童貞魔女(♂)オーウェンはチンチラ奴隷を嫁にする 作:ケロリビドー
不自然極まりなく同行しているオーウェンにも、リチャードは柔和な笑みで応対する。しかし目が全然笑っていなかった。自分の瞳もそんなに輝いている方ではないが、何があったらこんなに暗い目ができるのだろうとオーウェンは思った。リチャードの目は女が見たら星屑のように輝いて見えるのだが、男に興味がないオーウェンには沼の汚泥より暗く淀んだものに見えた。
リチャードは玄関先に立ったまま、すべてのやり取りをここで済ますと言外に主張している。世間話が苦手なオーウェンだったが、顧客に対してエウェンが行っていたコミュニケーションを思い出して、スキンの使い心地などの話を続けた。もちろんそれは今のオーウェンにとっては主な目的ではない。小さな黒目を時々リチャードから離して、その背後を確認する。オーウェンの庵にいるのと同じ、黒い子供のような影がこちらを伺っていた。この屋敷も魔女の庵になっているのだ。
「なにか?」
人に顔を見られるのに慣れているのだろう。リチャードはこちらの顔を見据える癖があり、オーウェンの視線がそれたのにすぐ気が付いた。
「いや、アタシも魔女なので。姉弟子の庵が気になるんです。魔女にしか見えないものがやっぱりあるなあって思っただけですよ。不躾だったらすみませんでした」
「ああ、まあ。そういうこともありますかね……掃除が行き届いてないのであまり見ないでもらえると嬉しいですね」
「そりゃそりゃ失礼……。おっといけない」
オーウェンは、ポケットから小さな瓶を落とした。かがんで拾い上げようとリチャードの足元に手を伸ばすと、その手が見えない何かにバシッと弾かれる。
「痛った……」
「大丈夫ですか? 一応結界があるので、みだりに入ろうとすると危ないですよ」
リチャードは笑みを崩さずに転がった瓶を拾い上げてオーウェンに手渡した。
「どうも……」
「なんの瓶ですか? 中に何か?」
「いえ、空っぽですよ。ほら」
オーウェンが顔の前に掲げて見せた瓶は確かに何も入っていなかった。
自分の庵の森と同じで、許可のない者が入れないようになっていることは予想ができた。だからこの瓶は前もって準備してきたものだ。
「とりあえずな、お前んとこの女が来てない日に売った奴隷の分の奴隷紋についてはあとから契約を施しに回ってもらうからな。毎回こんなことできないから。早く来させるようにしてくれよ」
ウィニーがしびれを切らしたように言うと、リチャードは伝えておくとだけ返事をして扉を閉めた。
地下室で、ダリアは自分が張った結界に触れたものがいることを感じていた。抱き潰されて息も絶え絶えであったが、己が魔女であったことを思いだし、愛欲の靄がかかっていた頭がはっきりしてくる。どこからかしゅるしゅると聞きなれない音が聞こえて来た。いや、聞きなれない音ではない。かつて何度だって聞いた音だった。
「……おまえ……来たの」
それは、オーウェンの話し相手として、ダリアの部屋の天井に巣くっていた蜘蛛だった。身体にはダリアの頭から抜け落ちて庵に残っていたのだろう赤い頭髪が幾重にも巻き付けられ、生まれつき赤い蜘蛛だったかのようにその身を飾っている。
この蜘蛛はもともとダリアの使い魔だった。自分を拒絶したとはいえあの庵で一人きりになってしまう弟弟子を案じて、ダリアが残していった蜘蛛だ。何故ここに居るのか。そんなの、オーウェンが連れて来たに決まっている。
(オーウェンが来たのね……手紙の返事を聞きに訪ねて来たんだわ……、でもリチャード様がそんなの許すわけない。だからこの子だけ忍び込ませたんだ)
