童貞魔女(♂)オーウェンはチンチラ奴隷を嫁にする 作:ケロリビドー
「む……?」
気が付くとオーウェンはベッドに突っ伏した姿勢のまま眠ってしまっていたようだった。
「しまった……あの娘を放ったまま眠ってしまったとは……」
今日の自分は本当におかしいとオーウェンは頭を抱える。衝動買いをした娘に部屋と服と便所の場所だけ与えて眠ってしまうなどありえないことなのだが、初めての対人での性愛体験の情報を処理することを脳が放棄し活動を拒否してしまったのだ。オーウェンは貞操観念が柔軟ではない男であった。
「あの娘、ザジ、と言ったか……。アタシの許しなしにこの敷地から出られることはないはずだから、近くにはいるだろうが……どうしているだろう。空は少し暗くなり始めているな……案外寝たな……アタシの間抜けめ……」
バタバタと逃げ込んだものの、肩に乗せたまま連れて来た蜘蛛が天井に巣を作っているのを見上げながら、オーウェンはそれに話しかける。
ザジの下腹部に彫られている奴隷の紋章は主人から勝手に離れると時間経過によってその面積を広げるという呪いだ。この呪いはこの街の奴隷商が使うことのできる特殊な呪いで、命に別状はないが、顔まで奇妙な模様が広がった者がまともに生きて行けるかと言うと……という非常にいやらしいものである。なので、オーウェンが寝ていたからと言ってその呪いを知っているザジが逃げることはないのだが、可愛い獣人にどぎまぎしていた彼は奴隷商の説明をろくに聞いていなかった。そのため、心の奥に「あの可愛い子が自分の前からいなくなってしまったらどうしよう、まだ会ったばかりなのに」という感情が沸き上がり、気が気でない気持ちになった。なったのだが、今胸にじわりと宿る感情をその言葉の形にする器用さは彼にはない。
(アンタが自分の意思で始めたことはね、アンタが納得するまではちゃあんとやるもんだよ)
代わりに亡き母がよく自分に言っていた言葉を思い出した。自分は奴隷を買ったのだ。いまさらそれをなかったことにはできない。彼女と一緒に暮らすことを真面目に考えて遂行しなくては。軽く握った拳で思いつめがちな頭をコンコンと軽く叩くと、オーウェンは自室の扉を開けた。
「おや、この匂いは……」
扉を開けるなり、食べ物の匂いが鼻腔をくすぐり、空っぽの胃が切なく鳴く音を自覚するオーウェン。匂いを追って足を進めると、エプロン姿のザジがテーブルに料理の器を並べているところに出くわす。
「オーウェン様、そろそろ夕餉の時間かと思いましたので用意をさせていただきました」
「あ、ああそうかい。悪いね、放っておいてしまって……」
「お疲れのようでしたので、お声かけせずに勝手に作ってしまいましたが、いけなかったでしょうか?」
「……いや、そんなことはない……作ってくれたんだから食べるよ。ありがとう」
男を喜ばせる手管しか知らないというようなことを言っていたが、料理はできるのか……そう思いながらオーウェンは食卓につく。それを確認したザジは、水差しを持ってオーウェンの傍に立った。
「何やってるんだい。アンタも自分の分をよそって席につきな」
「奴隷がだんな様と一緒に食事をするなんて恐れ多いです」
「……嫌だねえ……。奴隷ってのはみんなこういうもんなのかい……。アタシが一緒に食えって言ってるんだからそのとおりにしな。それならいいだろ」
「お情け感謝いたします」
礼を言うと、ザジはくるりと踵を返して自分の分の食器を取りに行く。リボンでくくっただけのエプロンの背中から、ふわふわの尻尾と剝き出しの尻が見えていた。
「またか!!!!!!!!! なんでアンタはそうやってすぐ裸になるんだよ!!!!」
「申し訳ありません、いただいた下着は尻尾の穴が開いていなくて……」
「むっ……言われてみればそうか……ごめん……」
