせる顔がないのはわかっていたけど、連絡したの」と美咲は続けた。綾は、やっとの思いで「ありがとう」と絞り出すように言葉を発した。
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2006年6月。隼人26歳、綾24歳、愛菜4歳、さくら1歳7か月。父は実家近くの総合病院に入院していた。奇しくも、僕が中学1年の時に盲腸の手術をした、あの病院だった。綾と愛菜、さくらを連れて病室に入ると、そこには頬がこけ、すっかりやせ細った父がいた。一見して、素人目にも「もう長くないな」ということが痛いほどわかった。
父は僕たちの姿、そして愛菜とさくらを見て、「子供か?よかったな」と、かすれた声で言ってくれた。僕は父といろいろな話をした。膵臓がんでもう手遅れであること、手術は不可能で、モルヒネを中心とした緩和医療を受けていること、あの時はどうしても僕たちの交際を許すことはできなかったが、それでも常に僕と綾の幸せと健康を願っていたこと……。父の言葉を聞き、僕と綾は、ただ父の手を握りしめ、「ごめん」と絞り出すのが精一杯だった。
そして、父はA4サイズの封筒に入った書類を僕に手渡した。そこには「公正証書」と書かれていた。内容は、1. 財産は隼人と綾に2分の1ずつ相続させる、2. 遺言執行人を長男の隼人とする、というものだった。父には生涯独身の兄がいたがすでに他界し、父の両親もかなり前に他界していた。そのため、相続権者は僕と綾のみであり、本来、公正証書は必要なかったはずだ。それでも、父はせめてもの気持ちとして、僕たちのために公正証書を作成してくれていたのだ。公正証書があり、遺言執行人を僕にしてくれたおかげで、相続の手続きがスムーズになるらしい。
父はまた、「私が死んだら、この人にお願いするように」と言い、1枚の名刺を僕に差し出した。そこには「弁護士 吉田有紗」とあった。父の公正証書の作成に協力してくれた弁護士だ。
それから1か月後、父は静かに息を引き取った。
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2006年7月。隼人26歳、綾25歳、愛菜5歳、さくら1歳8か月。父の葬儀は僕が喪主を務め、滞りなく終了した。美咲も参列してくれた。
父の言葉通り、僕は公正証書を持って弁護士の吉田先生の元を訪ねた。吉田先生は父が亡くなったことを知ると、弔意を示し、今後の手続きについて丁寧に説明してくれた。その時、僕は吉田先生から「付言事項」があることを知らされた。最近は公正証書の中に「付言事項」を記すことが多く、遺言者の思いを遺族に伝えることを目的としているそうだ。
その「付言事項」には、こう書かれていた。 「長男の隼人、長女の綾が生まれて以来、私は本当に幸せでした。私亡き後も、二人がよりよく生きていくために、その後の生活の少しでも助けになるよう、感謝の意を込めてこの遺言をしました。これまでの生活を振り返ってみても、楽しい思い出ばかりです。旅行のような特別な思い出もそうですが、当たり前のように、家族で食卓を囲めたことが本当に有難いことだと思っています。この後の二人の生活も今までのように楽しいものになると確信していますが、二人には私亡き後も健康に留意し、長生きしてもらいたいと願っています。本当にありがとう。」
父の遺産相続は、吉田先生のおかげで驚くほどスムーズに進んだ。驚いたことに、父にはかなりの遺産があったのだ。父の両親は資産家で、土地や有価証券を持ち、資産運用も行っていたという。すべての資産を処分し、現金化するまで1年以上かかったが、相続税などを支払っても、僕と綾はそれぞれ約8,000万円、合計1億6,000万円もの遺産を相続した。その金額の大きさに僕はただただびっくりしたが、同時に、父が僕たちに残してくれた愛情の大きさに深く感謝した。このお金で、愛しい孫の愛菜とさくらにも、新しい洋服を買ってあげたいと心から思った。
松原隼人:1980年5月12日生まれ 1998年7月5日(18歳2か月)初体験
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松原 綾:1981年7月5日生まれ 1998年7月5日(17歳)初体験 新体操部
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松原
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松原さくら:2004年11月10日生まれ(次女)
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松原忠晴:1950年8月31日生まれ 2006年7月7日死去(55歳) 隼人と綾の父
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松原清美:1952年3月10日生まれ 2006年6月15日死去(54歳) 隼人と綾の母
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吉田有紗:弁護士
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山田美咲:綾の高校の同級生 新体操部 ケーキ作りが趣味