ダリアはオーウェンが奴隷を買ったのをすぐそばで見ていた。一緒に住んでいた時には見せたことのない恋情の花がオーウェンの顔に咲く瞬間を間近で見た。自分が開かせることが出来なかったその花を、どうかオーウェンが大事にしていけるように、姉弟子としてはそれだけを望んでいたのに、彼はダリアのことを忘れておらず、こうやって連絡を取ろうとしている。
「オーウェンに伝えて、奴隷紋を解除する方法を……」
その方法を言い終わると同時に、地下室の扉が重い音を立てて開いた。
「魔女、お前なんか変なことやってたろ。面白そうだからあいつの気ィ逸らすの手伝ってやってたけどさ、何してたん? 奴隷も別行動させてさ。教えろよ」
リチャードの屋敷から少し離れたところで、ウィニーはオーウェンに話しかけた。
「そんな面白いことなんかしてないよ。ただちょっと斥候をね」
「セッコー?」
「オーウェン様ーっ」
立ち話をしていたところで、箒に乗ったザジが上空から降りて来た。ザジはウィニーとオーウェンがリチャードを引き付けている間に、屋敷の外側の様子やダリアがいそうなところ、窓の場所などを確認していたのである。ダリアの結界が敷地ごとではなく、屋敷に限定されていたようなので弾き飛ばされたりするようなことはなくてよかったとオーウェンは思った。
「おつかれ。蜘蛛は回収できたかい」
「できましたけど、なんでこんなぐるぐる巻きにしちゃったんですか? かわいそう」
ザジの耳の中から赤い蜘蛛がごそごそと這いだし、ぴこぴこと足を振った。
「ねえさんの使い魔だったから大丈夫だと思ったけど念のためねえさんの髪の毛でくるんで通しやすくした。アタシの体じゃ無理だが、蜘蛛一匹くらいくるめるくらいの髪の毛がブラシやらベッドの下に残ってて良かったよ」
「お前ら魔女の言うことはわかりづれーんだよ。せーつーめーい!!」
「嫌だねえ面倒くさい……。アンタがアタシの森に近づいた時入れなかったろ? あの家にも似たような仕掛けがしてあったから、ズルして使い魔だけ家に入ってもらって伝言を貰ってこさせたって寸法さね」
ぷんすかと手足をじたばたさせるウィニーにもわかりやすいように説明してやるオーウェン。
「で? 姉貴はなんだって?」
「なんでそんなことまでアンタに教えなきゃなんないんだよ……。アンタはもう帰んな」
「ケチくせえなあ。でもまあいっか。なんだかよくわかんねえけど、うまくいくといいな」
そんなことを言って、ウィニーは市場に帰って行った。オーウェンとザジは持ってきたときと同じように蜘蛛を瓶にしまいなおすと、一旦庵に帰ることにした。
「で? 伝言ってどうやって聞くんですか? っていうか聞けるんですか?」
「まあ見てなって」
オーウェンの部屋で瓶のふたを開けると、蜘蛛はぴょんと飛び出して天井に張っている巣に戻っていく。そして、いつもの糸とは違う、真っ赤な糸を吐き出した。吐き出された糸は蜘蛛の体の中に入っていたとは思えないほどの量で飛び出し、空中に文字を書いている。二人は黙ってそれを目で追った。
『オーウェン。手紙を読みました。あなたの気持ちはよくわかったわ。あの時は私も傷ついたけど、あなたが変わらず素直で優しい男の子だってわかって嬉しかった。私がいまいる屋敷で使っている部屋に、奴隷紋の原本があります。それを燃やせば、すべての奴隷の紋の契約は解除されます。でも私はリチャード様に逆らえなくてそんなことはできないから、もしどうしても奴隷紋を解除したいと言うなら、どうにかしてあなたが燃やしてください。では』
すべての糸を吐き終わると、蜘蛛はオーウェンの手元にやってきて、また何かを訴えるようにぴこぴこ動いた。
「ああ、お疲れ様、髪の毛をとってやるからね……」
巻き付けた髪の毛をハサミでとってやるオーウェンの手元を見ながら、ザジは今日見たものを報告した。
「姉弟子さんの部屋は二階だと思いますよ。で? どうします? どうやってあの家に入りましょうか」