驚きのあまり怒鳴りつけてしまったが、確かに母には尻尾がなかったのだからザジに合わないのは理屈に合っている。オーウェンはばつが悪くなり、ごにょごにょと謝った。
「繕い物はできるかい?」
「少しならできます」
「なら、食事がすんだら下着に自分の尻尾を出せる穴を開けな。欲しいのにないモンは買うか作るかするもんだ。今日はそれが済んだら寝ていい」
「ありがとうございます」
「わかったら食おう。せっかく作ってくれた料理が冷める」
食卓に並べられた料理は、豆と干し肉を煮たもののようで、オーウェンが食べたことのないものだった。
「お口に合うでしょうか」
「ふむ……初めて食べるものだが……不味くはない」
「ありがとうございます」
不味くはないのだが食べなれない。明日からこの土地の料理を教えてやる必要があるな、とオーウェンは思いながらも完食した。そんな彼をニコニコと微笑みながらザジは見つめている。
穴が開いていないから下着を着なかったというザジの発言は嘘である。開いていなければいないなりにズリ下げて穿けばいいのだ。単に剥き出しの尻を見せつけてオーウェンの情欲を煽るために裸になっていた。蜘蛛を取ろうと机に登ったのも、勝手に料理を作ったのも、オーウェンがどこまでザジの行動を許すのか推し量るために取った行動だった。この主人はどこまで舐めても平気なのか。それを把握することは今後の生活を送るうえで重要なことだった。主人の価値観次第では勝手に料理しただけで拳が飛んでくる可能性すらあるだろう。結果、オーウェンは彼女が一緒に食卓につくことすら許した。
(甘チョロ……)
オーウェンのザジに対する評価は「何をしでかすかわからないけどめちゃくちゃ可愛い娘」、ザジのオーウェンに対する今の時点の評価は「お優しいボクちゃん」だ。家に籠ってほとんど外に出ず、家族とだけ接してきたオーウェンとは違って裸一貫で知らない土地に連れてこられたザジにとって日々の生活はサバイバルで、今だってその真っ最中である。
オーウェンとザジは、お互いに嫌われたくない、好かれたいという気持ちで向き合っているが、内面にはかなりの温度差があった。
「これはアンタの故郷の料理かなんかだったのかい」
「……そうです。やっぱりお口に合わなかったでしょうか」
単に彼女のことを良く知りたいと思って尋ねた質問だったので、オーウェンはザジの返答が数秒遅れたのに気が付かなかった。それは無理やり連れだされた故郷に一瞬思いを馳せそうになったザジが意識を目の前の男に戻すまでに要した時間だった。鈍いオーウェンはぼそぼそと話し続ける。
「好きな食べ物とかあるのかい」
「……? 甘いものが好きです。乳を砂糖で煮詰めたものを使ったお菓子が好きで……」
「キャラメルクリームか。あとで一緒に作ろう」
幽鬼のような見た目の男に似合わない発言に、ザジは媚を含んだ微笑みを崩し、思わずきょとんとしてしまう。その表情を見たオーウェンの頬が一瞬だけさっと赤みを帯びた。
「アタシも甘いものは好きさ。かあさんにタルトの焼き方を教わってるが、焼いても一人で食うのは胸が灼けてかなわない。手伝っておくれ」
「……仰せのままに」
汚れた食器を片付けるザジの背中に、もう寝るから朝まで起こさないで欲しいと告げ、オーウェンは再び部屋に戻った。後ろ手に扉を閉めると、彼は顔の下を大きな手で覆う。
(あの娘、甘いものが好きなんだぁ……)
オーウェンの頭に、ワンピースを着たザジがキャラメルのタルトを笑顔で頬張っている見たこともない光景が広がり、それを現実にしたいという気持ちが沸き上がった。あけすけに淫蕩に誘う彼女よりも、そっちの彼女の方を見たいと思った。もしここに亡き母がいたら「オーウェン、アンタそれ恋だよ」とでも言ってくれたのだろうが、ここには物言わぬ蜘蛛しかいなかったので、彼にそれを教えてくれることはなかった。